第3話 罠/Fall a Trap

 紙。

 それこそは、人類の英知そのもの……あるいは、原点と言っていい。


 言葉を喋る動物は、人類の他にもいる。

 鳥や一部の哺乳類が声でコミュニケーションを取る事はよく知られているし、一部の類人猿に至っては手話で人間と話すことさえ出来る。


 道具を使う生き物も、また人間だけではない。

 チンパンジーは小枝を使ってシロアリを釣りだして食べるし、カラスだって硬い木の実を割るのに石を使ったりするそうだ。


 けれど、文字を残し、時間と空間を隔てた相手に己の意思を伝えるすべを持っているのは人類だけだった。


 紙の普及はそれを爆発的に広め、人類の文明を大きく進める働きをした。

 そうして人々が起こった出来事を書き留め、後世に残すようになった時代。


 ――それを、有史と呼ぶのだ。


 そういう意味では、この世界は未だ先史時代である。

 文字自体は存在してはいるものの、それを書き留める媒体に乏しいのだ。


 ……まあ、私を含めてずっと生きてそうな生き物が沢山いるから、本当に先史時代と呼んでいいのかわからないけれど。


 ヒイロ村で主に書き物に使われているのは、木簡とパピルスだ。

 パピルスといっても、古代エジプトで使われていたというそれと同じものではないだろう。私がうろ覚えの知識を元にして、名前も知れない草で作った紙のような何かだ。


 木簡は手軽で書きやすいのはいいのだけど、とにかく嵩張る。

 パピルスは薄くて軽いのだが、その反面耐久性に難があった。


 しなやかさに欠けているから折るとすぐにちぎれてしまうし、そのままにしていても十年も保たない。折れないから、纏めて冊子にするような事もできない。すぐにぼろぼろになってしまう。


 その上、作るのにも非常に手間がかかった。草の皮を剥いで薄く切りそろえ、水に浸して何日か置き、一本一本丁寧に並べて押しつぶし、脱水と乾燥に更に一週間から二週間かかる。


 そういった細かな工程を魔法で短縮するのも難しくて、実際パピルスは殆ど使われていない。だいたい木簡で事足りてしまうからだ。


 けれど、大学を作り高度な研究を始めるとなればそうも言っていられない。研究のすべてを記憶するなんて竜の頭でも不可能だし、そもそも私以外の研究者の力を借りるために大学を作るのだ。


 丈夫で長持ちし、それでいてかさばらず、大量に生産できる紙が必要だった。


「リン、そっちに行ったよ!」

「うんっ、任せてせんせー!」


 そんなわけで、私とリンは狩りへと繰り出していた。


 リンは鞄から素早く革袋を引き抜くと、蓋をピンと指で弾いて開ける。

 途端、その口からまるで蛇のように水が飛び出して、逃げる牛を捕らえた。


 牛と言っても、まるで槍のように鋭い角を三本も生やした巨大な動物だ。

 実物を見たことはないけれど、むしろトリケラトプスに似ているのかもしれない。

 非常に獰猛で力も強いだろうその生き物を、ふわふわと宙を揺蕩う水の縄が縛りつけるのは実に奇妙な光景だった。


「ありがとう、リン!」


 私は竜の姿のまま、動きを封じられた三角牛の首を一思いに手折る。ゴキリと鈍い音がして、三角牛は一瞬にして命を失った。久々の狩りではあるけど、勘は鈍ってないようだ。


「今度こそ、使えるといいね」

「うん。多分年老いた個体だから、皮の質自体は柔らかくて適しているとは思うんだけど……」


 この狩りの目的は、肉ではなく皮だ。

 私は、羊皮紙を作ろうとしていた。


 羊皮紙といっても、なにもその材料は羊に限ったことではない。

 羊の他にも山羊や牛、豚や鹿など様々な動物の皮が使われていた。

 動物の皮で作った紙は現代人が慣れ親しんだ紙に比べれば作るのに手間が掛かるし使いづらい。けれど、圧倒的に丈夫で長持ちした。何せ千年以上前のものさえ現存していたのだ。植物由来の紙では、そうはいかない。


