14 二兎を追う者は一兎をも得ず

 夜が明けるのを待って、クリスは王にオフィーリア姫との対面を申し出た。だが反応は思わしくなく、病気を理由に断られた。

 おそらくは自らを取り巻く悪評のせいだろうと踏んだクリスは、一計を案じる。彼女が昼間に庭を散策していると聞き、一目見ようと偶然を装って通りかかったのだ。

 そして――


 それは紛れも無く三年前にクリスの目の前から旅立ったユウキだった。

 以前のように奇抜な服は着ていない。裾の長いドレスは、この世界で――特に王宮などでよく見かけるもので、淡い桃色をした柔らかそうなドレスは彼女によく似合っていた。

 格好は全く違う。だが、クリスは、黒い髪に黒い瞳――その組み合わせだけでエミーリエがそうではないかと疑ったのが馬鹿らしくなるくらいに、はっきりとユウキの姿を思い出していた。一度思い出した面影は、一緒に過ごした半月とピッタリと重なり、もうにじむことはない。

 クリスは吸い寄せられるように一歩踏み出す。

 だが、呆然としていたユウキは、一瞬で顔を曇らせた。どうしたのだろうと思った直後、クリスは左腕に重みを感じる。

 見るとエミーリエがクリスの腕に抱きついて、行かないでとでも言うように目をうるませていたのだった。ぎょっとして振り払おうとしたクリスは自分に驚く。先程まで彼女のことを大事に思っていた――はずなのに、今自分は彼女をあっさりと捨てようとしていた。自分に対する嫌悪感が、エミーリエを振り払うのをやめさせる。


「エミーリエ――離してくれないか」


 諭している間に、ユウキの顔がどんどんと険しくなってきてクリスは焦った。


「――――!」


 エミーリエはユウキに近づこうとするクリスを引き止める。そして終にはクリスの胸に抱きついて泣き出してしまう。まるで恋人の不貞を嘆くかのような仕草で。言葉を操れないからか、その所作がより痛ましく思えた。


(ちょっと待て、これじゃあ、ユウキが誤解する――!)


 だからといって突き飛ばすなどということは、女性を大切にするという彼の信条に反するのだった。


「エミーリエ。――離れてくれ!」


 やんわりと、しかし少し強めに言っても彼女は全く言うことを聞かなかった。

 振りほどこうかと迷った一瞬の間に、顔から完全に表情を消したユウキは、くるりと踵を返すと、付き添いの大きな女性を連れて城の中へと戻ってしまう。


「待ってくれ――ユウキ!」


 しかしユウキは振り返らず、クリスは愕然とする。

 そして長い裾が完全に視界から消え去った頃、


「あちゃあ」


 クリスはそんな声に反応して我に返る。振り返ると、顛末を見ていたルーカスが肩をすくめている。


「こういう時なんて言うんでしたっけ。――《二兎を追う者は一兎をも得ず》?」


 ぼそっとつぶやかれる古い格言に神経を逆なでされる。


「うるさい」


 ぎりっと睨むと、クリスはエミーリエの方を掴んで引き剥がす。と、エミーリエはあっさりと離れて、拍子抜けした。どうやらユウキが視界から消えたとたんに、抱きつく力が半減したらしい。

 苛立ちも手伝って少し強めに腕を引き抜く。責めるように睨むけれど彼女はにこりと愛らしく笑うだけ。むくむくと猜疑心が湧き上がった。


(まさかだけど、ユウキにあれを見せたかったのか?)


 動機が昨日の夜の彼女の行動とつながる。そしてもしもエミーリエがクリスの妻の座を狙っているとするならば、それはとても効果的な手段であった。

 ただでさえ死体愛好家などという悪評を身にまとっているのだ。さらに誠意が無いと思われれば。政略結婚だけれども――もしユウキが嫌だと言えば、王が頷かない可能性は高くなる。


(それは――困るんだよ!)


 焦燥感に駆られてクリスは駆け出す。

 少し前まで結婚にまるで興味がなかったというのに。変化に自分でも驚くけれど、理屈では説明できないような衝動がクリスを駆り立てていた。


(とにかく、誤解だけは解いておかないと。俺は浮気なんかしてないし! 一筋だったし!)


