37・回想

 大学を卒業して、ひと昔と言いたくなるほどの月日が流れた。オレは東京に出て、巨大なビルのすき間を縫って歩きながら、その日その日を必死にやり過ごしていた。

 ふと思い立ち、なつかしい金沢を訪れた。

 久しく訪れていなかったその町は、こざかしく発展を遂げていた。ボロボロだった駅舎は、巨大なショッピング施設と合体し、ゴージャス極まる姿に変わっていた。周囲には巨大なホテルや商業ビルが建ち並び、「未来都市か」とツッコみたくなる。

 ふらりと母校に立ち寄ろうとすると、そこにアクセスするインフラは、いつの間にかとてつもない税金をかけて立派に整備されていた。ボロアパートから美大に抜ける細い路地は、区画整理とやらですでになく、古い町並みをぶっ壊して巨大な幹線道路が貫いている。見違えるような変貌ぶりだ。

 大学の校舎も施設も、自分たちが通っていた頃に比べると格段に洗練され、当時の面影がまったくない。ピカピカのキャンパスは、おしゃれな学生への配慮がゆきとどき、軽薄な感じだ。伝統のバンカラな気質は、完全に過去に追いやられたのだと知った。

 なんの気なしに、グラウンドにまわってみた。

ーまさかな・・・ー

 しかし、見つけた。ラグビー部の部室は、まだそこにあった。それはなんだか場違いで、こじゃれた風景の中に浮いていた。だが間違いない。あの頃そのままの部室だ。コンクリート打ちっぱなしのうす汚れた小屋。「楽苦美部」のバカ看板も健在だ。

 ベコベコにへこんだドアノブを握って回してみると、相変わらず施錠などしていない。建て付けの悪さで不埒者をイラつかせて撃退する大雑把セキュリティーは、昔といっしょだった。

 ひとけのない部室に入ってみて、安堵をおぼえた。その場所はなにも変わってはいなかった。物干しロープは今でも同じ方向に部屋を横切って、空間を不効率に分割している。そこに掛けられたユニフォームの素材やデザインは劇的にかっこよくなっていたが、それから放たれる悪臭やはびこるカビは、何世代にも渡って引き継がれているようだ。道具やスパイクの散らかりようも昔のままだ。男っぽい無頓着が幅を利かしていた。

 サンドバッグには相変わらず紫紺のジャージー(こちらもかっこよくなっていたが)が着せられ、ズタズタに引き裂かれている。壁に大書された「打倒キョーゲイ!!」の文字には、「!」がひとつ増えていた。あれから両者の間に、重大な何事かが起こったのかもしれない。非常に好ましい。

 ふと、梁に掲げられた一枚の表彰状が目に入った。それは、オレたちが金沢市の七人制ラグビートーナメントで優勝したときのものだった。賞状はそれ一枚きりで、スカスカの壁はその後の平穏な部史を雄弁に物語っていた。

 表彰状の入った額を手に取る。表面に積もったほこりを払うと、額にはさみ込まれた写真の中に、そのときの優勝メンバーが誇らしげに歯を剥いていた。

 オレは色褪せた写真の中のひとりひとりをなつかしく、愛おしくながめた。

 あれから、成田は油絵科の大学院を出た後、故郷の北海道に帰ってヘンピな学校の美術教師となっていた。

 オータはバイクを運転中に、飛び出してきた歩行者を避けきれずに転倒し、あっけなく天に召された。最後までステップを切るのがヘタだったのだ。

 寿司屋マッタニは、実家の寿司屋を継いだ。

 社長顔のダンナ松本は、一部上場企業に就職し、淡々と次期社長の座をねらっている。

 学者肌三浦は、大学院を出た後も学校に残り、もうすぐ教授様、という地位にまできている。

 そしてオレはといえば、こうしてラグビー部の想い出を書きつづっている。なぜなら、オレは十数年ぶりに訪れた部室の「打倒キョーゲイ!!」の文字の横で、それを見つけたのだ。ボロボロのコルクボードに、その写真は今も残っていた。

 それは、最後のキョーゲイ戦で先制点を挙げたとき、チカちゃんが狂喜しつつファインダーにおさめたスコアボードの写真だった。オレたち以外の人間にはなんの価値もない、その数字。生涯でいちばん熱かった日のかけらが、そこにあった。

 その光景を目にしたせいで、あの頃の熱がくすぶる自分の中に、小さな風が吹き込んだ。そして胸の奥の熾き火は一瞬、再び、めらっ、と炎をあげたのだった。


 おしまい


※この物語は、事実を元(にした記憶を元)にしたノンフィクションっぽい創作です。いや、創作っぽいノンフィクションです、どっちでもいいか。したがってストーリーや、登場人物や団体などのキャラクターづけは、著者の主観に基づいたものであり、それは事実と言われれば事実であり、ちょっと違うと言われればちょっと違う気がする、ということを、関係者各位はご理解ください。

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