19 夜とともに訪れるもの

 部屋に戻り、大慌てで童話本に飛びつこうとしたユウキだったが、待ち構えていた侍女の集団に捕獲され、半ば無理矢理にドレスを剥ぎ取られる。そして、部屋の中央にあった大きな桶に連れ込まれた。中には適温の湯に虹色の泡が浮いている。瞬く間に始まった湯浴みにユウキは悲鳴を上げた。


「ちょ、ちょっとなにするの――って何事!?」


 ドレスなど一人で着れないから、着替えを手伝ってもらうのはいつものことだ。けれども、こんなふうに風呂まで入れられるのははじめてだ。必死で布で体を隠しながらユウキは「やめて」と抵抗する。

 だがハンナは容赦なくユウキを泡だらけにして、


「何をおっしゃってるんです。ご猶予は少しだと申したはずでしょう。のんびりしていては夜が明けてしまいます」


 そう叱ったあと、


「戻ってきたってことは――覚悟は決めたんだね?」


 と小さく囁いた。

(何のこと? それよりも童話本が――)


 と上の空になりかけるユウキだったが、ハンナの言葉で打たれたような気になった。


「クリスティン殿下がもう来られる時間だよ」

「は? え、何しに――」


 とつぶやいたユウキだったが、蒼白になったあと、ぽん、と頭に浮かんだ考えに一気に顔を熟れさせた。


「何しにって――決まってるだろう」


 ハンナが呆れるが、ふと怪訝そうに眉を上げた。


「あんた……まさか知らないのかい? どんなふうに育てられたらそこまで世間知らずになれるんだい」

「…………!」


 あわあわと口を動かす。体中の血がどんどん頭に上り、膝が笑ったかと思うとユウキは脱力して湯おけの中に屈みこむ。すかさず侍女たちがユウキの背中をこすり始めるが、もうどうでもよい気分だった。


(そ、そうだった……!!!!)


 昼間、ユウキたちは名目上の夫婦になり、先ほどお披露目パーティーが行われた。となると、最初の夜に訪れるのは――


 ユウキはベッドの上の童話本を見やる。

 確認しようと思っていたページはまさにそのページだ。王子様とお姫様が二人並んで寝室で眠っている場面。人魚姫に残酷な未来がつきつけられる場面だ。

 物語の完結に必死になりすぎていた。人魚姫の傷心にばかり気を取られて、さらりと流していた部分だったのも原因の一つだが。だが、書かれていなくても、夫婦になるということは、当然、をしているということで。


(ただ眠るだけのわけがなかった!!)


 披露宴で、クリスが何か問うような目でユウキを見ていたのは、もしかして今後どうするのか、ユウキの意志を確認していたのだろうか。


(え、え、わたし、どこまでお話に忠実になればいいわけ!?)

 

 バッドエンドを回避する方法がまだ見つからないけれど、だからといって物語の筋から外れるのはまずい。決断の時は刻一刻と迫っている。


「はい、終わりですよ。さすがに水の量に限りがありますし、簡易的で申し訳ないのですけれど」


 侍女の声にはっと我に返ると、大きなタオルで身体を包み込まれる。すぐに襟元にレースがあしらわれた寝間着を手早く被せられるが、絹でできているようで、手触りが凄まじくなめらかだ。レースも繊細だし、寝るためだけに着るにしては上質すぎる気がした。それが特別な夜の始まりを表しているようで、ユウキは頭がクラクラとした。


(ちょっと待って。話が違うし!)


 そう思いながらも、どう違うのだろうと自分でツッコミを入れる。流されて形式上の結婚をしてしまった。それ以上があるとはハンナは言わなかったが、ないとも言わなかったではないか。

 言わないのは――結婚した男女がそうなるのはごくあたりまえのことだからだろう。

 迂闊すぎる自分を呪いながら、じりじりと後ずさりをしてユウキは部屋の外に逃れようとする。

 だが、ニッコリと笑った侍女らしき人に行く手を阻まれた。


「大丈夫ですよ。殿下にお任せすれば、大事にして下さいます。不安を感じられるのは、最初だけですから」


 これは経験者は語るというやつだろうか。ここはだめだ、突破できないと方向転換する。縋るようにハンナを見上げるが、彼女は小さく首を横に振ったあと「さっきのが逃げる最後のチャンスだったのに」と小さくつぶやいた。


(そうだったの!?)


 ユウキは目を見開く。そうならそうと言ってくれないとと思いつつも、使用人である彼女の立場で言えるわけがない。精一杯の策だったのだ。察するべきだったのだが、他のことに気を取られすぎていた。

 とんとん、と部屋の扉がノックされて、ユウキは飛び上がる。

 それを合図に侍女たちが部屋を退出していく。そしてハンナと入れ替わりに入室してきたのは、寝間着の上にガウンを羽織り、神妙な顔をしたクリスだった。

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