7 浜辺に落ちていた青年

 慌ただしい足音が建物の中に消えると、遠浅の海が広がる浜辺には、静かな波の音が響くだけだった。二日前の夜には嵐で大荒れだったらしいが、嘘みたいな凪ぎ方だった。

 遠くに帆船が見えるが、港があるのだろうか。白い帆が青空に映えて美しい。

 そんな平和な砂浜には、ぽつんと人が落ちていた。


「クリス? ……じゃないよね」


 赤い髪を見て一瞬そうつぶやいてしまったものの、ユウキはすぐに否定する。

 なぜなら、そのは明らかに大人の男性だったからだ。ユウキの知っているクリスならば、ユウキより少し背が高いだけで、まだ発達途上の華奢な体をしていたはずだ。

 だが、目の前に横たわる青年は、ユウキよりも頭二つは背が高いだろうと思えるし、砂まみれの服の下の肩や胸や腕はしっかりと筋肉がついて力強い。なにより精悍な顔だちには、あの少女と見まごう美少年の面影はまるでない。


(髪の色が同じだけなのに……どうかしてる)


 言葉を奪われ、切羽詰っているせいだろうか。願望がそう見せてしまうのかもしれないとユウキは恥じ入る。


(……ええと、ハンナはどこに行ったんだろ?)


 ハンナというのは先程まで一緒にいた大迫力な女性のことだ。ユウキと同じくシスターっぽい格好をしているが、ユウキの世話をしてばかりなので本物のシスターではなさそうだった。名前は、周囲からそう呼ばれている気がしたので、心のなかで勝手にハンナと呼んでいるだけ。なにしろ名前がないのは不便なのだ。

 どうやらユウキはあの時にぶつかった少女と間違えられてしまっているようだった。ハンナは細かいことを気にしない性分なのか、それとも目が悪いのか。少女とユウキの入れ替わりにまるで気づいてくれなかった。

 別人だと訴えたかったのだけれど、いざ言おうとしてためらった。なぜなら、言葉が話せない事で、別人だと認定されれば、ユウキには居場所がなくなってしまう。一方、別人だと認定されなければ、病気と認定されて、病院送りもありうると思ったのだ。

 どちらにしてもメリットがないと思ったし、ユウキはこの欠損がいずれ修復されることを知っていた。

 情報は耳からだけでなく、目からも得られるのだ。一段階でも物語が進み、欠損の修復されれば、言葉を取り返せる可能性があった。言葉が取り返せれば、まだ動きも取れる。

 そこに賭けて、ユウキは少しだけ様子を見ることにしたのだった。


 それにしてもあの少女は何者だろうか。今はまだ名前がオフィーリアということしかわからないが、部屋のドアの前にはハンナが常に重しのように待機していて、他のシスターとはどこか待遇が違った。それがなぜなのかはわからないのだが、おかげでユウキは随分と窮屈な思いをしている。


(待遇が違うのなら……もっと美味しいものが食べられればいいのに……。掃除洗濯も軽減されればいいのに……)


 今朝は小さなパンと牛乳のような飲み物、それから山ぶどうのみという質素すぎる朝食だった。この世界での食事は皆このようなものなのかもしれないけれど、正直に言うと、育ち盛りを脱していないユウキには物足りなかった。

 しかも、お祈り、聖歌の練習など慣れない修行をこなして、掃除や洗濯などの身の回りのことを各自行う。もちろん掃除機はなく、ほうきでの掃き掃除、雑巾がけ。洗濯機もないので洗濯は全て手洗いだった。

 たった一日家電製品なしに家事をこなしただけだけれど、以前森で生活をした時よりもストレスがひどい。前回は生きるか死ぬかという危機に晒されていたから、何もかもがありがたかったけれど、今回は平和なだけに、足りないものが目立ちすぎる。

 しかも仕事は際限なくある。日課は終わったかに思えたのに、バケツと熊手のようなものを持たされ浜辺に連れだされた。そして、浜辺に落ちている海綿や軽石拾いを命じられたのだが……こうしてとんでもない大物を拾ってしまったのだった。


(とにかく、欠損を修正して……クリスを探さないと)


 欠損を修復するには物語を進めなければならない。物語が進むためには物語が何かを知らなければならない。

 ノートに書かかれたルールを思い出す。出てきた人間には意味がある――となると、今までに出会ったあの少女、ハンナ、そしてこの青年にもなんらかの役割があるということだった。

 ユウキはひとまずここでもヒントを得ようと、固く目を閉じたままの青年を見下ろした。

 砂浜に埋もれるようにしているせいで、赤い髪は白く汚れているし、まるでドレッドパーマを掛けたかのようにうねって束になっていた。

 そもそもどうして人がこんなところ――砂浜の真ん中で――行き倒れているかわからない。海から打ち上げられているにしては、随分波打ち際からは離れているし。怪我は見当たらないから、病気だろうか? 言葉がわからないせいで先程の会話も聞き取れなかった。聞き取れていたら状況が少しでも分かったと思うのに。

 青年が顔をしかめる。空を見上げると、強烈な光が降り注いでくる。真上を向く青年がひどく眩しそうに思えて、ユウキはハンカチを水袋の水で濡らすと、瞼の上に置いた。

 と、その時、浜辺の端からハンナが人を連れて戻って来るのが見えた。わらわらと現れた集団に担がれると、青年は担架のようなものに乗せられて、教会とは反対側の港の方へと戻っていく。

 なぜか目が離せない。湧き上がる焦燥感に胸元の布をギュッと握ると、


「――――オフィーリア――、――――?」


 ハンナが心配そうにユウキを見下ろす。なにか問われるが、分からずにただ首を横に振ると、ハンナはぶつぶつと何かを愚痴り始めた。

 何を呆れられているのかわからないけれど、どうやら期待に応えられなかったらしい。


 もう一度青年の向かう先を見やると、彼は既に建物の中に連れて行かれていた。何かが心に引っかかってしょうがないけれど、とにかく今は現状を維持して。欠損を修復することを再優先にしよう。ユウキはそう思う。



 だが、そう決心した翌日のこと。

 事件は風呂の時間に発生した。ここでは毎日入浴する習慣がなかったためバレなかったのだが、さすがにもうごまかすのは無理があった。

 ――髪の色の違いである。


「――――!??」


 ユウキの頭のケープをとったハンナは、ユウキの髪をじっと見つめ、そして改めてユウキの目を注視した。直後、怒声に似た悲鳴を上げた。

 ようやく別人だと気がついたのだ。慌てた彼女は、さんざん喚き散らしたあとどこかに相談にでかけたが、戻ってくるなり急に荷造りを始めた。


「ちょ、ちょっと、どこに行くわけ!?」


 一貫の終わりだろうか――そう腹をくくったが、ユウキは質素な黒い服の代わりに華やかなドレスを着せられて、馬車に詰め込まれた。そうして半日かけて連れて行かれたのは、大きな城壁に囲まれた都市。その中央にある荘厳な建物の前に、馬車は止まる。


(え……って、なにここ)


 中央に鎮座する丸いドーム型の建物は陽の光を受けて輝いている。屋根は金箔でも貼ってあるのか、直視するのが辛いくらいに眩しかった。取り囲むように建てられた白い尖塔は槍のようで、周囲を威嚇する。

 ――それは、旅のドキュメンタリーなどで見かけたことのある光景。どうやらお城のようだった。

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