「再出発」3

                    ***




朝の強い日差しを感じて目を開く。見慣れない天井に見慣れない部屋。起き上がって辺りを見回した。ピンクと白を基調とした家具に、沢山のネイルが飾られたドレッサー、ファーで縁取った鏡と、なんだか女の子らしい部屋に居た。ピンク色の布団をじっと見つめ、此処はキャサリンさんの家に違いないと思った。



突如ずきんと頭痛が走る。



「いた――。」



そう言えば昨日は私、結構飲んだ気がする。曖昧な記憶を辿りぼーっとした。

あまり頭が働かないので、ベッドから降りる事にした。すると、何かに躓いて勢い良く転んでしまった。



「ひゃっ――!」



バタッと転び、慌てて振り返る。そこには、乱れたスーツ姿で慎が眠っていた。

何でこの人床に寝てるの?という疑問を抱いたのと同時に、一緒の部屋で寝ないでよという不快感を覚える。



小さくペシッと叩くも、慎は微動だにもせず爆睡していた。

その間抜けな姿をまじまじと見てみると、私のバッグをしっかりと両手で抱えていた。恐らく私が逃げない様にと此処までついて来たのだろう。だけど慎は顔に落書きをしても起きない眠りの深い人。手こずる事なくバッグを素早く引き抜いた。



キャサリンさんを探そうと部屋の扉を開ける。すると、広いリビングに出た。



さっき居た部屋とは全く違う雰囲気だった。猫足で白と金の色合いの家具ばかりが目に付く。とにかくどれも高級そうだった。ちょこんと側にあるレザーソファーに腰掛け考える。キャサリンさん、昨日高いお酒ばかり飲んでいたし、此処はきっと高級マンションだし―― 只者じゃない。



昨夜の出来事は全部は覚えていない。だけどトイレでキャサリンさんに言われた言葉は、ハッキリと覚えていた。



「今を、生きる――。」



思い出してそう呟く。



ふと目が奪われた物があった。それは、正面の棚の上にある沢山の写真達。

立ち上がりそっと近付いて眺めてみる。 職場の人や友達だろうというのが想像できる写真の中で、一枚だけ雰囲気の違うものがあった。



少し色褪せたその写真の中には、爽やかに笑う少年と、優しそうな笑みを浮かべる女性が写っている。 もしかしてこれは、キャサリンさんが女の子になる前の写真かもしれない。



『夢が叶った時、家族と周りの皆、全員離れてったわぁ』



昨夜聞いた言葉を思い出し、悲しい気持ちになった。



隠さず飾ってある、過去の写真。 家族や大切な人達を押し切ってでも夢を叶えたキャサリンさん。そしてその結果、誰も居なくなった。それはどれだけ辛く孤独なことなのだろう。 今はあんなに明るくて楽しそうに生きてる。私にも、キャサリンさんの様に明るい未来があるのだろうか。



物思いにふけていると、突然ある事を思い出した。



そいえば私、彩に手紙書いてないや。 決められた事ではないのに、慌てる様に鞄からレターセットを取り出した。





                 ・・・・・


                  彩へ



私は今、東京に戻って来ています。すぐに暖かい所へ行こうとしてたんだけど、そこで誰に会ったと思う? 慎に会っちゃったんだ。


心の底から、しまったって思った。嫌な予感的中で、散々振り回されたよ。

そんな中思ったの。やっぱり東京は、なんだか合わないみたい。


だけど一つだけ、慎に感謝した事がある。それは、キャサリンさんに出逢わせてくれた事。慎と接点が無ければ、絶対に出逢えなかった人だと思う。


凄く可愛くて面白いの。 彩と気が合いそうだよ。


今まで出逢った誰よりも明るくて、よく笑う人なんだ。

だけどその分、沢山の苦労をしてきたんだと思う。


ねぇ彩、異性でも同性でもいいから、誰かに強く惹かれた事はある?


私にとってキャサリンさんは、とても魅力的な人なの。

上品で女性らしくて、何か見えない光でも放ってるみたいに輝いてる。


その輝きは、キャサリンさんの生きてきた道と、計り知れない努力から出来た物なんだと思うんだ。いつかあんな風に笑いたい。あんな風に輝きたいって、そんな気持ちにさせてくれる。


この街全員の人に出逢ったわけではないけど、私は今居るこの街でね、キャサリンさんが一番綺麗なんじゃないかなって思う。


なんだか、うちのお母さんが一番だっていう子供みたいだね。


慎はもうお腹いっぱいだけど、そんな人に出逢えて本当に良かった。


だけど行くと決めたことだから、次の場所に行こうと思っています。

今度こそは、暖かい場所へ。


いってきます。



追伸:お酒はもう飲みません




                 ・・・・・





便箋を封筒に入れた時、カチャッと何処かが開く音がした。 思わず体を飛び上がらせ、きょろきょろしてしまう。もしも慎だったら面倒な事になるから。



現れたのはピンクのガウンを羽織ったキャサリンさんだった。よく見ると化粧をしていなくて、眉毛はなく目も眠たそうだったけど、肌はもちもちしていて弾力があった。 慎ではなかった事にホッとして、つい笑みが零れる。キャサリンさんは寝起きのガラガラ声で言った。



