「罪から逃げる青年(後)」4

帰り道、私達はずっと手を繋いだままだった。

まるで迷子になった子供みたい。

お互いを支える様にして、繋いだ手を離さなかった。



日が落ちてきて空は夕焼け。

綺麗なピンク色で、オレンジ掛かった雲が広がっている。

私は一生、この空の色を忘れないだろうなと思った。



池上君はいつも通り、ホテル前で足を止める。



「笠井さん―― 迷惑かけたな」



そう言うと、静かに手を離した。



「今日、俺に感謝しとる言うたな」



嫌な予感に戸惑いながら、ゆっくり頷いた。



「俺のが感謝しとるんやで」


「池上君?」


「笠井さんに逢えて、ほんま良かった」



その言葉に酷く胸が締め付けられる。



聞きたくない――。 何となく感じた別れに、抵抗するように胸が痛みを与えてくる。じっと俯いていると、何かを差し出された。



「昨日のミサンガ、持っててくれへん?」



昨日見つけた、卒業アルバムに挟まっていたミサンガ。そっとそれを受け取った。



「笠井さん、何で色々なとこ転々としとるん?」


「――分からない。ただ、生きる意味とか、幸せを探して家を飛び出したんだと思う」



そう言うと彼は、顔を上げて空を見つめた。



「せやったら、まだまだ旅は続きそうやなぁ」



大きくて果てしなく広がる空――。この空の下、梨香さんや勇作君、そして池上君に出逢った。この空と同じ、私の旅は一体何処まで続いているのだろう。



「その内、大阪ここも出るつもりなんやろ?前に言うてた、暖かい所に行くん?」


「――そうかも、しれない」


「ええなぁ、俺も一緒に行きたかったな」



驚いて顔を上げる。



池上君、それは一体どういう意味なの?恐くてそれが聞けなかった。

不安な気持ちのまま泣きそうになるのを堪え、真っ直ぐ見つめた。

そんな私の顔を、背の高い池上君が覗きこんでくる。



透き通った茶色い瞳が近付き、金色の髪がふわっと私の頬をくすぐった。

そして彼の唇が、そっと私の唇と重なる。



「元気でな――。」



それだけを呟き、彼は背を向け歩き出した。

放心状態になってその場に立ち尽くす。



池上君とはこれが最後――。

それが、確信に変わった瞬間だった。



どうしたら良いのか迷った。

引き止めた方が良いのか、それとも何処へ行くのか聞いた方が良いのか――

何も出来ない自分がもどかしくて仕方がない。

考えが纏まらないまま、あまり出さない大声で叫んだ。



「い、池上君!」



彼は振り向かずに立ち止まる。

涙を必死に堪え、背中に向って再び叫んだ。



「また、逢えるよね?」



気付けば自分の想いを投げかけていた。

彼の行き先ではなく、自分の願いを。



「手紙書くから、ゲームも練習して強くなるから、だから私、待ってるからね!」



言い切った後に、一筋の涙が頬を伝っていった。

その時、池上君がやっと振り返る。

その表情は、今まで見た事のない優しい笑みだった。



「またな、笠井さん」



池上君の初めての笑顔と、初めての別れ際の挨拶――。

ミサンガを握り締めたまま、見えなくなるまで彼の背中を見つめた。

きっとまた、会えるよね?心の中で、励ますように何度も問い掛ける。



胸が潰れそうなほど痛くて苦しい。 涙を流しながらホテルに戻り、いつもの癖で水を変えようと花瓶に手を掛けた。よく見ると、花が全部枯れていた。

菊の花びらが数枚テーブルに落ち、霞草かすみそうはだらんと寝てしまっている。



枯れちゃった――。

その様子を見たら、悲しい気持ちに拍車が掛かり更に涙を流した。



霞草かすみそうの小さくて白い花びら。それは数枚だけ綺麗に残っている。これを押し花にして、いつかまた会えたその時、彼に渡してあげよう。



この日私は、眠れずに朝まで泣き続けた。



そして――

池上君はこの日を境に、姿を消してしまった。







                    ***




池上君が居なくなって数日、大阪を発つことを決意した。

彼が居ないのなら此処に居る意味がない。そんな風に思えたから。



長期滞在させてもらったホテルで手続きを済ませ、荷物を纏める。

