第36話 epilogue-01
作戦終了からほぼ半日。ジン達はいつものように、様々なルートを使って足跡を消し、ようやく、かつての辺境伯領の森の中にある
本来は、ジンはカエデの輸送ヘリで最も早く帰ってこられる予定だったのだが、ディヴァインと《ニーズヘッグ》が負傷していたこともあり、そちらを優先することになったのだ。
結果、ジンは気が抜けたのか、コックピットで、すーすー寝息を立てていたティナの〈アンビシャス〉を回収し、陸路、海路、空路の三種を織り交ぜたルートで半日ほどかけてここまで戻ってきたのだ。
その間、コックピットから引きずり出したティナは一度も目を覚ますことはなく、その様は、まさに眠り姫といった体だった。
普段なら文句の一つも言ったところだが、今回はジンにも責任がある。もっと早く到達できていれば、ここまで消耗することはなかっただろう。よって、そういう負い目のあるジンは、文句一つ言わず、眠ったままのティナを運んできたのである。
そんなわけで、屋敷内の居住エリアに向かうジンの足取りは、物理的に重い。ティナは相変わらず眠りっぱなしで、結局、ジンが背負って部屋に運ぶことになったからである。
他のメンバーは既に帰還して疲れを癒すためか、すでに寝てしまっており、着いたのが夜であったこともあって、誰の助けも借りられなかったのだ。
「ふぁ……うみゅ……?」
ティナの部屋のドアを開けたところで、妙な擬音が耳元に聞こえた。
「うにゃ……」
「…………」
ジンは無言のまま、ベッドにティナを寝かし、布団を被せてやる。疲れているのに、あまり何かを言って、起こすのも良くないだろう。
そして、背を向けて去っていこうとしたジンの腕を、何かが掴んだ。伸びてきていたのはティナの白い腕だった。
ジンを半開きの目で見つめ、
その無防備な姿に、ジンは、喉元に魚の小骨が引っかかったような感覚を覚える。しかし、それが何なのかを見極める前に、ティナのつぶやきに思考を断たれた。
「……じん……やくそく……」
「約束……?」
「……わたし……まもる……ね?」
「何が言いたい?」
「……ぜったい……みつ……」
ティナの腕から力が抜ける。まったく意味不明だった。ジンの記憶に、ティナと何かを約束などした覚えはないのだが。
「ふぇっ……?」
ふと、正気に戻ったような声が聞こえる。それはいつも通りのティナの声だった。
「え!? ジン!? な、なんで……ってここどこ……? わたしの部屋?」
「……うるさい。とりあえず落ち着け」
「あっ、ごめん……」
バツの悪そうな顔をして、ティナが目を逸らす。ただ、状況の整理はできていないのか、妙にそわそわしている。
「えっと……現状を説明もらっていい?」
「おまえが半日寝ても起きないから運んだだけだ」
「……わたし、ずっと寝てたの?」
「ああ」
「やっちゃった……って、迷惑かけたよね?」
「気にするな。今回は俺にも責任がある」
もちろん、ティナに限らずだが。各人の負担を大きくしたのは、間違いなくジンの遅れだったのだから。反省するジンに、ティナの微妙に慄いた視線が刺さる。そして、彼女は心の底から心配しているというのがはっきり分かる声音で、
「……ねえ、ジン」
「なんだ?」
「悪いものでも食べた?」
「は?」
「いや、いつになく素直だから、つい……」
「事実は事実だ。以上でも以下でもない」
ジンにとってはそれだけだった。認めざるを得ない事実を事実として認識し、作戦外の行動で作戦を乱した責任を感じているだけのことだ。
「そう……それで、わたし、何か言ってなかった? 寝言言ってたりするんだけど」
「……約束とかなんとか言っていたが?」
「──っ!? え? あっ、もしかして気付いてる!?」
「…………」
またしても意味不明だ。さっきからテンションが乱高下し過ぎだ。疲れているに違いない。
ジンの冷たい視線を食らって正気に戻ったのか、ティナは微妙に死んだ目でうなずいている。
「気付くわけないよねー。ジンだもん」
そんなティナを見ていたジンは、ふと思い出した。そう、シェリンドン・ローゼンクロイツから狙撃手への伝言だ。
シェリンドンを撃ったのはティナで間違いないので、伝えるべきは彼女だ。ついでに済ませておくに越したことはない。
「ティナ、おまえに伝言がある」
「なにそれ?」
「『お元気そうで何よりです』だそうだ」
「──っ!? 誰!? 誰が言ったの!?」
ティナは目に見えて慌てていた。知られてはいけないことを知られたかのように。よほど動揺しているらしく。ジンの肩を揺さぶって、そう尋ねてくる。
この反応、つまりはシェリンドンを知っているということだ。あのわずかな言葉からお互いを認識できる程度には。
