第14話 いにしえの約束/Ancient Promise
「今から五百年前のこと。私の先祖……建国王、オールス一世が白き山の竜と盟約を結んだことがすべての始まりであると、伝え聞いております」
アイシャはがっくりと項垂れながら、そう話し始めた。
「この国を害さず守る代わりに、五百年後に姫を差し出す。それが、オールスが竜と結んだ契約です」
五百年後かあ。ものすごく気の長い竜だな、と私は思う。
ギルタは、火竜以外の竜はたいてい五百年も生きられないと言っていた。ということは、五百年というのは竜にとっても相当長い時間だ。
「そして今年が、その五百年に当たるのです。わたしは生まれたときから竜に捧げられることが決まった姫でした」
アイシャの声には、意外なほどに悲壮感はなかった。彼女は淡々と、事実のみを告げるように言葉を綴る。
「竜は、人の天敵です。そんな存在と密約を結び、生贄を捧げているとなればあまりに外聞が悪い。けれどただ偶然我が国だけが災禍を逃れているというのも不自然です。ですから――王家は不遜にも、竜殺しを名乗りました。竜が襲い来ればこれを殺し、その威光を恐れ竜害は起こらない、と」
そこで初めて、その声色に感情が交じった。
「ですからわたしはこれを真実に変えようと、今まで努力を重ねてきました。無論、どれだけ鍛えたとて、たった一人で竜を倒せようはずもありません」
普通に倒せる人間を知っているけれど、流石に私も空気を読んで口をつぐむ。
「そこに……あなたが、現れたのです。最初に見たときは、微かな違和感。あなたが、常人とは異なる……おそらくは強者であろうという、ただそれだけの予感でした。ですから、無用な諍いを避けるためにわたしは通行証をあなたに渡しました」
あれは純粋な親切心というわけではなかったらしい。それもそうか。初対面の私に親切にする理由などないし、誰にでもそうしていたらそれはそれで問題だ。
「ですが戦いを見て、私はすぐに察しました。あまりに人と隔絶した戦い方。動きも居住まいも隙だらけの、素人そのもの。にもかかわらず、誰もあなたに勝つことが出来ない」
アイシャの言葉に、私は密かに傷ついた。し、素人そのもの……ユウカの動きとか見て、それなりにこう、動きとか工夫したつもりだったんですが……
「竜が、反旗を翻した私を殺すために来たものだと、そう覚悟していたのですが……」
「竜違いですみません」
いろいろと、穴があったら入りたい気分だった。
「あなたは……本当に、竜なのですか?」
「ん、うん、まあ……この部屋はちょっと狭すぎるから、元の姿に戻って証明するわけにはいかないけど、竜ですよ」
竜ということがバレても相手は王族なのだから敬意を払うべきなのか。彼女は本当にアイの生まれ変わりなのか。わからないことが多すぎて、いまいち語尾に悩みつつも、私は頷く。
「では一体何をしに?」
「人を、探しに来たんです。古い知り合いを」
「知り合い……? いえ、それはこの際、構いません」
問いかけ、アイシャは首をふると、私の瞳をじっと見つめた。
「あなたは、人に害意はないのですね?」
「うん。私は、人が好きだから。ああ勿論、食の好みって意味じゃなくてね」
私のジョークに、アイシャはニコリともしなかった。代わりに顔を引きつらせることもなかったけれど。
「では……お力を、貸して頂けませんか?」
ただただ、真摯な瞳が私を貫く。
「わたしに出来ることであれば、どのようなことでも致します。ですからどうか……」
「ああ、いいよ」
自分で言っておきながら意外だったのだろう。アイシャは信じられないとでも言いたげに大きく目を見開いた。
「……本当、ですか!?」
「うん。もちろん、代わりに食べさせろなんて言うつもりもないから安心してくれ」
もし彼女がアイの生まれ変わりだとしたら、死んでもらっては困る。何でもしてくれるっていうなら、ニーナの言っていた方法を存分に試すことが出来る。こっちからしてみれば渡りに船だ。
「まあ倒しちゃうわけにはいかないから、交渉することになるだろうけど」
五百年後ってことなら、多分生きていくのに必須というわけじゃないだろう。交渉の余地はあるはずだ。もともと人間とも契約を結ぶような竜なのだ。全く会話が通じないってことはないと思う。
「……あなたですら、倒せないような相手なのですか、マシロの竜は」
ごくりと息を飲んで、アイシャは問う。
「いや、白竜なんだろ? 一番弱いよ。だから、倒しちゃうと絶対にもっと強い竜が来ちゃうんだ。だから倒さないほうが良い」
安心させるためにそう説明すると、なぜだか彼女は絶句したのだった。
* * *
白竜は低位の竜の中で唯一、高い山の上にすむ竜だ。
しかも必ず深い雪の積もった山だから、入念な装備無しで人が登るのは難しい。
特に自分で身体を暖められないクリュセには致命的だ。今回彼女には留守番していて貰うほかない。
そして私やニーナも、それは例外ではなかった。
ニーナの使う植物の魔法は低温に弱いし、暖を取れるようなものでもない。
