20 皆が幸せになる方法

 ユウキの体が薄暗い部屋の中でぼんやりと光を放つ。純白の寝間着はある意味本質的な花嫁衣装なのかもしれない。そんな風に考えかけて、クリスは慌てて思考を止めた。


(いや、だから、俺は。俺がここに来たのはそういうことをするためではなく――)


 理性がじわじわと本能に食い破られそうで、クリスは必死で頭を働かせた。考えているうちは、理性が保てそうだと思ったのだった。

 結局個人的な会話を全くできないまま夜を迎えてしまった。

 結婚式で無駄な会話をするわけにも行かず、披露宴では来賓への挨拶に忙殺された。

 だから、なぜユウキが結婚を望んだのか。クリスがこれからどうすればいいのか。何もわからないままだ。

 政略結婚というものはこういうものなのかもしれないとは思うものの、このまま事を進めて良いのかどうかクリスには判断がつかない。選択するのはいつもユウキなのだ。クリスは登場人物の一人であって、進むべき道を決めることはできない。前回と同じく、がなんなのかがわからない限りは動きようがないのだった。

 クリスはじっと待つ。ユウキがどう動くのかを受けて、合わせようと思っていた。だが、いつまでたっても彼女は一言も発しないし、ベッドの上から一歩も動こうとしない。動きがとれない――そんな様子だった。

 ランプの中の炎が時折揺らめく。その度に部屋の空気がどんどん濃くなっていくような心地。息苦しささえ感じた。

 硬直状態にじりじりとしていたクリスは、はた、とある考えに思い当たってぎょっと目を見開いた。


(待ってる、とか?)


 だとしたら、この状況で待たせるのは非道だと思う。

 通常ならば、男である自分がリードする場面だからだ。女性からの誘いを受けてから動くなどもってのほかだろうし、女性に対してものすごく失礼だ。


(え、俺、どうすればいいわけ?)


 クリスはだんだん焦り始める。このまま押し倒すべきなのだろうか? 押し倒してもいいのだろうか? 混乱の渦の中、クリスは必死で考えた。


(いや、駄目だ。その線を超えたら俺は多分、帰せない)


 教会で、唇に一瞬だけ感じたユウキの肌を思い出してしまう。眠っている彼女の額には何度もくちづけた。だが、生きた彼女の肌、それはひどく甘かった。知らなければまだましだったとクリスは身の内でくすぶる熱に必死で水をかけようとする。


「クリス――クリス、わたし、」


 ユウキが目を上げ、潤んだ漆黒の目と目があったとたん、何かが焼き切れた。

 クリスはユウキの肩を掴む。自分をごまかすのは限界だった。触れたい。失いたくない、と強烈に突き上げる感情があった。熱に翻弄されるままにクリスは、ユウキの唇を奪おうと頬を傾けた――だが、


「だめ――!」


 触れたのは唇ではなかった。ユウキがクリスの口をその手で塞いでいた。


「ごめん、やっぱり、だめ。わたしは、どうしても選べない。選んだら後悔する。それが怖い」


 泣きそうな顔で、ユウキは必死で訴える。唇に当たる小さな冷たい手のひら。浴びせられた言葉に、クリスは煮立った頭に冷水をかけられたような心地になった。


(選ばない? 俺を、選ばない……? そう言った?)


 体がどこまでも沈んでいく感覚に、沸騰寸前の頭が冷めていく。だが冷静さを取り戻すと自分がどれだけ危ない橋を渡ろうとしていたかに気がついた。選択を間違う――それは彼女の命を脅かす。そのことを思い出したのだ。冷や汗がいっぺんに噴き出した。


(……危なかった……!)


 だが、もうひとりの自分が怒り狂っている。本当にこれが自分の一部なのだろうかと思えるくらいの凶暴さで叫び散らす。


 ――無理矢理にでも、奪え! 貪れ! おまえのものにして、この世界に取り込むんだ!――


 だが、クリスは耳をふさぎ、必死で言い返す。


 ――だめだ。あちらの世界へ返さねば。彼女の生きる世界はここじゃない――


 凶暴な自分を抑えるのに精一杯で、息も絶え絶えに言う。


「じゃあ――俺は、どうすればいい?」


 ユウキはきょとんと目を丸くした。


「協力、してくれるの?」

「早くあっちに帰らなきゃ、家族が心配してるだろ」


 ユウキは目の中に影を走らせたあと、目を伏せる。視線を追うと、腕の中には何か本のようなものがあった。


「絵本か?」


 ユウキはそれを差し出した。


「わたし、これが読めないの。で、物語の詳細が分からなくて困ってる。クリスは、読める? 読めるなら、協力して欲しい。他に頼める人がいないの」

「これ……おまえの本?」


 ユウキはうつむいたまま頷く。


「文字が、読めないんだよ。欠損してて」

「これが読めない? どういうことなんだ?」


 クリスにはその文字は読めた。パンタシア語だ。欠損という言葉に、彼女が三年前に去った時のことを思い出す。確かあの時、彼女は色が見えなくなっていた。未だリーベルタース語を話しているのは、どうやら欠損のせいらしい。


「あのね、今回は……人魚姫、っていうお話だと思ってる」


 打ち明けられて、クリスは「人魚?」とつぶやきながら本をめくる。それは、《小人》と同じく伝承の中のみに存在する言葉だった。半身が人間で半身が魚という異形の生き物が挿絵には描かれている。

 幻想的で美しい挿絵だが、相変わらずどのような手段で描かれたのかが全く想像できない。つるりとした紙に鮮やかな色で着色されていて、絵の具による凹凸までないのだ。

 じっと本を観察して手を止めたクリスに、ユウキは恐る恐るといった様子で、僅かに身を乗り出した。


「今は、ここ、だと思う」


 ユウキがページを捲り、王子様とお姫様がベッドで眠っている場面で指を止めた。ユウキの耳が赤い。そして、クリスの耳もすぐに赤くなる。


(なる、ほど……)


 こどもが見ればふうん、で済む話だが、大人が見れば、この絵が意味するものは別にあることがわかる。どう解釈するかで行動が変わってくるから、動きが取れなかったのかもしれない。

 気まずさにクリスはため息を吐く。部屋の空気はどんどん重くなる。

 クリスは沈黙に耐えられず本に再び目を落とし、開かれたページを読み聞かせることにする。だが、


『美しい花嫁が王子の胸に顔を寄せて眠っていた』


 途中の一文にぎょっと目を剥いて、口をつぐむ。

 これじゃあ確実にだと頭が勝手に断定する。まるで自分がそう望んでいるように聞こえそうで、クリスは口に出すのをためらった。

 クリスの心中をよそに、ユウキはポツリとつぶやいた。


「わたし悲恋バッドエンドを回避したいんだよ」

悲恋バッドエンド? 王子様とお姫様が結婚するのに?」


 首を傾げたクリスは、ユウキの視線を追う。そしてこの話の主人公が《お姫様》ではないことに気がついた。挿絵の右隅の暗がりに、もう一人、美しい少女がいたのだ。少女は悲しげな顔で幸せそうな二人を見つめている。この挿絵は、どうやら彼女の視点で描かれている。


(なるほど、観察者が変われば、物語の色が変わる――)


 ぼんやり考えるクリスの前で、ユウキはさらにページをめくる。朝日に照らされた美しい海の挿絵で物語は幕を閉じていた。


「クリスがお姫様と結婚すれば、お話は完結する。だけど――が死んでしまう。それじゃあクリスは幸せになれないよね」


 きっと悩みに悩んだのだろう。血を吐くような声に、クリスはユウキが葛藤していることに気がついた。三年前。彼女は同じ理由で、クリスを死なせたくなくて、この世界にとどまろうとした。今の話を全て理解したわけではないけれど、今回もきっと同じ。


(人が死ぬのが嫌って、俺が幸せになれないって――また他人のために悩んでるのか……なんだ……全然変わってない。ユウキは、やっぱりユウキだ)


 ホッとして、昔を思い出して、じわりと胸が熱くなる。押し込めたはずの想いに火がつくのがわかる。

 だけど、同時になんだか胸が痛くて辛かった。だって、ユウキが変わるはずもない。彼女の《時》は、あの時からほとんど動いていないのだ。クリスは三年も待ったというのに。

 別々の時を生きている。考えたとたん、間に立ちはだかる高い壁を感じた。

 もしこのまま彼女をあちらへ返したら、また同じことの繰り返しだろうか。次彼女が現れるのはいつだろう。彼女は帰ると言ったから、もう二度と来ないかもしれない。それでも体だけが残ってしまえば、彼女が目覚めるのをクリスはきっと待ち続けてしまう。いくら可能性がゼロに近くとも。それは予感ではなく、確信だった。


(それは――嫌だ。もう、待てない。待つのは、もう嫌だ――嫌だ!)


 クリスは締めあげるような胸の痛みに驚く。火が着いた想いが、先ほど押し込めた凶暴な自分が顔を出すのを手伝う。

 だが待てないからといって、ユウキをこの腕に抱き、妻にしたとする。物語は進み、彼女は異世界への鍵を得て帰ってしまう。彼女を一瞬だけ手に入れる代わりに、結局は彼女を失う。

 もしこの結婚をやめてそのと結婚すれば、物語は完結せずに、ユウキは世界に留まるかもしれない。

 だけど、その時ユウキをどのような形で傍に置けばいいのだろうか。別の娘と結婚してしまった彼は、彼女を一番の位置に据えられない。それなのに、愛を乞うことなど、とてもできないと思った。

 彼女を傍に置くことができても、肝心の心を手に入れることは不可能になる。

 選ぶべき道は二つに一つ。

 どちらを選んでも、ユウキを失う事にクリスは気がつく。


(これは、運命なのか? 住む世界が違うから、俺達は、寄り添って生きることは、できない)


 絶望がクリスを押しつぶしかけた――だがその時、ユウキがポツリと言った。


「さんざん悩んだんだよ。でも、わたし一人じゃ、この物語をハッピーエンドに導けそうにない」


 わたし、頭が硬いから――と、彼女は真剣な目でクリスを見上げる。


「お願い、クリス――だから、力を貸して。一緒に考えて。人魚姫を助ける方法。を」

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