13 鋭い眼差し、甘い低音

 再び部屋にとらわれてしまったユウキは何をするにも監視つきという状態になってしまった。

 せっかく、この世界がどの物語なのかを知るための手がかりを得られたと思ったのに。焦燥感だけが募っていく中、幸いにもユウキは外出だけは許されるようになった。ハンナの方にも思うところがあったのだろうか。どうやら欠損は相変わらずで、彼女が何と言っているのかはわからないけれど、目に同情の色が見られるのだ。池に飛び込むほどに思い詰めていると勘違いしたのかもしれない。

 誤解をいいことにユウキは城を散策し、そしてユウキを助けてくれたあの少女に会いに行くことにした。

 もしかしたらこの世界で意思疎通が出来るのはあの少女だけかもしれないのだ。会わずにはいられないと思った。

 だが昨日も一昨日も彼女には会えていない。会いにおいでというのは社交辞令だったのだろうか。そう思った矢先の事だった。


「よう」


 少女は池の畔で佇んでいた。頭巾をすっぽりとかぶり足を池に浸している。ハンナをふり返ると許可を取るように見つめて「二人にしてほしいの」と、身振り手振りを交えて必死で伝える。ハンナはしばらく少女をにらみつけていたけれど、やがて肩をすくめ仕方なさそうに何かを言う。そしてユウキと少女を二人にしてくれた。少し離れたところに留まって監視しているから、きっと『少しだけですよ』とでも言ったのかもしれない。


