エピ047「羞恥心」
宗次朗:「これは本当に必要な事なんですよね、」
アカリ:「宗次朗が嫌なら、無理はしなくても良いよ、」
普段は二つの教室を
よく晴れたGWの気温は未だ昼前だと言うのに既に26℃を越えていたが、部屋の中はエアコンで室温調整されていて、しかも部屋の四隅には何だか良い匂いのするアロマキャンドルまで焚かれているから決して不快ではない。
唯一つの状況を覗けば、…
教室の真ん中に置かれた縦3m×横4m×高さ20cm位台の上に一般教室用の木の椅子が一つ。
俺は、これから素っ裸で、其処に座らされる事になるらしい。
いや、前々から聞いていた話だし、勿論覚悟は決めて来たつもりだった。 学校に来る前に3回は抜いて来たし、それからちゃんとシャワーも浴びて、全身綺麗にして来た。 …でもいざとなると、矢張り、…
アカリ:「普通ならポーズと時間を決めるのだけれど、宗次朗はプロのモデルではないし、今日の課題は
アカリ:「絶対に、性器を隠さないで。」
「アカリ先生」の眼差しは、何時に無く、…「真剣」だった。
宗次朗:「いや、正直恥ずかしいですよ、」
アカリ:「大丈夫、宗次朗の身体に、恥じるべき部分なんて一つも無いよ。」
宗次朗:「先生は、ヌードデッサンとかで、こう言うの慣れてるんでしょうけど、…」
アカリ:「そうじゃない。 宗次朗だから、愛おしいんだよ。」
「アカリ先生」の眼差しは、何時にも増して、…「優しげ」だった。
見詰められているだけで、見透かされている、それでいて赦されている、受け容れられている。 もしかすると「諦め」の様な「蔑み」の様な、そんな優しげな視線に「癒し」を感じてしまう俺ってもしかして、…「M」、なのか??
宗次朗:「また、そうやって、俺を乗せようとする。」
アカリ:「恥ずかしいと思うのは、最初の15分程だけ、それで直ぐに慣れるわ。」
アカリ:「さあ、…」
俺は、最後の覚悟の覚悟を決めて、最後に一枚残ったトランクスを脱いで、…とうとう、素っ裸になった。
それでも全裸を、他人に、しかもちょっと憧れている美人の女教師に見られると言う状況は、…やっぱり恥ずかしいのである。
どうしたって、俺は、股間を手で隠してしまう訳で、…
アカリ:「そんなに恥ずかしいのなら、…私も裸になろうか?」
宗次朗:「いや、駄目です、そんな事したら、…恥ずかしいだけじゃ済まなくなるから!」
そんな事を想像しただけで、勃起しそうになる自分が、信じられない! 恥ずかしい!、…恥ずかしい?
アカリ:「気分が悪くなったり、トイレに行きたくなったりしたら直ぐに教えてね、」
俺は、こんなにも自分が情けないモノ、頼りないモノである事を、改めて実感する。
ただ、服を脱いだ、それだけなのに。
だから、だからこそ、虚栄を張りたくて、見栄を張りたくて、…俺は、とうとう、両手を、離して、…全身を大気に曝け出す。
チラリと覗き見たアカリ先生は、ほんの少し微笑んで、それから教室の隅の椅子に腰掛けた。
俺は、教室の真ん中に用意された椅子に腰掛けて、大きく溜息を吐く。
本当に裸で居ると言うのは心許ないものなのだ、…
でも、こんなにも、冷静と平静を保っていられるのは、きっと「すず姉ちゃん」のお陰なのだと、改めて実感したりもする。 「すず姉ちゃん」との出来事が無ければ、多分俺は、こんな状況、…到底受け容れられなかったに違いない。
そして、落ち着いて考えてみれば、かつて人前で全裸を晒した事が全くなかったかと言えば、そんな事は無い。 温泉や銭湯に行けば当然全裸だし、もっと小さな子供の時は、母親と一緒に女湯に入った事だってある。
一体何時頃から、どうして裸を晒す事が恥ずかしいと思う様になったのだろう。
それとも、恥ずかしいと思うのは、今、この教室に居るのが、異性だからだろうか?