開きっぱなしにしていたパソコンを閉じようとしたその時、ある文字に目が奪われた。それは、開いていた検索サイトのニュース記事一覧。そこに、気になる見出しがあった。



「八年前の少年溺死事故。事故ではなかったと当時の同級生が自供」



池上君はきっとあの日、あの後――。



その見出しをクリックせずにパソコンを閉じる。



胸が痛い。 池上君が居なくなったあの日から、ずっと胸が締め付けられて痛かった。その痛みを耐えるように目を閉じ、深く息を吸い込む。

そして、ゆっくり立ち上がりボストンバッグを手に取った。



部屋を出て扉を閉めた時――         

大阪での旅が、静かに幕を閉じた様な気がした。





                 ・・・・・


                  彩へ



罪を犯してしまうって、どんな気持ちだと思う?

人を殺めてしまうなんて、私には想像も出来ない。


だけど、誤って人を殺してしまった池上君の罪と、何も出来ないまま彩を死に追いやってしまった私の罪―― それが、私達を引き合わせたのかな?


ただ純粋な恋心から起きてしまった事故。

人はそれをどう思うかは分からないけど、当時の池上君の気持ち、それから八年間罪を引きずって生きてきた彼の気持ち――。

それを考えるとね、胸が痛くなるの。


だけど、罪は罪なんだよね。


毎日飾っていた花が枯れてしまったのを見た時、とても悲しくなった。

なんだか今、無性に人が恋しい。ほとんど会話はなかったけど、いつも隣に居た池上君が居ないと、こんなにも寂しい気持ちになるなんて思いもしなかった。

思っていたよりも凄く居心地が良かったみたい。

いつからこんなにも、人が恋しくなってしまったんだろう。

一人のが、楽だったはずなのにね。


私は今日、大阪を発つことにしました。




                 ・・・・・





『じゃあ、四国の方やん?』



池上君の言葉を思い出し、四国へ向かうことを決意した。

大阪からではなく、なんとなく、いつものあの場所から出発したかった。



深い意味はないけど、自分だけのジンクスの様な感じで、良い旅と人に出逢えます様に―― そして、答えが見つかりますようにと願って。そう思い、東京方面の夜行バスに乗り込んだ。



梨香さんから貰ったCDを聴きながら、去り行く大阪の街並みを眺める。



『現住所が東京じゃ、何処も雇ってくれへんで』



池上君と出逢った、あの日の事を思い出す。

出逢った頃には、想像も出来なかった――。



『ええなぁ、俺も一緒に行きたかったな』



彼が今隣に居たら、どんな気持ちで次の場所へ向かうのだろう。

そして、どんな時を一緒に過ごしたのだろう――。

そんな事を考えてしまい、思わず涙が零れた。



『またな、笠井さん』



あの笑顔を思い出し、手にしたミサンガを握り締める。



出逢った頃には、想像も出来なかった――

私、池上君のことが好きだった。



せめて夢の中だけでもと、目を閉じて眠りにつく。彼とまた、出逢える夢を。





      



早朝に東京に到着し、バスから降りて辺りを見渡した。天気は曇りで、湿気でじめっとした空気だった。そんな中、こんな早朝に携帯電話が震え出す。



この時間だもの、どうせいつもの人物。

予想できていたので、ため息交じりに通話ボタンを押した。



「おお、恵利!この間のメール見た!?」



予想通り慎だった。今はより一層この人と話したい気分ではない。

この間のメールって、ホスト全開のあの写メールのことかな?そう思いありのままを伝えた。



「削除したけど」


「うおおい!まじかよー!!」



思わず電話を遠ざけた。相変わらず五月蝿くて凄く不快になる。



「私いま慎と話したい気分じゃないから」


「あああ!!」



外にまで響き渡るほどの大声。腹が立ったのでそのまま通話を切った。

いつも通り電源をオフにしようとしたその時――。



「恵利ー!!」



側で聞こえた慎の声に、身も心も硬直した。辺りを見回すとそこには、白いスーツ姿でホスト全開の慎がこっちに向かって走ってきている。



「やっと見つけたしー!」



あーあ。


頭の中で、ゲームオーバーの音楽が流れた気がした。

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