第121話 反動 -retributive justice- 12
「くっ……」
ティナは赤い血肉に突き刺さった、小さな破片を摘んで引っ張り出しながら、一人歯噛みした。
数が多い。そして何より傷が深い。幸いまだ息はあるものの、それも時間の問題だろう。
これほどの傷を負っている少女──クロエを押し付けて、ティナならば助けられる、など無責任にもほどがある。
そんな苛立ちを敏感に感じ取ったのか、ティナの隣で、手術の助手を務めていたシャルロットが、すまなさそうに言った。
「申し訳ありません、私がもっときちんと治療できていたら」
「ごめん、ちょっと気が立ってた」
ティナはそう言って、一度、顔を上げた。集中力を欠いては、逆にクロエを傷付けることになる。それでは、ジンの期待に応えられない。
その期待が一方的かつ無根拠なものであることに苛立っているという事実はともかくとして。
もちろん、ティナだってクロエを助けたい気持ちは同じだ。今日知り合ったばかりではあるが、短い間に感じたクロエの人となりは気に入っているし、何より、目の前で吹き消されそうな命の灯火を、黙って見ているほど、ティナは残酷でもなければ、情を捨ててもいない。
「大丈夫。なんとかしてみせるから」
「気負い過ぎてはいけませんよ?」
気遣うように言われるが、ティナは一言、こう返した。
「気なんか命に比べたら大したことない」
「ふふっ……そうですね」
シャルロットは、虚を突かれたように目を見開いたが、すぐに笑みをこぼした。
その間にも、ティナはすでに作業に戻っている。苛立ちも焦燥も消えない。だけど、失敗は許されない。
集中力を高め、足りない道具と足りない技術を無理やりにでも補う。プロがいたらその方が良かったのだが、あいにくとそんな都合の良い存在はいない。
頼れるのは己だけ。ならば、全力を尽くすほかない。
シャルロットはそんなティナを見詰めながら、指示に従って道具を渡していく。
「ふふっ……」
必死に誰かを救おうとするティナの姿に、シャルロットは思わず笑みをこぼした。本人は目の前の作業に集中して気が付かなかったようだが。
──貴女が、
この白銀の髪を持つ少女は、きっと、誰かを救いたいと願ったのだ。そのために、彼女は戦っているのだろう。その戦いが、誰かを救えると信じて。
今も、彼女は戦っているのだ。剣を持ち、MCを駆るだけが戦いではない。彼女は、自分の限界と戦っている。クロエを救いたいという思いだけを乗せて。その思いのなんと尊いことだろうか。
さながら、奇跡を降ろす聖女の如く、誰かを救おうとするティナの姿は美しく、同時に神聖だった。
その時、簡易手術室となっていた部屋に、一人の青年が入ってきた。ブロンドの髪に純白の騎士服を纏う青年──ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルである。
「ティナ嬢、遅れてすまない! 頼まれたものを取ってきたぞ!」
「レーヴェル卿、お静かに。ティナさんの集中力を乱さないように」
「……すまない」
「ダルタニアンさん、輸血の準備。いける?」
クロエの傷跡から目を逸らさぬまま、ティナはダルタニアンに語りかけた。話は聞いているらしい。
「無論だとも。道具の一部を借受けることができたのでね。クロエ嬢の血液型はわかっているのかね?」
「今から調べる。シャルロットさん」
「わかりました」
「ふむ、これだと聞いている」
「ありがとうございます。表の方は大丈夫ですか?」
シャルロットが、ダルタニアンから血液検査のキットを受け取りながら、尋ねた。表にはまだ怪我人がいたはずだ。ある程度治療を終えているとはいえ、後回しにされて不満を覚える者もいるだろう。
「重傷者は優先して済ませてあるし、今は、互いに協力して応急処置を行っている。大きな問題はないさ」
「ならば、大丈夫そうですね……ティナさん、A型のようです」
検査を進めていたシャルロットが言うと、ティナは、
「ありがと、ダルタニアンさん、貸して」
「了解だ」
ダルタニアンから、輸血用の機材を受け取ると、針先を沸かしていたお湯の中に突っ込み、迷わず、針を自分の腕に突き刺し、チューブの先をクロエの腕に繋いだ。
「ティナさん!?」
「ティナ嬢!?」
「うっさい。わたしと一緒ならわたしがやるのが手っ取り早いでしょ」
ダルタニアンとシャルロットの二人は何も言い返すことができず、黙り込むしかなかった。
その間にも、ティナは作業を進め、ほぼ完璧に破片を取り除いたのを確認すると、
「ダルタニアンさん、糸と針」
「あ、ああ、これだ」
ティナはちらりと、ダルタニアンの方を見て、それを受け取ると、素早く傷口を縫合する。慣れた手付きだった。おそらく、何度も練習したのだろう。
「ふう……これでおっけいかな……」
ティナが、大きく息を吐きながら床にへたり込む。手袋を付けた手は血で真っ赤に染まり、飛び散った血を浴びたのだろうか、ゴムで後ろに纏められた銀の髪もところどころ赤く染まっていた。
「弱いですが、息もあります。間に合ったようですね」
「うん……でもしばらくは見とかないと。血は減ってるだろうし」
「ティナさんは休んでください。代わりの方を探してきますので」
「ううん、ちゃんと最後まで見届けさせて」
「しかし、ティナ嬢……」
ダルタニアンは、へたり込んだティナを観察する。隠してはいるが、おそらく、彼女も無傷ではない。目立った外傷はないものの、治療中も右腕を庇っていたし、ところどころ所作の芯がブレていた。おそらく、服の下には浅くない怪我をしているのだろう。
