竜歴1000年

第26話 千年/Millennium

「先生、イニス先生がお呼びです」

「ん、ありがとうノキア……」


 部屋に入ってきた褐色の肌の少女に私は思わずそう答え、口を押さえた。


「ごめん。ノーラ。また間違えた……」

「いいえ、お気になさらないでください。でも、私はそんなに曾祖母と似ているのですか?」


 ノーラは、先月ヒイロ村にやってきたノキアの子孫だ。ノキアから見ると、ひ孫ということになるらしい。


 結局ノキアはあれからヒイロ村にやってくることはなかった。けれどその旅で見聞きしてきた事柄を書いた『驚くべき世界の果て』と題した本がマシロの国で何千冊も写本が作られたらしい。


 すべて手書きで、識字率もさほど高くはなく、それどころかまともな製紙技術すらないらしいマシロにおいては、空前の大ヒットと言っていい。


「顔の作りでいうとそんなに似ていないんだけどね。雰囲気と……目かな。そこが、すごくよく似ている」

「目、ですか……」


 ノーラは不思議そうに、金の目をぱちぱちと瞬かせた。


 ノキアの本はその綿密な描写から、マシロ国外の様子を知る貴重な資料としても扱われたらしいが、その中でたった一つ誰も信じなかった章がある。


 何を隠そう、『最果ての国、緋色』の章である。


「誰も信じなかった本を信じてこんなところまで来ちゃうような、好奇心に満ちたその目だよ」


 私は笑いながらそう言った。誰も信じなかったのも無理はない。

 なぜなら――ノキアが書いたのは、実際に嘘ばかりだったからだ。


 すべてが火竜鋼でできた家が立ち並び、精霊が牽く車が何千台と行き交い、仕事は高度に自動化されて人々は自分で働く必要もない。そして、数万年を生きる偉大な火竜が治めている。そんな夢の国として、ヒイロ村は描かれていた。

 要するに、滅茶苦茶話が盛られていたのである。


「実際にやってきてみたら大したことなくて、がっかりしたんじゃないか?」

「いいえ。確かに本は大げさに書かれていましたが、それでも十分驚きの連続ですよ」


 それに、とノーラは言葉を継ぐ。


「曾祖母は……ノキアは多分、わざと嘘を書いたんだと思います。皆がこの村にあまり興味を持ちすぎないように」

「ああ……そうかもしれない」


 ノキアは、ヒイロ村が他の国に滅ぼされてしまわないか心配してくれていた。そして、その存在を隠すよりは……大げさに書いて、誰にも信じられない方が良いと判断したのだろう。


「まあ私たちのように、信じてやってきちゃう人間もいるので、意味があったかどうかはわかりませんが」


 そう言って、ノーラは明るく笑った。そう。ノキアの本を真に受けてやってきた旅人は、彼女だけではない。十数年前辺りから、ポツポツとやってくるようになっていた。


「ちゃんと意味はあったと思うよ」


 だってヒイロ村にやってきたのは、荒唐無稽な話を信じてやってきた冒険者。ノキアやノーラとそっくりな、愚かで勇敢な人々ばかりだ。ヒイロ村を害そうだとか金を稼ごうだとか思ってやってきた人間は誰ひとりとしていない。そんなものを目当てにやってくるには、あまりに話が馬鹿げているからだ。


「……でしたら、良かったです」


 ノーラはにっこり笑って、そういった。



 * * *



「おそーい!」

「ごめんよ、ちょっと話し込んじゃって」


 腰に手を当てソファの上に仁王立ちするイニスに、ノーラと揃って頭を下げる。


「全く……せっかく世紀の大発明ができたというのに。ノラ、準備して」

「はい、イニス先生」


 イニスはソファに深々と腰掛けながら、ノーラに指示を飛ばした。ノーラはイニスの優れた技術に興味を持ったらしく、今は彼女の助手のような立場で働いている。ノキアから先祖代々伝えられたという、例のクロスボウも影響しているのかも知れない。


 まあ製作者がイニスであると知って興奮して見せるなり、「今ならこんなガラクタよりもっと凄いのを作れる」と言われてショックを受けていたけど。


「さあ先生、お待ちかねのものがとうとう完成したよ」

「もうできたの!? 頼んでから、たった三十年ちょっとしか経ってないのに」


 イニスの言葉に私は目を丸くした。

 私がイニスに頼んだもの。それは、宇宙船だ。

 遥か彼方、空の向こう。私の故郷へ向かうための、船。


 勿論、完成したとしても帰るかどうかは別の話だ。けれどどうなっているかくらいは知りたくて頼んだんだけど……こんなすぐにできるだなんて。


「ふふふ、わたしは天才だからね」


 ゴロゴロと台車に乗せてノーラが何やら巨大なものを運び込んでくる。高さ三メートル程の、ずんぐりとした円錐形をした塊にシーツがかぶせてある。ずいぶん小さいが、この魔法の世界でならこのサイズでも宇宙船が作れるのか。