「ネチ子、もう行くの?」


「――はい」


「ちょっと待ちなさいよ。あんた昨夜からすると、二日酔いなんじゃなぁい?」



そう言いながらキッチンに移動し、冷蔵庫からグレープフルーツを取り出した。

キッチンにはカウンター席がある。そこまで小走りで駆け寄りぺこっとお辞儀をした。



「あの、昨日はご迷惑をお掛けしました」



ちょっと声が大きかったかもと思い、さっきまで居た部屋をちらっと見る。

それを見たキャサリンさんが、察したように言った。



「大丈夫ぅ、慎ちゃんはまだまだ起きないわよぉ。だってまだ8時よぉ、あれから3時間しか経ってないのぉ。ねむぅーぃ」



大きなアクビをしながらグレープフルーツを切るキャサリンさんを見つめる。

そんな早い時間に目が覚めたとは思わなかった。今はちっとも眠たくない所から察して、自分はよく眠ったのだろうと思った。



「昨日ってか今日?慎ちゃんがさぁ、あんた見張るって言って、無理やりうちに来たのよぉ。もぉ、ホスト自ら客の家押し入るなんてぇ、夜這いかと思ったじゃなぁい。困った男ー」



そう言って、一切れのグレープフルーツが入った水を差し出してくる。



「それ二日酔いに効くから飲んどきなさい。あ、あとねぇ、すぐに何か食べたら肝臓に悪いから、はいヨーグルトよ」



そして今度は、ピンク色のグラディエーション掛かったガラスの器を出した。上にちょこんとミントが乗ったヨーグルトが入っている。 手際良いその様子を見ていたら、言わずにはいられなくなった。



「キャサリンさん、良いお嫁さんになりそうですね」


「やっだぁ、もっと言いなさぁい」


「いただきます」



有り難くそれらを口に運ぶ様子を、キャサリンさんは優しい笑みで見つめてくる。



「不思議ねぇ、あんた見てると母性本能が沸いてきちゃうのよねぇ。慎ちゃんが心配する気持ちが分かるわぁ」


「え、私はキャサリンさんの事、お母さんみたいって思ってました」


「あら奇遇。じゃあー、あたしの子供になるぅー?まずは下ネタから植えつけないとねぇ。全く話にならないわ」



それはちょっとという思いを込め、苦笑いを返した。



するとキャサリンさんは、キッチンを出て何処かへ向う。向かった先は、沢山の写真が飾られた棚。さっき目にした場所だった。 爽やかな少年と、優しそうに微笑む女性が写る写真。それを手に取り、私の隣に腰掛ける。



「これね、私の母親よ。綺麗でしょう?」



こくりと頷くと、キャサリンさんはそのままゆっくり語り出した。



「あたしの父は病院の院長で、とても厳しいしつけで育ったの。父は勿論あたしに医者になって欲しかった。だけど今じゃこんなんでしょぉ?当然の如く、勘当になったってなわけぇ」



マナーがなっていて上品な雰囲気があったのは、家柄が出ていたからなのだと納得した。



「理解してもらおうと頑張ったわ――。 でも、駄目だった。最後に会ったのは、ここに写ってる母親」



そう言って写真の中の女性を指差す。キャサリンさんは表情を曇らせ、落ち込むような小さな声を出した。



「その時母が言った言葉をねぇ、あたしは一生忘れられないの。母はあたしの目を見ずに、震えながら言ったわ。“あなたはもう、うちの子ではありません”ってね。そしてその半年後、母が病死したと連絡が来た。それも家族からではなく、弁護士からね」



ズキンと胸に痛みが走った。驚きと同時に言葉を無くしてしまう。

キャサリンさんは悲しそうな表情のまま、撫でる様にして写真に手を添えた。



「あたしが女の子になる前は、凄く仲が良かったのに――。」



そう言ったその目に、うっすら涙が浮かんでる。

それを見ていたら居た堪れなくなって、つい考えてしまった。



彩が援助交際をしたと聞いた時、アダルト女優になると聞いた時、私は酷く反対した。家族なのに理解出来ないと思った。だけど―― たった一人の家族の彩を、見捨てるなんてことは出来なかった。だからこそ理解しようと努力した。

キャサリンさんの家族は理解しようとしたのかな?それか、理解しようと試みたけど駄目だったのかもしれない。



悲しい気持ちのまま写真を見つめる。

するとキャサリンさんは、写真立ての背表紙を開けた。



「母が亡くなった数日後、母からあたし宛だって、弁護士にメモを手渡されたの」



写真と写真立ての間に、二つ折りにされた紙が挟まれていた。

それを手にし差し出してくる。



「これよ――。」


「見て、いいんですか?」


「どうぞ」

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