2D

実車キャブラを使って、『意図せざる加速』を人為的に起こす実験で。自動的に診断・検知して復旧することができなかったから。四階層の多重対策のなかで本当に効くのは第四階層4th Layer……つまり、サブCPU――と。そう言いたいのね?」

「正確には。サブCPUの担当のうち、運転手のペダル操作で起動する『ブレーキ・エコー・チェック』だけ、ですね。」


 あの、やけに暑い日の駐車場で。シェヴラテインの車内にてBBLさんから受けた「最終フェイルセーフ」の説明と、何回も読み直したバイエル証人の証言記録トランスクリプトを思い出しながら。僕は、殆ど断定に近い口調でそう言った。


 ブレーキ・エコー・チェック。ブレーキ・ペダルのセンサ信号に対して、メインCPU側が返す「こだまエコー」を……サブCPUで確認すること。ペダル・センサの電圧は、まずサブCPUでON/OFFのデジタル信号に変換されて、それがメインCPUへと渡される。運転手がブレーキを踏むと、ペダル・センサの電圧が上がり。サブCPU側で、ブレーキ信号がOFFからONになったことを認識する。それから、サブCPUは暫くの間……自分の送った信号が、メインCPU側に反映されるのを待ち続ける。伝達や処理による時間差はあるから、少し遅れてOFFからONになり、その後もONが続く筈だ。そうではなく、幾ら待ってもメインCPU側からの「エコー」がOFFのままであれば、メインCPU側で……少なくとも、ブレーキ信号を処理してサブCPUへ「エコー」を返すところで、何らかの「障害」が起きていると。サブCPUはことができる。そして――


『ブレーキペダルを踏みつけてから、0.2秒以上踏んでいれば、直ちにブレーキ・エコー・チェックが働く筈ですよね?』


 バイエル証人への反対尋問で、このようにBBLさんは言っていた。ブレーキが「踏まれた」ことを真っ先に知るのはサブCPUである。0.2秒待ってもメインCPUからの「エコー」がOFFのままなようなら、サブCPUはモーター駆動ICに対して「すぐにスロットル弁を絞れ!」と指示することになる。

 その動作の後に「エコー」がONに切り替わった場合のことは、証言記録からは読みとれない。しかしバイエル氏の説明では、サブCPUが指令を出すから、その準備としてスロットルを絞っているのだそうで。おそらく、0.2秒を過ぎてしまうと、もはや挽回はできないのだろう。


「ブックホルドさんの車が、衝突する前にエンジン停止していた証拠はないわ。でも、サブCPUのブレーキ・エコー機能は有効だと…マットは、そう思ってくれているのね?」

「ええ。」


 ロージーの言おうとしていることが、僕には予測できた。


「あの証人は……ブレーキを踏み掛けた状態からでは、ブレーキ・エコーは有効でない……と。言っていたわよね。」

「ええ……そのまま踏み込んでも作動しませんから。僕もその通りだと思います。」


 バイエル証人が、陪審員の前で強く拘ってみせた点に。そのまま同意しているように言った。


「ブレーキ・エコーは、ブレーキ信号をONからOFFにするのでも効きますから、ブレーキから足を放せばいいのですが。そんなことになってたらもう…怖くて無理でしょう。」

「なるほど。」


 ロージーも、よく知っている――という反応だ。ブレーキ・エコー機能が書き込まれていたのは、NUSAレポートの図面ではなく、ロージーの描いた図面であったこと――を、僕は思い出していた。


「それが事実であっても……よ。ブックホルドさんの右足が、アクセルでなくブレーキに掛かっていたのなら、既にスロットルは絞られて、エンジン・パワーは落ちていたはず……ということも判っているわよね。」

「ええ。」


 それは。あの日に、僕がBBLさんから尋ねられ。そして(どうやらその翌日の)反対尋問で、BBLさんがバイエル氏に投げかけていたこと……だった。

 しかし。路上に長々とブレーキ痕スキッドマークを残しながら、ブックホルドさんがキャブラを止めきれなかった理由について、BBL氏は――


「なら。あの事故のとき、ブックホルドさんは結局のところ……アクセルを踏みながら、サイドブレーキを引いていたのだと。マットも、そう思っているのね。」


 だ。BBL氏は何故、はっきりと尋ねなかったのだろう?


Q『サイドブレーキを引いていても、通常のブレーキを踏んでいても、あるいは両方を同時でも……この車のブレーキ痕は残りますよね。』


 なんとも奇妙な質問で、バイエル氏も回答に困っていた。BBLさんとしては、この質問をようなのだが。


「ブックホルドさんがブレーキを使用していた……との目撃証言がありましたよね。」

「ええ。でも、外から見たら……煙が上がっていたにしても。何のブレーキを使っているか迄は、わからないでしょう?」


 でも、それなら『サイドブレーキを引きながらアクセルを踏んでいた可能性もありますよね?』と聞けば良い筈なのだ。


「いったい、何が気になっているの?」

「いえ、特に。」

「何も?」

「実際の運転操作を考えると、この第四階層は……ベストでないにせよ、効果的だと思います。」

「……。」


 ここでロージーを試しても仕方がない。BBLさんが微妙な聴き方をしていた理由。「目撃者」がブレーキランプの点灯を見ていた可能性があるからだ、と僕は思っている。

 ビルに呆れられて、シェヴラで確認させられたこと……。BBLさんは、この「目撃者」のことを陪審の前でしたくなかったので、微妙な聴き方にとどめたのではないだろうか。あるいは既に、別の証人尋問にて挙げられていて、それを踏まえるとようにしか言えない…ということかもしれない。


 とはいえ、バイエル氏の側からも。何が起きたのか?という点で、歯切れの良い説明はなかった。スロットルが全開の状態では、下流へと好きなだけ空気が入っていくため、スロットル直後の吸気路の真空バキューム度は上がりにくくなる。この状況で下手にブレーキを踏むと、真空バキュームを使い切ってしまい、ブレーキ倍力装置ブースターの恩恵を受けられなくなる……と言うのがバイエル氏の理屈であった。

(なお、フルスロットルの状態でも、真空バキュームが十分なら。気合一発のフル・ブレーキングで止められるらしい。でも実際は、予め知っているのでないと無理のような気がする……お年寄りなら猶更。)

 しかし、ブレーキペダルがONになっている状態で異常が起きたとしても、スロットル開度が異常値になる障害だけでは、下手なブレーキで真空バキュームを使い尽くすほど、加速し続ける事象が生じることにはならないのだ。


 バイエル氏の説明で明瞭には示されていないこと。それは、メモリ上のスロットル開度データが「壊れて」も、から、異常が継続しないこと……である。

 従って。エンジン制御の側に原因があるとするなら、ブックホルドさんの足がブレーキ上にあるときに、スロットル開度が異常値となるだけでなく、タスクXもスロットル開度出力を停止しなければならない……ということになるのである。

 ふたつの異常が、それも「タスクXの停止」の側が「スロットル開度データの異常化」よりも若干、先行して起きなければいけない。そんな(一見して)レアなことが起きたと言わなければならないのだ。


 だから、ロージーに同意してみせるのは自然なことだった……を見るのならば。

 というのも。まだ、悟られたくなかったのだ……バイエル氏の証人尋問の少し前に、西海岸のMDマルディ訴訟にて進行中の「意図せざる加速」事件で発せられたまで、僕が知っていること。

 それは。タスクXが一見正常に動作しているようにみえながらも、スロットル開度を「最大」にしてしまう不具合……「」が、バイエル氏のソースコード解析で発見されていたこと。なのに原告側で陪審員に示すことが許されなかったのは、もう試験をして立証する時間がなかったからに過ぎないこと、を——


「でも、第一から第三までの階層が……実質、役に立たないというのはショックですよ。」


 ——読みとられないよう、ロージーに調子を合わせていた僕は。


「成る程。それはそれは、だったの……。それで、正義省MOJがノヴァルを告発した理由に、のは不思議だというのね……?」


 いつの間にか、背後にいたジェンに。不覚をとる羽目になったのだ。

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