第115話 反動 -retributive justice- 06

 革命団ネフ・ヴィジオン管理自治区。そう名前を変えた、旧ヴィクトール伯爵領領都アガムメノンの一画。そこに、比較的大きな屋敷でありながら、周囲の建物に溶け込むように設計された一つの建物があった。

 一般人では見てもその正体を掴めないであろうが、多くの貴族はその門構えを見て、どのような目的で作られた建造物であるか察することができるだろう。

 通りを歩く人々に怪しまれず、かといって過剰に隔離して逆に居場所を喧伝するようなこともない。そんな設計と立地。

 すなわち、そこは貴人を閉じ込めておくための屋敷だった。もしくは、愛人を囲うためと言い換えてもいい。

 そんな屋敷の一室のドアを、茶色い髪の青年が食事のトレイをいくつか乗せたワゴンを片手で止めたまま、開いた。

 そして、青年は素早くドアを閉めた。


「また、やっちまったな……」

「……へんたい」


 青年──ファレルの目は死んでいた。どこからともなく聞こえてきた罵倒と、首筋を焼くようなじりじりとした視線が心に痛い。

 しばらくして、ドアが開き、侍女服に身を包んだ女性が顔を出した。


「どうぞ」

「悪い」

「いえ、私もお嬢様も気にしておりませんから」


 ファレルは素直に侍女服の女性の導きに従って部屋に入り、とりあえず、手に持っていたワゴンを部屋の真ん中にある机の側に置いた。


革命団ネフ・ヴィジオンでは女性の部屋に入る時、ノックするという常識すら教えないのかしら?」

「めちゃくちゃ気にしてんじゃねーか!」


 豪奢なブロンドの髪を払い、開口一番そういった少女に対し、ファレルは思わずつっこんだ。


「あら? そんな言い方はやめてくださらないかしら。わたくしがあなたごときに着替えを見られたことを根に持っているみたいじゃない」

「思いっきり、根に持ってんじゃねーか!」


 そう、先ほど、ファレルが開けたドアを即座に閉めたのはそういう理由からだった。

 ファレルはほぼ毎日のように、ルイーズたちに食事を運ぶ役を担当しているのだが、ノックなどという行儀の良い癖を付けていないファレルは、すでに数回似たようなことをしていた。

 ちなみにファレルが選ばれた理由は、抵抗された時にそれを抑えられ、なおかつ暇で、貴族に対して深く思うところがないフラットさがあったからである。

 逆に言えば、多くのメンバーは仕事があるか、ない場合は思想的に偏っているということでもある。


「いやね、わたくしは子爵令嬢よ? 下人に裸を見られたところでなんとも思わないわよ」

「ここぞとばかりにストレス発散してんじゃねーよ!」

「あら、わたくしを抑圧しているという自覚はあったのね。驚いたわ」

「抑圧も何も、テメェ、捕虜だろうが!」


 肩で息をするファレルと、くすくすと笑みをこぼす主人に呆れたのか、侍女服の女性──トウカは、小さく溜息を零した。


「何度も言っていますが、お嬢様、ご自分の立場をお考えくださいますよう」

「もちろん、理解はしているわ。けれど、こう何もできず閉じ込められていると退屈でしょう?」

「お嬢様、このような扱いを受けていること自体、感謝すべきことなのですよ?」

「わたくしが感謝すべきは、この扱いを決めた、《テルミドール》殿であって、配膳係ではないと思うのだけれど」


 ブロンドの少女──ルイーズ・マルグリット・ラ・マレルシャンは、ちらりとファレルに流し目を送りながら言った。この少女はこうやって人の反応を引き出して楽しんでいるのだ。ずいぶんと性格の悪い暇潰しである。


「配膳係じゃねーよ」

「あら、違ったのかしら?」


 結構、本気で驚いているルイーズに、ファレルは溜息をついた。とはいえ、ファレルがどんな立場にいるメンバーかすら、ルイーズには秘匿することになっている。それ以上は言えないことだった。


