第114話 反動 -retributive justice- 05

「ジェラルド様、少々、大人げないと思いますよ?」

「悪いな。少し昂ったようでな」


 訓練を終え、MCを降りたダルタニアンたちは、カルティエ家の屋敷の一室で昼食を取っていた。

 カルティエ家の屋敷はそう大きいものではない。使用人も、執事が一人いるだけで、他にはいない。唯一、実に腕のいい料理人はいるものの、基本的に屋敷の諸々のことをするのは、屋敷に住む人々であり、実際、滞在中の身であるダルタニアンたちも、掃除や買い物など、様々な仕事をこなしていた。

 普通の貴族ならば根を上げるような生活だが、騎士として訓練を積んできたダルタニアンたちにとっては、そう苦労することではなかった。


「ほんとうに、もう少し、自重というものを覚えて欲しいものですね」

「難しい要求をするな」


 そう言って苦笑するジェラルド。攻勢に転じた後のジェラルドの〈エクエス〉にまともに相対できたものはいなかった。四人の中で一番腕利きのシャルロットですら、2、3合も打ち合えば、墜とされていたのだから、その技量の凄まじさは、もはや言葉にできないほどである。

 そんな時、ダルタニアンはあることに気が付いた。食卓を囲む人数が一人少ない。


「カルティエ士爵」

「ダルタニアン、その堅苦しい呼び方はやめろと言っただろう?」

「うっ……善処します。ところで、クロエ嬢はどちらに?」


 ふっと、ジェラルドから不穏な気配がダルタニアンに向けられた。頬を冷たい汗が伝う。冗談にしては少々、苛烈な殺気であった。


「娘はやらんぞ」

「いえ、そのようなことは……」

「ほう……」

「……ジェラルド様」


 呆れたようなシャルロットの声に、ジェラルドは苦笑を漏らした。


「冗談だ。まあ、そう簡単にやる気はないがな」

「嫌われますよ?」

「心配しなくても、親子仲は良好だ」

「…………」


 じとーっとしたシャルロットの視線が、ジェラルドに突き刺さった。

 あのダルタニアンの態度すら普通に受け入れるシャルロットが、呆れを露わにする程度には、ジェラルドという人物は破天荒らしい。ひっそりとそんな風に感心している二人がいたが、今は蚊帳の外である。


「それでクロエだったな。そんな大層なものでもなく、ただ遊びに行っただけだな」

「この情勢で護衛の一人もつけていないのですか?」


 シャルロットがジェラルドを睨んだ。ダルタニアンたちも関わった、3ヶ月前の一件以降、各地で革命団ネフ・ヴィジオンに追従する反動勢力が表立って活動を開始し、同時に、制定された治安維持保護法によって、貴族と革命勢力の対立はむしろ激化し、全国的に治安は悪化傾向にあった。そんな中で、クロエのような非力な少女を一人にするのは危険と言うほかない。シャルロットが怒りを露わにするのももっともであった。

 実際、その領地運営から領民たちの信を得ているレーヴェル領ですら、反動勢力の動きはわずかながら存在するのだ。


「送る時はつかせたが、相手があいつだからな。護衛には十分だろう」

「あいつ、ですか?」


 シャルロットがその単語を聞き咎めた。ダルタニアンもまた、その親しげな呼び方に、ふと思い浮かんだ顔があった。


「シャルロットは覚えているんじゃないか? 俺が拾ってきた愛想のないガキだ、この辺じゃ珍しい紅い瞳の。今は出て行って運び屋をやってるらしいがな」

「……彼ですか」


 ダルタニアンの脳裏にもはっきりと思い浮かんだ。煉獄の業火を宿す真紅の瞳を持ち、冷酷なまでに冷たい表情を見せる少年の顔が。ジン・ルクスハイト──ダルタニアンとシャルロットを打ち負かし、さらには円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンズにすら刃を届かせた、もう一人の双剣の騎士である。

