2E

 ガラスドアの、すぐ手前で。

 目をキラキラさせて、『何が起きているの?』といった様子で、好奇心が露わになっているジェン……一体、いつからそこに居たのだろう?


 いつもの「定位置」なら。たとえ入り口から目を離していても、ドアを開ける空気の動きで気づけた筈だ。

 でも、いつの間にか……僕は。「定位置」の丸椅子を降りて、ドアから離れ、ロージーを押し戻すように相対していた。ちょっとエキサイトし過ぎてたのか?「番犬」失格じゃないか……と動揺して、うかつにも口が出て。


「聞いてたんですか?」

「は?……え。ほんとなの……?」


 !? あれって、冗談半分で言ってたんだ……と気づいて(しまった)と思った。ロージーが話しかけてきたとき、ジェンはまだ自車SUVに籠もっているな……と、さっき確認したじゃないか。「正義省MOJ刑事告発Criminal Charge」あたりのやりとりを聞いている筈がない。


「あらま。ふーん……」


 あわわ……首周りに変な汗が出てきたぞ。

 考えてみれば。ジェンが、自分だけ車のなかでネットを使っていたとしても。正義省MOJのWebサイトへ寄りつかない理由にはならないのだ。

 と、言うよりむしろ……正義省MOJのリリースを一通り見たからこそ、ロージーと話したくて所内に戻ってきたのだろう。



正義省MOJはノヴァル自動車会社に対する刑事告発と罰金12億の起訴猶予契約DPAを公表』


――と。しい太字のタイトル。

 そのすぐ下に、同じようにしく――


『ノヴァル自動車会社は、同社の車における「意図せざる加速」にかかる安全事項について、消費者と規制当局をミスリードしていたことを認め、ノヴァルの公式声明と安全事項報告を監視する独立監視官の任命に同意』


 はー。「消費者と規制当局をミスリード」か……企業人の心に突き刺さる言葉だ。

 エンジン制御ソフトウェアの「暴走」に備える対策に「四階層もの多重防御」があります!と主張しておきながら、うち三つの階層が「効かないかもしれない」という状況は。まさに「ミスリード」そのものだろう……そう予感して読み始めたのだが――


『ノヴァルは2009年の秋に、8モデルに限定してフロアマット・エントラップメント※のセイフティ・リコール修理を行い、「意図せざる加速」の「根本原因」への「対処」をしたと主張することにより、消費者と規制当局である国家交通安全局(NTSA)を欺いた。

※フロアマット・エントラップメント……不適切な仕様や装着状態の全天候フロアマットに、押し下げたアクセルペダルが「トラップ」されることで、自動車が加速していく危険な状態のこと』


――「2009年」だって?

 今から5年も前のことだ。α協会Société Alpha……アルや僕が、タイツォータ氏の依頼を受ける前じゃないか。一体、どういうことなのか?


 戸惑いながら、さらに読み進めていったが……。


『このように公式に請け合うことで、消費者とNTSAは次の二つの意味で欺かれた:

(1)この声明の時点で、フロアマット・エントラップメントがリコール対象車種と同程度に起きやすい設計である数車種を、ノヴァルはリコール修理していなかった。

(2)この声明の僅か数週間前に、アクセルが部分的に押された状態ではまりこむ問題――フロアマット・エントラップメントとは全く別のタイプの「意図せざる加速」の原因である「粘つきスティッキーペダル」のことを、ノヴァルはNTSAから隠すことを選択した。』


 


 それに続く後の文章でも、フロアマットにハマりやすいアクセル・ペダル設計の問題や、ペダル自身に使用されたプラスチック素材の問題などを、ノヴァル自身が把握したのはどの時点か……とか。ノヴァルの行った公式対応の内容と、その時点でノヴァルが把握していた筈の問題との「ズレ」などを挙げるばかりで。

 例の「電極から錫の結晶ウィスカが成長する件」も含めて、2010年以降に明らかになった話が。全く、書かれていないのである。

 2011年に公表されたNUSA報告のことすらも皆無で。


「まあ、ボスの読み通りになったわね。」

「ええ。各紙の報道をみても『蒸し返す』流れはないでしょう。」

「このままならね。」


 ――という調子で。ジェンとロージーのやりとりが始まってしまった。もしかするといるのかもしれないが、聞かないわけにはいかない。


「正義省は、をフォローしていないんでしょうか?」


 二人の顔が、ゆっくりとこちらを向く……「なんだよ?」とでも言いたげな、冷たい表情で。しかし僕は、怯まず続けようとした。


「ソフトウェアのことは不問に付すと……?」

「誤解でしょ。」


 ジェンに、ピシャリと言われた。


「ソフトウェアに限らず。電子制御の不具合を、ノヴァル側が認めたことは一切ないわ。」

「これまでも、これからもね。」

「でも、」


 まだ食い下がった。僕としては珍しいことなのだが。


「例の専門家エキスパートの解析報告は、MDマルディの公判でも使われているのですよね?」

「クラスアクションの和解内容なら公開されてるでしょう? 自分で読んでみたらいいのに。」


 とりつくしまがない。僕は……自分の声が、わずかに震え出すのを感じていた。


「何故、なのでしょうか……。」

「なにが何故?」


 ジェンの声は冷たかったが、何故か楽しんでいるようにも聞こえる。


「規制当局……NTSAヌツァも、読んでいる筈ですよね?」

「裁判所に提出された証拠文書イグジビットよ?……NTSAヌツァといえど、黒塗りの部分は読めないでしょう。」


 公表されたNUSAの報告書には、ノヴァル側の秘密保持要請で、文字通り「黒塗り」の箇所が多数あった。バイエル証人の訴訟記録でも同じだ。バイエル氏が裁判所へ提出したというブ厚い解析報告書も、おそらく同じように黒塗りされている……と、ロージーは指摘しているのだ。


「それに。NTSAヌツァが読んでも、欠陥ディフェクトとは考えないでしょうね。」

「……え、何故です?」

「フェイルセーフに弱点があるというだけでは、事故を起こす欠陥ディフェクトである……とはいえないからよ。」


 僕としては驚くような話だったが。ジェンが面倒そうに言うので、ロージーのほうを見た。ロージーなら説明するだろう、と……実際その通りになったが。


「事故の原因が欠陥ディフェクトだというなら、できなければならない……NTSAヌツァは、そう考えるはず。」

「実車試験で、再現していませんでしたか?」

「それは障害注入フォールト・インジェクションに対し、フェイルセーフが一部反応しないことを再現したものよ。」

「それはそうです……が?」


 原告側が再現試験において「注入」した「障害」とは、メモリ内に「タスクX」が仮置きしているデータ……のうちバケツひとつ1ビットを人為的にことにあたる。


「原告側は、『注入』された『障害』が、実際にキャブラで発生したことを立証していないからね。」

「だから、人工的に『障害』を『注入』しない限り。問題が起きないということになるわ。」


 僕は絶句した。


 確かに、バイエル証人への反対尋問では、BBLさんも同じような主張をしていた。実際に「タスクX」を止めるキル『障害』が発生したと立証はされていない、と。

 もともとバイエル氏は。そうした『障害』……メモリ上のデータがおかしくなることは、で起き得ると述べていて、前の週にコードマン証人が説明していた自然現象……宇宙から降り注ぐ放射線など…のほかの原因でも、特にノヴァルの制御ソフトウェアではがあって、データ異常が起きやすくなっていると。具体的に列挙して示していた。

 バッファー・オーバーフロー。スタック・オーバーフロー。不正なポインタ(※アルの猫ではない)の参照。同一データへのアクセスの競合。これらの問題で障害が起きていても、わざわざ起こそうとしない限り再現しないものが多く。再現性のあるもの……技術者から「バグ」と呼ばれるものも。仮に、発見して修正したとしても、ノヴァルのソフトウェアが、修正すると同時に別の「バグ」が生まれる可能性が高いのだと。

 そして、メモリ内でデータに異常が生じたとしても。それを検知する仕組みに不備があるのだから、異常データの使用を止めるなどの対応がされず、記録もされない……と、証言していた。


 こういった話は、コンピュータ・プログラムが「予期せぬ理由で」終了する経験を、ふつうにしている者ならば。「コーディング規約」のようなものを持ち出さなくても、すっと腹落ちするものなのだ。

 というか、ジェンもロージーも……普段仕事でPCを使っているのだから、判るはずだよね?……そう思って。


「障害の検知に問題があるシステムは、障害に対応できないだけじゃない。障害の記録も残さないのですよ?『立証』など、できないことになりませんか?」


 一瞬、二人の顔に「こいつは読んでいる!」という表情が浮かんだ。しかし、次の瞬間には痕かたなもなく消え、素人をたしなめるような調子が戻っていた。そして――


「もういいでしょう。わたしたちに言われても困るわ。」


 などと。自分から絡んできたくせに、早くもリタイア宣言するロージー。

 だが、ジェンのほうは―――


「というかね。うち的に、まあマシな結果に落ち着きそうなのに。何で拘るのかしら?……寧ろ、そっちに興味あるわね。」


 目を煌めかせて、僕への追求を始めようとしていた。

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