エピ049「純粋な欲望の形」

次の日、「鐘森」は昼を過ぎても、美術教室に現れなかった。


俺と「アカリ先生」は二人きりでまったりと午前中を潰し、俺は「アカリ先生」に淹れてもらったジャスミン茶を飲みながら、家から持って来た文庫本を、心此処に有らずの侭、捲リ続けている。


そしてとうとう、俺は、昨日の夜から、ずっと気になっていた事を、「アカリ先生」に質問してみる事にした。



宗次朗:「先生って、…付き合っている人、居るんですか?」

アカリ:「もしそうだったら、どうするの?」


どうするの、って言われても、俺かなり年下だしなぁ、…って、違う!



宗次朗:「ちょっと、…聞いてみたかっただけなんですけどね、」

アカリ:「どうして、知りたかったの?」


どうして、って言われても、…どうして俺、「アカリ先生」の事が知りたかったんだろう?



宗次朗:「恋愛って、一体何なのか、俺判らなくなっちゃって。」


アカリ:「もともと何が恋愛かなんて、きちんと定義されている訳じゃ無いんじゃない。 人の数だけ、恋愛の形があっても良いと思う。」


そう、俺は、恋愛の正解が、知りたかったんだ。 決して「アカリ先生」のプライベートが、気になったとか、…ちょっとは、気になる。



宗次朗:「そうですよね、じゃあヒトはどうして恋愛するんでしょうか?」

アカリ:「それは、宗次朗が自分で考えて、自分で気付くべき事だと思うよ。」




ヒトが学習する方法には大きく分けて二種類ある。 一つは別の誰かから知識を導入するやり方、もう一つは実際に自分で経験して気付かせる=身にしみさせるやり方だ。


一般的な学校教育は多くの場合、知識導入型「インストラクション」の学習方法である。 もすれば、学習者は自分の学んでいる事の意味や自分の実生活との関連性とは全く関係なく、その知識や技術だけを記憶する事になる。


一方で、世間一般で「コーチング」と呼ばれているやり方は実際に経験して(イメージだけであったとしても)自分で気付かせるタイプの学習方法である。 此の場合コーチは知識や技術を教えるのではなく、学習者が自分で気付く為の切っ掛けを与えて「導く」事に専念する。


両者は等しく重要で、簡単に言えば予め「インストラクション」学習で知識を得て置いた方が、その後の「コーチンク」学習の効率・効果は何倍にも拡大する。


逆の言い方をすれば、「インストラクション」学習だけでは、得られた知識を十分に活用する事は難しい。


ヒトは他人から知識を得る事は出来るが、でもそれでは知っている事は出来ても、判った事にはならないからだ。


般若心経や聖書の意味を勉強して理解する事は出来るが、それらの教えに則って生きて行けるか否かは、本人が「自分の考え」として納得するかどうかに掛かっているのと同じ事だ。


ちゃんと自分で判って、実行出来る様になる為には、ヒトは自分で気付く以外に方法が無い。


アカリ先生が言いたかった事は、つまり、恋愛とは、聞いて判る物ではないと、そう言う事なのだろう。







アカリ:「もう、今日は来ないかもね、宗次朗も帰る?」


宗次朗:「俺、もう一寸待ってみます、鐘森、昨日別れ際に、「嫌なら、もう止めにするか」って聞こうとしたら、「違う」って、言ったんです。」


俺はあの時、「鐘森」が、何か、自分自身の中の何かと、向き合っている様に思えた。


それは、容易な事ではなくて、それには、きっと時間が必要なのだ、



アカリ:「そう、それじゃあ、…宗次朗に、取って置きの紅茶を淹れてあげる、」


そして恐らく「アカリ先生」は最初から、そんな「鐘森」の「変化」を期待してるのに違いなかった。


そう言って「アカリ先生」が立ち上がった、その時、…


愈々、「鐘森麗美」が、現れた。




アカリ:「いらっしゃい、」


「鐘森」は、黙った侭、A3版のスケッチブックを「アカリ先生」に手渡す。


「アカリ先生」は、中を数頁捲って、…にっこりと微笑んだ。



アカリ:「そう、頑張ったわね、…それで、これじゃ未だ、満足出来ないのね。」


「鐘森」は、辛そうに、不安そうに、「アカリ先生」の顔を伺いながら、コクリと頷いた。


一体何が、どんな絵が、其処には描かれているのだろうか? それは、俺をモデルにして描かれたもので有る筈だった、しかし「鐘森」は昨日、一度も俺の事を見なかった。 少なくとも、俺が教室で絵のモデルをやっている最中は、一度たりとも俺の方を見なかった。 それで「鐘森」は一体、どんな絵を、描いたのだろうか。




「アカリ先生」は、「鐘森」を教室に迎え入れて教室のドアの鍵を、掛けた。



アカリ:「宗次朗、準備してくれるかな。」


宗次朗:「はい、」


俺は、言われるままに、制服のシャツを脱いで、…



鐘森:「ああ、…うぅ、」


それで、もう「鐘森」は真っ赤になって、…俯いてしまう。



アカリ:「やっぱり、止めておく?」


「鐘森」は、じっと黙り込み、…





数分間を費やして、…





それで、漸く、首を横に振った。



アカリ:「宗次朗が、怖い?」

鐘森:「ち、がう、…」


アカリ:「宗次朗が、嫌い?」

鐘森:「ちが、う、…」


アカリ:「宗次朗の裸は、醜い?」

鐘森:「ちがう、…」


アカリ:「それなのに、宗次朗の事を見るのが、怖いの?」


「鐘森」は、その問いには答えずに、黙った侭、コクリと、…頷いた。



宗次朗:「鐘森、俺の事を心配してくれているなら、もう大丈夫だぞ、裸になるのも慣れた。…って言うか、別に、お前になら、見られても良いかなって、…」


「アカリ先生」が、俺の事を見て、あの「優しい」眼差しで、…微笑む。


「鐘森」は、真っ赤な顔を必死に勇気を振り絞って、俺の方に、…向ける。…もう、疾っくに、半べそだった。



鐘森:「嫌い、…」


鐘森:「…なる?」


宗次朗:「え?」



鐘森:「そうじろう、…麗美の、こと、…嫌い、…なる?」




恥ずかしいとは、自分自身を拘束する呪いの気持ちだ、…


多分「鐘森」は俺に好意を抱いてくれているのだろう。 だから俺の事を、きっともっと知りたい、見たいと、思った。


でも、そんな原始的で根源的な情動を吹き飛ばしてしまう位に、それ以上に、俺の裸を見る「鐘森」を俺に見られる事が、「鐘森」には、…怖かったのだ。


そんな、イケナイ自分を見て、嫌われるのが、怖かったのだ。







宗次朗:「嫌いには、ならないよ、でも、…困った奴だな。」


鐘森:「嫌い、ならない? …でも、困る?」


「鐘森」は、何時もと同じ、不安そうな眼差しで、俺に上目遣いする。



宗次朗:「これでも、俺は先輩なんだからな、…呼び捨ては、駄目だろう?」


鐘森:「せんぱい、」





「アカリ先生」は、何処からとも無く取り出したショットグラスを「鐘森」に手渡した。



アカリ:「落ち着くから、飲みなさい。」


…って、それって? もしかして!


「鐘森」は、恐る恐る、ショットグラスに注がれた透明な液体に舌を触れ、それから、一気にそれを飲み干した。



アカリ:「宗次朗、もう大丈夫だから、準備をお願い。」


俺は、昨日と同じ行程で、服を脱いで、…


ところが、昨日とは明らかに違って、一部の海綿体への血液集中が、…止まらない、、



宗次朗:「あの、…ですね、一寸、問題が、…」


アカリ:「大丈夫、それで良い。 その侭で、良いの。」



何が、昨日と違う? いや、そんなのは判っている。


未だ俯いた侭だとはいえ、「鐘森」が俺の事を、必死に見ようとしている、その意志が俺には「見える」、「判る」、それで、それが、俺を、どうしようもなく無自覚に、反応させるのだ。


俺は、何を、期待している? 何を、欲しがっている? …「鐘森」に見られる事が、どうしてこんなにも、俺を熱り立たせる?んだ?


昨日だって「アカリ先生」に、見られていた筈なのに、こんな風にはならなかった。


もしかして、俺は、俺の身体は、…「鐘森」の事が、…


欲しいのか?




何故、どうして?


いや、判る。 本当は、ひしひしと感じている。


「鐘森」が、俺の事を、知りたがっている、欲しがっているからだ。


その俯いたままの突き刺さる様な視線が、俺を、無自覚に、…期待させる。




そして、「アカリ先生」が、「鐘森」にこっそりと、何かを、耳打ちする。


何を?…



それから、初めて、「鐘森」が、俺の事を、裸になった俺の姿を、…見た。


まだ、恥ずかしそうに、恐る恐る、チラチラと、視線を逸らしながら、やがて、少しずつ、俺の事を、上目遣いに、…直視する。



それから、…


行成り「鐘森」は、…自分の着ている物を、脱ぎ始めた。

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