第61話 騎士 -oath of sword- 22

「ふざっけないでっ!」


 本気だったはずの拳でも、ジンには軽く顔を背ける程度の効果しかなかった。痛みよりもなにより、殴られたことに驚いているらしく、その表情には珍しく、分かりやすい戸惑いが見えた。

 ティナ自身、自分が手を出してしまったことに戸惑っていた。でも、怖かったのだ。あの・・ジンが、そんなことを言うことが。でも、止まれなかった。

 心を支配する激情のままに、ティナは叫ぶ。


「力のない人は死んでもいいの!? そんな人達を救うための革命団(わたしたち)なんじゃないの!」


 そうだ。そうでなければならないのだ。救わなければ、認めてもらわなければ、そして、そうし続けなければ意味がない。

 人は簡単にーー変わってしまうから。


「そんな人達を見捨てて、誰が革命団(わたしたち)を認めてくれるの!? 誰が味方してくれるの!?」


 ティナは怖かった。変わってしまうことが、何よりも。

 向けられる視線が親愛から憎悪に変わる瞬間を見たくない。知りたくない。

 だから、ティナは戦い続けなければならなかった。

 認められるために。

 歪んだ支配者にならないために。


「人が人であるために、貴族の支配のない理想郷(エデン)を作るんじゃなかったの!?」


 誰も認めてくれなければ、それは決して理想郷(エデン)ではない。今の楽園(エデン)が理想郷でないように。

 だから、ティナはここにいる。|あの人(・・・)の作る世界は、歪んでいると確信したから。

 ティナ心の中に未だに巣食い続ける|モノ(・・)と同じように。

 紫水晶(アメシスト)の瞳から、ぽろぽろと水晶玉のような涙を流して叫ぶティナを、ジンは無感情に見つめていた。

 そのただただ平坦な真紅の瞳は、ティナの怒りを助長するだけだった。


「ジンはいいよね。いつもいつも! 自分だけ達観したような顔をして! 自分のためだけに生きて! 他人(ひと)のことなんて気にもしない! そんな風に生きていけるから! どうでもいいんでしょ!? わたしのことも! 他のみんなのことも!」


 そんな言い方をするつもりなんてなかったのにーーティナはジンをなじる様な言い方をしてしまう。でもそれは、ずっと心の中で思い続けてきたことだった。

 もはや、溢れ出す感情は怒りとも悲しみとも恐怖とも区別のつかぬ大きなうねりとなって、荒れ狂うだけ。

 ーーううん、違う。

 本当はそうじゃない。

 ティナは、ジンが、革命団(ネフ・ヴィジオン)という組織の思想を軽んじたことに怒っているのではない。

 ティナは、ただ、裏切られることに怯え、それ故に恐慌したのではない。

 ティナが真実、怯えていたのは、ジンが忘れてしまったことだった。

 自分自身の根幹を成す心の支えが、ジンにとっては、忘れてしまう程度のことだったかもしれないということ、その可能性自体に怯えたのだ。

 だから、手が出た。

 だから、激情に呑まれた。

 本当は、わかっているのにーー

 ーーそれでも止まれない。

 自分をコントロールできなくなり、絶対に言ってはいけない、致命的な言葉がティナの口から漏れ出そうとした。

 その時ーー


「ジンなんて……! ジンなんて……! あの時にーー」

「落ち着け」


 ーーパシッと渇いた音が響いた。


「あっ……?」


 それは、ジンが、ティナの頬を平手打ちに張った音だった。

 ティナは、茫然としたように、薄っすらと赤くなった頬に手をやった。


「冷静になれ。ここは敵地だ。死にたいのか」

「あぅ……あ……」


 先ほどまで沸き立つように溢れ出していた激情は、混乱と後悔に上書きされ、恐怖に震える身体を支えていた激情を失ったティナは、操り人形の糸が切れたかのように、ぺたんとその場にへたり込んだ。


