「罪から逃げる青年(前)」5

                    ***



季節は四月半ば。



今年の春の訪れは遅く、四月に入っても時折肌寒い日が続いていた。

今日も少し寒い休日。私は一人、駅前のカフェで時間を潰していた。

梨香さんから貰ったCDを聴きながら、カウンター席でぼーっと窓の外を眺めている。外は色々な人が慌しく歩いていた。



バスを待つ長蛇の列、スーツ姿の人、携帯片手に小走りする人、それらを見ていると、此処は東京に似てるなぁと思った。 私にはもうちょっとのんびりした所が良いのかもしれないな。そう思いながら紅茶を一口飲んだ。



「こちらへどうぞ」



その時、店員さんに案内され隣に人が座る。荷物を自分の方へ寄せながら、何気なくその人に目を向けた時、思わず声が漏れた。



「あ――。」



隣に座ったのが、池上君だったから。 一瞬だけ目が合ったのにも関わらず、彼は無表情ですっと視線を逸らす。そしてぼそぼそ話すように口を動かした。



「なんでこんな所で会うねん」



慌ててイヤホンを耳から外した。



「あ、ごめん、何か言った?」


「笠井さん休みやろ?こんなとこで暇そうやな。まぁ、何時でも暇そうなイメージやけど」



さらっと酷い事を言ってるな。そう思ったけど、当たっているので否定出来ない。



「何聴いてたん?」


「えっと、友達の曲」



池上君は無表情でCDジャケットを手に取った。すると、少しだけ目を見開いた。



BLOKE MATEブロックメイトやん」


「知ってるの?」



メディアにうとい私は、勇作君が歌手活動をしていた頃を知らない。だけど池上君が知ってるという事は、結構有名だったんだなという事が分かった。

勇作君が自ら歌手時代の事を話す事は少なかったし、自慢してくるような性格でもなかったので、有名だという事にちっとも気付かなかった。



「この片割れ死んだやろ」


「ダンさんって名前の人?」


「外人に付けんなや。きしょい」



池上君はそう言いながらメニューに目を移してしまう。

私も前を向きなおして、ぽつりと喋った。



大阪ここに来る前は、ダンさんと一緒に歌ってた人が経営するライブハウスで働かせてもらってたの」



すると池上君はメニュー置き、先程よりも大きく目を見開いた。



「――ほんまか?」



無表情の池上君が、今日はたくさん驚き顔を見せている。

私はよっぽど貴重な体験をしていたに違いない。



「うん、秋田で」


「あの人、今秋田におるんや」



まさかそんなにも有名な人と過ごしていたなんて思ってもみなかった。だからあのライブハウスは、何時いつでもお客さんでいっぱいだったのかもしれない。

今思い返すと勇作君、色々な人に声を掛けられていたかも。オーナーだし人脈がある性格だからだと思っていた。



「――あの、私あまり音楽聴かないから分からないんだけど、有名だったの?」


「俺もそないに聴かへんけど、BLOKE MATEブロックメイトはいっときめっちゃ売れたやん。その時知ったん」



何にも興味を示さなそうな池上君が知ってるという事で、より一層興味を持った。

だけど思い返してみても、有名だった歌手が頭に浮かばない。この旅に出る前に自分は、テレビも観ないで一体何をしていたのだろうという疑問が生まれ始めた。

首を傾げ考え込んでいると、いつも無口な池上君が話しを続けた。



「片割れ事故で死んで活動休止になったやろ。 ――本人に、聞かへんかったん?」


「うん」



ダンさんの話はしたけど、そこまで勇作君の事を詳しく聞いてなかった。



「何でそこ辞めてこっち来たん?」



話すと長いし、池上君に話す勇気があまりない。そんな思いで黙り込んでしまう。

しばらくしてから、池上君がボソッと呟いた。



「ほんま自分、無口やな」



池上君に無口だと言われるとは心外だな。そう思うけどこれ以上何も言えない自分は、彼の言う通りやっぱり無口なんだなと思う。そしてそのまま私達は、いつも通り無口になった。 最近では池上君が何も言わずに傍に居る事に慣れてしまっている。



