25・魔法

「ラグビー部のマネージャーをやらせてほしーんですけど」

 その可憐な声を聞いて、誰もが腰を抜かした。そこにいたのは、女子だったのだ。一瞬、妖精が現れたかと思った。長い黒髪をつむじ近くに結い込み、春風のような香りを放っている。パステルカラーでまとめたお洋服も愛らしい。きらきらと魔法の微笑みをこぼすチカちゃんは、日本画科の一年生だった。日本画科といえば、美女の宝庫。清潔にして気高い彼女たちは、美大キャンパスで憧れの的だ。粗野で無骨で小汚いオレたちのような人種とは、まるで対極にある世界からやってきたその使者を、ラグビー部員は食い入るように見つめた。

「いいんですか?」

「はい」

「うちはラグビー部ですけど」

「ええ」

 どうやら間違えてはいないようだ。どんな深刻な事情が彼女をここまで追いつめたのか。

 それはさておき、まずは彼女を部室に招き入れ、様子を見てみた。この環境に適応できないなら、残念ながらお引き取り願うしかない。しかしチカちゃんは、少しだけ顔をしかめただけで、強烈なにおいにも平然としていた。腐ってただれたような汚れ物の山にも、拒絶反応を起こさない。なかなか肝が据わっている。

「聞きしにまさるすごさですね。だけどかえってやる気が出てきました」

 おおーっ、と歓声が上がった。わが部に、女子マネージャーが誕生したのだ。これでオレたちも強くなれる、と確信した。

 そもそもなぜ女子マネージャーが必要なのかといえば、それは洗濯物を洗ってくれるとか、ケガの手当をしてくれるとか、そんな上っ面なことではない。むさ苦しい男ばかりがガン首そろえて閉じこもって熱血するよりも、女子に見つめられ、黄色い声援に背中を押されたほうが、20%増しに力が出せるからなのだ。それがモチベーションというものだろう。それに女子に見守ってもらえば、ピンチのときの表情がよりセクシーに決められるし、首筋を流れる汗もより爽やかに感じられる。テンションが落ちたときにも、いかんいかん、と思える。「かっこいいところを見せてやる」という気持ちが、より高い運動能力を引き出し、「情けないところは見せられない」という気持ちが、限界部分でのポテンシャルをあげるわけだ。かくて女子マネージャーの視線は、プレイヤーの自意識との相互効果によって、より高い運動能力を発揮させるミラクルを起こすのだ。こう考えると、女子マネージャーは部に不可欠ともいえる存在ではないか。逆にいえば、今まで自分たちが弱かったのは、それがいなかったせいだとも考えられる。

「これで強くなれる!」

 練習に向かう意気込みは、空前のものとなった。それほど部員たちの興奮はすさまじいものだった。オレたちは卒業まで、チカちゃんの声に後を押されつづけた。彼女をよろこばせるためにがんばれたし、彼女を泣かせると、次こそはがんばろうと思えた。男とは、シンプルな生き物なのだ。

 一方、入部当時は可憐に振る舞っていたチカちゃんだったが、彼女もまたラグビー部員たちの生活に強く影響された。泥だらけの靴でも平然とキャンパスを歩けるようになったし、大酒を飲むようになったし、なにより変わったのが、試合中に「たおせー」「ばかー」「ころせー」などと叫べるようになったことだ。試合を経るごとに、彼女は可憐という形容詞から遠ざかり、部員と同化していった。男と同じく、女もシンプルな生き物なのだ。

 女子マネージャーはこれ以降も何人か入ってきたが、みんな同じように野生化していった。彼女たちの変貌ぶりに少なからぬ罪悪感を感じたが、それでもオレたちは20%増しに力を与えてくれる彼女たちに感謝した。

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