死地幕 プレイ・ザ・ホープ

 何も知らぬ大人たちが「天才児童立てこもり」と名を付けた事件の根本的真実を明かせば、それらは『天才児童』単独の犯行ではなかったと集約される。

 そして実際に全てを操った少年は、その時からトラブルメーカーを自称し始めた。

 トラブルメーカーの少年は、犯人とされた天才児童をデッドマン、仲間たちをバッドブリードやパブリックエネミー、ウォッチャーにストーリーテラーと呼び、それぞれの役割を果たさせることで完全犯罪を達成した。だが、実際に彼が犯した罪は何もない。ただ彼はシナリオを書き、ストーリーテラーの役目を言い渡された少年に伝えただけである。トラブルメーカーはシナリオライターの役割を担っていたが、彼はシナリオライターとして扱われることを嫌った。シナリオ単体はあくまでフェイク、現実となったトラブルこそが彼にとってのリアルだったからである。

 いいや、違う。彼にとって、現実に仮想との区別などなかった。

 現実と仮想の区別のない少年と言えば、きっと頭の悪い大人が大喜びで食いつくフレーズであろう。だが、それでも彼にとっては大人たちの言う現実こそが嘘まみれの虚像。そして仮想にこそ理想と呼ぶに値する、学ぶべき真理があった。彼は実在する仮想を愛した。現実に潜む嘘と仮想の中の真理。世間のルール。愛想笑いの仮面。それぞれの役割を演じる社会人。少年には、ばかを言う大人たちこそが似非の世界に生きている気がして仕方がなかったのである。

 皮肉なことにかつてトラブルメーカーと呼ばれた少年の行動理念は、「嘘を憎む」という、一般的には極めて正しいとされる心理によるものであった。

 だからストーリーテラーは、トラブルメーカーの想像をそのままに、人がそんな事をするはずがないと無根拠に妄信する愚かな大人たちに、真実の刃として突きつける。

 北原狂哉の死が報道された日のちょうど3年後、インターネット社会に投下されたひとつの無題のテキストファイルが、日本という国に突き付けられた真実の矛先。

 家庭でもできる簡単な詐欺紛いから、密室トリックを応用した脅迫行為。絶対に誤認逮捕させる殺人など、様々に応用可能な犯罪行為の一風変わった基礎が記されたテキスト。危険思想の肯定や詭弁論法を駆使。秩序ある平和な社会という仮初の世界に真っ向から反旗を翻す悪意。

 もちろん、その程度で世界の終わりなど始まることはない。今や詐欺の手口から麻薬の使用方法、空き巣や不正横領に至るまで、あらゆる悪事が真実の名の下、白日に晒される時代なのである。テレビを見ればほら、モザイク顔の関係者が野太い合成音声で誇らしげに昔の話と騙っているじゃあないか。

 嗚呼、世界はこんなにも人々の打算で蠢いていて。空は海はこんなにも綺麗で、それでも空気は汚れていって。人の心は醜さは、だからこそ美しいのか。

 そうあれかし。今が既に取り返しのつかない過去であり、まだ間に合うありのままの未来でもある。だからきっと、世界はこんなにも人生と物語で満ちている。世界の終わりはいつだって始まっていて。そこにはもう、真実とか嘘とかの境目はなくて、ただひたすらに現実で。目指した過去から、目指す未来へ。

 取り返しのつかない未来は変えられない。だが、その先の未来ならきっとまだ間に合う。




   死地幕 プレイ・ザ・ホープ




 必要なのはケジメであり、求められたのは決着であった。

 少なくとも、かつての仲間たちにこれから純粋な殺意を向けようとしている片倉雪斗の動機はそこに集約できる。舞原アゲハにしても、望んだのはその想いの決着。【被害者の会】の残りのメンバーも同様にそれぞれの決着であった。

 過去に壮絶な物語を経験をした者が、その経験に人生を左右されることがままあるように。生きる上で大切なのは決着なのであり、そこに大人子供の区別は無い。

 壮絶な物語には必ず未来がある。だがそうして至る果てに待つのが、真っ当な未来であることなど、そう多くはない。

 感情は、まるで麻薬のよう。過去に蝕まれ、過去以上の未来を求める罪深きサーガ。だから、その果てに幸せな未来など、待っているわけがなく。

 故に決着が、きっといつかどこかで、だけど絶対に必要なのである。

 決着には準備が求められる。唐突は運命に過ぎず、運命による決着などは不透明なそれ以上の価値はない。決着とはあくまで人の営み、その結果でなければならないのだ。準備する日々こそが人の営み、そのものなのだから。

 子どもたちはいつしか大人になり、そうして幸せを望むようになる。その時になって、ようやく過去に犯した罪に直面することがあるように。

 だが、罪に求められるのは清算ではない。罪など、たかが罪である。罰などは、あくまで人の法に過ぎないのだ。

 罪を犯した者たち、それでも彼らの人生は続く。本当の意味での罪など、己の心ひとつ。だから心にスジを通すということ。スジを通せなかった過去が即ち罪であるということ。

 罰も法も、全ては決着の手段である。ならば手段を問え。己が罪を贖うに値する決着をつけるには、いったい何をどうすればいい。人生が続く中で、何をすれば終わらないための決着というものが成立する。決着とは一体何だろうか。

 思うに決着とは、立ち止まっている心から目を逸らさず、見据え、享受し、そして再び背を向けて前へ歩き出すに至る事。

 北原狂哉の死、そこから決着の瞬間が本当の意味で走り出すまでに要した時間は3年。【被害者の会】の看板を掲げるだけで満足してきた者たちも、色あせる事の無い月日の中で、それぞれのごっこ遊びに決着を求めるに至る。

 それがどれほどの茶番を積み重ねようとも、それがたとえごっこ遊びの延長に過ぎなかったとしても。決着を求める意志のみが将来の幸せを引き寄せる事を、人はそもそも本能で知っている。だから、戦うのだろう。

 こうして、物語は準備期間を経て、終ぞ決着を目指す。心はいつだって、願い祈り誓う。

 だから、どれほどの罪が心を責めたてようとも、物語には、希望を。そしてどうか希望には、―――素敵な物語を。



 決着をつける方法など、初めからひとつしか無かった。

 暗闇と差す照明。ピエロと覆面レスラーの対峙。

 場所が場所なら、それはコメディ的な光景だろう。だが、ピエロが恐怖のシンボルとしてそこに或る時、そこは異空間。人智を超越した世界を描く。

 人生の茶番、その決着の場に、求めてられた皮肉。決着をつける方法など、初めからひとつしか無かったのである。 

「ふーん、狂哉を殺した奴の裁判終わったんやな」

「ああ。結局は自殺幇助と死体遺棄、自供通りの罪が言い渡されたらしい」

 世界では今日も子供たちが死に、大人たちが殺す世界。そして大人たちが死に、子供たちが殺す世界。世界は、人の死一つで一件落着などしないことを、少なくとも被害者は知っていた。

 片倉雪斗が北原狂哉を殺害した時、狂哉の荷物には尋常ならざる大金と、そして一冊のノートがあった。それは、芸人のネタ帳のようなもの。つまり、【トラブルメーカー】の整理した犯罪技巧が殴り書きされたノート。

 【トラブルメーカー】北原狂哉が死んだところで、世界は何も決着したりはしていない。

 片倉雪斗がインターネット上に挙げた北原狂哉のテキストも、決して世界を変えることはなかった。数えあげれば犯罪率に1%以下の変動はあったかもしれない。だが人は、犯罪がそもそも選択肢として手段として下の下であることを理解している。

「つくづくインターネットは便利やね。知りたい情報が世間的にはどうでもええ三面記事の隅っこモノやとしても、拾い上げる手間を省いてくれる。この無法こそが秩序ってね」

 人間には、死体消失などという眉唾ものの技術などは必要なかった。知識とはあくまで選択の余地に過ぎず、どれほどの罪を重ねたところで、知恵が背負う業は唯一無二の真理であるが故に、ただひたすらに孤高であること、それだけのみ、なのである。

 手段は、動機が無ければ求められない。だからこそ本来ならば言うまでもない真理。手段を選ぶ人が背負うべき罪、手段に罪を求めてはいけないということ。

 世間では今日も軽犯罪があり、凶悪犯罪が低年齢化し増加しているという印象を与える報道が繰り返される日常。だが罪人は法により裁かれる世界に変化は無い。

 それでも、【トラブルメーカーのノート】は、確かに世界ひとつの状況を変えていた。

「現在、社会問題にもなっている【ロペスピエーロ】ですが、先日も其の名を騙る凶悪事件が起きました。またピエロの仮装をした…」

 それはテキストに記載された中でも特に異彩を放った覆面崇拝のロジック。ロペスピエーロという道化。その本質は下手人の消失と混同を促す犯罪技巧であった。つまり不特定多数が処刑道化の皮を被ることで巻き起こる混沌、権利フリーの模倣犯。

 犯罪の総数は増減なし。しかし、じわりじわりと侵すように、北原狂哉の撒いた悪意は芽吹く。テレビが今日も無機質にニュースを垂れ流す。糞尿のように、誰かの肥やしになれ。

 民主主義、多数決の中で与えられた数の暴力という犯罪。全く関連性のない複数の事件に、無理やり点と点を繋ぐ線を引く一手。人の心理は、ドラマティックに支配されているが故に、それぞれが全く無関係という必然から目を逸らし、あくまで偶然を期待する。

 ロペスピエーロを騙る犯罪の棒グラフは徐々に、たが確実に天を目指す一方であった。

「運命は偶然では有り得ない、か」

 所詮後付。だが、世界は後付で廻る。廻っている。周ってきた挑む世界の構図、そのもの。


 昨年、新設されたプロレスリング団体「M&N」の旗揚げ一周年記念興業。そのメインを飾ったのが、片倉雪斗と十河豪の三十分一本勝負であった。二人が二人、純国産のプロレスラーとして恥じない技術を磨きあげて、恥じない地位に昇り詰めていたということ。

「あのアホから修羅の覆面は剥いだ。順番が色々と変わったけど、これでほんまにやりたかったことができるなー」

 二人が繰り返した通り魔行為、狼藉の数々と現場に残された【修羅】の覆面。

 世間は簡単に、現実と仮想を混同する。スポンサーが要る興行において、存在を不適切とされた者は迫害こそされて、歓迎されるはずもなく。今となっては、修羅は既に黒歴史。片倉雪斗は、その覆面を脱ぎ捨てることを余儀なくされていた。

 十河豪の目的は、ごっこ遊びの全てを終わらせること。

「つくづく袋小路まで事が進んだもんじゃ。ワシが連中にプロレスのやり方教えたったせいで、狂哉のガキがワシの教えたブレードジョブを使ったり、よくぞまぁ」

「…あのばかに、おしおきできる?」

「プロレス舐めんな、歩。プロレスは相手を屈服させる方向で進化した種目じゃ。手加減を知ってる人間からしたら、これほど拷問に向いたバリエーションのある格闘技はないぞ」

 破壊しない瀬戸際を責めるということ。破壊により相手の心を折っても意味はない。心を折る行為は、相手に己が弱さを認めさせる。相手の強さや負傷、精神状態。ありとあらゆる言い訳の余地もなく、ただ自身の弱さゆえに至りませんでしたと認めさせること。それが、プロレスリングと言われる奇跡のスポーツの本質。

 控室のドアが、ノックされた。

「さぁ、時間やね」

 こうして時計が処刑の時刻を指す。

 豪の入場は、雪斗の後と段取りされていた。だが入場ゲートへ移動しようとした豪の耳に入った雪斗の入場曲は、豪の神経を逆撫でるのに十分な音色。十河の父が使っていた【修羅】の入場曲。

 モニターに映ったのは、【修羅】の覆面をつけて大見栄を切る、雪斗の姿であった。

『あーっと、片倉雪斗、あの修羅の覆面をつけています。これはなんという不適切』

 安い実況ながら、使われた言葉、不適切とはなかなかに的を射ていた。世間が許さない。だからこそ今、あえての修羅は罷り通る!

「…やってくれるじゃねぇか、あの糞ガキ!」

 今宵の戦いは、こうして幕をあげる。

「やるやん、片倉。相変わらず、厭味たらしい茶番が好きな奴や」

 慌ただしく控室を飛び出した豪を見送った歩は、リングサイド席を確保するチケットをひらひらさせながら、呟いた。

「―――せやけど今日の主役は豪の兄貴がもらうで。」

 会場中、不吉に子供たちの笑い声が響いた。巨大スクリーンには吊るされたお人形さんが、背を向けてカラカラと揺れる。振り返ったその顔には、ピエロのメイク。

 うぇるかむ・とう・あうわ・たいむ・とぅ・えくすきゅーしょん。

 不謹慎極まる大歓声が轟く。言うまでもない、今宵の舞台、観衆が楽しむべきは、日常にあるまじき不謹慎なのだ。安い実況がありのままに吠えた。

『うわーっ、十河豪はロペスピエーロの格好で大見栄を切った登場です。これは不味いです。この二人、不適切なんてものでは説明がつきません。しかし二人とも、とてもイイ顔で笑っているーっ!』

 仮面を正面から被り入場する巨漢。リング上で待つ、純和風覆面の大男。

 修羅と処刑道化。つまるところ、二人の目的は一致する。―――つまり。

「「殺しに来たぜ!」」

 今がまさに、人生の因縁に、ケリをつける時。ゴングが鳴るや否や、片や覆面を、ならば仮面を、投げ捨てた。これが純粋な殺意の物語。殺す手段は命を奪うことだけでは無いと云う事。


 始まりはどちらかといえば地味なレスリングであった。組み合い、時折軽く蹴りを入れる。そうして徐々に優位に立った豪が雪斗をロープに振った。ロープに跳ね返る雪斗を豪はリング中央で受け止めると、そのまま後方へ投げっ放す。しかし雪斗は空中で体勢を整え、余裕を魅せながら着地をして魅せる。背後をとった雪斗は打点の高いドロップキックを叩き込んだ。しかし豪は多少グラついたが、大したことはない、とでも言いだけに振り替える。互いに、ダメージゼロ。

 それは一分に満たない攻防。しかし、客席に意気込みは伝わったのだろう。拍手が沸いた。

 しかし二人はそんな客席に対して同時に中指を立てる。そして再び向き合うと、今度は技術もクソも無い殴り合いが始めた。

互いの攻防力を魅せつけるかのように、交互に拳を打ち付ける。殴る。殴る。殴る。

 いつしか、キレのある攻撃力を魅せつける雪斗と、漢気のある耐久力を魅せつける豪の対比となっていた。一方的に殴りつける雪斗は、一瞬のスキをついてサミングをすると、さらに自身もロープの反動をつけて、クローズライン=ラリアットを叩き込む。鈍い衝撃音と同時に、豪の巨体がリングに沈んだ。今宵、初めてのダウンである。

 満足そうに余裕の表情を晒した雪斗は、観客に対して自分がベストであるとジェスチャーで誇示する。しかしその背後で、豪は何事もなかったかのように腹筋で起き上がった。

 試合前にした打ち合わせ、段取り通りの試合展開である。

「なんだかんだで、息ぴったりやね。あの良い年した馬鹿二人は」

 舞台裏のモニターで試合を見ていた歩が呟いた。そのまま、十河の罪、両親に想いを馳せる。

 十河兄妹の父親は修羅と呼ばれる覆面レスラーであった。そして"正体を隠す"目的という意味では、限りなく正しい覆面レスラーであったと言える。父には、正体を隠さなければリングに立てない理由があった。

 業界において、信頼とは最も重要なものである。信頼とは、全てを鵜呑みにする間柄という意味ではない。周囲の人間に対する振る舞いを常にコントロールすることで、「ああ、コイツは安っぽい行為をしないヤツだ」と思わせておくこと。そういう行為を積み重ねること。即ち信頼に求められるのはRESPECTの概念。逆に言えば、「安っぽいコイツとは、そんな無茶できない」と思われてしまえば、この業界では生きていけないのだ。

そうした業界において最も禁忌とされる行為がある。

 それが、裏切りに加担するということ。

 プロレスリングとは、喧嘩の強さを競うものではない。むしろ、記録に挑むアスリートといった方が近い側面もあるだろう。

 不可能と思われる行為を実行に移す。それは、まさにアスリートの所業そのものであろう。

 こういう事を言葉にする行為はまさしく野暮そのものである。全ては不文律であり、わざわざ口にするほどのものではない。

 だが、この業界には意図してそれを言葉にする暴挙がある。

 特にそうした不文律を無視する行為、掟破りでもない外道、―――それが掌返しの公開処刑スクリュージョブであった。

 それが、十河の罪の源泉。

 あの日、ストーリーを無視して完全な関節技を極めて勝利を手にした父。はたから見れば大番狂わせだが、実際は掌返しに過ぎなかったということ。

 取り返しのつかない罪を犯した父。金に目がくらんで、RESPECTの概念にケツを向けた父。マネージャーとして、それに加担した母。

 台本を無視して、負け試合を覆し、大一番で勝利を強奪する暴挙。掌返しの公開処刑スクリュージョブとは、シンプルに裏切りという言葉を指す。

「ほな、行こか。表舞台は任せた。舞台裏で応援もしない」

 豪には豪の理由があり、片倉雪斗におしおきをしようとしているように、歩にも歩の目的と打算があるということ。

 真剣勝負というフィクションの舞台裏で、表舞台に立てなかった者たちの戦いが始まろうとしていた。


 今宵に全員が決着の場を求めた事は偶然ではない。だが、必然でもない。ましてや運命でもない。―――ただ、相互理解の結果であった。

 席を立った十河歩は、駆け足でバックステージへ向かう。

 しかし最上階へ向かう非常階段で線の細いシルエットが揺らめいて、舞原アゲハが踊り場の死角から姿を現した。

「ごめんね、あゆ。ここから先は、通せない」

「…久しぶりやね、アゲハ。どこで会えるかと思ってわくわくしてたわ」

 余裕の軽口ではない、いつもの口調故に悲壮感すら漂うやりとり。古い友人同士、決別覚悟の再会。

「止めに来たで、アゲハ。あの男は、あんたが人生を棒に振るような価値のある男やない」

「そうだね。でも理屈じゃないの。友達が、助けてって言うなら私は助けたいと思う。ましてや、なおの事ってね」

「それこそ理屈やん。助ける言い訳を必死で探す、見苦しいったらないね」

 返す言葉も無い、とでも言いだけにアゲハも笑顔を見せた。

 微笑む二人にある、確固たる意志、もう立ち止まれないということ。

「ええよ、もう否定しいひん。アゲハはあんたのしたいようにするとええ」

「そうだね。…それでも私たちはともだちでいれたらいいな」

「あほ言いな。そんなん、ともだちに決まってるやろ」

 ともだちに定義はいらない。恋や愛ではない、繋がり。自分が自分でいられる相手であるということ。

「ありがと、あゆ。じゃあ、始めようか」

「これが最後のごっこ遊び、になるとええな。だからこそ精一杯に、役割を演じよか」

 生きることはいつだってトラブルメイキングだ。もしもそうでないのなら、きっとあなたは生きていない。死ぬこともできずに踊り続ける木偶人形なのだろう。

 生きることにはきっと、それだけでそれだけの価値がある。

 舞原アゲハは、陰陽のモチーフが描かれたカードを胸元から取り出すと、十河歩の足元へ向けて、少し外して投げた。

「…これからわたしは、この場所を爆破するつもりです」

 空を切ったカードは、歩の足元、傍らの木片を四散させていた。

「見ての通りでございますが、今のわたくし、副業として爆破専門のテロリストを営んでおります。見てください、このカード。特製の爆薬をふんだんに使用した特製のものでございます」

 舞原アゲハは身に纏った大仰な衣服を風になびかせて、階段の踊り場から歩を見下ろした。

「気持ち悪い口調で喋んな。アゲハには北原みたいな、ねちっこい真似、似合わへんで」

「そうだね、ちょっと雪斗の演出過剰が感染ったかな」

 歩の言葉にあっさりとアゲハは素にもどる。その余裕、全身から溢れ出るプレッシャーは一線級のテロリストにも匹敵する無機質な悲壮が漂っていた。

「今日集まったみんなを殺すよ。それが雪斗の目的で、死んだ狂哉くんの企みなんだってさ」

「…心底安くて無意味で愚かなテロやね。それで、何が変わる言うんや?」

 歩は心底の残念を溜息に込めた。しかし、俯く真似だけはしない。

「それに、まるで殺し慣れてる雰囲気や。友達に殺意示すんにも、躊躇いとかないん?」

「わたしたちなんて、これまで何度も小さな子供とか沢山巻き込んでる身じゃない。今更、友達は殺せないとか言って怯えて震えるキャラじゃないでしょ」

「…そうやったな、あんたは。そんでやらかした後に泣くタイプや。泣くことを覚悟してやらかすタイプやったもんな。昔からそういうとこ、けっこうかっけぇ思ってたもんやっ!」

 叫ぶと歩は担いでいたギターケースから中身を取り出した。機関銃か、もしくは愛しい死体を担ぐように優しく、その腕に抱くギター。

 そして、コードも押さえずにかき鳴らした。アゲハの表情が変わる。

「何のつもり?最後に一曲演らせてくれとかならお断りだよ」

 歩の目的は、シンプルに友情に起因する。大切な友達の恋路を、馬に蹴られてでも邪魔をしよう。生きるも死ぬも、それからの話だ。

「あんたがカードに爆薬仕込むよりもよっぽど手っ取り早いやり方や。こん中には大量の爆薬がつまっとる。古典的やけど、目には目を、や」

 確かに先ほど開放弦で鳴らされた不協和音は音に響きが無かった。

「少しばかり事情は変わるけど、うちも似たようなことを考えてココに来てる」

 手を組むという選択肢を選ばない女二人の対決。表舞台と同時進行で進む、舞台裏。

 それぞれの目的と願いを決して言葉にしないで進む行為。言い訳無用。罪を罪として犯せ。大切な世界は誰にも譲れない。それがどれほど共感に値しない行為であるとしても、今は動いて示せ。それぞれの希望を。

「まずは止めてみいや、うちの自殺行為。あんたは友達を自分で殺せても、友達の無駄死には見逃せへんタイプやろ?」

 人の心を変えてしまうような、せせらぎを荒らす唄。特定個人の心を刺す目的で描かれた言葉、届ける音楽。そして舞台。殺す歌。それは、いつだって愛の歌に基づく。


 試合が、動く。

 両肩に担ぐと、豪が雪斗をデスバレードライバーと呼ばれる大技でリングに叩きつけた。

 カウントツー。

 しかし雪斗のダメージは大きく、カウントを返すのが精一杯で立ち上がることもできない。豪はそんな雪斗の首を指さして、ジェスチャーで切った。

 豪の巨体がコーナーロープを足場に一段一段と昇り詰める。

 そして宙を舞い、前方へバク転しながらレッグドロップの体勢に移行。―――それは本来ならば雪斗のフィニッシュムーブ、つまり掟破りのシューティングスターレッグドロップ。

 修羅転生。

 決まれば確実に試合終了の大技。だが間一髪、雪斗はリング上を転がることで見苦しくも敗北を拒否した。

 リングに誤爆した豪は、自身の体重と衝撃をモロに受けて悶絶する。その間に、雪斗は豪の背後のコーナーに陣取ると、そのままタイミングを計る。

 立ち上がり振り向いた豪の無防備な腹部、雪斗のショルダータックルが貫いた。一般的にスピアーと言われる、これも大技である。

 誤爆と大技の直撃により、形勢は豪から雪斗に傾く。

 勝機を悟った雪斗は、豪の巨体を両肩に担ぎ、デスバレードライバーが可能な体勢に入る。しかし、そこからさらに雪斗はウェイトリフティングの要領で豪を持ち上げた(ゴリラプレス)。

 そのパワーに大観衆が大歓声を挙げるリングの中央で、雪斗は豪の体に捻りを加え90度の回転をさせると、そのまま一気にスピアーで撃墜する。地に足を根付かせぬ空中からリングに叩きつけられる変形のショルダータックル=スピアー。

 因果応報と呼ばれる豪のフィニッシュムーブ、雪斗の迷いなき掟破りであった。

 しかしは雪斗はカバーに行かない。目論むはいつだって完全勝利。コーナーに飛び乗ると、そのまま天と地を同時に指差す。唯我独尊の修羅として、地獄さえも舞う覚悟を込めて。

 あらゆる物理法則すらも越えて、雪斗が宙空を舞った。

 修羅転生!

 しかし豪はハンドスプリングで跳ね上がると、宙空の雪斗の無防備な腹部をスピアーで貫く!!そのままリングに叩きつけられ、カウンターの衝撃に今度は雪斗が悶絶した。

 これぞ修羅転生因果応報!

 シューティングスターレッグドロップを敢行した雪斗をスピアーにより空中で迎撃する。失敗すれば、双方大怪我間違いなしであろう一瞬を、豪は確実に貫いた。

 文句無しの一撃である。

 これで完璧なスリーカウントが入る、誰もがそう感じた「刹那」であった。

『…これは、?!』

 スリーカウントが入らない。体感時間が圧縮されているわけでもない。…レフィリーが、マットを叩く手を不自然に止めていた。

「っな!何を…ッ!!」

 レフィリーに抗議する十河豪の声すらも、観衆の大ブーイングにかき消された。片倉雪斗の眼が醜く歪む。どこからかパイプ椅子が投げ込まれた。片倉雪斗がその手に取る。

「死ねや、おっさん」

 頭部への椅子攻撃は脳震盪の可能性があり大変危険です。ブチ抜け!!!

 椅子攻撃に沈んだ豪を即座にカバーする雪斗。そして生き生きと高速スリーカウントを入れるレフィリー。

 つまり掌返しの公開処刑スクリュージョブ。シナリオのあるプロレスリングだからこそ行われる、最悪最低の行為。つまり、台本無視。もしくは偽りのシナリオを渡す行為。

 金ならある。ならば、レフィリーを買収するのも、容易かった。

「…どういう…ことじゃ…」

 敗北を喫したリング中央で、豪は空を仰ぐことしかできなかった。

「これはどういうことじゃ、クソガキ!」

 打ち合わせでは、この後も試合は続き、最終的には60分の時間切れで引き分けという筋書き。そんな過酷な試合の中で、いかに相手の心を砕き、敗北したかと思わせるか。試合結果ではなく、内容で差を見せつける。これはその為に組まれた試合のはずだった。

「相変わらず豪さんは肝心なところで抜けていますね。だからこうして付け込まれる。どうせアンタは馬鹿正直におれを正面から捻じ伏せて公開処刑をしてやろうとか思ってたんでしょうけど、いい加減それじゃあ何も変わらないって事を学びましょう。公開処刑されたのはあなたでしたとさ。真っ向勝負気取ってヒーローごっことか、いい年した大人が何考えてるんですか」

 言うや雪斗はもう一発、特大の椅子攻撃を頭部に叩き込んだ。

「この試合の目的はね、ただの撒き餌、客寄せパンダに過ぎないんですよ。あんたはそれでもこの試合でおれをおしおきしようとか更生させようとか思ってたみたいですけど、残念でした。結構な数のガチ技を叩き込んでくれましたが、所詮はプロレス技、殺さない角度です。受身で衝撃緩和すれば、あとは根性一つで立ち上がれることぐらい、あんたも知ってるでしょう。根性一つで何でもできるから、おれらはプロレスラー名乗ってるんですよ」

 それでも豪は立ち上がる。流血を始めた頭部が、なんとも皮肉であっただろう。

「どういうことじゃ、と聞いている」

「茶番はここまでですよ。つまりここからが真剣勝負。―――まだおれに勝てると思っているなら、かかってこいやおっさん!」

「ああ、理解した !お前をコロせばええんじゃな!!!」

 試合終了を告げるゴングは既に鳴らされた。これは、観客も、バックステージのレスラーも、そしてプロモーターでさえも知らされていなかった片倉雪斗のジャック行為。

 こうして第二ラウンドが始まった。これはいわゆるひとつの非公認試合。しかし、本来60分というシナリオであった試合が予定よりも早く終わったという事実。しかし残り時間もショーは続けなければいけない、それがショー・マスト・ゴー・オンの不文律。

 観客はここまで含めて台本通りのブッキングと信じていたし、一部のレスラーでさえも、極秘裏に進められていたプロジェクトだと思い始めていた。

 次々とリング下からあらゆる凶器が飛び出して、全てが正しい角度で振り下ろされる。

 簡単に雪斗の金髪も血に染まり、戦いは苦情殺到、放送不可能なほどの凄惨を極めようとしていた。

 客席にパワーボムで叩きつける。二階席からムーンサルトを敢行する。椅子の上に危険な角度で落とす。それは、くだらない邪魔が入らないギリギリの瀬戸際の大乱闘。あくまでプロレスの体裁を保ちながら、互いの男は感情を乗せて戦いを続ける。

 そして不自然なターニングポイントは訪れた。だが、いつだって分岐点に、運命の十字路に脈絡なんて必要が無い。脈絡なんて、いらないのである。

「下がれ、豪の旦那。おれは逃げるから、追わないで下さいよ。人質、見えるでしょう?」

 雪斗が客席にいた女性を人質にとったのである。女性を盾に、悪意の笑みを存分に浮かべる雪斗。罠の時間は何も始まっちゃいなかった。

「なんで、ここにおるんじゃ。こんな、不自然な…」

 豪が、その手に握りしめたスレッジハンマーを手放す。ガランゴロンと、重い金属音が木霊した。

「…いやだ、ふたりとも、あせくさいよ」

 ここで、静嶺セレナ。勝利の女神は、誰に微笑む?

 その時、爆音が会場を包んだ。複数の場所で洒落にならない怒号が轟き、通用口という通用口から、悲鳴が響く。人の仔よ、今こそ神に祈れ。

 死を目前に祈ることで、己に救いが無い事を悟れ。


 歩がその腕に血を滴らせていた。

「どういうことや、アゲハ。違うやろ、…こんなこと。それで誰が幸せになるねん」

 ナイフ、だった。

「痛いよね、刺されると。私なんて、今も左手の感覚がおかしいいままなんだ。ごめんね、今度会ったら、刺してくれていいよ」

 刺したのは舞原アゲハ。躊躇なく友人の腕を刺し、そしてそのまますれ違う。

「倉庫での一件があれば、誰かしらが爆弾で来るだろうという歩の読みは正しい。実際わたしも、対抗して爆薬を持ち出される真似だけはされたくなかった」

 腕を押えてうずくまる歩は、刺されたこと以上に、アゲハの辛そうな顔が痛かった。

「あかん、アゲハ。それでも、あんたがやろうとしてることは…!!」

「あゆは勘違いしてるみたいだけど、わたしがこうしてここにいるのは何も雪斗の為だけじゃないの。わたしは、ただスジを通したいなんだ。兄さんが死んだこの世界に。復讐ってね、究極的には世界にしないと意味がないと私は思う。挑むのは、いつだって世界じゃなきゃ何も変わらないの」

「なんやそれは。あんたが!この世界に義理だてすることなんか何もないやろうが!翼さんが、世界やなんてそんな安い動機でテロテロしてたわけやない事、わかってるんやろ!?」

 歩も、兄の本業を知っていたという事実が胸を刺す。それでも、今にも落ちてしまいそうな残酷な世界で、何を変えたいという漠然とした思い。

「…それでも、こうでもしなきゃ、わたしには!」

 わたしには、の先の言葉がアゲハには続かなかった。わかっている。何も理解できないことぐらいわかっている。それでもアゲハは、大切な兄を、大切な男たちを理解したかった。

 大切なこの世界を、理解したかったのである。

「…何もしないで、理解できないとか気取る真似はもうしたくないの」

 どれほど愚かであったとしても、どれほど間違っていたとしても、救われないとしても、許されないとしても、明日が来ないとしても傍らに立ちたい。そこで眺めたい景色があるんだ。

 今を生きるということは、きっとそういうこと。そして舞原アゲハは友人に背を向けて、走り出した。その五分後、アゲハは会場の要所要所を電撃的に爆破させることに成功する。


 アゲハのテロにより、会場は違うベクトルの狂喜乱舞に包まれてた。そうして紫煙が燻ぶる廊下を、雪斗は人質としてセレナを従えて歩みを進める。

「知ってるか。リング上の犯罪行為は全て、演技でしたで済まされる世界なんだぜ。ここは合法的に人が殴れる素晴らしい世界なんだ。海の向こうのプロレスを見てみな、誘拐に暴行なんでもござれだ」

「しってるよ。セツナお姉があんたと付きあいだしたとき、あんたの影響でしょうね、いえでDVDみてたとき、わたしも横にいたから」

 セレナは人質に使われているとは思えないほどに、堂々とした足取りで雪斗の歩調に合わせていた。

「どうだった?」

「悪そうなレスラーの乗った車が、ハゲの乗ったクレーンだかなんかの重機で20メートルぐらいの高さから落とされてた。プロレスしろよ、っておもった」

「わかってるじゃねぇか。つまりそういうことなんだよ」

 逃げ惑う観客、スタッフクルー。時々、雪斗に何かしらをしようとする善意の人も居たが、全員を雪斗は捻じ伏せた。

「もしも全てがオフザケのごっこ遊びなら誰も其処までやらねーが、生憎コイツは真剣な話だ」

 禁じられた遊びをする時には代償を把握した上でのマジな覚悟が求められる。それは禁じられる遊びが、割に合わないリスクがある遊びだからだ。

「何事も無かったかのようにみんなしあわせしあわせもいいだろうよ、そりゃマジな理想だ。でもそれじゃあ何も変わらない、オレらは過去を清算できねーんだ」

「で、これで誰が救われるのかしら?」

「悪いな、セレナ。救いなんて無いよ。オレらは最初からハッピーエンドなんか捨ててるんだ」

 立ち向かった先は、非常階段だった。

「オレらは痛み抱えて、それでも悪くないって思えるような結末を望まなきゃいけないんだよ」

 それがつまり、ノットソーバッドエンド。唄のように痛々しい終わり方。

 カランコロンと金属の足音を奏でながら、歩を進める。途中に新しい血痕があったのをセレナは見た。

 なんとなくセレナは、今のこの歩みに目的地など無い事を察する。―――探しているのだと、気づいた。何を、舞台を。演者全員を。


 彷徨う雪斗がセレナと辿り着いた場所は、結局リングだった。

 正確には、リングサイド。そこで、舞原アゲハが十河豪に力任せに叩きつけられている無残な姿があった。チョークスラム。喉輪を掴み、片手の限界の高さから一気に地面に叩きつける処刑執行そのもののような技である。

 あの時、非常階段で歩を刺した後、会場の電撃爆破を果たしたアゲハの前に、雪斗を探して駆け回る豪は現れた。傍らには刺された箇所を抑え、顔を歪める歩の姿。もはや会話の余地なしという状況下、腕力任せに引きずられた先はリングであった。

「っあかん、兄貴!やめたげて!!」

「うるせぇ!どいつもこいつも、なんで真っ向から勝負しやがらねぇ。なんで、仲間にこうまで背を向けられるんだよ!!」

「…ッ!」

 止めようとする歩に吠えた豪のスキをつき、衝撃にのた打ち回るアゲハは、それでも豪にカードを投げつけた。死なない程度の爆発、その間にアゲハは這うようにコーナーまで退避する。

 しかし、豪は一切の姿勢を崩さずに立っていた。

「ばか女が。てめぇも、いったい何がしたいんじゃ」

「どれだけ見苦しくても構わない。いまさらわたしがどうなろうと構わない。理解なんて欲しくない。それでも、ここだけは譲れないの…っ」

 アゲハは咳込みながらも、決して臆することなく大男に対峙してみせる。どれほど見苦しい姿勢で、どれほど無様な状態であろうとも、決して目だけは逸らさない、それが覚悟。

「ありがとよ、アゲハ。ちゃんと歩も、それに豪の旦那も抑えててくれたんだな」

 言うや否や、雪斗は隠し持っていた鉄パイプを豪の右肩に叩き込んだ。鈍い、何か折れる音がする。だが鉄パイプは折れていなかった。

「ッぐぅ」

「兄貴!」

「動くな」

 雪斗は豪に駆け寄ろうとした歩を威圧で止める。男は人質のセレナ片手に先手を譲らない。

「なるほど、目的は、わたしたち全員だけを、この場におさえること、だったのね」

「ああ。結果的にアゲハがいい仕事をしてくれたぜ。お陰で幾つもの手間が省けたよ」

 これで、【被害者の会】オリジナルメンバーの全員集合。

「それで、これからなにをみせてくれるのかしら」

「これから、オレが精一杯に頭絞った最善に乗っ取り、てめえらをブチ殺します」

 人は短絡的に人を殺す。短絡的とはつまり、対象を思考するに値しない無価値な存在と断ずることである。

「…なにを言うとるんじゃワレは」

「なんでそこで本気の声と眼やねん。ほんま、人として間違がっとるわ」

 既に後遺症間違いなしの満身創痍な兄妹が呻くように呟く。しかし、二人とも理解していた。初めから、そういう暴挙を予測して二人はここに立ち、友達を止めようとしているのだから。

「いいぜ、好きなだけ邪魔してみな。上等だ。もっと冴えたやり方があるなら、それを頑張ってくれればいい」

 大切な事は選択肢ではない。選択を実行に移す事。刹那的な決行ではなく、続行の貫徹が肝要なのである。ねじ伏せるだけの力を引き出すのは覚悟や信念などの、ありふれた背負う精神。

「それでも、この物語の名前をつけるならアガサ・クリスティーによろしくだ。ゼロ時間は今なんだ」

 こうして死がやってくるゼロ時間へ。

「さぁ、見せてやるよ。かつてのオレらが抱いた未来予想図を今ここで」

 みなが罪を犯したこの世界で、妥協無しに描く結末へ。

「だから、今からお前らを殺そうと思う」

 男は、正面から被害者たちに抱いた殺意を宣言する。だがもしもこの物語がハッピーエンドならば、名探偵が事件を解決する物語となるだろう。ならば名探偵とは誰だ!?この裏切りと虚構の世界の救い手はどこにいる!?

 そして今、その先の未来へ。片倉雪斗は展開よりも先に結末を述べた。

「重ねてアガサ・クリスティーによろしく、後は野となれ、そして誰もいなくなれ」

 言うや雪斗はアゲハからもらいうけたカードを取り出し、十河の兄妹に投げつけた。

 すでに種の知れた爆発するカード。

 だが回避行動はつまり行動の確定であり、最も裏を取りやすい悪手。無難が決して安全を保証しないという、まさに実例であろう。

 すべてのカードを、その生身の肉体で受け止め、弁慶は仁王と立つ。

 豪は、妹を庇うように立ち、全てのカードを全身で受け止め、または叩き落としていた。全身に、死なない程度の裂傷を受けて、白目。

「まずは、一人」

 即座に雪斗は間合いを詰め、仲間を真っ直ぐ殺害にかかる。掲げられた鈍器、まずは一人。そんな使い古されたカウントダウンが終わりに向けて数え上げられた時、人気の無い会場、さらなる轟音が鼓膜を包んだ。

 ゆらり。

 たとえば世界が丸いように、真っすぐ歩けば辿りつける世界があるように。たとえば世界が丸いように、見上げた空が世界中のどことも違う空であるように。

 それが等しく同じ空であるように。

 ゆらりゆらり。もしくは風のように、もしくは大地のように。このあなたを包む世界は繋がっていて、全く違う存在が繋がり同じであるという奇跡。

 再会とは、いつだってそういうものだった。

「…おい、アゲハ。今のはお前じゃないよな。…今の爆発は、なんだ!?」

「危ない!雪斗!!」

 舞原アゲハが痛む躰に耐えて、カードを投げる。陰陽の紋が刻まれたカードは、片倉雪斗の後方で、これまでのいつよりも不吉な爆発音を奏でた。

 ゆらりゆらり。そしてカタカタカタ。カタカタ。包む爆煙から木偶人形が笑うように揺れて顔を出した。そして主もまた、その姿を存分に晒す首。

「―――楽しそうに遊んでいるじゃないカ。ボクも、混ぜてほしいナ!!」

 それは君臨にして降臨。影よりも後ろに立っているかのような存在感で、処刑道化:ロペスピエーロが、殺死ニ来タゼ!



 機械音声、体躯を隠す黒外套。だが、確信はいつだって心に刻まれる言葉ではない、ナニカ。

 こうして、時は来たれり。

「………やっと会えた」

 満身創痍の十河兄妹の後方、ロープにしがみつく様に、それでも自分の足で立ち上がったのが、舞原アゲハであった。

「会いたかったよ、ロペスピエーロ」

 十河豪に食らったチョークスラムの衝撃は、受け身もろくに取れない素人であるアゲハにとって、全身を貫かれたも同然の痛みであった。節々まで激痛は駆け巡り、悲鳴にも似たノイズと共に脳内物質が脳を焼き切り意識を落とそうとしている。

 それでも、舞原アゲハは立ちあがった。

 初恋を片思いを捨てきれない、ばかな女をありのままの自分で演じ、こうして無様を繰り返してでも再会しなければならない相手がいたということ。大切な兄や、友人たちの物語に寄り添うために、魅せなければいけなかった覚悟。

 全ての物語に、幕を下ろすということ。

「…かかっておいで、さみしがりやのロペスピエーロ。いいえ、愛しのロペスピエーロ。あなたに、わたしのすべてをお見舞いしてあげる」

 舞原アゲハの真意。それは処刑道化を引きずり出し、まさに処刑執行すること

 対決の構図は、鏡の世界に似ている。

「あかんよ、アゲハ。ッあんただけは、その手を汚したら、あかん」

「ありがと、あゆ。でもだめ。彼が野放しにはできない」

 ロペスピエーロというキャラクターに込められた真意は、ただのスケープゴートに他ならない。覆面崇拝のロジックを駆使して、全ての罪を肩代わりする存在。

 それは、かつて静嶺セツナが解決の手段として発展させた覆面崇拝のロジック。そして、その始まりは、掌返しの公開処刑スクリュージョブの復讐におびえた十河の両親が、子供たちを守るためにと勝手な先手を打って被った皮。または両親の暴走を止めるために、子供たちが犯した断罪という罪が、即ち虚像のシンボルであるように。

 あらゆる罪を犯す処刑道化こそが、あらゆる罪を担い背負い受ける。

 だがそんな存在は、あってはならない。

「遊ぼうヨー。ねぇお姉ちゃン、遊ぼうヨー」

 ノイズ交じりの機械音声が、純度百の悪意をチラつかせて片手に吊るした木偶人形を揺らす。

「会いたかったよ。きみがオリジナルの処刑道化なんでしょ。…中身、暴いてあげるよ」

 片手に殺すナイフ。そして、爆発するカード。まさに散華夜叉。

 そして、手掛かりは全て揃っていた。全て、提示されていた。

「まぁ中身の予想はついているよ。きみは」

「あかん言うてるやろ、アゲハ。ピエロの正体を暴くのは簡単や。せやけど、それだけは絶対にしたらあかんのや」

 それは、声が違う言葉であった。冷たく突き放す響き、そして覚悟を全て否定する言葉。

「…あゆ!?」

 アゲハに刺された腕をだらしなくぶら下げて、それでも動くもう片方の腕に、どこから取り出したのか、殺せる刃渡りのナイフを握りしめて。

 立ち上がったのが舞原アゲハなら、立ちふさがったのは十河歩。

「なっ…テメ」

 片倉雪斗の体に、その手のナイフは牙と化して突き立つ。

「殺す覚悟と殺される覚悟、それは常に表裏一体言うわけやない。せやけど雪斗、あんたは違うな。いつでも自分の行為が自分に跳ね返る覚悟を勇気やと、ばかの一つ覚えでやらかしてきたのがあんたや。だから、うちの今の傷害行為もそう。つまらない正義面した言葉を並べ立てたりしぃひんて、それだけは信じてるで」

 ナイフが抜かれて血が噴き出して。構図が変わる。

「セレナ。悪いけど、そこのばかをよろしく頼むわ。しっかり傷口押さえて、正しい処置をしたらたぶん失血死は、ある程度の確率で免れるハズ。そのばかも、タフが売りの男なわけやしね」

 誰も、言葉がなかった。全員が沈黙を保っていた。刺された雪斗も、その傍らで他人の血に染まるセレナも。折れた肩を押さえる豪も、処刑道化でさえも。

 そして舞原アゲハも、沈黙を保ち、親友へカードを投げつけた。

 カードは衝突の間際、ナイフによって弾かれる。

 爆風に巻き込まれた腕から、裂傷、新たな血が垂れる。

「…どういうこと?あゆ」

「覚えときアゲハ。もしくは思い出すとええ。掌返しは、十河のお家芸なんよ」

 対決の構図は、鏡の世界に似ている。それぞれがそれぞれに事情を持つという意味では、対決する両者に違いは無いということ。鏡合せの描く世界はいつだって、あなたを映し出す。

 みてくれを。うわつらを。みせかけの罪を。かりそめの業を。目をそらすことは許されない。

「悪いな、アゲハ。うちは、ロペスピエーロの味方や。このばかみたいな格好で見栄を切る道化には、誰にも手出しさせへん。それは、友達に対する誠意よりも優先する」

「そんなぼろぼろの両手で何を掴みたいのか知らないけど、邪魔をするなら容赦しないよ。わたしは、そういう見えない企みにうんざりなんだ。わたしの見えるところで、わたしの知らない企みなんて、もう沢山なんだ。だから、話してくれないなら、聞き出すしかない。どんな手を使ってでも、聞き出すよ。たとえ、あゆ、きみが邪魔をしてもね」

「だから、ロペスピエーロ狙い、言うわけやね」

「暗躍していたのがばかな道化ならば、そいつに聞くのが一番手っ取り早いでしょ」

 真実を知る上では、真犯人などに用はない。真犯人とは真実を知った上で浮き彫りになる存在であるが故に、決して真犯人は真実を語らないという盤面が常。ならば、真実を知るためにすべきことは、真実に近い者を炙り出し捉えるということ。

 たとえそれが会話を成立させるつもりの無い、イカれた道化野郎であったとしても。

 鏡を叩き割れ。鏡の世界にいる存在は、あなたに似ているかもしれない。だが、あなたではないんだ。暴け。晒け出せ。

 真実は、殺してでも奪い取れ!

「遊ぼうヨー。ねぇお姉ちゃン、遊ぼうヨー!!」

 盤面を覆う殺意。処刑道化もまた、殺しに来たということ。  

 人にはそれぞれに願う姿があり、それぞれが願う人生があるように。誰もが味わいたい世界があり、世界とは何も現実に映る景色のみを指す言葉ではないということ。

 世界とは定義であり、世界とは社会であり、世界とは個人である

 ごっこ遊び。自身の世界に手を伸ばすように、見せかけの演技を実行に移すということ。絶え間ない人生で、過程を省略した未来を願う姿がごっこ遊びであると言うのなら。

 ―――ごっこ遊び。きっとそれは、人の希望そのもの。

 人はいずれ死に至る。そこに親兄弟から友人恋人の区別は無い。だからこそ、希望を抱け。

 こうして片倉雪斗は死に至り、十河豪は死に至り、十河歩は死に至る。



 市営体育館を煙が覆い、非常ベルが鳴り響く。さらに重ねて響くは、威嚇目的でアゲハや雪斗が配置した爆薬による、幾つかの炸裂音。

 こうして人払いは果たされ、リングに集ったのは関係者各位のみか。

 最中、傍観者になり下がったのが、腹部をナイフで貫かれた片倉雪斗と、肩口を鉄パイプで砕かれた十河豪。

 乱入した処刑道化と、血を流しながら立ち上がった十河歩、そして立ち向かう意志を示した舞原アゲハ。そんな硬直した三つ巴の状況で、口を開いたのが静嶺セレナであった。

「そう。狂哉くんのたくらみとはつまり、そういうことなのね」

 かつて仲間内で【名探偵役】を担った静嶺セレナの妹が、全てをお見通したかのような口ぶりで呟いた。応急処置を終えた雪斗を捨て置いて、静かに三つ巴の中心に割り込んで立つ。

「アゲハ、おつかれさま。でももう止めよう。これは、あなたがそこまで傷つく価値のない筋書きだよ」

「…セレナ?」

「歩も、もういいでしょ。あなたの気持ちも理解るけど、だからって何も話さないのはフェアじゃないわ」

 全てを見透かすようなセレナの視線に負けたのか、歩はただ罰が悪そうに苦笑いしていた。

「それに…、ロペスピエーロ。あなたの出番も、おしまい」

「…―――そうかイ。それは残念ダ」

 ただそれだけのやり取りで、猟奇殺人者の体を成した道化は黙りこくった。

 そして静嶺セレナは、舞原アゲハの正面に向き直す。

「わたしはセツナお姉とは違うから、綺麗に終わる方法なんて浮かばないけど、見抜いたぜんぶを話す事ならできるわ。たからアゲハ、ごめんだけど決めるのは、あなたであるべきよ」

「…うん。なんと言うか、とりあえず、もう少し聞かせて」

「いいかしら、アゲハ。これはね、タチの悪い集団自殺なの。死をえらんだ狂哉くんの願いはね、あなたに死んでもらうこと、だったのよ」

 それが至ってシンプルな世界の構図であった。狂おしいほどに、愛。

「ここにいる連中はね、願いに踊らされたばかたち。知っててそのせなかを押そうとした人間と、とめようとした人間。そのくせ主役であるはずのアゲハを蚊帳の外にした、さいてーの茶番だわ。たとえ故人の意思に従ったとしてもね」

 セレナの言葉は、何も知らぬ者にとって、何も言っていないに等しい遠回しの表現にまみれていた。だが、全てを知る者にとっては十二分に充分な言葉。

「やっぱごめん、セレナ。でもそれ以上は言うたらあかん」

「だめならどうするっていうの?わたしもころすのかな、真緒みたいに、さ」

 驚愕した表情でセレナと歩を見るアゲハの無様そのものが、彼女だけが何も知らなかったことを示していた。

 残酷なテーゼ。人殺しの犯人は、どこにいた誰だって?

「…流石はセレナやね。もう少し優しく媚びてくれればええのに、甘くない。…そうや、ウチが真緒を殺した。このギターで、完全犯罪をやってのけたんよ」

 十河歩は、殺人者としての名乗りを上げるかのように、ギターを高く掲げる。さぁ、人殺しはこの御旗に集え。そうして奪った未来の味を噛みしめろ。

「なるほど。やっぱりてめぇらもオレとは別の意志で、狂哉の企みに乗っかってやがったのか」

「当たり前やろ、雪斗。あの時、湖岸で狂哉や雪斗を襲撃したのはわたしらなんやで。うちらかてロペスピエーロの皮を被った人間や。そこにいる豪の兄貴、死んだ真緒、…それにセレナもや」

 炎船にいた四人のピエロ。キャストを眺めれば自明の論理。覆面崇拝の本質は、誰でも存在変換し、別の覆面を被ることができるということ。

「まぁ、あの時はいつものたわむれだと思ってたしね」

「嘘つきぃな。どうせ下らないことしようとしているうちらを監視する、みたいな感じやったんやろ?」

「監視だなんて人聞きわるいよ。…ただあんたらをみまもるようにセツナお姉に頼まれてただけ。ほんと、めいわくな遺言だよ」

 決して物語の本筋に介入を試みない、監視者の見た世界の構図。

「でも、これ以上はただ見過ごすなんてしない。あなたたちはみんな、おおばかすぎるから」

 だから、全てを白日の下にネタバレをしよう。そうすれば全ての筋書きは安っぽい茶番になり下がる。ごっこ遊びを止める一番の方法は、その価値を奪うこと。

「いい、アゲハ。この人たちはね、みんなで心中ごっこをしようとしているの」

「あかんよ、セレナ。それ以上は言わせへん」

 突きつけられたのは雪斗の血が滴るナイフ、だった。明確な殺意の提示。それ以上の自由行動は許しません。それ以上の自由行動をとるというのなら、自由を奪うほかありません。理不尽で一方的な、よくある交渉術である。

