「罪から逃げる青年(後)」3
***
どの位眠ったのか分からない。
ゆっくり目を開くと、見慣れない天井が目についた。
此処は、何処だっけ――。
ぼーっとそんな事を考えていると、視界に池上君が入ってきた。
「もう昼や」
驚いて飛び起きた。
「あ、ごめん」
彼の家に居た事を瞬時に思い出し、慌てて起き上がり髪を正した。
恥ずかしい。間抜けな寝顔見られたかも。そんな心配をしていると、池上君が眠たそうな顔で言う。
「なあ、また付き合うてくれへん?今度は
「――うん、いいよ」
詳しい事はあまり聞かず、彼に付き合うことにした。
一度ホテルに帰り、シャワーを浴びてからまた合流することになった。
駅のホームで池上君は、相変わらず色々な人から注目を浴びている。
こんな美男子の横にチンチクリンな私なんて、絶対おかしいと思われてるよね。
顔を俯かせていると、池上君が覗き込んできた。
「寒ないか?」
「え、うん。最近はもう暖かいね」
池上君が私を気遣った事につい驚いてしまった。
季節はもう春。 今日は天気が良くて、寒さが和らいでいる。暖かい日射しが私達を包み込んだ。心なしか池上君は、晴れやかな顔をしている様に見える。
「これから何処に行くの?」
「――俺の実家の近く」
昨日から極力何でも答えてくれている。
昨夜から感じる違和感を吹き飛ばしたくて、つい伝えたくなった。
「私―― 池上君に初めて会った時、少し冷たい人だと思ったの。だけど今は、池上君は冷たい自分を演じてるんじゃないかと思うようになった」
「――なんやねん、急に」
「今ではね、池上君に感謝してるの」
最初は彼を救いたいと思っていた。だけど気が付いた。
一緒に居て心が救われていたのは、私の方だった。
「欲を言えば、池上君にはもっと笑って生きて欲しいかな」
そう言うと突然、髪の毛をぐしゃぐしゃっと撫でる様に乱してきた。
「人の事言えんやん」
急に照れ臭くなって、俯きながら髪をそっと正した。
目的地の駅に到着し、池上君は仏用の花を買った。
菊の花と
私はただ黙って彼の後をついて歩いた。
マンションなど大きな建物はなく、一軒家ばかりが目立つ質素な町並み。
しばらく歩くと、川が流れる河川敷が見えてきた。
こんな良い天気の日は、こういう所を歩くのがとても気持ち良い。
大きく息を吸い込んで、伸びをしながら歩いた。
素敵な場所なのに人の気配があまりない。 家の近くにこんな所があったら、毎日散歩しちゃうだろうな――。 そんな事を考えながらしばらく歩いていると、池上君が突然立ち止まった。よそ見していた私は、彼の背中にぶつかってしまう。
「――ごめん」
池上君はその場から動こうとしない。
彼の肩越しに、花が何個か添えられている一角が見えた。
池上君は振り返らないまま、静かに話しだす。
「中学ん時彼女おって―― 彼女は卒業したら、東京に行くことになってたん」
墓地に行った時の様に、彼の体は強張っていた。
「――俺な、むっちゃ好きやったん」
心臓がドクンと音を立てた。これから全てを知るような予感がしたから。
「照れくさくて内緒で付きあってたんや。デートはあまり人が通らんこの河川敷に座って、ただ話をしとったりしてたな」
彼は花が手向けられた一角に近付き、しゃがみ込んで持っていた花を置く。
「遠距離でもかまへんかった」
聞きたい気持ちと聞きたくない気持ちが交差してる。
鼓動が早くなっていくの感じ、思わず胸を押さえた。
「中学の卒業式が終わって、いつも通り彼女と此処で待ち合わせてたん」
此処――。 川と草の他に何もなく、とても静かな河川敷。
15歳の池上君が過去に此処に居た。それを考えながら、改めて辺りを見回す。
「したらな―― 別れてくれへん?って言うんや。俺の他に好きな奴がおって、もう付き合うてるからって。俺は誰なんか名前を聞きだした」
側でせせらぐ川の音、眩しい程の春の日差し。
そして、池上君の背中――
その中で耳を澄ませ、彼の声だけに集中した。
「ほんで彼女と別れた後、此処にそいつ呼び出したんや。せやけど、話すことなんか無いって言い争いになったん」