その上、怪我人の治療や、集中力を要求される手術で、ティナは消耗している。体力的にも限界のはずだ。
そんな彼女をこのままにしておくなど、ダルタニアンの騎士道が許さない。
しかし──
「だって休んでる暇なんかないもん。ジンも追っかけないといけないし」
ジンがシャルロットとクロエを置いて去ってからすでに、1時間以上経過している。今から行っても追いつけないだろう。
それに、ジンの目的はシャルロットから聞く限り、クロエを巻き込んだMCを殲滅すること。今のティナが行けば、足手まといどころか、命の危険すらあった。
「ティナ嬢。君がジンを心配しているのはわかった」
「ふぇっ? いや、ぶん殴らないと気が済まないだけだけど?」
「…………」
シャルロットが疲れたように、軽く眉間を押さえる。
話の腰を折られたダルタニアンはしばし、黙り込んだ後、咳払いを一つし、
「いずれにせよ、君が行くのは危険だ。ここは私に任せて欲しい」
「どういう意味?」
「一度、屋敷に戻って、MCを借り受けるのだ。そうすれば、ジンにも追いつけるだろう」
「なら、わたしが──」
「待ちたまえ!」
言いかけたティナの言葉を、ダルタニアンは遮った。そして、声を潜めて続けた。
「ティナ嬢。君がジンの仲間なのは、私にも想像が付く。いや、あの時の狙撃手こそ君なのだろう?」
ティナが息を呑むのが聞こえた。しかし、ダルタニアンからすれば明白であった。あの日、ライフルの狙撃によってMCを撃墜するという絶技を見せたフードの何者かの所作は精錬されていた。そう、実にエレガントであった。
今日、ティナが見せていた所作もまた、精錬され、優美なまでにエレガントだった。
そして、その所作は驚くほどに似通っていた。
ダルタニアンはこの一致に気付き、ジンと行動を共にしていたことで確信したのだ。
ティナもまた
「だが、君がどのような立場であれ、君の見せた命への真摯さは、
「あ、ありがと……?」
「なればこそ! 私もまた、レーヴェルの嫡子として、君に答えなければなるまい!」
「ふぇっ? いや、要らないんだけど」
しかし、ティナの言葉はダルタニアンに黙殺された。
「私も君に示そう。私の騎士道を! 私の
ダルタニアンは、ふと真顔になって、ティナの瞳を正面から見詰めると、
「だから、私に任せて欲しい。ジンの友として、君に感銘を受けた騎士として、ジンを止める」
再び、ティナが息を呑むのが聞こえた。おそらく、ティナも同じことを考えていたが故に、ジンを追おうとしたのだろう。
「ぷっ、ふふふっ……」
ダルタニアンの碧眼を見つめていたティナは、くすくすと笑い出す。とても楽しそうに。そして、何かに納得したようにうんうんとうなずいていた。
「ダルタニアンさんって面白いね。ジンが絆されるのも分かった気がするかも」
「なっ!?」
「ふふっ……でしょう?」
「ん? シャルロットさんもその口?」
「さて、どうでしょう?」
にっこり笑むシャルロットの真意を探ろうと、ティナはじっと見詰めたが、鉄壁の笑顔を前に諦め、ダルタニアンの方を見た。
「ダルタニアンさん、任せていい?」
そう言って、ティナは手をダルタニアンの方に差し出した。
ダルタニアンは即座にその意味を解し、ティナの手を取ると、その甲に口付けた。まあ、厳密に言えば、触れない程度に、だが、そう見えるように唇を近付けただけだが。
それは、女性への恭順と忠誠を示す、騎士の献身を意味する礼。
「私、ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルの名に誓い、あなたの願いを叶えることを約束しましょう」
「名に恥じぬ活躍を期待します。レーヴェル卿」
ティナもいたって真面目にそう答えると、ダルタニアンは立ち上がり、静かに寝息を立てるクロエを気遣わしげに見やり、
「フランソワ卿、ここは任せていいかね?」
「ええ、存分にどうぞ。それと、ジェラルド様に事情をお伝えしてもあっても構いませんか?」
「無論だとも。私から話は伝えておこう」
「ええ、よろしくお願いします」
「ふむ、では失礼する」
ダルタニアンは、その言葉を最後に走り去った。
その後ろ姿を見送った後、シャルロットはくすくすと忍笑いを漏らしながら、うつむいてぷるぷる震えているティナに声をかけた。
「ずいぶんと様になっていましたね?」
「うっさい。わたしだって恥ずかしかったんだからねっ!」
「ならば、必要のない手間だったのでは?」
まあ、全くその通りなのだが。だが、それでも、ティナは知りたかったのだ。ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルという男の底を。どこまで本気なのかを。
「ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルがどこまで騎士なのか知りたかっただけ」
「ふふっ……骨の髄まで、ではないでしょうか? 完敗ですね、ティナさん」
「む……」
羞恥に頬を赤らめたままだったティナは、拗ねたように頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いた。
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