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『例の「フェイルセーフ」にしても、一体どうしてなったんだ?』


 あの南国の、飛行場。

 痩躯の男は――ホンゴク行きの便の中で。離陸を待つ間、巨漢タノン=モウドとのやりとりを思い返している。


 この国では高級車であるノヴァル・キャブラを、中古とはいえ――わざわざ購入してまで「」を開発してみせた。自動車用のソフトウェア開発からは暫く遠ざかっていた筈なのに。それほどの技術力がありながら、どうして……?


『……。』


 あのとき。巨漢モウドは、聞こえないふりをしていたから。痩躯の男は、答えたくなるような誘導をした。


『ベッソー側でやったんだろう? エンジンECU電制ユニットの電子基板も、載っかってるサブCPUも。ベッソーの設計の筈だからな。』

『俺たちが……どの辺りをやったのか、知ってるだろ? 裁判資料にも出たようだし。』


 確かに。その資料は、あの専門家バイエル証人のスライドで見ていた。


 それによると……ノヴァル側で行ったのは、基本仕様の策定、ハードウェア・ソフトウェアへの機能の割り振り、モジュール設計、そしてメインCPUで動かすプログラムを書く作業――いわゆる「コーディング」であった。


 世人なら。「一番重要なところをサプライヤー任せにしないとは……はノヴァル!」と、褒め上げてくるところであり。実際その通りでもあるのだろうが。

 そうは言っても。各センサー類からの入力値をもとに、どのように処理をして、どこへ出力させるのか?――といった、制御の大枠を決めていくところ:すなわち「構成設計」は「✖」が付いており。つまり、「ノヴァルはしていない」――とされていたのだ。


とき。ベッソーで改めて作らなくても、寄せ集めのサンプル部品でもぞ?……と見せつけたから、そういう分担になったんだろうが。』


 何か、叱りつける口調になってしまったのを……少し、後悔している。


『スロットル制御が「り過ぎ」なのは、ベッソーの所為せいじゃない。』

『モウさんの所為だろう?』

『……違うよ。』


 静かな口調。嘘ではない否定だった。

――だとすれば。「盛り過ぎた」構成設計は、一体どこが?


(俺が見た裁判資料に、載っていないこともあるのだろうか。)


 一連の「意図せざる加速」訴訟では、ベッソーは被告から外れていた。裁判所は証拠を提出させる「ディスカバリ命令」を、第三者に対しても出せると聞いているが。ホンゴク企業であるベッソーから、直に裁判所へ電子メールなどを提出した――ということはなさそうなのだ。

 だから、おそらく……と、男は思考を巡らす。振動とともに景色が動き、離陸が始まったのだと知る。


(俺がモウドとともに、自動車の世界に初めて持ち込んだ「モデリング・ツール」……が、原因だろうな。いじったにせよ。)


 二十年近く前。ステイツの西海岸で、ソフトウェア企業に……今やノヴァルの最重要取引先となった、ソフト屋の本拠地ヘッドクォータへと。巨漢モウドの案内で連れて行った、ノヴァルの「制御家」ストローワ=ミニーキュが……静かに興奮していた様子を思い出す。画面上でプログラム部品を表す「四角」や「丸」を、マウス操作でつなげていき。そこに数値基準などを入力するだけで、コンピューター上で動かせられる仮想モデルを組み上げることができて。立派にソフトウェア設計ができてしまうことに。


『自動車製造業は、数学mathematicsを蔑ろにしている!』

――が口癖だったミニーキュは、俺たちがキャブラの設計支援用に導入したモデリング・ツールを、いつの間にかコーディング・ツールへと変えてしまった。

 ソフトウェア・コードの自動生成は、確かに最初からソフト屋が目指していたことだったが。俺たちは本気にしていなかった。しかし、それこそが……コーディングに関心のない「制御家」を魅了し、奔走させたビジョンだったのだ。


 ノヴァル量販車種で初めてスロットルを完全に電子制御化するサード三代目・キャブラの開発では、モデリング・ツールで設計仕様書が作成され、これをもとにモウド達がソフトウェア・コードを書いていた……が。

 それを追うようにして、秘密裏に進んでいるプロジェクトがあったのだ。


 それが一体何なのか……わかったのは、二代目パストーラが発売されて落ち着いた頃。そのハイブリッド動力統合装置のECUが、自動生成されたソフトウェア・コードで動いていることが公表されたのだ。機械へコードを書かせるとは!? まさに新時代の到来だ……!


 折しも、自動車に組み込まれる電子制御は着々と増えていっており。ノヴァルだけでなく、どの自動車メーカーでも、と走っていた。

 だから。モウドたちの立場も、「プログラマー」から「プログラム検査員」に変わるべきなのだと、ホンゴク・ノヴァルが考え出すのも時間の問題であった。


 まさに今、離れようとしているこの国にて。かつて設立されていた「スワール通商」は、本来は(ベッソーに任せない)コーディング作業のためのものだったのに。その責任者として、巨漢タノン=モウドが任命されるのに。


(俺が異動になっていなければ、力になってやれたか?……いや、無理だな。)


 好き勝手にモデリングする連中の所為で、自動生成ツールの吐き出すソース・コードは、およそ人の目で読めたものではない――と、モウドはよくこぼしていた。

 コードの目視検査はツールから吐き出されるスピードに追いつかず。ミニーキュが指揮するホンゴクの開発部隊は、またもソフトウェア企業が次々と作り出した「テストツール」や「検証ツール」に頼って、スワールへの発注を避けるようになった……と聞いた。


『出来レースさ。セカンド二代目・ パストーラのときと同じように、最初から検査Verify検証Validateも……機械コンピュータにやらせるつもりだったんだ。』


 7年ほど前に。ノヴァル内部で「クーデター」が起きて、ストローワ=ミニーキュが開発の現場genbaからこと……を、タノン=モウドは知らないのかもしれない。

 スワール通商を畳むのを機に、自らノヴァル・グループを辞めて。この国へ残ることを選んだのは、もう10年も前のことだから。


『モデリング・ツールを駆使する設計。現場genbaで使えるよ、とゲリラ的に実証をして。ドルトを「コーディング規約の整備」などという「学者業」に追いやったのは、だろう。』

『だから、なんだ?』

『さらに先端の何かを持ち込んでくる連中ミニーキュに、同じように追いやられても。文句なぞ、何も言えないはずだ。』

『……。』


 誰もが世界でトップを争うレベルと認めるC言語プログラマー、カベン=ドルト。奴が、初代パストーラのハイブリッド制御コードを開発してから、十年ほどの間に「クーデター」が起きたことになる。


(これは、正常なのだろうか?)


 轟音とともに、地面が遠ざかっていく。いつものように空は晴れ、潜り抜ける雲など一つもない。


(モウドが他の二人と違うのは、最早ノヴァル・グループに在籍していないこと。だけ、な……)


 痩躯の男を捉え続けようとする思考は。北に向けて旋回中、機下に広がる海岸地帯を目にすることで。あっけなく雲散霧消していく。

 椰子の木々が街道沿いに並ぶのが見え、その先に。あの、見覚えのある建屋が姿を現したのだ。


(ほぉ?……見えるのか。)


 思わず巨漢の姿を探すと。海の近くに、それらしい影が。さらに別の影に向かって、何か指示をしているように見えた。


(あんなところで、一体何を?)


 そこで、はじめて認識する。

 海岸へ穿たれて醜く並んでいた「穴々」が。建屋の近辺だけとはいえ、きちんとした形状の区画に整えられて、なみなみと水を湛えていることを。


(陸の方にも、もっと穴があった筈だが……

 ……おや、あれは?)


 遙かに大きくなった「池」どうしを仕切る、細い土手の部分が。何か緑色に、と茂っているのだ。


(まさか、木を植えているのか?)


 思わず、確かめようとするが……その光景は。

 ゆっくりと主翼の下へ、隠れていってしまった。

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