第8話 屍鬼/Ghoul

「ぼくもいるよっ!」


 快活な声とともに赤い髪がなびき、黒曜石を嵌めた石剣が振るわれる。

 すると、まるで魔法のように喉の痛みが消えた。

 切っ先すらない大振りな石剣の刃で、一体どうやったのか。私の喉に潜り込んだ翼蛇の頭を、ユウカはそっくり取り除いていた。


「うわ、何これ」


 剣から打ち捨てられてなお、ガチガチと牙を鳴らす翼蛇に、ユウカは顔をしかめる。

 その背後で、ニーナの作り出した蔓をブチブチと引きちぎって、鎧熊が爪を振るう。


「ユウカさん、後……! ろ……」


 アラが警告の叫び声をあげようとして、それは尻すぼみに立ち消えた。ユウカが振り向きもせず石剣を振るったかと思うと、鎧熊の身体が全身バラバラにちぎれとんだからだ。


「うーん、ここまでしても死なないね」


 顔だけで飛んでくる鎧熊の牙を叩き折りながら、ユウカは歩を進める。ニーナがティアの治療に入ったせいか、次々と死骸たちは蔓の束縛から抜け出してユウカに襲いかかった。


「先生」


 アラが私の方に近寄ってきて、声を掛ける。


「俺には何が起こってるのかわからないんですが」

「安心してくれ」


 私は教師らしく、自信を持ってそれに答えた。


「私にもまったくわからない」


 ユウカの歩みはあまりにも無造作で、素人目には隙だらけに見える。きょろきょろと死骸を覗き込んでは首を傾げたり、考え込んだりするその様は、まるでウィンドウショッピングでもしているかのようだ。


 なのに、彼女に襲いかかる無数の猛獣たちの爪と牙はまるでその身体に触れられず、すれ違う度にバラバラになっていくのである。


 目にも留まらぬ速さ、というのなら、まだ理解できたかも知れない。けれど、ユウカの動きはおおよそ全て見えている。もしかしたら私にもあのくらいできるんじゃないか、と思ってしまうほどの平易さで、彼女は攻撃をかわし、剣をただ置くかのように構えて、獣たちを切り捨てていく。


 いくら死骸で腐りかけているからって、腱もあれば骨もあるはずの獣たちをだ。


「ねえお兄ちゃん、これ、どうしたらいいんだろ」


 だが、そんな彼女でも困ったように眉を寄せ、私を見た。

 バラバラに切られた獣たちは、しかしその手足をまるで粘土細工のようにくっつけて、再びユウカに襲いかかってくる。


「うーん。よいしょ」


 ユウカの視線が、一瞬鋭さを帯びる。かと思った次の瞬間には、鎧熊はまるで微塵切りでもされたかのように無数の肉片に変わっていた。


「うわっ、余計に気持ち悪くなった!」


 だが、駄目だ。そこまで粉々にしてなお、それは互いにくっつきあい、復元する。だがそれは直るという意味合いではない。肉片がまるでハンバーグの種のように集まり合い、おおよそ獣のような形をとるだけ。もはやそれは、元々何の生き物なのかもわからない、巨大な肉の塊だった。


「……まずいよ、先生」


 イニスがソファを私に寄せて、囁くように言った。


「ユウカさんでも倒せないんじゃ、あれ、倒すの無理なんじゃない?」


 今の所、ユウカの動きに不安なところはない。どれだけ襲いかかられても、危なげなくその攻撃をいなし、切り捨てているように見える。だがどれだけ切っても動きを止めない敵に、やがては彼女も疲れるだろう。そうなる前に、何か手立てを考えないと。


「……何か、引っかかってるんだ」


 私は目を細めて言った。


「何か……凄く、簡単なことを見落としているような」


 火は、多分効かない。あれだけ粉微塵にしても動くんだ、全身を灰にしたって同じだろう。もし灰になっても同じように動くなら、それこそ手がつけられない。まだしも形があるからユウカだってそれを押し留めていられるし、避けていられる。


