第101話 連鎖 -butterfly effect- 32

『君達は今、疑問を感じているはずだ。どうしてこうなったのだ、こんなことは望んでいない、と。それは当然の疑問だ。そう、それは当然の疑問なのだ。

 圧政と搾取に耐え、日々、慎ましく暮らしていただけの自分が、こんな騒乱のただ中に巻き込まれている。そのことへの疑問は尽きないだろう。

 故に、君達は今、その原因を狩り立てることに執心している。実に正しい。人として、己を、友を、愛する者達を守るために、実に真っ当な行動だ』


 そこで、《テルミドール》は一度言葉を切った。その余韻が人々に染み込むのを待つかのように。

 事実、領都に隠れた革命団を狩ろうとする人々の狂乱は、突如現れた《テルミドール》の言葉に意識を奪われ、徐々に停滞しつつあった。


『しかし、私はあえてそれを否定しよう。

 なぜなら、君達が狩らんとする者達もまた、君達と同じ人であり、君達と同じく、今に疑問を持つものであるからだ。

 その事実なくして立つことは、極めて利己主義エゴイズムに堕ちた考え方ではないか?

 そこに、君達の信ずる正義があるだろうか?

 その先に一度ひとたびの安心を得た君達は、今の行動を後悔しないか?

 ふとした瞬間に、過去の自分を責めることはないか?

 良心の呵責に苛まされはしないか?

 今一度、己の胸の内に問いかけてみて欲しい。君達が望んだものは何だったのかを』


 そんな演説が響く領都の一角、つい十数分前までMC戦が繰り広げられていた旧市街地で、黒い髪の少年──カエデはつぶやいた。


「おーおー、やってるやってる」

「冗談言ってる場合か?」

「……合流必須」


 その後ろに続くのは、ファレルと、彼に背負われたセレナだった。彼らはこの混乱の中、息を潜めるでもなく、堂々と歩き回り、今はMC戦のせいで、誰も近づかなくなった旧市街地で一息吐いていた。好き好んで戦場に行く人間はまずいないので、安心して骨を休められるというものである。


「つーか、なんでおれがこいつ背負ってんだよ。おれ、左腕動かねーんだぜ?」

「え? 冗談はよしてくれよ、僕が背負ったら、百メートルも持たないじゃないか」

「胸張って言うんじゃねーよ」

「……貧弱」

「そう、僕は貧弱なんだよ」

「「…………」」


 無言の二人から呆れを通り越し、憐れみめいた視線を向けられていたが、先を行く本人は気付いていなかった。


『君達の胸に燻っているものは何だったのか?

 君達が願い、欲したものは何だったのか?

 君達は、私などよりもはるかに、己自身のことを知っているはずだ。

 だが、あえて語るならば、私は、それが平穏ではなかったかと愚考する。

 圧政にも、搾取にも苦しむことなく、愛する者と、心穏やかに生きられる世界。それが君達の望んだものではなかったか?』


 崩れ残った家屋の一つのドアを蹴り開け、中に銃を向けるカエデ。実に堂に入った所作であるが、実際には、数メートル先の的を撃ち抜くのにも苦労する程度の腕前しかないので、本当に誰かいたら困るのだが、まあ、念のためである。


「よし、誰もいないね」

「……かっこつけ?」


 ぼそっとつぶやいたセレナに、ファレルが気軽な調子で返す。


「そういう年頃なんだろ」

「ファレルと僕の年ってほぼ同じじゃなかったかな?」

「おれの方が年上だ」


 微妙に胸を張って言うファレル。


「……大人気ない」

「些細な差だよね?」

「はっ、その些細な差が重要なんだよ」


 さも、わかってねーな、と言いたげな様子であった。


「……器ちっさい」

「うるせーよ。誰の器が小せーんだよ」


 背中から小さく突っ込んでいたセレナに耐えかねたらしいファレルが突っ込み返す。しかし、叱られた当の本人は堪えた様子もなく、


「……器が麦粒」

「うるせーよ!」


 だいたい、とファレルは、背負ったセレナの存在を意識しながら、続ける。


「撃てもしねーし、普段やってもねーやつが、こんなことしてても腹立つだけだろうが」

「……なんで?」

「おれはもっと危険なとこでも似たようなことやってんだよ。ここぞとばかりに真似されたらなんかいらっとくるだろ。なんつーか、プロ意識的なものに」

「ぷっ……」

「……ぷふっ……」


 そんなファレルの言葉に、カエデとセレナが、二人揃って小さく吹き出した。

 頭上では彼らのリーダーの演説が響いているというのに、数キロ先の街道では、仲間たちが戦場に立っているというのに、彼らの雰囲気は実に、呑気なものである。


「おい、テメェら……」

引きこもり勢ニートがプロ意識とか……くくっ……」

「……ナルシスト」

「誰がニートだ、誰が! 誰がナルシストだ、誰が!」


 本気で何を言っているのかわからないという顔をしたカエデが、言う。


「え? 君以外にいる? いないよね?」

「……無自覚? 痛い」

「うるせーよ! つか、背負われてる分際で、偉そうなこと言ってんじゃねー」

「……今なら殺れる。つまり、わたしの勝ち」

「そういう問題じゃねーだろ!」


 もちろん、隠密を担当するセレナに、至近距離で背後を取られているファレルに──たとえ、セレナが負傷していたとしても──勝ち目がないのは事実である。

 事実なのだが、そこは今は問題ではない。というか味方に対して、殺せるか殺せないかで、優位性を論ずるのは絶対間違っている。


「……殺っていいのは、確実に殺れる時だけ。つまり、わたしの勝ち」

「なんで、おまえの思考そこから離れられねーんだよ!」

「……わたしは勝者。つまり、わたしは正義」

「おまえは、正義って言葉の意味勉強し直してこい!」

「……仕方がないから……証明する」


 ぐっと首に力を込められた感触を感じ、ファレルの頬を冷たい汗が伝う。毒蛇に絡みつかれたかのような悪寒。確実に殺せる者を確実に食い殺す、必殺の毒牙。

 これが、セレナや、腕を動けなくしてくれた女を含む、隠密達の本領。ファレルの心臓が不規則なリズムを刻む。

 とはいえ、そこで、怪我をしたセレナを気遣って、本気で振り払おうとはしない辺り、ファレルはまだ優しいといえよう。

 とはいえ、抵抗すればするほどに、肉を深く抉るのが、彼女達の牙なのだが。

 その時、悪寒がふっと消え、


「……冗談」


 と、耳元に囁き声が聞こえた。


「……マジで心臓に悪いからやめてくれ」


 脱力したようにファレルは掠れた声でつぶやいた。

 そんな二人を見ていたカエデが、


「やれやれ……どこもかしこも春が来てて困るよ」


 と、呆れたようにつぶやくと、


「ああ?」

「……心外」


 大袈裟に手を広げて首を振っていた彼の後ろに、ゆらっと、黒いオーラが立ち上った。

 共通の敵を見つけた二人は、さっきまでのいがみ合っていたのがなんだったのかわからなくなるほどに息の合った動作で、カエデとの距離をゼロにする。

 というか、セレナはいつの間に、ファレルの背中を降りたのだろうか、全く気づかなかった。


「え? ちょっ、えっ? あのお二人とも、殺気がやばいんですが……?」

「安心しろ。英雄的な死だった、と伝えとくからよ」

「……うんうん」

「いや、誰に!? そして、それ、僕生きて帰れないやつだよね!? いや、落ち着こう、またこんなオチなんて誰も望んでな──」


 直後、情けない悲鳴が、人気のない旧市街に響いた。

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