CAME OUT でたわね。

26

 「機密の見張番」であるはずの僕までが。に居られず、シェヴラ珍車へ籠もるほどだったあの十月。グラグラと沸き返る熱気が、間違いなく頂点に達していた頃……を、思い返していると。


 ジェンはパーキングで堂々と倒し、ロージーも僕と二人っきりで手持ち無沙汰にしている……という、今の状況が嘘のようで。


 徐々にクール・ダウンしていった、というのでは勿論無くて。あの後すぐ、を沸き立たせていた「燃焼combustion」を。言わば「アイドリング」にまで落っことすような状況……凍り付くような結末ゴールが、一気に訪れたのだ。



 窓の外を眺めながら、「その時」の記憶へ。ぼんやり旅立とうとしていた思考が、不意に中断したのは。


「出たわね。」


 ロージーが、っと口に出したから。丸椅子のうえで振り返ってみたけど、彼女はこっちを見もしない。


「何がです?」

「……。」


 これはマットロウサンに言っても仕方がない――という感じだった。


(何だろう?……裁判所のシステムが復旧したとか?)


 僕のほうの端末からNLSC訴訟支援クラウドを覗いてみたが。ファーレル主任から……だけでなく、僕宛ての通知そのものが全然なかった。


(通知じゃなくて、新着掲示の方かな……おっ?)


 NLSCの「受信メッセージ・一覧」からエントランス画面に戻ると、「What's New」と銘打った枠内に。真新しいリンクが上がっていた。


(ここのリンクって、誰が載せるんだろ?……ええと。『訴訟猶予合意Deferred Prosecution Agreement』…?)


 コムズカシイことばが、そのまんま口に出てきそうになって思わずこらえた。

 いったい、どこへ「リンク」されているのか……マウス・カーソルをそろりと重ねてアドレスを窺うと、ドメイン名に「正義Justice」という文字列がのぞいている。

 おっと、これは確か……。ステイツこの国自体そのものが、どこかを訴えたり、どこかに訴えられたりするとき。原告として、あるいは被告として。みずから矢面に立つのだと聞く、政府機関「正義省Ministry Of Justice」のwebサイトだ……!!


 ここMOJドメインjustice.govなら、当出張所の「ネットワーク関所」でもアクセス許可はされているから。迷わず新しいタブで開くと、なにやら厳めしいヘッダー画像とともに、「正義省MOJはノヴァル自動車に対し罰金を課し、刑事告発を繰り延べる合意をしたことを公表する」……と、太文字で掲げたタイトルの下に。本文のテキストが長々と流し込まれており、スクロール・ホイールで送っても送っても、なかなか終わりが見えなかった。


 ――でも、そんなふうに流していても。2008年以降、一連の「意図せざる加速」苦情対応でノヴァルが。キャブラの欠陥を知っていながら当局NTSAあざむいた……等として、額の罰金を払わされるだけでなく。しっかり「更正」してもらうために、ノヴァル社内に「監視役independent monitor」を送り込むぞ?……という話らしいと読みとれた。

 しかし、僕が目を凝らして探していたのは、そうした「処分」のことではなく――


「一番下、訴状のpdfもあるわ。」


 突然、声を掛けられて驚いた。いつの間にか背後に、ロージーが立っていたのだ。ひどく静かに、しかし訝し気に。こちらを探るような目で――


「何を確認したいのか知らないけど。ずいぶん詳しくなったようね?」

「ええ、いけませんか?」


 突っ込んでくるロージーに、自分でも驚くほど。まともに反応してしまった。


「だって、貴方から『どう?読んでみたら』って、そう言ったんですよ?」

「……わたしが?」


 思わぬ反撃だ……とでもいうかのように。彼女の戸惑いが、眉間の歪みとなって現れていた。本当に整った容貌かおだちであることが、その瞬間に露わになる。そして僕は、ロージーが「覚えて」なくても不思議はない……と、思い出した。


*******************


 それは。当所を炙る「燃焼combustion」が「アイドリング」へ落ちるまさにそのとき、昨年の10月末。煮えたぎる湯が裁判所へ流し込まれている真っ最中であり。ここは僕だけで留守番をしていたが、時計が21時をまわっても、誰一人として戻らず。


(こっちから掛けてみるか?)


 そう思った瞬間、ボスのスマートフォンから着信した。

 それで伝えられたのは、ここから出撃したD&Dのローヤー勢は……タイツォータ側で用意した会場で、ノヴァルの役員たちと話すことになったが。ファーレル主任の求めで、ここから持ち出した文書類や機材類は「戻す」必要があるので、ロージーに託したい――とのことだった。

 要は、「いったん施錠して、裁判所までロージーを迎えに来てほしい。ロージーが持ち帰った文書等を確認したら、帰宅してかまわない。」ということだ。

 D&Dの本部から来たローヤーたちも、機材や文書を抱えていたが。こちらはファーレル主任が専用車両で管理しているので、出張所から出た分は「主任以外の誰か」が戻さなければならなくなった……と。なるほど。


「でも。今、パーキングに残っているのは一台だけ……ビルの車マンファリはギアがマニュアルです。僕には無理ですよ?」

『ウォレスがある。こないだ触ってたし、キーも預かってるな?』

「あー、シェヴラですか……確かに。」

『二人乗りのウォレスでも、後ろに載るぐらいの荷物だから。』 


 ――で、このとき初めてシェヴラを運転したのだが、急いでナビゲーションに登録するのが大変だったこと位しか――思い出せない。キーファー証人は(何故か)ナビゲーションを使ってなかったようなので。

 幸い、道は空いており。思ったほどかからずに、裁判所のエントランスで待っていたローザ・ユーグランディーナ(+α)を迎えることができた。


 シェヴラテインの荷室ラゲッジの扉は奇妙な作りで、後窓のガラスリア・ウインドウを残して「横」に開くので……それに気づくまで、「あれ?……あれれ?」っと手間取ってしまい。大柄なブリーフケースを3つ、載せ終わる頃には。既にロージーは助手席に収まって、何か書類を読んでいた。


「まだ終わらないんですか。」


 車内灯ルームライトの下、運転席でシートベルトの差し込み口を探しながら、右隣へと声をかけた僕に。


「この事件caseは、もう終わりよ。」

「ええと、そうじゃなくて……」

「これのこと?……こないだの証人尋問の、終わったのを見てるだけ。」

公判記録court transcriptとかいう、あれですか?」

「そう。今日の評決verdictの写しもあるけど。」


 何故か、そのとき僕は。肝心の『陪審評決の結果』を聞かなかった。

 ロージーもそれには触れず、車を裁判所から出した後も。証人尋問のほうを読んでいた。


「誰の証言なんです……?」

あちらさん原告側の、専門家証人エキスパート。」

「はあ。」


 赤信号で停めたので、彼女の見ているページを眺めてみた。ええと何か、全く知らないひと達の苦情内容クレームで、ずうっと埋めつくされてる……?


「?……うちの事件、集団訴訟クラスアクションでしたっけ?」

「この方達は原告じゃなくて、NTSAヌッツァへ寄せられた意図せざる加速Unintended Accelerationの苦情内容について、この証人が答えているだけ。」

「?」

「改めて読むと、ずいぶん冷静な人もいるのね。」

「冷静……どういう風にですか?」


 ロージーの答えはなかった。ただ、すうっ……と、左手が伸びてきて。

 シフトレバーを握る僕の右手を覆い、少しだけ「前へ」と促す。前触れのない、まったくの自然な動きに、僕は反応できなかった。

 もう、ただ驚いて。動揺している間に、ひんやりした感触は当たり前のように、すっと消えた。


「こうやって”N”ニュートラルに入れて、難を逃れた……のだそうよ。」

「は、はあ……。」


 僕は。突然の「接触」触れ合いと、ノヴァル車の「欠陥」を認めるかのような口調に、どぎまぎして。目を凝らして右のほうを伺うと。ロージーも右側を……窓の外を眺めていて。こちらを向いた頭の上で、微かに。不思議な輝きが浮かび上がっていた。なんだろう?……と思う前に、また別の違和感に襲われる。いつもキリッと芯が通ってる印象のある彼女が。シートへ身を任せ、沈み込んでいくかのようで……?


「どう、読んでみる? ……もう、機密じゃあないから。」


 そう呟いた直後には。

 瞼は閉じ、掌も垂れて……「書類」が膝へと滑り落ちていった。


************************************


 だから。ロージーが僕に「読め」と言って「書類」を渡したことを覚えていなくても、何ら不思議はない。

 シェヴラがここに到着して、彼女が目を覚ましたときも。「書類」がのに、探そうとしなかったから。あのときの、乗車中のことは……全く、覚えていないのだろう。


 そして。

 持ち帰って「書類」を読んでしまった、僕のほうは……。

 

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