第129話 反動 -retributive justice- 20

「それで、状況は?」


 ジンが問うと、対面に座っていた、ジェラルドは苦笑を返した。


「なにぶん俺も初めて聞いたものでな。詳しくは知らん」

「あいつらの方だ」


 ジンが聞いたのは、ここからでは、手の出し用のないドゥバンセ男爵とやらの奸計についてではない。ジンとダルタニアンが捕らえた、5名のMCパイロットについてだ。

 そもそも、ドゥバンセ男爵に関しては、革命団ネフ・ヴィジオンが黙って見過ごす訳もない。ジンに呼び出しがかかるかは不明だが、もう動き出しているに違いない。

 ジンが急いでここまで来たのは、ドゥバンセ男爵が、今回の件に絡んでいると、その言い草から察したからであった。


「それに関してはわたくしの方から、ご報告させていただきましょう」


 弾かれたようにジンが振り返ると、そこには、いつの間にか老執事が立っていた。

 そして、ジンは、荒々しく椅子を蹴倒して立ち上がると、恭しく礼を取る老執事の胸倉を掴み上げ、


「どの面下げて出てきた?」

「ジン様、わたくしも歳にございます。手荒な真似は──」

「ふざけている余裕があると思っているのか?」


 ジンが、首を締め上げながら、老執事の身体を片手で吊り上げる。永久凍土のごとき冷たさを宿した瞳に睨み据えられ、物理的に息を塞がれてなお、老執事は表情一つ変えぬままだった。

 ようやく状況に追いついたのか、ジンと同じ卓を囲んでいたカルロスが、慌てたように口を挟んでくる。


「ちょ、あ、アルカンシェル卿? いきなりキレるとかどうしたんですかね?」


 しかし、ジンはそれを黙殺し、


「おまえは知っていたはずだ。奴らの動きをな。気付いていたからこそ、荷物運びなんて真似を買って出た。違うか?」


 そうでもなければ、現れたタイミングと、最後に残した言葉が不自然に過ぎる。

 この老執事は、救えたはずの命を救わず、守れたはずの者を見過ごしたのだ。

 首を締め上げるジンの手に、無意識に力がこもった。


「はて? そのような他意はございませんでしたが……」

「どの口が言っている?」

わたくしはただの執事にございます、ジン様」

「はっ……冗談のつもりか?」

「いえいえ、わたくしは、ジン様と向き合うことを蔑ろにしたことは誓って、ございません。いつでも真剣にございます」

「なるほど、殺されたいらしいな」

「ジン様、あまり滅多なことを言うものではございません」

「はっ、なら、死ね」


 しかし、ジンがさらに力を込めた次の瞬間、彼の身体は床に叩きつけられていた。


「──っ!?」


 そして、何事もなかったように、ジンの前に直立不動で立ち、礼と共にジンを見下ろした老執事は、


「ジン様、わたくしはあくまで、執事にございます。職務の領分を超えたことは、助言に留めるのも、また執事の嗜みだと心得ているのでございます」

「──」


 言い返そうとしたジンだったが、肺から空気が抜けているのか、うまく声が出ず、酸素を求める魚のように、口をぱくぱくさせるしかできない。

 そして、老執事は、ジンの手を取り、それを引いて、立ち上がらせると、耳元で囁くように告げた。


「恐れながら忠言させていただくのであれば、ジン様は確かに強くなりました。しかし、何かを求めるならば、まだまだ力不足にございます。ご自分が、何を敵に回しているのか、何のために戦うのか、何を守りたいのか、それを見失わぬことを、わたくしは密やかながら願っております」


 ジンは何も言い返すことができずに黙り込んだ。かすかに感じていた違和感を見逃したのは彼自身であり、対応を誤ったのも彼の選択である。人を責めるのは筋違いというものであった。

 たとえ、目の前の老執事が、それを防ぐ力を持っていたはずだったとしても。


「ジン、気は済んだか?」

「……すいません」


 苦笑混じりにそう問うたジェラルドに、ジンは素直に謝罪した。クロエが絡んでいるせいだろうか、少々、感情的になり過ぎてしまったらしい。


「それにしても、なかなか面白いものを見れました。あの、仮面を被っているのかと疑ったほど無感動なアルカンシェル卿が、ここまで激情を露わにするとは思いませんでしたね。それに、こうも容易く打ち負かされるとは、正直、驚きました」

「今のアルカンシェル卿に喧嘩を売りに行くとか、サミュエル卿って、実は、アレですよね? 治に居て乱を好むタイプですよね? レーヴェル卿とか、アルカンシェル卿の同類ですよね?」

「……カルロス・シャントゥール、サミュエル・シルペストル。おまえたちがどういうつもりかは興味がないが、死にたいのか?」

「え? 俺もっすか?」

「カルロス卿、あなたは少々自覚が無さ過ぎると思いますが?」

「……まあいい。それで? おまえは、何を聞き出したんだ?」


 ジンが小さな溜息と共に、くだらない言い合いに幕を引くと、背後に控えたままだった老執事に尋ねた。


「残念ですが、目新しい情報はございませんでした。ドゥバンセ男爵の命で、セレーネ公爵領を襲撃したということで間違いないとのこと。先ほどの映像の方々が人質にございましょう」

