「島を愛する人(前)」3
数時間経って、すやすや眠る美紀ちゃんの傍ら、CDを聴きながら眠れずにいた。
つい色々と考え込んでしまう。 色々な境遇を持った人が世の中には居るんだなと思った。まだ若いのに、人生の全てを悟ったかの様に、世の中腐ってるなんて言うなんて。
そっと美紀ちゃんの頭に触れた。金色の髪がごわごわして痛んでいる。
手首にある無数の躊躇い傷に、痛んだ髪―― この子はきっと、自分なんて何処を傷つけても良いと思っているのだろう。 私には彩が居たけど、この子には誰も居なかったのかな。心の支えになる、誰かが。そんな事をずっと考えていた。
長時間のバスで眠れないまま、腰の痛みを感じてきた所で休憩のサービスエリアに到着する。 此処からは長いから、今の内に休憩しておいた方が良いだろうな。そう思い美紀ちゃんを起こす事にした。
すると目を細めながら開け、此処は何処だと言う顔を見せる。
「休憩だよ。これからまだ長いから、お手洗いに行っておいた方が良いよ」
「やべぇ、超眠いしぃ」
二度寝しそうな美紀ちゃんを引き連れ、なんとかバスを降りた。
外の風が柔らかく吹き抜けていく。寒かった冬はもう通り過ぎ、今では湿気混じりの生暖かい風が吹いていた。
お手洗いから外に出て美紀ちゃんを探していると、何処かから叫び声が聞こえて来た。
「恵利姉――!こっちこっち!」
叫び声の主は、屋台の前から私を呼ぶ美紀ちゃん。
駆け寄った私に、にこにこしながら言う。
「なんか食うのは、サーエリの
「そうなの?」
「サーエリで売ってんのってマニアックでおもしれぇし、美味しい物も多いんだよー」
そういえば私は今まで、一度もサービスエリアで買い物をしたことがない。
「あひゃー、鬼可愛い!見てよこのストラップ」
美紀ちゃんはキャラクター物のご当地ストラップに目を輝かせていた。
「買う買う―― あっ、あれ美味そー!買うしー」
さっきなけなしの金とか言ってなかったっけ?という疑問を抱えたままその様子を眺める。 美紀ちゃんはどんどん物を買っていった。楽しそうにはしゃいで、まるで旅行に来た子供みたいに生き生きしている。
こういう姿を見ると、まだ十代の女の子なんだなぁとしみじみ思う。
微笑ましい気持ちになりながらも、ふと、壁に掛けられた時計に目を移した。
「あ、大変!もう戻らないと!」
「えー!」
まだ何か買おうとする美紀ちゃんを強引に引っ張り、大慌てでバスに戻った。
こういう時間にルーズな所まで彩にそっくり。
美紀ちゃんは息を切らしながら言う。
「もー走りたくないって、暑い!そういえば来月にはもう7月じゃん。香川って暑いのかな?てか恵利姉さ、本当に香川に用事あんの?」
少し考えてから思い出した。そういえば三田さんにそんな事を言ったと。
「実は、いつも行き先決めてないの。何処でもいいの」
「なんでそんな事してんの?」
美紀ちゃんは珍しく興味津々な様子で聞いてくる。
その真っ直ぐで純粋そうな瞳につられ、正直に話すことにした。
「生きる意味が分からなくなって、幸せを探してるっていう感じかな」
すると美紀ちゃんは、椅子にもたれ掛かって深くため息を吐いた。
「幸せなんて見つかるのかな?そんな目に見えない物」
「分からないけど、何かしら得られる事はあるのかなって」
「美紀さ、どうせ叶わないから今まで何も望んだ事なかったんだ。だけど、こんな風に東京出てどっかに消えるなんて初めてだから、妙にワクワクしてる。よく考えてたの、美紀を知らない人達が居る場所に消えちゃいたいって」
その気持ちが胸に突き刺さるようにして伝わってくる。 私が旅を始めた理由と美紀ちゃんの何処かへ消えたいという気持ち。それが少しだけ似ている気がした。
「あっ、そうだ恵利姉、これあげる」
そう言って私の手に何かを握らせる。広げてみるとそれは、さっき可愛いと言っていたキャラクター物のご当地ストラップだった。
「お揃だよ!連れて来てもらってるし、良い旅になる様にって、ちょっとしたお守りってやつ?」
「ありがとう」
嬉しくてすぐにそれを携帯電話に付けた。
可愛いキャラクターがゆらゆら揺れながら、笑顔で見つめてくる。
私達の旅が今やっと、幕を開けた様な気がした。
***
長い間バスに揺られた後、早朝に高松からフェリーに乗り換えた。
美紀ちゃんは船酔いしてしまった様で、目を瞑ってぐったりとしている。
「おえー、ちょっとキモイかも」
「大丈夫?外に出て風に当たる?」
ふらつく美紀ちゃんを連れて外のデッキに出てみると、眩しい程の光が降り注いでいた。容赦なく太陽が照りつけてくる。 清清しい気分になる私とは対照的に、美紀ちゃんは表情を歪ませながら辛そうに椅子に腰掛けた。そして
「うわっ、化粧ぼろぼろだし」
そういうその目に太く引かれたアイライナー、それがぼやけて黒く滲んでしまっていた。 潮風に揺れる金髪は更にぼさぼさになってしまっている。その髪を
「あーもう、後で化粧落としちゃお」
そして何重にも重なった付け睫毛を外し出す。その目はまん丸で愛嬌があり、可愛らしい顔になった。
その時ふと、思い出す。昨日の朝、キャサリンさん家でお風呂を借りた。 慎が起きる前に出たいという気持ちがあり、急いでいて顔を洗わなかったけど――。
そっと自分の顔を両手で押さえる。さっき鏡で自分の顔を見た時、化粧してなかった。キャサリンさんに化粧をしてもらったその後、自分で落とした記憶が全くない。きっと眠っている間に、キャサリンさんが化粧を落としてくれたのだろうと思った。「ネチ子、化粧したまま寝ちゃ駄目よ」なんて言いながら――。
そんな所を想像して、思わず笑みが零れてしまった。
すると美紀ちゃんが立ち上がり、体を叩いてきた。
「恵利姉、人がラリってる時に何ニヤニヤしてんの」
途端に恥ずかしくなって顔を俯かせる。
「ごめんね。ちょっと出逢った人の事を、思い出してて」
「出逢った人かー、これからうちら誰に出逢うんだろ?」
「きっと素敵な出逢いがあるはずだよ」
今まで出逢った様な人達を美紀ちゃんにも逢わせてあげたい。
まだ知らぬ出逢いに胸を馳せ、青く広がる空に目を移す。この先に誰が待っているかは分からないけど、気持ち良くなる程のこの空に、期待の胸を膨らませた。
「暖かい地に住む人は心が穏やかとか言うしー、良い人に会えるといいなー。つか、暖かい超えてあっちぃ。やっぱ美紀、中で寝る」
室内に戻る前に、もう一度辺りを見渡して深呼吸した。
心なしか東京よりも空が近い気がする。 夏がとりわけ好きな訳ではないけど、
「恵利姉、入んないの?」
「あ、今行く」
残像が残る目をぱちぱち瞬きさせ、室内へ戻る。こんな朝にお酒を飲みながら談笑する人や、走り回って遊ぶ子供達。みんな時間なんて気にしていないみたいに、のんびり過ごしている様に見えた。 何となく、東京とは違う空気を感じる。
上手く説明出来ないけど、この空気の中に居ると落ち着く。まだ島に着いていないのに、既に香川という場所が好きになってきていた。
お座敷の様な空間が何箇所かあり、私達はそこで横になって島への到着を待つことにした。 美紀ちゃんは
まるで香川に行くのを予想していたかの様に、Tシャツとジーンズという夏の装いに変身した。 多くの人がする格好だけど、無造作に纏めた金色の髪と蛍光色の派手なTシャツという組み合わせが、東京から来たという目印になっている様に思える。傷跡を隠す為か手首にリストバンドをはめると、コットンで手際よく化粧を落としその場に寝転んだ。そして時折、ごろごろと転がりながら体当たりしてくる。
「恵利姉、美紀ひまー。ひまひまひーまー」
不満を漏らす美紀ちゃんを他所に、切ない様な嬉しい様な複雑な感情を抱いた。
『お姉、いつか一緒に旅に出たいね』
彩と旅をしている様な気持ちになったから。
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