そう言って池上君は、ゆっくり川に目線を移す。
「帰ろうとしたそいつの腕を勢い良く引っ張ってしまったん―― したら、その拍子にそいつはバランス崩して、川に落ちてしもうた」
池上君の体が微かに震えていた。顔は見えない。
だけどきっと、酷く怯えた表情をしているに違いない。
「慌てる事しか出来んくて、何もできへんかった。誰か呼ぼうとしたん、せやけどその時、俺の脳裏に過ぎったんや―― “邪魔者が居なくなる”って。そう思て俺は、その場から逃げ出した」
聞いてるだけで息が出来ない程に胸が痛くなってくる。
驚いた気持ちと、悲しくて辛い気持ち、色々な感情が入り混じっていた。
池上君の告白は重く、ただ黙って聞くことしか出来ない。
「次の日うちの近所は大騒ぎやった。彼女は俺を疑いもせずに、葬式ん時ひたすら泣いてた」
「池上君――。」
今にも消えてしまいそうな彼を呼び止めるかの様に、名前を呼ぶ事しか出来なかった。 自分は無力な人間なんだと、改めて痛感してしまう。
彼は顔を俯かせ、肩を震わせながら話し続けた。
「葬式で色々な人らが泣いてて、死んだそいつの遺影見た時、俺は何も悪くないこいつの未来を奪ってしもうたんやって思った」
池上君はきっと泣いている。
私の目の前に見えるのは、眩しく日に照らされている金色の髪だけ。
中学の頃とは違う自分、死んだ様に生きる毎日、死に切れない重み――
その全てで、池上君は出来ていた。 罪から目を背けたその日から、池上君はきっと、この事実に鍵を掛けたんだ。自分の胸に、固く。
「警察では結局事故って事になったん。俺と彼女が付き合うてる事は隠してたから、誰も疑わへんかった。彼女もまさかそんな事が起きたなんて、想像もしてへんかったと思う」
この重い事実を、ずっと一人で抱え込んでいた池上君――。
それを私と、共有した。
だからこそ今、その重い事実と私は向き合う必要があると思った。
背を向けしゃがみ込む池上君の前にゆっくり回り、問い掛けた。
「それは事故だよね?どうして、警察に言わなかったの?」
顔を上げずに彼は震えた声で答える。
「ただ―― 恐かったん。事故でも何でも、15で人を殺してもうたなんて、親の顔見たら、言えへんやんか」
掛ける言葉が何も出ずそっと池上君の手を握った。
胸が痛い――。 池上君を想う痛みと、亡くなったその子とその周りの人達の痛み。それらが絡まるように、心を締め付けてくる。
どうしたらいいんだろう。ただ悲しくて、涙を流すことしか出来なかった。
「いくら事故でも俺が助け呼べば、助かったかもしれへん。何も悪くないやつを見殺しにしたんや。俺は、死ぬべきやねん」
俯いて見えない池上君の顔、止め処なく零れ落ちる涙だけが見えた。
「せやけど俺はまだ生きとる。おかしな話やな、俺が死なな、そいつもその家族も、一生報われへんのやろうな」
「池上君―― それは違うと思う」
握っている手にぎゅっと力を込めた。
「池上君は死んで償うんじゃない。生きて償わないと」
その時、彼がやっと顔を上げる。涙が沢山零れ悲しみが溢れた表情をしていた。
15歳のまま止まってしまった時と、その瞳。それらを逸らしてはいけないと、じっと見つめ返した。
「私と同じ様に大切な人を亡くした友達が言ってたの――。 残された私達の課題は、生きる事だけだって。過去はもう変えられないから、だから、一生その苦しみと共に生きる。池上君は生きて償うこと、それが課題なんだと思う」
私の目からもどんどん涙が溢れ出てくる。
色々と伝えたい事はあるのに、泣きすぎてそれ以上声が出ない。
「なんで、笠井さんが泣いとるん?」
「だって、悲しいから――。 どうして私達、こんな形で出逢っちゃったのかな」
気付けば私は池上君よりも泣いている。
まるで子供の様に泣いて、涙を抑える事が出来なかった。
「池上君、お願いだから、死にたいなんて言わないで――。」
そう告げると、強く抱き締められた。
その時私は、初めて池上君の心の中に入ったような気がした。
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