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 ところで、僕に「番犬くんWatchDoggy」という徒名ニックネームがついていたこと……覚えているだろうか。


 誰でも、第二ここへ入ろうとしたことのある方ならば。「恐れ入りまーす!」と連呼しながら引っ付いてきて、手荷物という手荷物にRFIDタグを絡みつけ。ご愛用のスマートフォン……モバイル・デバイスの類を、いっさい見逃すことなくいく僕のことを。「番犬」WatchDoggっぽく感じるのは全く自然なことで。

 だから。前もって(他の方から)聞き出しておいた、その方のお好みの飲み物などお出しすると。


「ここの番犬くんWatchDoggyは、お茶も出してくれるんですね」


 ――という反応が、かなりの頻度で返ってくるものだから。ボスやジェン等、第二ここのメンバーから呼ばれるのも致し方ないことだと観念していた。


 ところが。いつのまにか、僕を番犬くんWatchDoggyと呼ぶ方は……ゼロ。パッタリ、途絶えてしまっていた。まあ「番犬」呼ばわりとか間違っていなくても失礼な話ではあるし、「マット」と呼ばれたほうがはるかにマシなので。僕の仕事が一応みなさんに認められたのだな……と思っていたのだが。

 例の髑髏マーククロスボーンのwebサイトに、予告通り掲載された証人尋問の記録コート・トランスクリプトを読み進めていたとき。原告側代理人と、その専門家証人エキスパート・ウィットネスであるバイエル氏とのやりとり直接尋問のなかで――


Q『次のスライドは、「第三階層:監視番犬ウォッチドッグ・スーパーバイザ」ですね。ご説明ください。』


 ――えっ。「番犬」?


A『はい。まず、皆さん。ご自分のコンピュータがクラッシュしたことありますよね?画面が固まって動かなくなることですが。そのとき、皆さんがどうされるかというと……』

Q『電源を入れ直したり……ですか?』

A『そうでしょう。先ほど申し上げた、ビットフリップなどが原因のクラッシュでは。再起動すれば跡形もなく……元通りコンピュータは動き始めます。でも、どうでしょう?実際、そういう状態にあるコンピュータもあるのです。例えば、よい例としてNUSAの火星探査船があります。』


 そして、その無人探査船が。世界で初めてコンピュータに番犬機能ウォッチドッグを搭載したものであり、まさに探査船pathfinderの窮地を救っていたこと。何故なら、役割――動作中にフリーズしたプログラムを検知して、コンピュータを再起動すること――が。実際に何回も行われていたと、ログのなかで自動記録されていたこと。「番犬」WatchDoggには時限爆弾のようにタイマーが仕込まれていて、チクタク・チクタク「……3、2、1」カウントダウンで「0」になると「吠え」て再起動の号令を掛けること。「番犬」WatchDoggは、各プログラムごとにカウントをとっていて、プログラムの側から「犬小屋」へ「なだめ」に行けば、カウントダウンは最初からやりなおしになること。なので、実行中のプログラムがて「犬小屋」に辿り着けないときに。「番犬」WatchDoggが吠えはじめ、それで再起動のかかる仕掛けであること……を。バイエル証人は丁寧に解説していたのだ。


 被告ノヴァル側で多重保護の「第三階層」として挙げているウォッチドッグ機能のことを、敵側の専門家証人がこのようにとりあげるというのは。その後の展開も予想がつくというものだろう。

 案の定。バイエル証人が解析した、2005年式ノヴァル・キャブラのエンジン制御システムでは。重要なプログラム・タスクであっても、「番犬」WatchDoggを「なだめる必要がない」ように設計されており、も再起動がかからないようになっていた……というのだ。当然ながら、バイエル氏は「自分の見ているものが信じられなかった」「深みにハマったアビスマル設計だ」などと。手厳しく非難していた。


 しかし。「番犬」WatchDogg機能自体が無いわけではなく、「なだめ」に「詣で」ているタスクもあるのだと。では、なぜそんなことに?……という疑問にも。バイエル証人は、こう答えていた。


A『ノヴァルのエンジン制御モジュールECMでは、そのコンピュータの頭脳であるCPUプロセッサが。やるべき仕事タスクが多すぎて、しょっちゅう過負荷とoverloadなっていました。』

Q『過負荷……というのは?』

A『仕事タスクをこなすのが酷く遅くなっている状態です。』

Q『自動車にとって、危険なのでしょうか?』

A『危険です。最大1.5秒もの間、ECMで行われるべき処理が殆ど進まないのですから。』


 え、そんなに?……と、僕は驚いた。

 ビルの受け売りだけど、ガソリン・エンジンというものは、アクセルを踏んでいないときでも、毎分1000回転以上いるのだ。毎秒に直して20回転ぐらいはいく計算だ。

 1秒以上もECMがサボっていて、四基ある燃焼気筒…各シリンダーのそれぞれでこなすべき(1)吸気(2)圧縮(3)燃料噴射・点火・爆発・膨張、そして(4)排気という、合計四行程からなる燃焼サイクルには支障がないのだろうか?

 ビルの説明を思いだすに、四行程のうち(1)と(2)と(4)は。シリンダーへの出入りが必要なピストンと、その反対側の燃焼室で開閉すべき吸気弁と排気弁が、エンジンの回転により機械的に強制的に動かされて行われる筈だから、ECMの指令は必要ないのかもしれない。問題になるとすれば(3)の行程だが、燃料噴射や点火そのものがで行われるなら、ECMからの指令……燃料の量や点火タイミングの指示が、過負荷に陥る直前と動作し続けるのかもしれない。

 でも、この1.5秒の間は。アクセルの操作もスロットル開度へきちんと反映されないだろうし、過負荷から復帰してきて、あるときから突然反映されるようになるというのは。ECMのプロセッサからしてみれば、アクセルの踏み込み量が「ワープ」しているようなものだろうから、相当すごい状態のように思えた。


 残念なことに。こうした話は、直接尋問を行った原告側のバッカニア代理人も、反対尋問を行った被告側のBBLバルブラウ代理人も。バイエル証人から聞き出してくれてはいなかった。だから、このような想像は間違っているのかもしれない。


 話が逸れたけど、キャブラのECMがこういった設計になってしまった事情を、バイエル氏は次のように推測していた。


A『これは私の考えですが、プロセッサがしばしば過負荷に陥ることで、ノヴァルとしても許容せざるを得なくなって、ウォッチドッグを弱めていったのだと読みとれます。』

Q『過負荷を解消しようとする、のでは……ですか?』

A『要はですね、ECMに仕事タスクが、搭載しているプロセッサなどの性能に比べのですよ。』


 ふーん、なるほど。

 そうね。そうかも。

 あーあ……あーあ。


 ……

 …………

 ………………まあ、とにかく。


 バイエル氏が、最初の解析報告書を裁判所に提出したのは……今から二年ほど前のことで。

 僕が「番犬くん」WatchDoggyと呼ばれなくなった頃と、ほぼ一致しているのだ。


 そうして放置されてきた「番犬くん」WatchDoggyが。まさに、今……。

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