 そして同時に、貴族に叛逆する革命団ネフ・ヴィジオンの騎士でもある。彼自身ははっきりとは口にしなかったが、ダルタニアンもシャルロットも確信していた。

 しかし、今でも彼を気にかけているジェラルドに、それを言うつもりはダルタニアンにもシャルロットにもなかった。

 事情を知らずとも、そんな空気を察したのか、サミュエルは何か言いかけて開いた口を閉じた。

 しかし──


「あれ? 紅い目の騎士ってこないだいましたよね?」


 ただ、空気を読めない男が一人いた。カルロス・シャントゥール。彼は、この中で唯一、アルカンシェルと名乗っていたジン・ルクスハイトの双剣を使った試合を見ていない人物だった。

 後で聞いた話だが、あの日、ダルタニアンに敗退した後のカルロスは、同じく敗退した騎士たちの一部とともに、親衛隊の待機組と模擬戦をしていたらしいのだ。

 つまり、彼の中のジンのイメージは、優勝候補を瞬殺し、ダルタニアンを物理的に黙らせるアルカンシェルという真紅眼の騎士なのだ。


「……やっべぇ、地雷踏んだ」


 ダルタニアンとシャルロットの刺すような視線を受け、カルロスがぼそっとつぶやいたが遅い。

 ジェラルドがおもちゃを見つけた猫のように笑み、


「おまえたちは、こないだの闘技大会で知り合ったんだったな。詳しく聞かせてもらっていいか?」


 ダルタニアンとシャルロットは顔を見合わせ、どちらかともなくため息を吐いた。どちらもさながら舞台俳優めいて様になった仕草だった。実にエレガントである。

 気まずそうに目を逸らすカルロスの隣で、サミュエルがやれやれとばかりに首を左右に振った。


「話すか迷ってはいたのですが、私とレーヴェル卿は、先日の闘技大会で、紅い目の双剣の騎士と刃を交えました。少々、礼儀を欠いた愛想の無い騎士でしたが」

「くくっ、ジンだな、間違いない」


 小さく吹き出しながら、ジェラルドはその名を口にした。そして、シャルロットも納得したようにうなずいた。


「そうでしたね、ジン・ルクスハイト。ようやく名を思い出せました」

「それで、どうだった?」


 心底楽しそうなジェラルドに、シャルロットは言葉に詰まった。ジェラルドはジンが嘘をついていたことを気にも留めなかった。むしろ、シャルロットとダルタニアンが剣を交えたということに興味があるらしい。

 嘘を知れば疑念が湧く。だからこそ、シャルロットたちも黙っていたのだ。だというのに、そんな態度を取るジェラルドに戸惑い、とっさに反復できないシャルロットに代わって、ダルタニアンが答えた。


「研ぎ澄まされた剣技と確固たる騎士道を持った素晴らしい騎士でした。間違いないなく、あなたの剣を継ぐに相応しい」

「くくっ……」


 ジェラルドはそんなダルタニアンの評価を聞いて、また噴き出した。ジンがそんな風に評価されるのがよほどおかしいらしい。


「レーヴェル卿の評価は少々、過剰だと思いますがね。基本的に喧嘩腰ですし」


 サミュエルの評を聞き、ジェラルドはさらに噴き出した。


「くくっ、まあそれが当然だろうな。あんなのでも、一度は騎士学校に入れてやろうと思っていたぐらいでな。礼儀も教えたんだが、まあ実りはなかったな」


 悪い意味で実りがあったような気がしなくもない。少なくとも、あの傲岸とも言える態度や言い草は、ジェラルドの影響が少なくないように、ダルタニアンは感じている。


「仮にも侯爵嫡子のレーヴェル卿にアイアンクローかましてましたしね。まあ、正直、これはレーヴェル卿の非が大きいと思いますけどね」

「ふっ……カルロス卿、私は騎士として、貴族として当然の振る舞いをしただけのこと。反省すべきは、私の騎士道と彼の騎士道の相違を理解していなかったことのみ! 次に会う時は、心ゆくまで互いの騎士道を語れることだろう!」

「はぁ……たぶんアイアンクローか拳でお出迎えですね」

「あいつは変わらんな」


 ジェラルドはそう小さくこぼした。どこか寂寥感のあるその言葉に、ふとざわめいていた食卓が静まった。

 ジェラルドはそんなダルタニアンたちにも気付かず、口調の割には険しい表情で、虚空を睨んでいた。


「ジェラルド様?」

「いや……それで、あいつはどういう経緯で闘技大会に出ていたんだ?」

「私も詳しくは知らないのですが、雇い主は一時的なものとのことでした」

「……なるほどな」

「傭兵か何かでしたっけ?」


 カルロスが軽い調子で口を挟み、シャルロットがちらりと彼の方を見やると、その黒い笑みに恐れをなしたのか、ぶんぶん頭を振ってうなずいた。


「ふっ……なればこそ、かの円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンズ、ザビーナ・マーシャル・ラ・オルレアン卿とも対等に戦う騎士と刃を交えられた幸運に感謝しなければならない……いや、これも宿命というものか……」

「なに……?」


 ジェラルドは、ダルタニアンの発言に少々驚いたように目を見開き、そして、溜息を吐いた。


「そういうことか……馬鹿が。まあいい、いずれにせよ、少々教育的指導が必要か……」


 そして何事かつぶやくジェラルドを不審な表情で見るシャルロットに気が付いたのか、ジェラルドはふっと表情を柔らかくし、


「ああ、そうだ。そういえば、食料の備蓄が足りなくなってきていてな。悪いんだが、買い出しに行ってもらえないか?」

「おや? 午後からも訓練だったのでは?」

「確かその前に、訓練場の整備ありましたよね?」

「貴族とはいえ、若い男が3人もいると良く食うだろう。それも見越していたつもりだったんだが、なにぶん、久しぶりだったものでな。読み誤ったらしい」

「買い出しですか……なら、私が行きましょう。みなさんは、ここには詳しくないでしょうから」


 シャルロットがそう言う。シャルロットは幼き日に、ジェラルドが、セレーネ公の頼みを受けて開いていた騎士学校の生徒、中でも見込みのある生徒、すなわちジェラルドの直弟子として、カルティエ領で過ごしていた過去がある。最近は顔を出してはいなかったが、この辺り一帯のことは良く知っている。


「おっ、いいのか? まあ、おまえはよく脱走して街に出てからな。ここなら詳しいだろう。今でも、行き先は変わらんしな」

「……ジェラルド様。恥ずかしいので、余計な情報を話さないで欲しいものですね」

「悪いが、俺のイメージは随分とちっこい頃だからな。小生意気で堪え性のない子供だったのに、今は舞踏会でも出れそうな淑女だからな。最初に連絡が来た時は別人と疑ったぞ」