 何故私がそんなことに詳しいかと言えば、前世で実際に作ったことがあるからだ。

 羊皮紙というのは動物の皮を材料としている関係上、どうしても四角く成形する過程で端切れが出る。それを何に使うかと言うと、魔法の護符にするのだ。


 護符と言っても大したものではない。多分、神社で売られているお守りみたいなものだろう。けれど前世の私は、魔法に関することはどんな些細なことでも一度は実践していた。羊皮紙での護符作りも例外ではない。


 わざわざ仔羊を買い付け、職人さんに習いながら解体から脱毛、仕上げまで自力でこなしたことがある。お陰で作り方はバッチリだった。


 問題なのは、材料の方だ。私は最初、村で家畜化に成功した六脚山羊の皮で作ろうとしたのだが、白い毛を剥いで現れた皮膚はまるで墨のように真っ黒だった。これでは、とてもじゃないが文字を書くことなど出来ない。


 ならばと試したもう一種、大角鹿の皮は深みのある青。

 他の動物達も皆鮮やかな色ばかりで、白どころか薄い褐色のような色さえない。

 どう考えても、文字を書く紙には不向きな色ばかり。

 そんなわけで、私はリンと共に皮の白い動物を探して飛び回っていた。


「……駄目だ。今度は、綺麗な黄色だ」


 爪の先で三角牛の毛を丁寧に削ぎ落とし、その下に現れた鮮やかな皮膚の色に私は深くため息を付いた。せめてもう少し薄ければ使えそうなのに、三角牛の皮は蜜柑のような濃いオレンジをしていた。


「次は、あっちの谷かな。えーと、確か脚が六本ある動物がいたよ」

「よし、行ってみよう」


 使えないとは言え殺したものを打ち捨てるのも忍びなく、私は三角牛の死骸を背に載せ、翼を広げて飛びだつ。リンもまた、その腰ヒレを大きく広げて空を飛んだ。腰ヒレは広げたまま殆ど動かさず、尾ビレをくねらせて飛ぶさまはまるで空中を泳いでいるかのようだ。


 鹿、山羊、兎、猪、その他諸々。私の知りうる範囲の動物はあらかた試してみたが、羊皮紙に向く白い肌の動物はいなかった。どの動物たちも毛並みはそこまで変わった色をしているわけじゃないのに、毛を剥ぐと途端に鮮やかな色の皮膚が露出する。


 知っている獣の中にいないのであれば、知らない獣で試すしかない。

 幸いにして、数十年あちこちを旅していたリンは私も知らない動植物をたくさん見知っていた。


「あ、ほら、あれあれ」

「なるほど、確かに脚が六本あるけど……」


 難点は、その記憶がかなり胡乱であることだ。

 私はリンが指し示した猛獣を見て、ぼやくように言った。


 猫と犬の間の子のような顔をしたその生き物は、腰から先が別れて二つの上半身を持っていた。後ろ足は二つ、前脚は四本並んでいて、当然その先についた頭も二つある。まるでギリシャ神話に出て来る怪物、オルトロスみたいだ。


 脚が六本って言うから二本ずつ三対六本並んでいるかと思ったら双頭の獣とか、予想外過ぎるだろ。その顔つきと、生えそろった牙を見れば三角牛など比較にならないほど獰猛なのは間違いない。


