第76話 連鎖 -butterfly effect- 07

 掠めた弾丸が巻き起こしたソニックブームが頬を切る。被っていたフードが衝撃で脱げ、白銀の長髪が風に流れた。頬を薄っすらと垂れる血を拭う。


「やるねー、狙撃手スナイパーさん?」


 思わずティナは素直な賞賛を漏らしていた。先手を取って狙撃を仕掛けたとはいえ、即座に位置を特定し、反撃の狙撃弾をこれほど的確に叩き込んでくるとは、なかなかの凄腕だ。

 とはいえ、さすがに全くの予想外だった。まさか二本目よびをすぐ撃てる状態で準備しているとは思わなかった。壊した方は銃座つきの大型の者だったので、狙撃後は破棄して逃走する気だったのかもしれないが、それにしたって予想外である。普通は逃げるなら、銃を分解して機動力を高めるものだろうに。

 物陰から顔を出した瞬間に飛んできた弾丸を、しゃがみこんで避けて、元いた建物の屋根から別のものに飛び移る。


「ああもう!」


 ──こんなことなら腕ぐらいぶち抜けばよかった……

 そんな後悔が脳裏に浮かんでくるが、そもそも今の状況を作り出したのはティナの甘えでもある。

 ティナが自分の狙撃で直接的・・・に人を殺すことを怖がった結果なのだ。本来ならば、武器ではなく、狙撃手を狙うべき、いや、殺すべきだったのだ。

 その方が安全だし、何より確実だ。ティナの現状は、それを厭ったツケである。


「っていうか、弾ないし……」


 12発の弾倉の内、3分の2ほどしか残っていない。撃ち合いをすればすぐに尽きる程度の弾数でしかない。その上、補給もままらない今、残り少ない貴重な銃弾を撃ち切ってしまっては、狙撃という極めて貴重かつ、有効な戦術を失うことになる。

 多芸なティナ本人が戦力外になるようなことはまずないが、任務ミッションがより面倒で高難度なものに更新された以上、それをあっさりと捨てるのには抵抗があった。


「ファレルがなんとかしてくれたらいいんだけど」


 ファレルはあれでも近距離での対人格闘戦では間違いなく、革命団ネフ・ヴィジオンでも三本の指に入る腕前だ。近付きさえすれば、あの狙撃手程度、容易く無力化してみせるだろう。

 もちろん、ティナとて無力化する自信がないわけではない。ないわけではないのだが、弾を無駄にしたくないし、情報を引き出すことを目的にするなら、至近で抑えられるファレルがやった方が確実性がある。

 それに──

 ──昨日から働き詰めなので、たまにはサボってもいいと思う。

 角度のついた屋根を利用して射線を切りつつ、そんなことを考えていたティナは自嘲気味に頬を歪めた。


「はあ……」


 結局、自分で手を下すのが怖いだけなのだろう。見ていなければ迷わず撃てても、見えてしまえば、もう撃てなかった。それはつまるところ、覚悟の違いなのだが、ため息を溢すティナに今の所、改善──この場合は改悪かもしれないが──の兆しは見られなかった。

 そんなこんなで意識がそれていたせいか、反応が遅れたティナは、その場で横転して狙撃弾を回避したはいいが、屋根から転げ落ちそうになって、慌てて頭を振って意識を戻した。

 撃てなくても、撃たなくても、仕事はできる。ティナが直接的反撃に出ないのはそのためだ。

 それにしても──


「すごいね。今の狙ってくるって」


 射線を遮っていたつもりだったのだが、狙われた。相手のスナイパーの技量を上方修正すべきかもしれない。

 これほどのスナイパーがフリーランスのわけもないので、相手は特殊部隊の所属に違いない。もっとも、自前の特殊部隊を持っている家はいくつもあるので、残念ながら、敵の正体の特定にたる情報ではないのだが。


「そろそろ着く頃かな……?」


 ティナも別に、無意味に、なんの策もなく逃げ回っているわけではない。敵スナイパーがいる時計塔から見て、ジンや似非テルミドールのいる広場から反対側に向かって、ティナは移動していた。それもあえて、屋根の上などというスナイパーには狙いやすい場所を。

 ティナの目的はスナイパーの射線を、広場から、そして広場から時計塔に向かうファレルから逸らすこと。そのために身を晒して、スナイパーを釣っているのだ。

 一度は切った通信のスイッチを入れる。最初の数発は本気で危なかったので、通信の雑音にかまけている余裕がなかったのだ。


「こちら、《フェンリル》。《フリズスヴェルク》、《グルファクシ》、聞こえる?」


 答えはない。耳元にセットされた通信機を外し、接続状況を確認。青いランプが点灯している。どうやら繋がってはいるらしい。つまりは、二人して無視したということである。ティナは小さく舌打ちを漏らした。

 直後にティナは屋根の上で身を投げ、傾斜を転がり下りるようにして、飛んできた弾丸を回避する。引き千切られた銀糸の如き髪が数本、宙を舞った。

 そろそろ避け続けるのも限界だ。徐々に距離をとってはいるが、その分、相手側のタイミングを掴みづらくもなっている。あまり欲をかいては、死に目を晒すことになる。

 そう結論付けたティナは、逃げることを決定し、膝立ちになると、振り向いて手に持っていたライフルを時計塔の方へと向けた。


「負けっぱなしって好きじゃないんだよねー」


 スコープを覗き込む。撃ってきた弾道からおおよその位置は分かっている。まあ、それ以前に、逃げ回っていた獲物が顔を出した瞬間を、あの狙撃手が見逃すはずもない。

 ティナの目に、こちらに銃口を向けるスナイパーの姿が映る。残念ながら顔はフードを被っているせいで見えない。

 当然、初めからスコープ越しにティナを見ていたスナイパーと、辺りは付けていても、後手に回っているティナとでは、敵側のスナイパーの方が早い。

 おそらく、勝利を確信しているであろうスナイパー相手に、ティナはおもちゃを見つけたネコのような楽しげな笑みを浮かべる。紫水晶アメシストに妖しく煌く瞳が、すっと細められた。

 確かに、敵のスナイパーは優れた狙撃手だ。並ではないと言っていいだろう。しかし、その程度・・・・にティナが負けているなどと思われるのは心外だった。


「ふふっ……ファイア」


 引き金を引いたのは相手が先。0コンマ数秒遅れで放たれたティナの弾丸は、正面から、狙撃手の放った弾丸へと吸い込まれ、相殺した。


「see you、狙撃手スナイパーさん?」


 驚愕していること想像に難くないスナイパーを無視して、ティナは屋根の上から、人気のない路地へと飛び降りる。

 広場にいるジンとはかなり離れてしまったが、合流できない距離ではない。相手が革命団ネフ・ヴィジオンを名乗るのなら、作戦を立て直す必要があった。


「さてっと、行こっか」


 いつの間にか張り付いていた獰猛な笑みを消したティナは、狙撃手の死角になるような路地を選びつつ、歩き出した。

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