「罪から逃げる青年(前)」6
・・・・・
彩へ
最近ね、池上君と一緒に過ごす事が多いんだ。 最初は苦手だったけど、最近では一緒に居る事が慣れたのと、なんだか放っておけないと思う様になったの。
人生に絶望でも抱いているかの様なあの瞳。
あの瞳を見ると、何か出来る事はないかと考えてしまう。
彼に何があったのかは分からない。
理由は分からないけど、もしかして池上君は死にたいのかもしれない。
そして私は、そんな自分と似た池上君を救って、自分も救われたいのかもしれない。
それはただの自己満足なのだと、傍から見たらそんな風に思われるかもしれないけど、池上君を心配せずにはいられないんだ。
自分自身と重ね合わせて救いたいと思ってるだけじゃないの。
私は彩の死を、食い止める事が出来なかった。
だから池上君にも、何も出来ないかもしれない。
だけど、もしも池上君が死にたいと思ってるのだとしたら、少しでも力になりたい。 私は、二度と同じ過ちを犯したくないから。
彩は死ぬ前、何を思っていたの?
私がもしも、彩の気持ちを察して引き止める事が出来ていたなら――
そしたら彩は、死ななかったのかな。
お姉ちゃん、何もしてあげられなくてごめんね。
・・・・・
「自分明日休みやろ? ――暇?」
ある日の仕事中、突然池上君にそう声を掛けられた。驚きのあまり固まってしまう。 明日付き合えって事かな?でもどうして?そんな風に混乱して何も答えずにいると、彼はこちらを見ずに言い放った。
「聞くまでもないな。どうせ暇やろうから、明日昼の12時に迎え行くわ」
思わず自分の耳を疑ってしまったけど、どうやら聞いた言葉は本当だったらしい。
翌日お昼12時、恐る恐る外に出てみると本当に池上君が待っていた。
池上君はいつかのあの日に見た時と同じ、黒のスーツを着ている。
相変わらず冷めた眼差しで一瞬だけ私を見て、ぷいっとそっぽを向いた。
「行くか」
そしてそのまま、すたすたと駅に向って歩き出す。
「あ、あの、何処に行くの?」
池上君から返事はない。
駅前の改札に着くと、既に買って用意していたであろう切符を無言で手渡してきた。
「良いよ、自分で買うから――。」
「ええから。ただ黙ってついて来い」
その命令かの様な口調に、思わず不満な表情になってしまう。何処に行くか教えてくれてもいいのに――。 そう思いながら切符に目を移した。
切符には860円と記されている。この人は一体、何処まで遠くに連れていく気なのだろう。 疑問は色々とあったけど、彼に言われた通り、ただ黙ってついて行くことにした。
平日の昼間だからか乗車客は疎ら。選び放題の座席に並んで座ると、傍に居た女子高生達があからさまに池上君を見てヒソヒソと話し出した。
「ちょっ、ヤバない?イケメンやない?あの人」
格好はヒソヒソでも、会話の内容は丸聞こえだった。そんな訳で、池上君の耳にも届いていたのだろう。ちらっと彼に目をやると、ポーカーフェイスなものの、機嫌を損ねているのが私には分かる。
彼は私にしか届かない声で呟いた。
「なんやねん、ウザ」
この人は外見は素敵かもしれないけど、中身が歪んでいる。失礼だけどそんな事を思ってしまった。
「池上君、あの日と同じスーツって事は、お墓参り?」
彼は何事もなかった様な態度で、無表情のまま何も答えない。
聞いているのかさえも分からないけど、そのまま話し続けてみた。
「誰のお墓参りか分からないけど、私が行ってもいいのかな」
そう言うと、やっと目だけで私を見た。
「平気や。ほんまは1人で行くつもりやったし」
だったらどうして私を誘ったのかな。そう思ったけど、なんとなくそれを聞く勇気がなかった。だけど池上君は心の声を聞いたかの様に、その答えを自ら話しだした。
「――1人じゃ行けへんかったから。前にコンビニで会うたやろ?あの時な」
あの日池上君は今日と同じスーツを着ていた。
花を私に渡したのは、行けなかったからという事だったんだ。
再び誰も居ない何処かに目を移す彼を見つめた。
この人は一体、どんな陰を持っているのだろう?