 ユウカですら倒せず、ティアも大怪我を負ってしまうような相手なのだ。

 切っても突いても潰してもすぐに元に戻るし、燃やしたり凍らせたりしたって無駄……


「……待てよ」


 私はハッと気づいて、ニーナに向き直った。


「ニーナ。ティアの容態はどう?」

「……大丈夫よ。見た目ほど酷い傷じゃない。あんな不潔そうな獣に齧られて、病気にならないかどうかだけが心配だけど……小妖精は病には異常に強いから、多分大丈夫でしょ」


 汗を拭い、ニーナは手早くティアの身体に包帯を巻く。人間用の包帯を巻かれたティアは、あっという間にミイラのようになった。


「ティア、怪我してる所悪いんだけど、一つ聞かせてくれないか?」

「どうぞ」


 流石にいつものような憎まれ口を叩く余裕もないのか、ティアはルフルの手の上でぐったりとしながら素直に言う。


「なんで君は、そんな怪我をしてしまったんだ?」

「……油断、してたのよ」


 私の問いに、彼女は盛大に顔をしかめる。


「まさか、私の隠形がまったく効かないなんて、思わなかったから」


 やっぱり、そうか!


「ありがとう! なんとかなるかも知れない」

「はあ? なんで私の恥を晒したらそれで何とかなるってのよ」


 不機嫌そうに頬を膨らませるティアに、私は嬉しくなって笑った。彼女も調子が出てきたようだ。


「ユウカ! 多分、倒し方がわかった!」

「さっすがお兄ちゃん! で、どうしたらいいの?」


 ティアの隠形を見破れるものは、三種類いる。

 一つ目は、光。音も匂いも立てない彼女の隠形は、強い光に照らされると影が現れてしまう。

 二つ目は、ユウカ。子供の頃から彼女は、何故かティアの隠形をひと目で見抜く。


 そして三つ目は、精霊だ。魔法そのものである精霊には、隠形は効かない。


「獣たちの、腹を切ってくれ!」


 だが目の前にいる死骸たちは、明らかに肉体を持っている。精霊は切っても血を流したりしないし、すえたような腐臭は肉の腐る匂い。身体があるからこそする匂いだ。


「切ったよっ」


 ユウカが叫ぶと同時に、死骸たちの腹が……もしくは、腹と思われる場所が一斉に切り裂かれた。


「汝ら、滅びた肉体に宿りしもの、骸を動かす黒きものどもよ! 穢れしその器から立ち去れ!」


 私は、そうした存在を知っている。


「汝らが名は、グール!」


 私がその名を呼んだ途端、死骸たちの腹から黒い霧のようなものが噴出した。

 それはわだかまり、徐々に形を作ると、人のような姿をとる。


 身長は一メートル程度だろうか。

 黒い影のようで輪郭ははっきりしないが、鬼のような姿の人型の精霊だ。


「ユウカ! 首を落とせ!」

「はぁいっ!」


 一陣の赤い風が吹き抜けたかと思うと、次の瞬間にはグールたちは全員首を落とされ、煙のように霧散した。


 グール。前世で、私が生きていた時代では、RPGに出てくる屍肉を食らう鬼の一種として定着していた魔物の名前だが、元々はアラビアの伝承に出てくる精霊の一種だ。


 ランプの精霊でよく知られているジンと呼ばれる魔神……その中でももっとも低級なものは、死体に取り付き悪さをするという。これがグールだ。


 グールは高い不死性を持ち、どんなに切られても死なないが、唯一腹だけは再生できない。しかし腹を切った後、もう一度腹を切ると再生してしまうという。ユウカに首を切るよう言ったのはそのためだ。


 勿論私の知識にあるグールと同じ弱点、能力を持っているとは限らないのだが、私がグールと名付けた時点で似た性質を持つようになっているはずだ。


 グールたちがとけて消えると、死骸も崩れ落ち、動かなくなった。


「何とか、なったか……」


 私は人の姿に戻ると、その場に座り込んで深く息を吐く。

 途端、忘れていた喉の傷がずきりと痛んだ。


「ほら、あんたも見せて」


 既にルフルの治療も終えたニーナが、私の顎をぐいと引いて真剣な眼差しを向ける。


 ……こうしてじっくり見ると、美少女だよなあ。傷の治療をされている間、手持ち無沙汰になった私はニーナの顔を見てぼんやりとそんなことを思った。


 普段ずっと目にしているから完全に麻痺してしまっていたが、改めて見てみるとニーナは物凄い美人だ。かつてのあどけなさはだいぶなりを潜め、その代わりに大人びた麗しさが増して、凄く綺麗になった気がする。