「どうするのかな。やっぱりわたしもころす、つもり?」

「せやな。大人になる、なんて嫌なもんや。子供の頃は冗談で言えてた殺すって言葉が、大人にはちゃんと選択肢としてあるんやもの。もちろんそれは子供にも選択肢としてあるけど、短絡的じゃない手段としてあるのは、やっぱり大人になってから」

「やだ…、わけわかんないよみんな」

 アゲハは俯いて拳を握りしめながら、振り絞るように言葉を漏らした。

 いつまでたっても蚊帳の外。情けなくて涙が出そうになる。涙が出るのはいつ以来だろうか。無力に慣れた頃から、枯れてしまった一雫。

 ここで躓くのは簡単だった。泣きわめくのは簡単だった。

 しかし紙一重でアゲハは踏みとどまる。裏切りや絶望や仲間外れ、こういう場面で泣かない為に決めた覚悟。それがまさに最後の瀬戸際、生命線の分水峰であろうか。

「…わたしだけ、何も知らないんだ。やっぱり肝心なことは何も教えてもらってないんだね」

 泣きそうな、真っ赤な目でアゲハは雪斗を見た。そしてそのまま仲間たちを見渡す。

 友人たちはみんな、優しい目をしていた。何も知らない人間を傷つける、とても優しい目をしていた。

「友達が何でも知ってるなんて自惚れもいいところなんやろな」

 友人にナイフを突き付けたまま、歩が呟いた。セレナも同意する余裕を見せる。

「そうだね。友情とかって、たぶんそういうのとは全然違うんだろね」

 むしろ、知らなくても笑いあえるのが友達か。ただ、そこにいるだけで場が緩むのが友情。

「十河の家はな、昔から悪党の血筋なんや。それも、天下ゴメンなさいの小悪党」

 十河という罪の河原、悪性劣種の血族。人を裏切り疑心暗鬼で殺し、そして子供たちに殺された十河の両親。悪意の連鎖、血に染まる両手。

 だから、ヒーローに憧れたりした子供時代。

「豪の兄貴の目的は、狂哉や雪斗の茶番を止めることやった。そうやって遊ぶために、豪の兄貴は帰ってきたんや」

「狂哉はな、アゲハに伝えたい気持ちがあって、死を選んだんや。それを言葉で伝えることは、きっと可能や。でもセレナ、それだけはあかん。やっぱり、どれだけうちらのしていることが最低な行為やとしても、それだけはあかんのや」

「…しらないよ、過去のひとがこめた想いなんて」

 歩とセレナのやり取りを、アゲハは現実感の欠片も抱かずに眺める。

 そうしてひとつ、アゲハは理解を深めていた。この物語は、誰の為の物語なのか。この物語は、何処に向かって演じられているのか。大切な友達は今、誰の為にこうして傷つきながら笑っているのか。


 ―――全てが、誰が為のごっこ遊び、だったのか。


 高校の頃、アゲハの周囲で不自然なトラブルが続いた事がある。いつの間にか売られた喧嘩を気がつけば買わされている状況に陥って、その何もかもが不条理な日々であった。

 だが性格上、アゲハは全てを明らかにしようとは動かない。ただ平常運転で、適当に不条理を往なす日々であった。

 しかし夏のある時、ふと気がつく。裏に北原狂哉がいるだろうという事だけは理解していたのだが、不明だった「なぜ」の部分の真実について理解してしまった瞬間。

 全ての不可解はいつだって、パズルのピースのように綺麗な黄金長方形のスケールを描く。明らかになった絵柄は、狂哉のアゲハに対する、真っ直ぐに歪んだ愛情であった。

 古今東西、自分の告白を相手に推理させようとするバカは北原狂哉ぐらいのものであろう。さらに顛末、謎を解いてもらえて満足そうにフラれたのだから、さもありなん。

 だが、北原狂哉とは、そういう男なのだから仕方がない。

舞原アゲハは確信に至る。誰も口にしなかったが、確かにある可能性。ドラマチック故に、脳裏に否定されていたひとつのテーゼ。世界が変わる、一つの構図。

一緒に死ぬということの意味。 もしも北原狂哉が今もなお、生きているのなら。

彼はきっと、アゲハにも自分の意志で、同じような死を選んでほしいと望むだろう。

 アゲハは手持ちのカードを、仲間たちに一枚ずつ投げつけた。着火爆発、それぞれに死なない程度の痛みが走る。

「…そう、なのね。わかったよ。ありがとう、みんな。そういうことだったのね」

 出会い別れ、別れて出会う。涙を拭いて、今になってようやく。この恋に終わりを告げるときがきたのかもしれない。

「ありがとう、雪斗。…よくもわたしの気持ちを弄んでくれたな、って言葉が一番しっくりくるわ。―――わたしにあなたを諦めさせるために、まさかそこまでしてくれるとはね」

 その瞳に、もはや恋心は宿っていなかった。受けた仕打ちはとても残酷で、優しい。だから。

「それにあゆ、豪さんも。二人はわたしが傷つかないように動いてくれたんだろうけど、その気持ちが痛いよ。それにまさか狂哉くんが、こんな気持ち悪いことを考えていたなんて、ショックだな」

 そう言うアゲハの視線の先には、ロペスピエーロが居た。

「ねぇ、聞こえる?狂哉くん。わたしは、きみとは一緒にいけない。でもきみは幸せだよ。きっとここにいる優しい人たちが、きみと一緒に逝ってくれるだろうから、さ」

 それは決別。だが兄のように、きっと永久では無い。だから、今はきっと背も向けられる。

「ありがとう、セレナ。私も、もう止めるわ。下らないヒロイン気取りのごっこ遊び。わたしには、もっと大切な人生がある。行こう、この人たちはここで死ぬつもりなんでしょ?」

 その十分後、舞原アゲハと静嶺セレナは燃え盛る市営体育館を脱出する。そうして残された者たちは死に至る。それが、せめてものハナムケ。

 舞原アゲハが辿り着いた真相。それは、袋小路、どうしようもなく救われない物語であった。

 こうして市営体育館は舞原アゲハの全霊により爆散し、全ての罪は覆面賛歌、ロペスピエーロが被る。こうして、ごっこ遊びは唐突に、一つの終わりを告げた。

 

 

 人は考え無しに行動する生き物である。それはもしかすると、想像力のある人間は行動しないと言いかえる事ができるかもしれない。

 したり顔の救いがたき愚か者が、フィクションによる悪影響を振りかざすことがある。実態のない敵を仕立て上げ、即ち罪の背負い手としてでっち上げるのがそのやり方だ。

 だが現実、物語のように波乱とトリックで満ち足りる事は決してない。それが常識の前提として定義されている。しかしいつだって真実とは簡単な話なのである。人を殺す人間はもっと短絡的に人を殺す。完全犯罪を狙う者ならば、標的が真夜中に出歩く時をただ待ち拉致、後は海でも山でも樹海でも好きな場所を選べばいい話。密室を駆使し、アリバイを偽って、実験装置による殺人をするほど賢い人間がいないことは、馬鹿でも知っている分別であろう。

 それでも自身のメンツを自分で立てられない、無能を棚に上げて正当たる悪意を飾ることが暴挙であるならば、この世界はきっと無能で満ちている。この世界に生きるわたし達あなた達は、自惚れに値すらしない愚か者なのである。しかし悔い改める必要は無い、懺悔するほどの罪でもない。だからこそ、頑張ればいい、また頑張るだけの話なのだから。

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