「……やはりか」

「なるほどな。まったく、余興とは言ってくれたものだ……潰すか」

「うわー、この二人、同じ目してるんですけど、怖っ!」

「カルロス卿、あなたのそれは命知らずなのでは?」


 殺意を宿した真紅と紺碧の瞳に、カルロスが微妙に震えながらまっぜ返し、サミュエルは呆れたようにそれを嗜める。しかし、当然のごとく、二人の鬼には無視された。


「動くんですか? ジェラルドさん」

「どうだろうな? ジン、おまえこそ、どうする気だ?」

「…………」

「…………」


 無言のまま、ジンとジェラルドの視線がぶつかった。互いの心の奥底を覗き込むように視線を交わし合い、どちらからともなく、視線をずらした。


「俺が動くまでもないので」

「ふっ……なら、俺もそうだろう?」

「まったく、肝心な時には役に立たない、シャルロットの評価もうなずけますね」

「ほお、まあ、今回に関しては事実だな。後で謝っといてやろう」

「まったく、無様ですね」

「言うようになったな、ジン」

「ジェラルドさんこそ、性格の悪さも変わっていませんね」

「おいおい、俺の性格は、おまえほど酷くないぞ?」

「鏡見てから言ってくれませんか?」

「それ、自分で言ってて、性格が悪いとは思わないか?」

「そういう言い草が狭量だって言ってるんだが?」

「くっくっくっ……相変わらずだな、ジン」

「あんたに言われたくはない」


 二人とも表情は至って和やかなのだが、言葉の節々に棘があった。とはいえ、一見殺伐としているようで、その実、そうでもないように見えた。

 そんなやりとりを呆れ気味に見ていたサミュエルが、ふと口を挟んだ。


「それで、私たちはどうするべきでしょうか? アルカンシェル卿はともかく、我々は、他領に籍を置く騎士、不用意な行動は内政干渉と取られかねませんが?」

「ああ、アレだ。好きにしていいぞ。ダルタニアンが動いてるのは見せたしな。レーヴェルが付くと分かっていて手を出すほど、公爵閣下はバカじゃない。まあ、それ以前に、公爵閣下は、この程度の干渉ならば、気にもすまい」

「この程度なんですか、これ?」

「カルロス、相手は、セレーネ公爵家だ。少々、俺の独断で予定を変更させただろうが、それで俺をどうにかするようなら、俺の首はすでに落ちてるだろ?」

「……だろうな」


 笑えない冗談に、カルロスとサミュエルが頬を引きつらせるが、ジンは一人首肯した。

 相変わらず、貴族の権威というものを恐れない男である。


「ダルタニアンで保険も張ったし、俺も近いうちに公爵閣下に呼び出しを食らうだろう。おまえたちの動きには頓着せんさ」

「……だといいんですけどねー」

「カルロス、そう心配するな。ハゲるぞ」

「……やめてください。親父の頭を思い出すので」


 カルロスは、微妙に涙目で、頭を押さえながら言った。どうやら、父親は禿げているらしい。

 ジンは、ふと思い出した話を小さく口にした。


「……ハゲは遺伝らしいな」

「やめろよ、気にしてんだよ!」

「カルロス卿、ご安心を。男なら、背中には、髪の代わりに責任を背負うもの、と言います」

「言わねーよ! いい加減にしろよ、近衛騎士団!」

「いえ、これは父の教えです」

「あんたの父親も、かよ!」

「いえ、ふさふさですね」

「え?」

「おや?」

「ハゲてねーじゃん、それ!」

「それがどうかしましたか?」

「もういいです……でも、息子に教えることなんっすか、それ?」

「さて? 私には計りかねます」

「サミュエル卿、やっぱ近衛騎士団の教えって、冗談なんじゃ……もしくは父親の教えですよね?」

「さて、どうでしょう?」

「父親、か……」


 そんなくだらない掛け合いを聞いていたジンが、小さくそんな言葉をこぼした。その目はどこか遠くを見ているかのように、焦点が合っていなかった。

 その時、そこまで黙って暗み始めた外を見つめていたジェラルドが、口を開いた。


「さて、無駄な混乱が起きる前に、騒ぎを鎮めないとな。カルロス、サミュエル。出る準備をしろ。ジン。おまえは、クロエともう一人のお嬢ちゃんについていてやれ」

「了解っす」

「了解しました」

「…………」

「なんだ、ジン。言いたいことがあるなら言ってもいいぞ?」

「……なにもありませんよ」


 ジェラルドに視線を向けたまま黙ってしまっていたジンは、取り繕うように目を逸らした。


「ならいい。留守は任せたぞ」

「ああ」


 ジェラルドがそう言ってカルロスとサミュエルを連れて出て行った後も、ジンは黙って暗闇を見つめていた。

 その真紅の瞳は、彼にしては珍しく、揺らぎを宿していた。

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