第086話 雪の日
ある冬の日、空から私が降ってきた。空気の底へ沈み込んでゆくような、眠りに溶け込んでゆくときの呼吸のような穏やかさで、ゆっくりと、そして少しずつ、それぞれの私は降下してきた。雲のかかった、冬の空から、沢山の私が降りてきた。
まだ子供だったころの私、なんでも出来ると思っていたころの私、恋人と別れたころの私、悲しみに暮れていたころの私……。そのすべてが懐かしかった。羽毛のように敷き詰められた、白い雪の中へ私たちは包み込まれた。雪の中では寒かろうと思い、そりに乗せて自宅まで運んだ。火の灯った暖炉の暖かさにも反応せずに、降ってきた私たちは、こんこんと眠り続けていた。外ではまた雪が降り始め、空におとなしく漂う別の私も、幾分かの間隔をあけて雪と一緒に降り続けていた。
部屋の中を、私たちの寝息が満たした。静かに燃え続ける暖炉の炎が、それぞれの寝顔を照らしていた。外は暗闇に包まれていて、降り積もる雪を止めるものはいなかった。時計の針は、もうずっと前に止まったままで、動き出す時を、今か今かと待ち続けていた。そのネジを巻くべき人間は、ここには私以外いないけれど、わざわざ動かすのは、たいそう億劫だった。
明日になれば、また多くの私がここへ集まるだろう。どこへ向かうでもなく、穏やかな寝息を立てて、眠り続けることだろう。ここが私の終着点なのだから。雪の降る、時間の止まったこの場所が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます