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 次の日も、引っ越しなどに相応しく。大して風もなく、薄曇りを透す陽光も優しい、暖かな朝で始まった。


「おはよう、マット。」

「おはようございます、ボス。」

「おっと、もう携帯mobile phoneは……んだったよな。」

「ええ。新しいセキュリティ・ポリシーは、まだ頂いていませんから。それまではご自由に。」

「ふふん、ここで使える日が来るとはな。」


 これ見よがしにスマートフォンを振って見せるボスに、淡白なしらじらしい笑顔で応じる僕。


 まあ、それというのも。ここを立ち上げた頃、ノヴァルの「大物」社内弁護士インハウス・ローヤーが。訟務システム部の指定した「モバイル機器使用禁止ルール」を声高に非難して、不遵守シカトを決め込んだことがあり。それを同行の上司ファーレル主任が許容してしまったので。僕は口や手を出すこともできず。それでボスも、堂々と自分の携帯電話セルラーを使うようになり。そのローヤーが来なくなった後も、「使えるのが当たり前」というムードになってしまったことがあったのだ。このとき、すっかり困った僕は。考えた末に――


『ボス。ちょっといいですか?』

『おう……っと。急に電波の入りが悪くなったぞ?』

『どうされました?』

『何だろうな。お前が寄ってくると、接続が切れるようなんだが…?』

『私は今でも、を立て直したいと強く願っておりますので。ひょっとすると、この「一念」によるものかも……ムゥウン。』

『何だそのポーズ。あっち行ってろ。』

『いやぁ、そういうわけには。』


 あんまり詳しく言うわけにはいかないが、「悩めるアドミニストレータのための便利グッズ」というのは、何かしら世の中にあるもので。ファーレル主任の許可を貰い、尻ポケットに隠し持っていたに。何度も何度も通信接続を無効にされ続けたボスは。僕が「預かり用の金庫」まで設置したのをみて、ようやく降参してくれたのだ。


『わかった、マット……わかったよ。いままで悪かったな。』


 その「金庫」も今は。扉を開け放たれて、中は空っぽ。新しい主ハバリ=ガンが、何を入れることになるのかも決まっていなかった。ガラスドアも、開けっ放しになっていて――


「おはよう、ロー………ぅおっ、おはようございます!」


 ロージーと……ハバリ=ガン氏が、無言で。連れ立って現れた。何で、この二人が? ボスが電話か何かで、ロージーに「迎えに行け」と言ったのかな。でも、徒歩で?……等と考えているうちに、ハバリ氏の甲高い声が降ってくる。


「もう手配したか?」

「……何をで?」

「おい。」


 要領を得ない僕と。たちまち爆発寸前となるハバリ氏……との間に、ボスが割って入ってきた。


「ハバリさん。昨日送信されていた、こちらのリストのことですね?マットロウさんには、これから話すところです。」

「君がやってもよかったんだぞ。」

「わたしはノヴァルの人間ではありませんで。」

法廷代理人attorney at lawだろ?」

「ちょ、ちょっと…何なのですか?」


 ボスがスマートフォンの画面を見せながら、ハバリ氏に確認をとっていた。どうやら、D&Dがここにやってくる以前から、放置されていた物品類……販売会社の部品在庫やリース切れの資産などを、運び出して処分させる必要があり。そのための業者をノヴァルO州支社が手配したのだが、大昔の情報だけで、現場ここも見ずに行われていたので。昨日ハバリ氏が自らチェックに来て、運び出すものにマーキングし、リストアップして通知したのだが。支社の方で、まともに確認してくれているのか怪しいので。業者には「ここ」からも言っておく必要がある……という話であった。


「トラックは、いつ来るんですか?」

「今日の夕方だと……」

「今日?!」

「俺は支社へ問い合わせる。こまごました資産の処分を依頼するような業者は決まってるだろうからな。マットはどうする?」

「どこの業者が来るか判らないんですか……」

「ご自分で宜しいのでは。」


 ロージーの一言で、あたりが凍り付いた。金庫を調べていたハバリ氏が振り返る。


「なんだと?」

「ここで業者を手配すればよかったのでは、と」

「ちょっと、ロージー……」

「実際、支社様の事務には困ることも多い……多かったので。ご心配はよくわかるのですが、そうであればなおさら。」


 畳みかけたロージーに対して、ハバリ氏が口を開くまで、5秒ほどの時間が永遠のように感じられた。


「……ふん、まあそうだ。昔から――変わらんな、あそこは。」


 さきほど、二人の間で何があったのか。ロージーに対し、意外にも、この一言だけで。そのままハバリ氏は「販促君」を押しのけて、開けっ放しのドアから出ていこうとした。


「どちらへ?」

「心当たりがある。午後には戻るぞ。」


 パーキングから歩道へ降りて、アウトドアショップ「プリズモダール」のほうに消えていく姿を見送った後、ボスは。スマートフォンで通話しながら、ご自分の車……パストーラのリモコン・キーを取り出して、ロージーに放って渡した。彼女は、革の飾りとともに飛んできたキーを難なキャッチして。無言のままパーキングに向かっていく。その後ろ姿を見送りながら、通話を終えたボスに――


「何か、対抗策が?」

「まあな。ここだけの話……ちょっとしたがかかってるようだから。」

「ハバリさんに?何のです?」

「資産の横領だと。」

「まさか……」


 いや、ありえなくもないのか? ここをチェックしていたときも、物色していたように見えなくもないし……。


「僕にも何か、できることがあれば?」

「そうか……じゃあ、やってもらうかな。ハバリ氏とは無関係だが。」

「何を?」

「ガレージのだ。」

「ああ、ウォレスですか。」


 昨年、キーファー証人が乗ってきたまま、置き去りにされていたウォレス製「シェヴラテイン」……この車のことは、僕も気になっていた。


「あの車、O州支社の……ではないそうだ。キーファー氏が缶詰にstuck atなってたT州のテクニカル・センターの、なんだと。」

「ちょっと遠くですね。」

「昨日、ハバリ氏からもな。問い合わせたんだが……から取りに来る気はないらしい。持て余されているのか、わからんが。」

「今日、乗っていけばいいので?」

「すまんが、頼めるか。」

「僕がやらないと……と、思ってましたので。」

「帰りの旅費とかの清算は、うちの経理でやるからな。何か美味いものでも食べて、泊ってくるといい。こっちのことは任せておけ。」


 正直なところ、長距離のドライブには特別魅力を感じなかったが。しばらくの間、ことによれば明日までは。ハバリ氏の顔を見なくてよい……というメリットには見過ごせないものがあった。あれだけ熱望しながら、ハンドルを握るチャンスのなかったビルには。ちょっと悪い気もするのだけど。


「3時間くらいですかね……向こうに着いたら、連絡を入れます。」

「気をつけてな。」


 いつも腰に下げていた鍵束を、ボスに預けて。シェヴラの助手席へ、唯一の持ち物……例のデイバックを放り込み、T州に向けて出発したのは。


 ハバリ氏が出て行ってから、僅か15分後であった。

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