「誘導尋問ならおれに仕掛けても無意味だぞ」

「そう、残念。なら、もう少しタイミングを見計らうことにするわ」


 ルイーズは、何事もなかったように、座っていたベッドから立ち上がると、椅子に座り、トレイを手に取った。


「相変わらずね……」

「おまえ普段どんだけいいもん食ってんだ?」

「大した家ではないと思っていたのだけれど、ここに来てその考え方は確実に変わったわね。わたくしは相当恵まれていたらしいわ」


 食事の内容を見て、そんな風に感慨深く言うルイーズに、ファレルは思いっきり舌打ちを漏らした。このお嬢様は明日の食事に困り、時には今日食べるものすらない、などという経験はないのだろう。当然といえばそうだが。


「お嬢様」

「……ごめんなさい」

「おまえは悪くねーよ。だが、それを当然と思ってる時点でおれらは救われねーんだよ。お貴族様には分からないだろうが」


 ファレルの言葉の端々には棘があった。革命団ネフ・ヴィジオンに入るまでは、ファレルは満足にものを食べたことはなかった。しかし、そんな境遇の子供は楽園エデンでは珍しくもない。

 それを知らない少女のような貴族子女が大人になり、民のためという耳触りの良い言葉を並び立てて、政策を実行する。知られていないものは救えないし救われない。

 ファレルは、ルイーズを悪人だとは思わない。ルイーズは貴族の中ではまともで良識的で、何より民を思っている。しかし、それでもやはり、救われない人々はいる。彼女たちの常識の外に目を向けない限りは。


「本当に勉強不足ね、わたくしは。戦術も政治も通り一遍のことだけ学んで、目に見える、触れられるものだけを真実だと信じ込んでいたのだから。わたくしが革命団フ・ヴィジオンに及ばなかったのも当然ね」

「お嬢様……」

「って悪いな、まあ、冷める前に食っちまおうぜ」


 ファレルはそう言って、自分の分のトレイを手に取り、ルイーズの正面に座った。その表情からは先ほど見せていた苛立ちはすでに消えている。


「トウカ、あなたも座りなさい」

「ご心配なさらずとも、もう諦めましたから」


 ルイーズの私的侍女であるトウカは、主人であるルイーズと食事の席を共にすることを嫌うのだが、ルイーズ本人は一緒に食べたがっていた。ファレルとしても分けて食事させるのは面倒なので、ルイーズの提案を推した。

 結果として、トウカは折れ、今ではルイーズとファレルと、席を共にするようになっていた。

 トウカが座るより早く、ファレルは食事に手を付けた。行儀が悪いとでも思ったのだろうか、ルイーズが眉をひそめたが、ファレルは気にしない。


「仕事だからな」


 ファレルは別に育ちがいいわけではないし、何より、ファレルは護衛と毒味を兼ねてこの席に座っている。ルイーズやトウカより先に手を付けなければ意味がない。


「もう少しゆっくり食事を楽しんではどうかと思っただけよ」

「食えるだけでありがたいからな。今でも」

「……わたくしってこんなに気遣いのできない娘だったかしら?」

「お嬢様は配慮に欠ける性格だったと、私は認識しておりますが」

「むっ……」


 ルイーズは拗ねるようにぷくっと頬を膨らませた。そんな彼女を尻目に、それぞれの料理に数回ずつ口を付け、飲み物も確認したファレルは、うなずいて、


「オーケーだ」

「もういい加減なれもするけれど、この手順、今更必要なのかしら?」

「暗殺者なんていくらでも来るからな。戦力の関係上、必要なとこ以外、セキュリティガバガバなんでね。スパイだの暗殺者だのは毎日のように引っかかってんだよ」

「あら? それは初めて聞いたのだけれど。わたくしも存外人気者だったのね」


 ルイーズは、愉快げに頬を緩ませるが、実際に守る側であるファレルたちは大変なのだ。この屋敷の別の部屋には騎士団長を含む数名も拘禁しており、武闘派である彼らの見張りを含めて、かなりの人員がここに動員されている。