しかし、シェリンドンは貴族である。普通の平民の名前も覚えている奇特な男ではあるが、ただの少女でしかないティナが彼の周りで働いていたとも思えない。
そして、何より、シェリンドンはあえて敬語を使った。つまりは、ティナは、シェリンドンよりも目上であると認められているということ。
「……ティナ、おまえは……貴族か?」
「っ!?」
質問に対するティナの明らかな動揺を見て取ったジンは素早くナイフを取り出し、ティナをベッドの上に抑えつけ、首筋にナイフを突き付ける。
あまりの状況に目を白黒させていたティナは、震える声でその名を呼んだ。
「ジン……?」
「口を開くな。余計なことをすれば殺す」
「いやっ! 待って!」
「黙れ」
「ジン。お願い……話を聞いて?」
潤んだ
「却下だ。今から言う質問に答えろ。それ以外の発言は許さない。いいな?」
ジンがナイフを首筋からわずかに外すと、ティナは震えながらも、小さくうなずく。
「おまえは貴族か?」
「……うん」
「家名は?」
「……言えない」
ジンは無言のまま、ナイフを首筋に食い込ませる。今のところ殺すつもりはないが、吐かせるには暴力的な手段も講じるつもりはある。
ティナの柔らかな肌に刃が食い込み、一筋の赤い線が白い肌に走る。そこからさらさらと赤い血が流れ出る。
しかし、それでもティナは口を開かなかった。青ざめて明らかに恐怖を感じているのに、彼女は耐えていた。
「ほんと。これだけは死んでも言わない」
「ちっ……」
その目に本気の色を感じ取ったジンは、何も言わずにナイフを遠ざける。死んでも秘密を守り通す覚悟の人間に対して、死の恐怖を用いて脅すのは効果的ではない。
「次の質問だ。おまえはシェリンドン・ローゼンクロイツと面識があるか?」
「うん。家を出てからは会ってないけど」
「……家を出た? どういうことだ?」
「家を捨てたってこと。わたしはただの、
「最後の質問だ。おまえは内通者か?」
「違う。わたしは、わたしの目的のためだけにここにいるだけ」
嘘を言っている様子はない。だが、家を捨てたことと、死んでも家名を口にできないことがまったく繋がらない。
ジンはしばし黙考した後、突きつけていたナイフをしまった。これ以上の問答は無意味だ。利益がない。その上、単純に報告するわけにもいかない。
ジンが、カルティエ家の関係者であるのは周知の事実だが、シェリンドンと接触したことを公にするのは、結果としてジンにも疑いが向く可能性がある。それは、面白くない。
そもそも、
「ティナ。この件は黙っておく。これ以上は触れない。いいな?」
「うん、わかった」
ジンはそれだけ言うと、背を向けて部屋を出ていこうとする。しかし、ティナは慌てて立ち上がると、恐怖で腰が抜けていたのか、ふらふらしつつもジンに追いついて、服の裾を摘む。
「ねえ、ジン……?」
その声は、先ほどナイフを突き付けられ、恐怖に震えていた時の何倍も不安そうで、何倍も弱々しい声だった。
やはり、その様子はジンの脳裏にある何かを刺激する。だが、掴めない。水を掴もうとするかのように、その感覚は手をすり抜けていく。
「わたしが貴族でも……ジンは私を憎まない?」
「…………」
ジンはただ黙るしかできない。わからない、というのが本音だった。ティナ本人に対して特に思うところはない。むしろ、同僚としては頼りになる方だと思っている。しかし、その一方で、貴族であるというだけで、ドス黒い感情が湧いてくるのも事実だった。
「あっ……ご、ごめん。やっぱり今の聞かなかったことにして? やっぱり疲れてるし、寝るね? じゃ、じゃあ、おやすみ」
だが、答えるべきだ。飾らない言葉で、事実だけを伝えればいい。
ジンはゆっくりと振り返り、言葉を紡いだ。いつも通りの鉄面皮を保ちながら。
「わからない。だが、おまえが本気だとは認めている」
ティナは心底驚いたという風に目を見開いて、息を呑む。そして、嬉しそうな、だがそれでいて、儚げな笑みを浮かべた。
「ありがと」
それだけ言うと、ティナはこれ以上話すことはないという態度で、布団に潜り込む。それが拒絶なのか虚勢なのか、ジンにはわからなかった。
部屋を出る。なんとなく落ち着かなくて、ジンはテラスに向かった。頭の奥が痛む。何かが自分に訴えかけているのがわかった。
しかし、それがなんなのかは、まるで雲を掴むかのように分からなかった。
「くそっ……なんだ、これは?」
木々の隙間から見える切り取られた天に浮かぶ月は、薄紫の空に嫌になるくらい美しく、目に痛いほど黄金に輝いていた。
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