「恥じ」とは、自分自身に向けられる尖った意志である。…自分自身を戒め、拘束する、呪いの気持ちである。
「こんな事をするのは恥ずかしい事だ」、…
「こんなみっともない身体を衆目に晒すのは恥ずかしい事だ」、…
正直、俺はこれまでマトモに鍛えた事なんて無いからヒョロっと痩せているし、ちょっとすね毛が濃いのも実は気になっていたりする。 一部の皮が通常時には完全には剥けていないのも、世間一般的にはミットモナイと言うのかも知れない。
「アカリ先生」は、それでも「俺だから愛おしいのだ」と言ってくれた。 未熟な俺には大人の女性の真意は測りかねるのだが、それでもそれが「承認」の言葉で有る事に間違いは無い、彼女の言葉が、俺はこれで良いんだと判らせてくれる。
そもそも、誰の裸でも良いとか、誰の裸でも嫌とか言うモノではないのだ。 突然街中に現れた素っ裸の変質者には恐怖を覚えるし、愛し合っている夫婦はお互いの裸を見せ合う事にそれほど抵抗も無いのだろう。
そうして「アカリ先生」が俺を承認してくれるから、俺は、より一層自信をもって、こんな裸でも良いんだと思えて来たりする。 だから、本当に、15分も経たない内に、俺は、此の状況を恥ずかしいと思わなくなっていた。
ならば、もう一時間近く、教室の壁際に張り付いてずっと此方を見ない様に踞っている「鐘森麗美」は、一体何をそんなに、恥ずかしがっているのだろうか?
異性の裸を見る事は恥ずかしいか?
答えはNoである。
エッチな雑誌やビデオを「こっそりと見る」事は、興味と衝撃こそあれ、余り恥ずかしいとは思わない。
何故ならば、恥ずかしいとは、自分自身に向けられる気持ちだからだ。
こんな破廉恥な写真を覗き見する自分が恥ずかしい、と思う人間は、もともとそう言う物には近づかないだろう。 手に取って見たい、知りたいと思う時点で好奇心が恥ずかしさよりも勝っているのであって、それは極普通の感情だ。
普段は隠された部分や、特に性に関わる情報は、何時だって興味をそそるのである。
それは恐らく、ダイレクトに「生命」に関わるからだと思う。
心や生命を脅かす危険に対して脳は、何時も以上に敏感になる、逆に危険性が少ないと判った途端に興味と注意は散漫になる。 新鮮な初めての体験が衝撃的なのはその為だ。 子供よりも大人の方が時間の進み方が早く感じられる様になるのは、その為である。
生殖に関わる情報は遺伝子を後世に残すという理由でやはり重要事項である。 異性が生殖可能な状態であるか、女性が排卵期であるかを察知する為に、或は排卵可能な状態に導く為の雄と雌としての営みの為に、生き物は性に関わる情報に敏感であり、貪欲である。
これら原始的でダイレクトに生命に関わる事項は、当然、文明の進歩と共に培って来たヒトの羞恥心よりも多くの場合は優先的に取り扱われる。
ならば、何が恥ずかしいのか?
それは、異性の裸を見る事以上に「異性の裸を見ている自分を見られる事」が恥ずかしいのだ。
禁忌とされて、大切に隠されてきたモノを、盗み見る自分の姿を、イケナイ心を、見透かされるのが、恥ずかしいのである。
「鐘森」も、今日、ここでヌードデッサンが行われる事は承知の上で、学校迄来た筈なのだ。
それは、学校の課題であり、教師付き添いであり、そして相手が何処の誰とも判らない人間ではなくて「俺」だから、安全と正当性に対する理由づけは「鐘森」の異性に対する好奇心を擁護するに十分だった筈だ。
それでも、いざ、現場に来て、俺が衣服を脱ぎ始めた途端に、「鐘森」は、もうマトモに何一つ直視する事が出来なくなった。
当の「鐘森」が何一つ出来ないまま、時間だけが過ぎて行き、一回目の休憩時間を迎える。
俺は、ガウンを羽織って、「アカリ先生」が淹れてくれた紅茶を啜る。
「アカリ先生」は、何一つ「鐘森」を責める事はせずに、ただ、俺の体調だけを気遣ってくれる。
アカリ:「少し、時間がかかりそうだけど、大丈夫?」
俺は、黙ったまま、頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます