第31話 迷宮の主


 空気を押しのけつつ、巨大な岩が唸りを上げて迫る。

 いや、確かにそれは岩には違いないが、単なる岩塊ではなかった。

 その岩塊には同じ材質の岩でできた筒のようなものが二つ連なり、その筒は更に巨大な岩に繋がっている。

 言わば、それは岩でできた巨大な人形だ。一ザーム(約三メートル)にも及ぶ巨大な岩人形の上半身が床から生えており、その岩人形の振り回した腕が、標的であるレグナムを押しつぶそうと猛然と迫る。

 対してレグナムは、迫る岩塊の拳を難なく回避すると、岩人形の上半身へと果敢に走り寄る。

 その際、すれ違い様に岩の筒と筒が連なる部分──人間でいうところの肘の部分──で神速の如き剣閃を抜き放つと、一拍遅れて岩の腕が轟音と共に床に落下した。

 それに目もくれずに岩人形の上半身に走り寄ったレグナムは、今しがた斬り落とした腕の方の岩人形の肩に愛用の長剣ロングソードの切っ先をねじ込む。

 長剣の切っ先は易々と岩人形の肩を貫き、先程と同じように肩から残されていた上腕部分が落下する。

 落下する岩塊を巧みに避けたレグナムは、素早く上半身の前を横切り、もう片方の腕の間接部分を同じ要領で破壊した。

 両腕を破壊された岩人形に危険はない。

 そう判断したレグナムは、剣を収めながら深々と息を吐き、部屋の入り口の所でじっと今の戦闘を見ていたパレットへと振り返った。

「もう大丈夫だ。部屋に入って来てもいいぜ?」

 そう言われたパレットが、恐る恐るといった感じで部屋に足を踏み入れる。

 だが、その彼女の顔に浮かんでいるのは、驚きと呆れが入り混じった実に複雑な表情だった。

「……粉砕の岩人形を、こんなにあっさり無力化するなんて……本当に信じられないわ……」

 粉砕の岩人形。それがこの巨大な岩人形を用いた仕掛けの名称なのだろう。

 実際、この粉砕の岩人形と発掘屋たちが呼ぶ絡繰カラクリ仕掛けの凶悪な罠は、チャロアイトの迷宮の深層部では時折見かけられるものだった。

 普通の人間がまともに受ければ、一撃で圧殺されかねない岩の拳による攻撃で、これまで何人もの発掘屋たちが物言わぬ屍と化している。この迷宮の中で、最も恐れられている罠の一つである。

 レグナムはその粉砕の岩人形をあっさりと無力化したのだ。パレットが呆れるのも無理はない。

「ん? そうか? 確かに攻撃力は高そうだが、動きはそれほど早くねえし、腕さえ破壊しちまえば後は単なる木偶の坊だ。そんなに怖くねえだろ?」

「その感覚がおかしいんだってばっ!! 普通、岩人形の腕は、あんなに簡単に破壊できないわよっ!?」

「確かにこれだけの質量を持つ岩そのものはさすがにオレでも斬れねえが、間接部分はどうしたって硬くはできねえもんだろ? そこを狙えば破壊は難しくねえさ」

「だ・か・らっ!! 普通の発掘屋……普通の人間には、そんな芸当はできないのっ!! はぁ……もういいわ。何だか疲れた」

 大きな溜め息を吐いたパレットから視線を逸らし、レグナムは足元に幾つも散らばった物を一つ、無造作に拾い上げた。

 それは彼が今までに見たこともない素材で造られた、細工物に関しては素人のレグナムにも、実に精巧だということが分かる歯車だった。

 先程、レグナムが破壊した岩人形の間接部分から零れ落ちた物である。

 こららの歯車などを複雑に組み合わせて、この岩人形は動いているのだろう。

 どのような動力で動いているのか。どのようにして標的を認識しているのか。それらはチャロアイトの迷宮に挑む腕利きの発掘屋たちにも判明していない。だが、粉砕の岩人形は発掘屋たちを阻む障害として立ち塞がる。それだけは動かせない事実であった。そして、発掘屋たちにはそれだけで十分なのである。

 レグナムはおもしろくもなさそうにその歯車を放り捨てると、彼とは逆に興味津々に破壊された岩人形の腕の断面を眺めていたパレットを促し、先へと進む。

 この迷宮の中で離れ離れになってしまった、自らが信仰する神とその下僕げぼくを探し出すために。




 回転式の扉の罠によって分断されてしまったレグナムたちとカミィたち。

 罠が作動した直後、何もない部屋を呆然と眺めていたレグナムだったが、突然その異名の如く鬼のような形相になって駆け出した。

 だが、彼が駆けたのはほんの数歩だけ。走り出した時と同じように突然足を止めたかと思うと、目を閉じて大きく呼吸を数回。彼はそれで何とか冷静さを取り戻した。

「レグナム……」

 そんな彼に、心配そうなパレットの声が届く。

 彼女へと振り向いた時、すっかりいつも通りに戻っていたレグナム。

「済まねえ……一瞬だが、我を忘れかけちまった……ちぇ、オレもまだまだだな」

 自嘲気味な笑みを浮かべるレグナム。パレットは彼を複雑そうな表情を浮かべながら見つめていた。

「……それで……これからどうするの?」

「もちろん、先に進む。あいつを……あいつらを探さねえとな」

 パレットは彼がそう言いながらも、強く拳を握っていることに気づいていた。それを見て、彼女の表情は更に複雑に歪む。

「行くぜ。ただし、得体の知れない変な物には絶対に触れるなよ?」

 しっかりとパレットの悪癖に釘を刺しつつ、レグナムとパレットは迷宮の探索を続けた。




 だが、結論を言ってしまうと、レグナムの忠告は全くの無駄だった。

 パレットは岩が転がる仕掛けを始め、様々なものに手を出していった。先程の粉砕の岩人形も、実は必要以上に近づかなければ仕掛けは発動せず、全くの無害だったのだ。それを好奇心にかられたパレットが無警戒に岩人形に近づいて仕掛けを発動させてしまったのだ。