これから行く先に、その陰が待っている気がした。
そんな予感を抱いていると、ふと彼が私に目線を戻す。
「なあ、あの手紙やけど―― 届かへんやん」
「え?」
「手紙書いても、その人に届かへんやん。書き続けて意味あるん?」
意味―― 意味なんてきっとない。
ただ彩に伝えたい事が日に日に心に溜まっていって、それを吐き出す方法が他に思い付かないだけ。だから私は手紙を書く。一生届くことのない、手紙を――。
だんまりでいると、彼がじっと見つめてきているのを感じた。だけど何を言っても仕方がない気がして、何も言わずにいた。すると池上君は前を向きなおし、小さく呟いた。
「まあ、気持ち分からないでも無いけどな」
何かを察してくれたのか、それ以上何も聞いてこなかった。
何度か乗り継ぎをして、一時間半程でとある駅に到着した。
駅を出てみるとそこは、閑散とした都会とは呼べない町。これといって大きなお店はなく、寂れたパチンコ店や本屋だけが目に付いた。ここは何処かと聞いた所で、池上君は変わらず無言だろう。そう思ったので、何も言わずに彼の後ろを付いて行った。
住宅街を抜け坂を上がっていくと、どんどん緑が多くなってくる。
山中に近いある場所にポツンと霊園があった。
そこに近付くと、池上君はぴたっと足を止める。
「池上君?」
彼はその場から動かず微動だにしない。思わず前に回り込んで顔を覗きこんだ。
心なしか顔色が悪い気がする。
「大丈夫?」
彼は私から背を向け呟いた。
「――あかん。やっぱ無理や」
一体何なのか分からないけど、何か大きな理由があって此処に来たに違いない。
池上君が一人で来られないとは、よっぽどの事のように思えた。
「入ろう?」
此処は私が先陣を切るしかない。そんな思いで霊園に向かった。
ちらっと振り返ってみると、ゆっくりだけど池上君も足を進ませていた。
安心してそのまま進み霊園に入る。
小高い丘の上にある静かな霊園。見る所、他に人は居ない。
進んだはいい物の、何処のお墓に向えば良いか分からず振り返った。
すると、かなり離れた場所で池上君が立ち止まっていた。
「――池上君、何処に行けばいい?」
そう声を掛けても動く様子が見られない。近付いてみると、突然手首を掴まれた。
少し痛みを感じるほどの力強さ。 彼は青ざめた表情をしていて、少し震えている様にも感じる。
何故そんなに怯えているかは分からないけど、きっと此処に来たかったに違いない。1人じゃ来られなかったから、私を連れてきた。 役目を果たすべく、池上君の手をそっと握った。
「どこのお墓?」
まるで子供を連れて歩く様にして、手を引き歩き出した。
私達は手を繋いだまま、一つのお墓の前で立ち止まる。その墓石には“小西家”と書かれていた。池上君はその墓石を見つめたまま、じっとして動かない。
最近誰かがお参りに来たのか、墓石の前に缶ジュースやお花が置いてあった。
それを見た池上君が、小さな声で言う。
「やっぱり、花
そして長い沈黙の時が流れた。
どの位この場に立ち尽くしていたのか分からない。
ただ私は、池上君の気の済むまで此処に居ようと思っていた。
そんな中、時折お参りに来た人が私達の側を通る。
その度に彼はびくっと肩を竦め、握る手に力を込めてきた。
池上君は普段とは違い、何かに怯える子供の様だった。
少し経ってから、彼は今にも消えそうな微かな声で口を開く。
「笠井さん、俺―― 生きる資格ないねん」
心なしか声が震えている様に思えた。
「もう、八年も経ってもうた」
そう言って繋いだ手に再び力を加えてくる。
それはまるで、私に
私が居なかったら、今にもこの場から逃げ出すんじゃないかとも思う。
“無理しなくても良いよ、帰ろう”そう伝える事も出来た。だけどそうしなかったのは、彼の心の声を聞きたかったからかもしれない。それに今、閉ざされた心の鍵が外れようとしている気がしたから。
池上君の冷めた瞳が、陰りを見せ始める。
「この人の未来を―― 奪ったんは俺や」
ずっと知りたかった、池上君を覆う黒い陰――
「俺、人殺しやねん」
それが、明るみになった瞬間だった。
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