「……私の家をなんだと思っているのですか?」

「…………」


 ジェラルドは無言だった。どうやら、驚くべきことに知らないらしい。こんな無頓着さもジンに似ている。

 シャルロットはそんなジェラルドに呆れを隠さず、


「少しは興味を持つべきですよ?」

「……すまん。だが、おまえに小言を言われるとは思わなかったぞ」

「……お忘れのようですけれど、私も貴族令嬢ですから」


 そう言って、優雅に微笑む。そして、手にしていたナイフとフォークを置くと、立ち上がった。小さな音すら漏らさぬ滑らかな仕草。実にエレガントである。


「では、お先に失礼いたします」

「シャルロット様、こちらがリストにございます」

「ありがとうございます」

「なんと……!?」


 ダルタニアンは我が目を疑った。いつも間にか、シャルロットの隣には、白髪に燕尾服を纏った、この屋敷の執事が現れていたのだ。

 シャルロットは自然に受け取ったが、直前まで、そこには誰もいなかったはずだ。

 ジェラルドに対する当てつけだろうか、淑女の礼カーテシーを取って出て行こうとしたシャルロットを、ダルタニアンは呼び止めた。


「フランソワ卿!」

「レーヴェル卿? なんでしょう?」

淑女レディを一人で行かせては、騎士の名折れ、私も同行しよう」

「ふふっ、断っても来るのでしょう?」


 どこか照れたような笑みを浮かべながらそう言うシャルロットに、ダルタニアンは深くうなずいて見せた。


「無論だとも」

「では、遠慮なく。エスコートをお願いいたします、レーヴェル卿」


 連れ立って出て行った二人を見送ったカルロスはぼそっと、


「あれ、一歩間違えばストーカーですよね?」

「カルロス卿、諦めが肝要ですよ」


 いつの間にか食後の紅茶を嗜んでいたサミュエルが、さらりとそう返す。いや、確かにそうなのだが──


「いや、でもあれ、フランソワ卿が寛容だから、何もないだけですよね?」

「騎士は戦場以外では諦めが肝要です」

「なんですか、それ」

「近衛騎士団の教えです」

「だから、決めた団長バカ誰だよ」

「さあ? 私は知りません」

「……こないだ書いてもらった推薦状、取り消してもらってもいいですかね?」

「いえいえ、遠慮することはありませんよ?」

「いや、今の流れで遠慮してるようには聞こえるんですか、あんた」

「さて、どうでしょう? 私はどうも他人の機微には疎いもので」

「嘘付け!」

「おや、先ほどから言葉遣いが荒いですよ? 騎士は常に、己の士気を高く持たねば」

「……それもアレですか?」

「ええ、近衛騎士団の教えです」

「マジで誰ですか、その上手いこと言おうとして失敗したみたいな格言を決めた団長バカ


 というか、それを律儀に団員に受け継がせている近衛騎士団も近衛騎士団である。

 と、そこで、ふと思いついたことを尋ねた。カルロスは気付いたのだ。すべて、サミュエル・シルペストルという男の狂言であるという可能性に。


「冗談とかじゃないですよね?」

「さて、どうでしょう?」


 淡い笑みを浮かべるサミュエル。残念ながら、カルロスにはその笑みの裏側を読み解くことはできなかった。

 何か言い返そうとしたカルロスは、ふと、殺気を感じて、身を震わせた。いつか感じたような、心臓を死神の冷たい手で鷲掴みにされたような感覚。

 恐る恐る殺気の方向をうかがったカルロスは絶句した。羅刹がそこにいた。

 その口角は悪魔めいて吊り上がり、その口からは、


「くっくっくっ……ダルタニアン、おまえにも教育的指導が必要なようだな……」

「(いやいやいや! なんすかあれ!? 東方でいうオーガですよ、絶対!)」

「(……見なかったことにしましょうか)」

「(それが妥当ですね、絶対)」

「(ええ、獅子と妻は怒らせるなと言いますしね)」

「(恐妻家かよ!)」

「(いえいえ、れっきとした近衛騎士団の教えです)」

「(全力で推薦取り消しでお願いします)」


 その時、どこからともなく現れた執事が、ジェラルドの前のティーカップを新しいものに差し替えた。

 そして──


「ジェラルド様」

「(いったぁああああ!?)」

「(正気ですか!?)」


 こそこそと驚愕を漏らす二人がいた。あの羅刹に正面から挑むなど、勇者以外の何でもない。


「……なんだ?」

「(普通に返した!?)」

「(いえ、あれは……)」


 そう、あれは、新たな攻勢への布石。いわば、初撃に打って出るための、神速の踏み込みのようなもの。本命はここからくる太刀である。

 しかし、ジェラルドが口を開くより先に、執事は一言、


「過剰な親心とは時に子からは煩わしく思われるものですよ?」

「………!?」

「(なっ……!?)」

「(バカな……!?)」


 その瞬間、カルロスとサミュエルの二人の心が一致した。


「「(一撃で、葬った……だと!?)」」


 羅刹は死に、残されたのは絶句したまま固まるジェラルドだけであった。そんな彼に、老執事は一言、


「それでは失礼いたします」


 そう言って姿を消した。


「(え? まさかの放置?)」

「(……あの執事、何者ですか……)」

「カルロス、サミュエル」


 相変わらず、こそこそと会話していた二人は、突然、名前を呼ばれて、背筋を正した。


「あはは、な、なんですかねぇ?」

「いや、なんでもない。どちらにせよ、俺の腹は治らんからな」

「えっ?」

「おや……?」

「夕方からは訓練再開だ。ジンもそうだが、まずはダルタニアンだな。ぶっ倒れるまでしごいてやるから、きちんと連れてこい」

「…………」

「…………」


 カルロスとサミュエルは顔を見合わせ、諦めたように互いに微笑むと、ここにはいないダルタニアンの冥福を祈ることにした。

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