「さあノラ、お披露目を!」

「はいっ!」


 ノーラがバサリとシーツを剥ぎ取る。


「……なにこれ?」


 その下にあったものに、私は首を傾げた。それは一言で言ってしまえば、金属でできた巨大なぬいぐるみだ。


「鉄人形第三号自律型。略しててつおさんだよ!」


 えへんと胸を張り、イニス。


「……てつおさん」


 私はその名前を反芻した。「お」はどこから来たんだろう。


「え、宇宙船は? これに乗って飛べるの?」

「はあ? 飛べるわけ無いでしょ」


 思わず問うと、イニスは思いっきり呆れたような表情を浮かべてみせた。


「この前計画書を見せたじゃない。ノラ、計画書」

「はい、イニス先生」


 パタパタとノーラは本棚へ駆けていって分厚い本を一冊取り出すと、胸に抱えて持ってくる。


「ここです」


 そしてやたら複雑な工程表を示してみせた。


「先生、もしかしなくても全然理解してなかったでしょ……先生の言う、空の果て、宇宙とかいうところを進む船に必要な技術や発明は、わたしが思いつく限りでこのくらいはある」


 ずらりと並んだ文章をイニスが指し示すけど、複雑な専門用語が多すぎていまいちピンとこない。けれど、膨大な量があることだけはわかった。


「で、今回できたのは、これ」


 そしてその中の一番目を彼女は指さした。そこに書かれていた文字はたった三文字。私にさえ理解できる、シンプルな一文。


「労働力……?」

「そう。休まず、疲れず、間違わない。そんな労働力が、何はなくとも必要なの」


 それが、これか。私は改めて鉄人形を見た。


「けれどこんなものなら、イニスは以前から操ってなかったっけ?」

「一号や二号と一緒にされちゃあ困るんだよねえ。さあ行くよ、てつおさん……起動Awakeっ!」


 イニスがソファを浮かせて、ぽちりと鉄人形の額にあるボタンを押した。途端、ブンと音がして鉄人形の瞳が青く光る。そして、ぎこちなく立ち上がった。


「てつおさん。先生を持ち上げて」


 イニスがそう命じると、鉄人形はおもむろに私に腕を伸ばす。そしてひょいと持ち上げた。


「うわっ、ちょ、イニス、下ろしてくれ!」


 反射的にそう叫ぶと、イニスがなにかするまでもなく、鉄人形はそっと私を地面に下ろした。


「え……? まさか、今のは」

「だから言ったでしょ。鉄人形第三号自律型。略しててつおさんだって」


 自律型。つまり、自分で考え動くってことか。それって、まるで……


「ゴーレムじゃないか」


 驚きを持って、私はてつおさんを見上げた。


「ちなみにこれには、付与魔術しか使ってません」


 してやったりとばかりに笑みを見せながら、イニスはそう言う。


「精霊で動いてるわけじゃないってこと!?」

「言ったでしょ。休まず、疲れず、間違わない労働力が必要だって。精霊じゃ駄目だし、人でも駄目なの」


 付与魔術の特徴は、誰がどう使っても厳密に同じ結果が起こるということだ。常に暴走の危険性を孕んだ精霊と違って、付与魔術仕掛けのゴーレムなら確かに間違うことはない。


 感嘆のため息を付きつつ、私はそれを見つめ……


「これが、一個目だって?」


 不意に我に返って、そう問うた。


「そうね。この子は便利だけど命令されなきゃ何もできないし、判断力も精霊ほどあるわけじゃない。単純なことしかできない。これからこの子を量産して労力を確保しつつ、それぞれの分野の基礎研究。その技術を可能にするための技術を可能にするための技術を可能にしなきゃいけない。言うなれば、この子は……材料の材料の材料の材料の材料の材料、くらいね」


 その途方もない話に、私は意識がくらりとした。


「……それってどのくらいかかるのかな」

「さあ? 千年くらいあればなんとかなるんじゃない?」


 私が今まで生きてきた時間と同じなんだけど、それ。

 あっさりと答えるイニスにんげんの時間感覚に、ドラゴンは初めて絶句したのだった。

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