「…………」


 ジンはそんなティナを何も言わずに見ていた。それは、ただ見ているだけのようにも、何かを待っているようにも感じられた。

 しかし、ティナは、何も言えないままに、うつむいたまま、汚れた地面を見つめるだけだった。

 二人の間に落ちた静寂の中、からからと壊れた空調の室外機が回る音だけが響いている。

 一本の路地から差し込んだ夕焼けの光が、二人の間を分かつように赤く輝いた。


「…………」

「…………」


 ──やっちゃったなぁ……

 少し落ち着いた思考に、そんな風なことを思いっていると、ティナの目に映るジンの足が、一歩踏み出した。夕焼けの光のせいか、どんな顔をしているのかは見えない。だけど、近付いてくることだけは分かった。

 思い出すのはついこの間、ジンに殺されそうになった時のこと。その恐怖が脳裏をよぎり、身体が震えたが、それもいいか、と思い直す。

 ジンからすれば、ティナは、怨みの骨髄である貴族なのだ。その上、何度も迷惑をかけている。殺されても文句は言えない。

 その時、こつん、とティナの額に衝撃が走った。


「ふぇっ……?」


 ティナは、ゆっくりとうつむいていた顔を上げる。その目に、人差し指を前に向けたジンの手が映る。

 ──デコピンされた……?


「落ち着いたか?」

「え……あっ、うん」


 腑抜け状態のまま答える。しかし、ジンはそんなティナの様子に、苛立った様子もなく、そうか、とうなずいた。

 なんだろう、今日のジンは優し過ぎて逆に怖い。


「……悪かったな」

「ふぇっ……?」


 唐突にそう言ったジンに、ティナは腑抜けた頭なりに驚愕を覚え、二度見する。

 微妙に気まずげに頬をかくジンの姿を認めるにあたって、ティナの頭はクエスチョンマークで満たされることになった。


「おまえがそんなに思い悩んでいるとは思っていなかった。すまない」

「ち、ちがっ。あれは、その……なんというか……えっと……ほら、ね?」


 笑って誤魔化そうとするがうまくいかない。それはそうだろう。確かに思い悩んでいた結果として、フラストレーションを爆発させたのだから。

 ジンの言う通りで、やってしまった後では言い訳もできなかった。


「おまえが貴族だと知って、どうすればいいかわからなかった」


 ジンはそう言って、その鉄面皮にわずかに苦笑を浮かべた。

 そして、何かを思い返すように、目を細め、言葉を続けた。


「だが、貴族にもいろんな奴がいるらしい。あいつは確かに、貴族としても、騎士としても、本物だった」


 しかし、本当はジンも知っていたのだ。貴族にも様々な者がいる。

 ジン・ルクスハイトは、育て親になってくれたジェラルド・カルティエに、恩義を感じていなかっただろうか?

 ジン・ルクスハイトは、己の届かぬ高みにあるシェリンドン・ローゼンクロイツに、羨望を感じたのではなかったか?