 それが恋かどうかは置いておいても、この三年間、ユウキのことしか考えていなかったことは確かだった。

 クリスは再び妨害しようとするエミーリエをルーカスに預けると、脇目もふらずユウキの後を追った。



 *



 会いたかった人が、少し目を離したうちに驚くほどに成長していた。

 一言で言ってしまえばそう。だけど、そんな簡単に割り切れるほどユウキは単純にはできていなかった。

 それ以前に、あれだけ変化してしまえばもう別人だと言ってもいいのではないかと思える。

 ユウキが知っているクリスは、十五歳の、まだあどけなさを残す少年(というよりむしろ外見は少女)だったのだから。

 それがあんな風に男になってしまえば戸惑うなというのがおかしい。


(それだけならまだしも――!!)


 ユウキはぎり、と歯を食いしばる。

 あの少女はエミーリエという名のようだった。そして彼女が言っていた、片想いしている男性――というより彼女の愛人というのが、つまりクリスであると発覚してしまった。

 ユウキにしてみれば、ほんの僅かな時間の心変わりだ。結婚するとまで言ってくれたというのに、まるで手のひらをひっくり返すようで、ショックを受けずにはいられなかった。しかもエミーリエの言葉を思い返せば、彼はさらに他の女性と結婚しようとしているという。オフィーリアというお姫様とだ!


(幻滅、だよ、クリス)


 そんな浮ついた男に成長してしまったなんて。


「あんなに素敵だったのに。これからの成長を楽しみにしていたのに……」


 そんな風につぶやいて、心の中の想いを書き換えようとするけれど、本音は別だとユウキにはわかっていた。

 自分を選んで欲しかった。待っていて欲しかった。湧き上がる感情を押さえつける。


 ぜいぜいと上がった息に足を止める。こめかみを滴る汗を拭う。いつの間にか全力疾走をしてしまっていたらしい。

 気が付くとユウキはすでに階段を登っていて、二階の踊り場にいた。

 ハンナが顔を真赤にして追いかけてくるのを見て、しまったと顔をしかめる。


(あー……これは軟禁決定かも)


 だが、次の瞬間ユウキは目を見開いた。


「オフィーリア様!! 淑女にあるまじき行動の数々――誰が見ているかわからないのですよ!」


 ハンナの言葉が理解できたのだ。


(え、え、今、欠損が直った!?? 今度こそ!?)


 とっさに言葉が出てこない。


「え、え、あの――ごめんなさ、い」


 とりあえずハンナの顔が恐ろしくて謝ると、ハンナの方も目を見開いた。そして傍に寄ると小さな声で囁いた。


「――あんた、喋れるようになったのかい!!」


 これは欠損が修復されたと思って間違いない。つまり、たった今、物語が進んだ――と考え始めたユウキはハッとした。


(忘れてた。だ)


 ここは自分の世界ではないのだ、と思い出したユウキの頭にはある考えが浮かび上がった。



 そもそもユウキはクリスを救いにやってきた。彼がユウキを待ち続けて独り身を貫こうとしているから、それを止めるために。ならば、クリスが幸せそうに――にしているのなら、ユウキがこの世界にいる必要は全く無い。


(そうだよ。わたしがいなくても――エミーリエがいるじゃない。それに本物のオフィーリアも)


 真っ黒に塗りつぶされている心のまま、ユウキはやけくそのように考える。


(さっさと物語を完結させて――帰ろう)


 そのためにはこの物語が何なのかを知らなければならない。

 まわりまわってスタートラインに立ったユウキは、今すぐにでもこの世界から逃げ出したいと願う。ひとまずハンナから情報を得ようと顔を上げる。


「ええと、ハンナ」


 何から聞くべきか悩んだ、その時だった。


「ユウキ!」


 怒声と共に扉が開く。風とともに流れ込んできたのはクリスだ。彼はユウキたちを見つけると、長い足で階段を駆け上ってくる。


「来ないで!」


 ユウキが叫ぶと彼は一瞬目を見開く。だが、直後再び飛ぶようにして階段を二段飛ばしに駆け上がった。とにかく部屋に戻ろうと三階まで必死で走るが、ストライドが全く違うせいですぐに追いつかれてしまう。


「来ないでって言ってるよね!」


 すぐ後ろに迫った気配にユウキは振り返ると再び叫んだ。すると彼は不愉快そうに青い片眼を細める。


「なんでリーベルタース語なわけ? 普通に話せよ」

「はぁ? リーベルタース語?」


 どうやら機嫌を損ねたらしいが、理由がわからない。ユウキは先ほどとまったく同じ言葉――というより日本語を喋っているだけなのだ。


(あれ、ってことは、やっぱり欠損しているのは翻訳機能なの? まだ完全には直ってない?)