数十分経ってから、同じタイミングでカフェを出る事になった。

カフェで別れようとしたその時、偶然店長と出くわしてしまう。



「お、どないしてん!二人して仲ええなぁ」



笑顔で私達の肩を叩く店長に、何も言えずに苦笑いした。

池上君も今きっと、同じ気持ちなんだろうなと思う。



「そや、珍しく仕事早く片付いてん!折角やから三人で飲まへん!?」



驚いて池上君を見つめると、無表情のまま首を横に振っていた。



「俺は失礼します」


「何言うとんねん!一緒に住んどるんやから、お前も来いや」



店長は池上君を無理やり引っ張り、そのままご機嫌な様子で歩き出した。

迷ったけど、慌ててその後ろを追い掛ける事に。

こうして私達は、店長に無理やり居酒屋に連れていかれる羽目になった。



そして私達は飲まされるだけ飲まされ、店長は上機嫌で帰宅していった。

その帰宅路、どうしたら良いものか戸惑っていた。

池上君がお酒のせいで、朦朧としながら歩いていたから。



「あのぉ―― 池上君だい、じょうぶ?」



どうやら彼はお酒に弱いらしい。気分がとても悪そうに見えた。



「あんな飲まされて―― 何で笠井さん酔わないん?」


「私ね、シャンパン以外のお酒には何故か強いみたいなの。お酒好きなわけじゃないんだけど」



昔、彩に大量のシャンパンを飲まされて大変な事になった。

それ以来シャンパンを飲まない事にしている。



「外見とギャップ、ありすぎやろ」



池上君は電柱や壁を伝って、やっとのことで歩いていた。その後ろを少しずつ付いて歩く。だけど進めば進むほど速度が落ちていき、とうとう彼は壁に寄り掛かり座り込んでしまった。



「ああ、頭ふらふらするわ。あんの、アホ店長――。」


「大丈夫?」


「放っといてくれ、先帰れや」



そんなことを言われても、こんなふらふらの人を放って帰るわけにはいかない。

その場で顔を俯かせる池上君を見つめ、しばらく立ち尽くした。数分悩んだ末、仕方なく隣に並んで座る。



この時間は電車が走っていて、慌しい音が聴こえてくる。

賑わう駅前をぼーっと眺め、池上君の回復を待つことにした。



「笠井さん―― あんた、何もんなん?」


「へ」


「や、なんでもないわ」



なんだかこうやってぼーっと見ていると、街行く人達みんな忙しそう。

この街では、よくぼーっと人を眺める事が多い。その度に私は、世間から取り残された様な気持ちになる。まだ肌寒い風がふわっと私の髪を靡かせた時、思わず独り言のように呟いた。



「静かで、暖かい所に行きたいかもなぁ――。」



まだこっちに来て少ししか経ってないけど、もう次の場所に行こうかなという考えが過ぎる。 池上君はまだ顔を俯かせていて何の反応もない。独り言のような物だったので、気にせず再び無意味に街を眺めていた。



少ししてから、池上君が口を開く。



「なあ」



彼は顔を上げ、珍しく目を合わせてきた。



「手紙―― しょっちゅう書いとる手紙やけど、ほんまにあれ、誰に書いとるん?」



初めて長い間目が合っている。それに動揺して、思わず口から本当の事が出た。



「――妹」


「死んどるんやろ」



驚いて思わず言葉を失くしてしまう。こっちに来てから誰にも彩の話をしていない。なのに池上君は、いとも簡単に真相に辿り着いてしまった。

私の表情を読み取ってか、彼はさらっと言い放つ。



「やっぱりな。なんとなく笠井さん、俺と似た所あんねん――。」



そして再び顔を俯かせてしまった。



彼の発言に引っ掛かりを感じた。似た所があるということは、もしかしたら――

そんな思いで、意を決して口を開く。



「もしかして池上君も誰かを――。」


「暖かい所って何処なん?」



話し切る前に私の言葉を遮った。また心に鍵を掛けた。そんな風に思った。

無理に聞こうとはせず、彼に合わせて返事をする。



「分からない、沖縄とか」


「ええかもな」


「だけど、さすがに沖縄までの夜行バスは無いよね」


「夜行バス?」


「うん、秋田も此処もバスで来たの」


「何でバスなん?」



酔ってるからなのか、今日はまともに会話が出来てる。

いつもだったらこんな風には続かない。 相変わらず心に鍵はかかっている様だけど、こうやって普通に会話出来るなんて貴重な気がした。



「なんとなくなの」


「じゃあ、四国の方やん?」



次はそっち方面を目指そうかな?そんな事を考え、繁華街の灯りに浮かぶ夜空を見上げた。



私が大阪ここに居る理由は何だろう?

隣に池上君が居る事も忘れ、しばらくそんな事を考え黙り込んだ。



「なあ」



声を掛けられ、やっと彼が隣に居た事を思い出す。

物心付いた時からの癖。何かを考え込んで、自分だけの世界に行ってしまう。

再びその世界に行ってしまわぬ様、池上君をじっと見つめた。

だけど顔を俯かせたまま、何も言葉を発さない。



やっぱり具合が悪いのかなと心配していると、やっと小さな声が返って来た。



「――人は、簡単に死ぬんやな」



そう言って顔を上げ、もたれかかる様にして壁に頭をつけた。

そのまま目を閉じ、ゆっくり息を吐く。



「俺はいつになったら―― 死ねるんやろう?」



暗闇の中、微かに光る金色の髪、長い睫毛、顔を上げた事でよく見える喉仏。

それらを見とれる様にして見つめてしまったのは、まるで映画のワンシーンでも観ているみたいだったから。



慌しく歩く人達の中で、私達だけ時が止まってしまった様だった。



私がまだ此処に留まっているのは、池上君が居るからかもしれない。

自分と何処か似ている彼を、救いたいという気持ちがあるのかもしれない。

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