「やっと会えた」

「ごめんねえ。暇は暇なんだけど、ずっとは居れないからねえ」


 もっともな話だし、ずっと居られても心配する。ユウキはさらりと流す。


「話、したくて来たんだけど……」


 少女は片眉を上げると自分の隣を指差す。


「そりゃあよかった。アタシもちょっとさみしくってさ。アタシの国の言葉がわかる人間がいないから退屈してたんだ」

「あなたも言葉がわからないんだ?」


 おんなじだと親近感を持つ。だが、まさか異世界から来たというわけではないだろうとも思う。それにしてはあまりにこちらの世界に馴染みすぎている気がしたのだ。


「あなたの国って、どこ? っていうか――ここってどこ?」


 慎重に尋ねると、少女は訝しげに眉をしかめた。


「オマエ……大丈夫か? この間落ちた時頭でも打ったとか?」

「ううん……ええと、わたしもちょっとワケアリで。この辺の人間じゃないから、言葉が全然わかんなくて」

「連れてこられたのか? 大変だな」少女は小さく息をつく。「ここはリーベルタースって国だ」

「りーべるたーす?」

「大陸の南部にある大きな国だな」


 大陸という言葉が引っかかる。確かクリスも言っていた。パンタシアは大陸の北にあるとかなんとか。


「じゃあ、パンタシアって国、知ってる?」

「……まぁ……知ってるけど……相当ヤバイなオマエ。リーベルタースを知らなくてパンタシアを知ってるって、わけがわからないんだけど」

「パンタシアって、どこにある? ここから近い?」

「まあ隣の国だからな」


 ユウキは色めき立った。


「近い!? どのくらい?」

「近いって言ってもさ、船で五日はかかるし」

「船ってどこで乗れる?」

「いや、やめておけよ。この間、船が沈没して大変だったんだ」


 一転してどん底に突き落とされたユウキは途方に暮れる。

 船で五日。徒歩ならどれだけかかるだろうか。電車と船はどっちが早いだろうか――などとぐるぐる考える。が、とりあえず簡単に行ける距離ではなさそうだ。


「じゃあ、電車――いや、」言いかけてこの辺りの乗り物はなんだろうと考える。「馬車だったら?」


「馬車だったら一ヶ月以上かかるけど……なんでそんな必死になってんだよ」


 一ヶ月以上という言葉にユウキはしゅんとしてうつむいた。


「……会いたい人が、多分だけど、パンタシアにいるの」

「恋人?」


 ぎょっとして反射的に否定する。


「ち、ちがう。命の恩人っていうか、なんていうか……」

「でも好きなんだろ? 顔に出てるけど?」


 ニヤニヤと笑われてユウキは反論する。


「違うの。――生きていく世界がまるで違うし」


 恋人ではない。知り合いと言ってしまうとよそよそしい。友達が一番近いのかもしれないけれど、どこか寂しい。

 沈み込むユウキに少女は、はあっとため息を吐いた。


「そっか。辛いね。アタシもさあ、好きな人がいるんだけど……全然望みなさそうで辛いんだよね」


 ユウキは僅かに身を乗り出した。恋の話というのはどうしてこんなに人との距離を近くするのだろう。友人が声を潜めて頬を染めて打ち明けてくれる恋話は、友人レベルを一段階上げるものだと思っていた。

 辛い恋の話。この子はおそらく同じような悩みを抱えている。

 痛みをわけ合えば、少しは楽になるだろうか。どこのだれとも知らない少女だというのに、ユウキは全部打ち明けたい。そして打ち明けてもらいたいという衝動に駆られた。


「……望みがなさそうって?」


 だが、ユウキの予想は大きく裏切られることとなる。


「アタシさあ、実は愛人って立場なんだよねえ」

「あ、あい、じん??」


 同じ年頃の少女から飛び出したとんでもない話に、恋かどうかもわからない淡い初恋の話をしようとしていたユウキは固まった。


「その人さあ、さんざん弄んだくせに、アタシを捨てて王女様と結婚するって言ってるんだよ。大事だけど結婚はできないって。ひどいだろ? だから徹底的に妨害してやろうと思ってさ」


 にまと笑う笑顔が妙に迫力があって怖かった。

 そもそもユウキの価値観では愛人がいる時点で、不誠実なひどい男認定だ。少女には同情せずにはいられない。

 だが、


(ん? 王女様と結婚? 愛人?)


 少女の言葉が、心の引き出しにある童話に引っかかった。何か手がかりが得られたのかもという期待。だが一方ですさまじい不安に陥る。

 王女様が結婚と言うのは、今ユウキが置かれている状況に酷似している。


(いや、でも、王女様もこの世界で一人じゃあないだろうし)


 混乱した頭を整理しよう――とユウキが頭をぶんぶんと横に振った時。

 ざわ、と空気が動いた気配がした。相変わらず聞き取れない声が近づいてきて、人が来るのがわかった。しかも大勢だ。

 木陰で様子を窺っていたユウキは、目を見開く。


(え、あの人――)


 集団の中央にいるのは、以前海岸で拾った赤い髪の青年だった。項の辺りまでの短髪は、今は陽の光に照らされてルビーのように輝いている。洗われて曇りの消えたその赤は忘れられない色。ユウキの胸は締め付けられた。


「クリス……?」


 ユウキは口にしながらも、前と同じようにすぐに否定する。髪が赤いだけ。違うにきまっている。青年は周囲のどの人間よりも背が高い。そして肩幅も広い、大人の男の人だった。ユウキの知る少年ではないのだ。

 最後に彼を見てから、一月も経っていないはずなのに、こんなに変化するはずがない。

 だが、青年の隣に佇む男を見たユウキは立ちすくんだ。そこにいたのは淡い金髪と、冷徹そうなブルーグレーの瞳を持つ男だった。


(ルーカス? なんでここに――)


 クリスの親衛隊である彼がここにいる理由。その答えが一つしかないような気がして、ユウキは赤髪の青年に釘付けになった。

 視界の端でハンナが青年に向かって跪くと「――ア――エン――プリンサスオフィーリア――」と言いながらユウキを見る。誘われるようにして青年がこちらに視線を向け――そして彼は赤い髪の下、目を見開いた。

 碧い海の色の瞳に、ユウキは貫かれる。

 色だけではない。眼差しの聡明さは、クリスの印象とぴったり重なった。


「クリス?」


 口から名が溢れる。

 そんなわけがない。そんなわけはないのに、ユウキの知らない精悍な顔立ちをした彼は、口を開いて言った。


「――――!? ユウキ?」


 甘い低音には聞き覚えがない。彼が言った言葉は、全く聞き取れない。だが、会話に混じった名前だけは、ユウキの耳にしっかりと焼き付いた。


 

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