 ユウキは一瞬上の空になるが、


「ってまあ、どうでもいいけど――とにかく、なんで逃げるんだよ。っていうか、なんで突然いなくなったわけ」

「いなくなった? って、それは向こうに帰ってただけだし。知ってるでしょ」


 目の前でユウキが帰るのを見ていたはずなのに。だが、


「しらねえよ」


 クリスは吐き捨てるように言う。棘のある態度にユウキはムッとした。


「何その言い方。っていうか、なんでそんな大きくなってるわけ。別れてから一ヶ月も経ってないよ」

「は? そうなの? こっちがどんだけ待ったと思ってる。三年だぞ? 俺、十八になったんだよ」


 三年、それから十八歳と聞いてユウキは驚く。

 だがすぐに理解する。ここは《御伽噺奇譚》――本の世界なのだ。世界の中には不思議はなくても、ユウキに関わることには不思議が発生することは前回思い知ったはずだった。


(ページが進むと時間も経過する? そういうこと?)


 理解は進むが、すぐに納得はできない。そんなに簡単に適応はできないのだ。

 そして、ユウキは唯一の強み――年上という強みを失ったことをじわじわと実感して途方に暮れる。姉のように接するのでなければ、こんな途方も無く美しい青年にどう向き合っていいかわからないと思った。


(こんな、こんな人――わたし知らないよ)


 だが、二人の間に空けられた一歩分のスペースは、親しみを持つ者同士の距離感だ。そしてこの気安さは、この態度だけは――確実に覚えがある。そして、なにより、心に踏み込むように見つめてくる、意志の強そうな――賢そうな目。それらは彼をクリスだと特定するものだった。


「なんだよ。今度はだんまりかよ――なんかさ、なんか――言うことないわけ」


 責めるような視線が痛い。だけど今までに見たこともないような美男子イケメンだ。鋭く見つめられれば、平常心など保てるわけがなかった。次第に頭がゆだってくる。

 それでもユウキは絞りだす。彼に言うべきことなど、ユウキは一つしか持ち合わせていなかった。


「……待たなくてよかったのに」

「はぁ?」


 クリスの目が剣呑にとがる。だけど、一旦口にして立場を思い出したユウキは言い張った。


(そうだよ、ちゃんと言わないと。伝えないと)


「わたし、それを伝えにここに来たんだよ。クリス、オフィーリアとは結婚しないで。ちゃんと誠意を持ってあの子――エミーリエを大事にしてあげて」

「おまえ、何言って――っていうか、オフィーリアって、おまえ今――」


 クリスが慌てたように遮るが、ユウキは無視して続ける。眼差しに焼かれたのか、頭の芯がぼうっとする。これでいいのかと誰かが訴えるけれど、勢いのままユウキは言った。


「わたしはここにいちゃ駄目な人間だし――」


 だが、次の言葉を口にしようとしたユウキは、一転、体の血がどんどんと熱を失っていくような心地になった。それでも全部言わねばと、力を振り絞る。


「もう、帰る、ね」


 言ったとたんに目の前が暗くなる。


(せっかく会えたのに。もうさよなら?)


 泣きたくなるけれど、目的はもう果たしたのだ。この世界にこれ以上未練を残すべきではない。母と弟が待っている。

 目の前ではクリスが赤い髪をくしゃくしゃとかき混ぜたあと、大きくため息を吐く。


「ああ――そう、だよな。それがいい。


 すっぱりと切り捨てられて、ユウキは一瞬呆然とする。


『――王子様はいつまでも目覚めない白雪姫を、一生をかけて見守り続けたのでした』


 頭の中では、最後に読んだ《御伽噺奇譚》のフレーズが繰り返された。物語の結末を知って、どこか期待していたのだと気づく。

 だけど、彼はやはり今回も帰れと言うのだ。

 もしかしたら、引き止めてくれるかもしれない――心の奥底に閉じ込めていた淡い期待が粉々になる。

 彼は前に別れた時と同じく、ユウキに未練など無い。だから、恋人をつくり、結婚もする。ユウキがいなくても、前に進もうとしているのだ。

 自分はこの世界に居るべきではない異物だ。

 ならばやはりユウキの取るべき道は一つ。


「それじゃあ、さよなら!」


 ユウキは身を翻すと、部屋に逃げ込む。そして扉を堅く閉めると、大きなベッドに飛び込んだ。

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