 まあ、身体の一部は結局殆ど成長してないけど。


「おしまい!」

「うぐっ」


 考えを読んだかのように、処置を終えたニーナは乱暴に私を叩く。それはダイレクトに傷に響き、私は呻き声をあげた。


「ニーナ……」

「何?」


 恨みがましい視線を送ると、ニーナは不機嫌そうな瞳で私を見た。あ、これは本気で怒っている時の目だ。あまり表情に変化がないが、私にはわかる。やはりどうやってか、考えを読まれたらしい。


「何でもない、ありがとう」

「別に」


 礼を言うと、彼女は鼻を鳴らしてつまらなさそうにそっぽを向いた。


「それより……今の化け物。あの森の中から来たの?」

「うん。この森で木を切ろうと思って、今日はティアと下見にきたの。そしたら、急に森の中からおばけが出てきて……」


 ルフルの言葉に、ニーナは表情を険しくする。その理由は、私にもわかった。


「ルフル。悪いんだけど、アラたちと一緒に、彼らを弔ってやってくれないか?」

「うん。わかった」


 辺りに散らばった動物たちの死骸を指して言うと、ルフルは少し不思議そうな顔をしながらも素直にうなずく。


「じゃあ、行こうか」


 振り返ると、ニーナとユウカが硬い表情で頷いた。

 多分二人とも、どうなっているか薄々察しているのだろう。


 三人で森の中に分け入り、踏み固められた道を歩いていく。


「ああ……」


 そして、広がる光景に私は思わず声を漏らした。


 森から数分の場所にあったのは、幾つかの小屋。


 ――そして、血溜まりに横たわる、幾人かの男女だった。


 ルフルたちよりも早く、グールに襲われたのだろう。

 脈をとって確認するまでもなく、息絶えている。


 私はそう思ったが、ニーナは血溜まりの中に跪くと、一人ひとり触れて生死を確認し始めた。


「ニーナ……?」

「生き残りを、探す」


 断固とした表情で、彼女は言う。

 この惨状で生き残っている人がいるとは、とても思えない。


「わかった」


 けれど私はそう答え、ユウカと頷きあった。


 ニーナと違って医学の心得はまるでない私だけれど、それでも人が生きているか死んでいるかくらいはわかる。一人ひとり、僅かでも息が残っていないか確認していく。


 この森に人が住んでいるのは知っていた。けれど私は、彼らの名前までは知らない。

 ほんの百年くらい前までは、そんなことはなかった。私はヒイロ村で生まれ死んでいく人々の顔と名前を全て覚えていたし、その生と死をいつも見守ってきた。


 けれど、精霊が普及し始めた辺りからだろうか。生活は今までに比べ格段に安定し、また、他の種族からの流入者もずいぶんと増えて、村は大きくなった。


 ニーナの弟子も医者として次々と育っていって、全ての子供をニーナが取り上げるなんてこともなくなった。

 それは少し寂しいことだったけれど、仕方ないことだとも思っていた。


 ――けれど。


 恐怖に見開かれた遺体の赤い瞳を、そっと閉じてやる。

 赤髪赤目は剣部の特徴だ。彼らもまた、ユウカの遠縁だったのかも知れない。

 もはやそれすら、私にはわからない。


 わかってあげられないことが、たまらなく悲しく、いたましかった。


「いた……!」


 ニーナの叫び声が聞こえたのは、そんな折のことだ。


「生きてる! この子、生きてるわ!」


 彼女が抱きかかえてきたのは、まだ首も座らないほどに小さな赤ちゃんだった。

 その身体はあまりにも小さく、弱く儚い。まだ目もろくに見えないだろう。


 けれど……すやすやと寝息を立てるその赤ん坊は、間違いなく、生きていた。

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