 その上、不用意な出入りで場所を掴ませないように似たような屋敷に生活するものもいる。まあ、こちらは、ジンたちのようなアガムメノンに待機する者たちのために使われているのだが。

 ちなみに、ヴィクトール伯の愛人として、また政敵として監禁されていた方々には、早々に元の居場所に戻っていただいた。数名は革命団ネフ・ヴィジオンへの参加を望んだ者もいたが、基本的にはお帰りいただくか、騎士団員を受け渡すついでに、マレルシャン子爵に丸投げした。


「余裕あっていいよな、おまえはさ」

「あら、わたくしを外に出さないのはあなた方の意向ではなくって?」

「あんたらを守れってのが上の意向なんでね。外に出すわけにはいかねーんだよ」

「そう、残念ね。領都にどのくらい活気があるか見てみたかったのだけれど」

「はあ……」


 そちらもまた、苦労の種ではあった。革命団ネフ・ヴィジオンの管理区域と知って、交易してくれる商人などいないし、貴族院が治安維持法なる法律を大々的に発表した今、革命団ネフ・ヴィジオンとの繋がりが明るみに出れば、即座に処罰の対象だ。

 もちろん、革命団ネフ・ヴィジオンの隠れ蓑となっている運び屋やその他様々な組織はあるにはあるが、領民すべての生活を支えるには全然足りていない。

 その上、圧政を敷いていたヴィクトール伯爵のせいで、生活必需品の多くが、金に変えられて他領に流失していた。

 革命団ネフ・ヴィジオンのメンバーが、新たな農業用地を開拓していると言えば、どれだけ苦労しているか分かってもらえるだろうか。

 もちろん、ルイーズはそんな事情を知るわけもないのだが、調理された野菜を口に運び、納得したようにうなずいた。


「どうやら苦労しているみたいね。商人には避けられるけれど、抱えた領民を生かすためにものは確保しなければならない。そんなところかしら?」

「……そういや、聡明なご令嬢だったな」


 ファレルの溜息と前後の会話からそれだけのことを推測するのだから、確かに頭がキレると評価すべきだろう。

 そんな風に考えながらも、ファレルは冷や汗を流す。情報を漏らしたせいだろうか。方々からファレルだけに殺気が飛んでくる。


「褒めていたたき光栄ですわ、わたくしの騎士様」

「テメェの騎士になった記憶はねーし、そもそも騎士じゃねーよ」

「あら、わたくしを守ってくれるのでしょう?」

「仕事だからな」


 素気無く言うファレルに、ルイーズは、くすりと笑みをこぼした。


「お嬢様、仮にも囚われの身なのですから、あまり喧嘩を売るような真似はおよしください。心臓に悪いですから」

「大丈夫よ、彼にわたくしを傷付けることなどできないもの。そうでしょう?」


 にっこりと笑んだルイーズが見たのは、ファレルの方ではなく、無意味に豪奢な絵が飾られた壁だった。


「透明人間はいないぜ?」

「あら? 勘違いなさらないで欲しいわね。ここはヴィクトール伯の貴人館なのでしょう? なら、抜け道くらいはあるはずよ。そこに誰かいるのではなくて? 例えば、あなた以外の監視とか、ね?」


 実に鋭い。ちなみに、先ほどルイーズが見た絵の裏には、確かに抜け道が通っているし、先ほどからファレルに数度殺気を飛ばしてきている隠密少女──セレナが隠れている。とはいえ、あの絵を外したところで抜け道は見つからないので、当たってはいても、見つけられはしないだろう。