 知っていた。だが、認めると、自分の芯が揺らぐと思っていた。彼らが大人で自分が子供だからだと、言い訳して。

 しかし、ダルタニアン・ルヴル・レーヴェルは違う。ジンと変わらぬ年頃ながら、その騎士道は、貴族の覚悟ノブレス・オブリージュは、二人と同じように、本物だった。

 故に、ジンは認めなければならない。

 自分は、恐れていただけなのだと。

 過去を言い訳にして、真実から目逸らす子供だったのだと。

 それを認めた今ならば、憎しみに目を曇らせることなく、ティナに接することができる。


「ティナ。俺は、おまえが何を恐れているかは知らないし、おまえの全てを理解できるわけじゃない。だが、俺はおまえが貴族だとしても、おまえの味方だ」


 ティナは目を見開く。ジンの言葉の意味が少しの間理解できなかった。そして、その意味が脳に染み込んでくるにあたって、ティナは、半ば恐慌状態に陥った。


「え? え……? ええぇえええ!?」

「うるさい」


 ごつんと拳が頭に降ってくる。痛い。だが、ティナにとって、そんなことは枝葉末節に過ぎない。問題はジンの言葉である。

 心底、理解できない、という疑いの目でティナが見つめると、


「ただし、おまえが敵にならない限りだが」


 と、ジンは照れ隠しのように目線をずらしながら言う。


「……!?」


 絶句するティナに、ジンは呆れたように、


「いつまでそうしている気だ?」

「あっ……うん。ごめん」


 ──えーっと……

 どうすればいいんだろうか。とりあえず、立ち上がったはいいけど、ジンの方を直視できない。

 ティナがそわそわしていると、何を勘違いしたのか、


「怖かったんだろ?」


 ポンっと頭を優しく叩かれた。何やら、ティナがまださっきの件で動揺していると勘違いしたらしい。

 重ねて言いたい。ジンが優し過ぎて怖い。


「あれは……!」


 思わず強がろうとしたけれど、うまくいかなくて──ティナは素直にうなずいた。


「……うん」


 そうだ、ティナは恐れていた。

 人に認められないことを。裏切られることを。

 だから、ティナはジンから逃げていたのだ。確かに、ジンはティナを避けていたかもしれない。しかし、同時に、ティナもジンを避けていた。

 貴族であることを知られたジンが、ティナをどんな目で見るのか知りたくなかったから。

 あの夜聞いたことの答えを、言葉ではない答えを、知りたくなかったから。


「わたしからも謝らせて欲しんだけど、いい?」

「ああ」

「わたしは怖かったの。誰かがわたしを見る目が、変わることが。だから、ジンも怖かった。あの人達も怖かった。だからたぶん、わたしも逃げてたと思う」


 ジンは何も言わずに、ティナの言葉を聞いていた。聞いているのか聞いていないのか分かりづらいが、いつも通りで、こちらの方がむしろ安心する。というか、優し過ぎると心臓に悪い。


「それで……えっと……と、とにかく、たくさん迷惑をかけてごめんなさい!」

「気にするな。お互い様だ。今回はな」


 色々言いたいことはあったのだが、うまくまとまらなくて、とりあえず頭を下げる。

 しかし、いつも通りと言うべきか、無感動に返すジンの様子に、どういうわけか少し腹が立った。だから、ティナはこう続けた。


「あっ、でも殴ったことは謝らないからね?」

「は?」

「それはジンが悪いから」

「なぜだ?」

「知ってることは教えたげないもん」

「何を言っている?」


 ──せいぜい悩んでよね、ジンのバーカ。

 ティナはべーっと舌を出して、ジンを軽く睨む。


「いい加減に……!? 伏せろ!」


 ティナはその言葉に従って、適当に積み上げられた空箱の陰に身を伏せた。

 直後、衝撃が駆け抜け、伏せた二人の上を通り過ぎていく。


「何が起きてるの!?」

「言っただろ、ここは戦場だ」

「知ってるけど……」

「それで、状況は?」

「えっと、ファレルとカエデが発着場にいて、銃火器装備のMCがたぶんたくさんいる?」

「把握した」


 しばらく無言になったジンは、何を思ったのかフード付きのマントを脱ぎ捨て、ティナに投げてよこした。


「えっ、なにこれ?」

「被っておけ。おまえの髪は目立つ」


 確かに、白銀などという珍しい髪色なのでよく目立つと言えばそうである。だが、何故必要なのかがわからなかった。

 首をかしげているティナに、


「またさっきみたいなのに追い回されたいか? それに、発着場を目指すのは連中も一緒だろう。気付かれると厄介だ」


 徒歩で逃げるのは現実的ではない。なら、ヘリや車両ならどうか。それはみな考えることだろう。

 そこで、ティナをテロリストと勘違いしている誰かに見られたらどうなるか。そんな余裕がない可能性もあるが、逆にその方が危険かもしれない。

 どちらにせよ、あまりいい結果にはならない気がする。


「それはいや」

「なら被っておけ」


 それだけ言ってジンは、ライフル片手に歩き出したので、ティナは慌てて引き止めた。

 さっきまでの優しさは幻想だったのではないか、と思わせるほどのいつも通りのすげなさである。


「どうするの?」

「とりあえず合流だ。後はそれから考える」


 存外、適当な作戦だった。いや、行き当たりばったりはいつものことなような気もする。

 だが、ティナは、何も言わずにジンの後ろを付いていく。

 何はともあれ、今はそうするしかない。それに──

 ティナはジンをちらりと見やる。

 状況は最悪最低で、救いようはないけれど、ちゃんと心の内を語り合えた今なら、ジンと二人でいる今なら、負ける気はしなかった。


「行くぞ」

「了解!」


 二人は、黄昏の空の元、戦場へと駆け出した。

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