 その後、すぐに彼女を部屋の外に退避させたレグナムが動き出した岩人形を無力化したから良かったものの、下手をすると今頃パレットは岩の拳で圧死していたかもしれない。

 実際、岩人形には下半身がないので移動はできない。そのため、必要以上に近づかなければ無害なのだ。尤も、罠を仕掛ける方もそれは承知しているらしく、岩人形が設置してある部屋はその岩の拳が届く程度の狭い部屋ばかりである。時には広い部屋にも設置してあるが、その時は複数の岩人形が設置してあるのが普通だ。

 レグナムは、後ろを歩くパレットをこっそりと肩越しに眺める。

 今、ランタンと松明の光に照らされた彼女の瞳は、実に生き生きと輝いている。どうやら、未知の仕掛けに触れ、そしてこれから出会うであろう仕掛けたちに興味津々のようだ。

 その後も、レグナムとパレットは様々な障害を乗り越えつつ、迷宮を突き進んで行った。

 時には現れる魔獣を倒し、時には発動した仕掛けを何とか掻い潜り。

 そうしている内に何時しか、彼らはチャロアイトの迷宮の六十階層に到達。

 チャロアイトの迷宮の最高到達階層は六十四階層。間もなく、彼らはまさに前人未到の領域に足を踏み入れようとしていた。




 背中が、寒い。

 通路の天井から突如襲いかかってきた巨大な百足むかでの牙を避けながら、ふとレグナムはそう感じた。

 百足自体は、それ程恐れるような相手ではない。例えレグナムでなくても、少し経験を積んだ発掘屋ならば簡単にあしらえるだろう。

 その程度の相手だというのに、レグナムは背中に心細さを感じて止まない。

 もちろん、その理由は分かっている。

 彼女と出会い、今日まで一緒に旅をしてきた。その期間は精々三十日ほど。だというのに、レグナムは彼女が背後にいないことに途轍もない喪失感を味わっていた。

 レグナムは、彼女に依存しているつもりなどない。だが、彼女の存在はレグナムにとっていつの間にか無視できないほど大きなものになっていたことを、この時になってはっきりと感じた。

──くっそ……どこにいやがるんだ、カミィ……っ!?

 自分へと襲いかかってくる百足を長剣で両断しながら、レグナムは彼が信仰する神の名を心の中で呼ぶ。

 当然、それに答える神の声は聞こえない。




 灯り一つない真っ暗な通路を、カミィはクラルーを背後に従えて堂々と進む。

 暗視の利くカミィとクラルーにとって、闇は行動を妨げる鎖とはならない。

 例の仕掛けに引っかかった二人は、掬い上げられるようにして部屋の中へと放り込まれた。

 そして、放り込まれた先には穴が開いており、そのまま穴に飲み込まれた二人は、滑り台のようになっていた穴の中を高速で滑り降りて行ったのだ。

 カミィたちと分断されたレグナムは、部屋の探索よりも先へ進むことを優先してしまったが、あの時に部屋の中をしっかりと探索したならば、その滑り台に繋がっている穴を発見できたかもしれない。普段のレグナムならば部屋の探索に思い至っただろうが、やはりあの時は冷静さを欠いていたのだろう。

 しばらくして滑り台の最終地点の部屋に放り出されたカミィとクラルーは、その部屋から伸びる一本の通路を発見した。

 クラルーに相談することもなく、カミィは無言でその通路を進む。もちろん、カミィが決めたことにクラルーが口出しするはずもなく、彼女も無言でカミィの小さな背中の後ろに続いた。

 そうやってしばらく進んだ先で、二人は扉に行き当たる。

 扉の前で立ち止まり、一度だけ背後のクラルーへと振り返るカミィ。

 別にクラルーに何らかの確認を取りたかったわけではない。ただ何となく、後ろを振り向いてしまったのだ。

 まるで、本来ならそこにいるべき人物に振り向くように。

 自分でも今の行動を不可思議に思いながら、カミィは相変わらず無言で扉に手をかけ、そのまま一気に押し開いた。

 途端、扉の向こうから溢れ出す眩しい光。それまで闇の中を歩いていた二人の視界を、膨大な光が焼き尽くす。

 とはいえ、その光が二人の視界を奪っていたのはほんの少しの間だけ。

 すぐに視力を取り戻した二人は、光の中にいた存在を目にする。

「ようこそ、僕の実験工房へ。君たちはここを訪れた初めてのお客さんだ。心から歓迎するよ、ご同輩」

 その存在はにこやかな笑みを浮かべながら、両手を広げてカミィとクラルーを迎え入れる。

「貴様は……」

 カミィの美しい形を描く眉が、訝しげに歪められる。

 そんな彼女の様子を眺めながら、部屋にいた存在はまるで悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。

 いや、子供のような、という表現は間違っているだろう。

 なぜならば。

「僕の名前はアマラント。人間たちからは技巧神なんて呼ばれているだよ」

 そう告げたその存在は、どこからどう見ても十歳前後と覚しき子供の姿をしていたのだから。

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