私は身体を暖めることは出来るかも知れないが、やりすぎて雪崩でも起こしたら大惨事だ。二人とも雪山登山の経験などないし、装備もない。
というわけで、私はもっと手っ取り早い方法を使うことにした。
竜の姿で、山頂まで飛ぶのだ。白竜は驚いて逃げ出すかも知れないけれど、飛ぶ速度はこちらの方が多分早い。それに、私の存在にはとっくの昔に気づいているだろうに、未だ動く様子もない。
まあ深い雪の中は火竜にとっては明らかに不利な条件だ。どうせ迎え撃つならそこでというつもりなのかも知れない。
「……本当に、ついてくるの……ですか?」
「はい。仮にも王家を名乗るものとして、わたしには見届ける義務があります」
待っていてくれて構わない。そう告げた私に、アイシャはそう言い張っていた。まあ、私と白竜の間でどんな交渉が行われるかわからない。そう簡単に昨日であったばかりの竜を信用できるわけもないだろうし、仕方ない。
「ニーナ、悪いけど、よろしく頼むよ」
「ん。わかった」
とはいえただの人間を面識のない竜のところに連れて行くのは流石に怖い。小回りの効かない竜の姿で守り切る自信もなく、私はニーナに護衛を頼むことにした。
「というわけで、私が本当に竜であるということの証明がてら、竜の姿になって飛んでいこうと思います」
白竜が住むという、山の麓。そこで私たちは落ち合い、山頂を目指すことにした。アイシャは約束通り共も護衛も連れず、ニーナの分の防寒着を用意して来てくれた。
「殿下は防寒着をつけなくて良いのですか?」
彼女自身は最初にあったときと同じ、白銀の鎧姿だ。
「ええ。この鎧は盟約の際に白竜から授けられたという鱗を加工して作ってあります。白竜の鱗は氷よりも冷たいので、鎧下にはしっかりと防寒対策を施さねばとても着れません。代わりに、鎧は外部の冷気を一切通さないのです」
なるほど。私の鱗が熱を通さないのと同じ理屈だ。
「じゃあ、いきます。驚かないでくださいね」
私は懐から鱗に変じさせたコートを取り出すと、それを羽織って竜の姿に戻る。
「まあ……!」
それを見て、アイシャは歓声を上げた。
「本当に、竜だったんですね。それも……こんなに大きくて、赤い、竜」
そっと私の鱗に触れて、アイシャは感じ入ったように呟く。
「……それだけ?」
「すみません。この感動を言い表すには、私の舌は力が足りないようです」
アイシャは申し訳なさそうに謝ったが、その返答はニーナの意図とはずれている。
彼女はおそらく、この姿を見て私のことを思い出すのを期待したのだ。
私と、同じように。
「では二人共、背に乗って。……いくよ!」
二人がしっかりと背のトゲに掴まったのを確認し、私は翼を羽ばたかせた。そういえば、こうして誰かを背に乗せて飛ぶのはいつぶりだろうか。最近はヒイロ村の人たちも空を飛ぶくらいは魔術で当たり前にこなすし、飛べないユウカは下手をすると飛ぶより早く駆けるので、ずいぶん久しぶりだ。
最後に誰かを背中に乗せて飛んだのがいつだったかはパッとは思い出せないけれど、最初ははっきりと覚えている。千年前……ダルガと出会ったばかりの時だ。あの時私はアイを背に乗せて、ニーナはその隣を飛んでいた。
「セ、センセイ」
上空まで駆け上がったところで、背中から微かな声が聞こえた。
「少し……速度を、緩めては下さいませんか」
「ああ。ごめん」
怯えの入り混じった声に、慌てて翼を緩める。あまり速度について意識はしてなかった。白竜に逃げられてはならないと思って、少し急ぎすぎていたかも知れない。竜の姿になって近づいても気配の位置は変わらないから、急ぐ必要はなさそうだ。
意識してゆっくりと飛んでも、山頂まではすぐだった。
天気はよく視界は良好だが、真っ白な雪に覆われたそこに白竜の姿は見当たらない。
気配は感じるから、すぐそばにいることは確かなんだけど……
「白竜殿、いらっしゃいますか?」
ひとまず地面に降り立ちあたりを見回していると、背中からアイシャの声が響いた。
「わたしは、マシロの国の王女、アイシャ。盟約を更新しに参りました!」
その声に応えるかのように風が吹き、雪が舞う。
小さな竜巻のように粉雪が舞い上がり、そして、白竜が姿を現した。
その瞬間。
時は、凍りついた。
白竜の体躯は五種の竜の中でもっとも小さい。
その白竜は、私の三分の一程度しかなかった。
短い首の周りはふわふわとした毛並みが覆い、長く真っ直ぐに伸びた二本の角も相まって大きな兎のようにも見える。
顔も爬虫類のような長い口を持つ火竜とは違って、哺乳類を思わせる丸い顔立ちをしていてどことなく愛嬌がある。大きく広げた一対の翼はビロードのような質感で、光を受けてまるでドレスのように輝いていた。
その姿を見て、私は思わず一歩踏み出す。
「…………アイ」
名前とともに吐き出した吐息に、地面の雪が溶け去った。
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