 身体も相当大きくて、リンくらいなら二口くらいで食べてしまいそうだ。いや、口も二つあるから、一口か。


「さっきの水で、あれ止められる?」

「うーん、ちょっと無理かも」


 空中を旋回しながら、私とリンは算段を立てる。

 単に仕留めるだけであれば割りと簡単なんだけど、皮が目的となると途端に難しい。出来る限り傷をつけずに仕留めなければならないからだ。


 大概の動物は、今の私の姿を見れば逃げ出す。それは猛獣でも同じことだ。

 かといって人間の姿だとうっかり殺されかねないし、リンを囮にするわけにもいかない。


 逃げる相手を傷つけず捕らえるのは、ただ殺す事の何倍も難しかった。


「……よし。じゃあその手でいこう。ただし危なくなったらちゃんと逃げること」

「うん、任せておいて!」


 力強く答えるリンの姿に一抹の不安を抱くものの、彼女も立派に一人旅をこなした経験があるのだ。そう自分を納得させて、私たちは互いに配置についた。


『いいよー』


 ややあって、耳元の鱗が震えリンの声が聞こえてくる。こうした狩りの時、鱗を通じた通信はとても便利だ。


『オーケイ。いくよ』


 私は翼を畳んで一気に急降下すると、双頭の獣――オルトロスでいいか。その目の前に轟音を立てながら降り立った。

 獣の判断は早い。オルトロスはこちらを威嚇するようなこともなく、即座に身を翻して駆け出した。左右を渓谷に囲まれた谷間だ。逃げられるのは一方向で、その先にはリンの姿があった。


「今だ!」


 私が叫ぶと同時、リンが地面に手のひらをつける。光が地面に引かれた線を伝って走り、その先に繋がった魔法陣に伝わる。途端、地面が盛り上がって壁となり、魔法陣の上に駆け込んでいたオルトロスを閉じ込めた。


「やったぁっ!」

「リン、後ろだ!」


 快哉を叫ぶリンに、私は警告を発する。オルトロスは、二匹いたのだ。もう一匹がリンの背後に忍び寄り、襲いかかろうとしていた。


 今から飛んでいっても間に合わない。ニ対四本の前脚に生えそろった鋭い爪が、彼女の身体に迫る。


「我が鱗よ、鎧となれ!」


 私は咄嗟にそう叫んだ。リンが髪につけた私の鱗が巨大化し、コート状に広がって彼女の身体を包み込む。

 オルトロスの爪が赤いコートに弾かれたその隙に、私は力いっぱい翼をはためかせ叫ぶ。


「グオオオオオオオオオオ!」


 轟く咆哮にオルトロスが身を竦ませた瞬間、ぶんと前脚でその首を薙ぎ払う。

 リンにとっては巨大な猛獣でも、私にしてみれば小型犬みたいなものだ。

 二つの首はぽんと飛んで、渓谷の壁面に叩きつけられトマトみたいにひしゃげた。


「リン、怪我はない!?」

「う、うん……」


 鱗で出来たコートの中からおずおずと現れるリンの無事な姿を見て、私はホッと安堵の息を漏らす。最近人間の姿ばかり取っていたせいもあって、うっかり炎がちらりと喉から漏れ出すほどだった。


「ごめん、見落としてた。ヒヤっとしたよ」


 咄嗟にやったけど、身体から外した鱗だけを変化させたのなんて初めてだ。上手くいって本当に良かった。仮にオルトロスの皮が羊皮紙に向いていたとしても、こんなに大変なんじゃ量産できそうもないな。


「せんせーって、本当に竜だったんだね」

「ええ、今更!?」


 ほとほと感心した、というような口調で言うリンに、私は逆にショックを受けた。

 まあ自分でも、竜らしくないとは思うけどさ……


 とりあえず魔法陣に捕らわれているオルトロスを仕留め、私はそれを背に乗せる。

 多分二匹のオルトロスは偶然そばにいたわけではなく、番か何かだったのだろう。

 片方が目立つ場所に陣取り、もう片方が隠れて狩りをするというわけだ。


 魔法陣からリンの手元にまで引かれた線は、魔導線と名付けたものだ。

 まあ別に何か工夫があるわけでもなくただの線でしかないんだけど、魔法陣に繋げると遠距離から魔法陣内に魔法を発動させることが出来る。


 これを用いた即席の罠を作ったわけだけど、まさか相手にも罠を張られているとは思わなかった。


「今日はもう帰ろう」

「うん。ちょっとびっくりして疲れちゃったから、せんせーに乗ってもいい?」

「ああ、どうぞ」


 私は首を伸ばしてリンを頭の上に乗せ、ヒイロ村へと向かって翼をはためかせる。

 いつも元気で怖いものなしみたいなリンでも、やっぱり死にかければそうなるんだな、なんて思いながら。


 ――なお、オルトロスの皮膚は燃える炎のような、鮮やかな赤であった。

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