第033話 浮遊者

人が浮かんでいた。自分の意志で空中にいると言うよりはむしろ、無気力に風に吹かれるビニル袋のようだった。角度のせいで、顔は見えない。糸の切れたマリオネットのように奇妙な姿勢で、車や人が行き交う交差点で、空をさまよっていた。驚いたことに、誰も気にとめるものなどいない。これほど多くの人がいるというのに。太陽がじりじりと頭上に熱を投げかけ、その視線に急かされるように人々は歩みを早める。人々の隙間をぬうようにして、浮遊者は誰にもぶつからず、誰にも気にとめられないまま、相変わらず空を飛び続けていた。


一台のトラックが交差点へ飛び込んできた。減速することもなく、クラクションで警告することもなく、自然なことのように。数人が避ける間もなく跳ね飛ばされ、さらに数人を轢き、少し進んだところでブレーキの大きな音を響かせてトラックは停まり、また走り去った。信号が変わっても、呆けたように辺りは静まり返っていた。事故に遭った犠牲者を、皆が遠巻きに眺めていた。ある人が我に返ったように電話を取り出し、救急車を呼んでいる。肉片と、血と、まだ人の形をした物が交差点に転がっていた。その周りを、浮遊者は風に身を任せ、舞い続けていた。


人々は少しずつその場を離れ始めた。遠くで救急車の音がする。事故があったことなど、すぐに忘れるだろう。誰が事故に遭ったかもすぐに忘れるだろう。しばらくして交差点に供えられる花束も、同じように忘れ去られるだろう。それが時の流れと言うものだから。しばらく後、少し強めの風が吹いた。浮遊者は、くるくると、きりもみしなが辺りを飛び回り、やがて雑踏の中へ消えていった。

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