「さてな。おれは何も聞いてねーから知らねないぜ? つか、守るのが仕事って言ってんだろ。何もしねーよ」

「ふふっ、否定はしないのね」

「うるせーよ」

「……頼りない」


 小さく声が聞こえたと思うと、いつの間にかファレルの隣に、黒ずくめの誰かが立っていた。黒いフードで人相を隠した少女──セレナである。


「いつの間に出てきた。つか出てきていいのかよ?」

「……さっき。許可は出てる」


 誰が許可を出したのだろうか。そもそも、仲間と話す時すら、徹底して正体を隠していたはずなのだが、最近ではそんな兆候は見られない。任務が変わったのだろうか。

 ルイーズとトウカは、突然現れたセレナに面食らったようで、目をぱちくりさせていたが、すぐにルイーズが好奇心に目を輝かせて食いついた。


「あなたが監視役ということかしら?」

「……そう。どうせばれてるみたいだから」

「黒髪ってことは東方系かしら?」

「……内緒」

「トウカ、もしかすると同郷かもしれないわよ?」

「どうでしょう。私は元は捨て子ですので」


 セレナは、そういったトウカの方をしばらく見つめていたが、結局、短く拒絶を返した。


「……黙秘」

「……教えてくれなさそうね」

「つーか、わざわざ出てきて何のつもりだよ?」

「……邪魔だった?」

「何の?」

「……逢い引き」

「してねーよ! 仕事だろうが!」


 ファレルは全力で叫んだ。誰のせいだ。カエデの恋愛脳に侵されたのだろうか。


「……ハーレム」


 ぼそっとつぶやいたセレナの言葉に、ファレルは冷静になって現状を見返した。男一人に女三人。しかも、それぞれ別のタイプの女の子だ。まあ、ファレルから見てもそれなりに魅力的な。


「……なあ」

「……なに?」

「明日から代わってくれ、頼むから、切実に」

「いや。めんどう」


 セレナは心底嫌そうに首を振り、


「この子、わたくしに付き合ってくれなさそうだもの。あなたが来なさい。チェスは弱いけれど、相手がいないよりいいわ」


 ルイーズが、真顔でそう言い、


「お嬢様の我儘に付き合ってくださる殿方は珍しいので、ぜひお相手していただけると助かります」


 いつの間にか食事を終え、ルイーズの背後に控えていたトウカが、ぺこりと頭を下げた。


「……あいつにやってもらおうぜ、赤い目のあいつに」

「……休暇中」

「はっ、ふざけんな、あの野郎! このクソ忙しい時に何やってやがる!」

「……暇なのはあなたの同類」

「誰がどう見てもおれ、忙しいよな!?」

「……本業がない。つまり暇」

「…………」


 残念ながら言い返せない。とはいえ、そもそもファレルは、対人戦闘担当の部隊員である。MCによる防衛を中心に、侵入者に関しては隠密部隊が排除している革命団ネフ・ヴィジオンの防衛形態では、仕事などない。


「……ニートは働く」

「いや、おれ以外にもいるだろ」

「……強面。性格荒い」

「おまえ、あいつらに全力で謝れ」

「……却下」

「だいたい、あいつらだって見た目はアレだが──」


 その時、ノックの音が響いた。特徴的なリズム。それを聞いたファレルとセレナはすぐに口を閉ざし、表情を改める。


「あら、仕事のお呼び出しかしら?」


 ルイーズの言葉を、ファレルとセレナは黙殺した。とはいえ、聡明な彼女はこの態度だけで察せられるのだろうが。


「悪いが、お嬢様に付き合えるのもここまでだ。食い終わったやつはその辺に置いといてくれ。後で回収する」

「分かりました」

「……監視は外れないから」

「ふふっ、分かっているわ。妙な気を起こすつもりはないもの」

「では、いってらっしゃいませ」


 ぺこりとトウカが頭を下げた。言ってしまえば敵であるファレルとセレナにそんな礼儀を尽くす必要はないのだが、そこはプロ意識と言うべきだろうか。


「さてっ、と。行こうぜ。久々に働けそうだ」

「……無様にやられただけのくせに」

「テメェもだろうが」

「……気のせい」


 そんな風に言い合いながら、ファレルとセレナはルイーズたちの部屋を後にした。

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