074 開戦
時間は刻々と過ぎ行き。
ついに分針が、競技開始の五分前を示した。
巨大な灰色のフィールドを中央に湛え、新緑の季節にも関わらず沙漠のような乾いた空気の充ち満ちた、ロボコンの会場。そこには微かながら、静電気のような冷たい緊張が漂っている。
全てのチームが今日まで全力を尽くし、今この場所に立っている。フィールドに佇む二百四十人の
機は熟した。
《スタートまで五分を切りました!》
実況の声が、いやにガンガンと響く。
《全四十八組、二百四十人がフィールド上に集結しています。映像を見る限り、他の会場の準備も整ったようですね》
《それではここで、注目チームの紹介に移りたいと思います! 先ずは先ほど宣誓もしていただきました、昨年度優勝チームの私立閏井高校『
《この辺りは優勝候補ですねぇ》
《ええ! 続いては昨年度八位、群馬学苑上野高校『
《昨年度十位の船橋工業大学付属高校『
《昨年度、ロボットの高い駆動性能を活かして会場を鮮やかに走り回ってくれた、私立梅宮高校『
名前が呼ばれるたび、各チームや学校の応援団から歓声が上がる。
「私たち、呼ばれないね」
悠香は亜衣に囁いた。昨年度二位の看板があるのに扱われないのかと少しがっかりしたのだ。
が、亜衣は動じない。
「別にいいんじゃないかな。あんまり注目されちゃうと、端っこに陣取った意味がないじゃん」
「……そうか、メリットないね」
最終的に有名になればいいんだもん。そう呟き、少し曲がった悠香の口元は、次の瞬間にはきゅっと締まった。
《残り、三分です》
実況がそう告げ、緊張がさらに一回りも二回りも高まる。
今やほとんどの観客が、祈るように開始の瞬間を待ちわびていた。それは、悠香たちの応援に駆けつけた人々も同じである。
物理部の面々はすっかり押し黙ったまま、フィールドを睨み付けていた。北上だけはフィールドではなく、悠香たちだけをピンポイントで見つめていた。
「……頑張れよ」
友弥は胸の前で手を組み、瞑目していた。冬樹も色を失ったような顔をしたままだ。
浅野も高梁も同じように、思いの外近くに見えた眼下のフェニックス陣地を、獲物を探すような目で見ていた。悠香たちの計らいで一緒になった両親たちも、状況は似たり寄ったりであった。
冒頭で悠香が感じた通りだ。
もう、逃げも隠れもすることはできない。自分の周りを取り巻く、もしくは自分の中にある『敵』と対峙することは、もはや確定した未来なのだ。
それは悠香たちフェニックスに留まらない。他のチーム全てがこのロボコンを通して、見えない誰かと闘うことを運命付けられている。
残り一分を報せる実況が、ぐわんぐわんと耳に響く。
フィールドの中央に陣取った『Armada閏井』のメンバーは、頷き合うと肩を組んだ。
「今回も、勝つぞ」
川内は低い声で宣言する。
「分かってら!」
「当たり前だね、そんなの」
色々の反応が返ってきたのを見届けると、川内は息をすっと吸い込んだ。
そして。他のどのチームをも上回るための、自信と自負と覚悟を込めて。
「
「おおお────っ‼」
力強く叫んだのだった。
そんな閏井の五人を、遥か彼方の端の陣地から悠香たちは眺めていた。
「やってるね、あっち」
「私たちもやろっか」
誰からともなく言い出すと、五人は輪を作った。悠香が手を伸ばし、中央に据える。そこに他の四人が次々に手のひらを重ねていった。
「……ハルカ」
麗の声に、悠香は顔を上げた。
「掛け声、お願い」
静かに、悠香は頷いた。
すうっと冷えた空気を吸い込めば、緊張と焦りで曇った頭も少し晴れて、代わりにこれでもかとばかりに出場の実感が入ってきた。
やや埃っぽい空気、常に揺れているみたいなコンクリートの地面、しんとして冷たい気温。何もかもが、三ヶ月前には夢としか思えなかったロボコンの舞台の、
今日までの果てしない努力の一つひとつを、悠香は決して忘れてなどいない。
ケンカもした。
涙もした。
自分たちのゆくべき道が見えなくなったし、行く手を邪魔する存在だっていくつも出てきた。
それでも、と思う。
──私たちは確かに、ここに立ってる。これは現実なんだ。あと少し頑張れば、夢はもうすぐそこに見えてるんだ。
五人の中心を悠香は見据えた。今、ここに重ね合わされた五本のこの手には、それぞれに目指す未来がある。捨てたい過去がある。託された夢がある。期待される姿がある。そして、共に奪い去る事を決めた目標がある。
不可能ではない。夢までも現実に変える力が、悠香たちには必ずある。必要なのはたった一つ、
信じる事だけだ!
「勝つぞ────っ‼」
悠香は叫んだ。
陽子が、亜衣が、菜摘が麗が、続けざまに叫んだ。
「お────────っ‼」
《それではいよいよ、『全日本スーパーロボットコンテスト』バトル開始の時刻です!》
《
バンッ!
実況のカウントに合わせて、巨大な箱状の空間に発砲音が軽やかに轟いた。
十一時。二百二十組、全千百人の
各チームのロボットが、一斉に発進した。
車輪、クローラー、果ては二本足。コンクリートの床の上を、多種多様の足音が踏み越えてゆく。会場内はたちまち声援と走行音に包まれ、次いで緊張を弾き飛ばす勢いで熱気が膨れ上がった。
ロボットたちは、或いは全自動で、或いはコンピューター制御に則って、或いは手動操作に従って、フィールドに散らばった『積み木』へと殺到した。次々に『積み木』は取られては、各陣地へと運ばれて行く。
《全チーム、競技を開始した模様です! フライングはありません!》
実況のわめき声に重なるように、今度はロボットたちが『積み木』を積み重ねる音が響き始めた。
号砲が鳴り響くや否や、悠香は全速力で走り出した。
すぐ後方には輸送ロボット【エイム】が控えている。陣地から最も近い『積み木』に駆け寄った悠香は、それが横倒しである事を確認して手順通りに体感発熱スプレーを吹き掛ける。
「エイム動けっ!」
陽子が怒鳴ったのと、【エイム】が探知音を発したのは同時であった。【エイム】はゆるゆると動き出したかと思うと見る間に加速し、秒速一メートルの速力で目的の『積み木』を目指し疾走する。噴き掛けたスプレーによって温度が上昇した『積み木』の表面を熱源として感知し、サーモグラフィーの映像を解析してその向きを計算、軌道修正を行う。
【エイム】はぐるりと大回りして『積み木』の正面に回り込み、接近してそれを両腕でがっしりと掴んだ。
「OK!」
悠香は確認の声を上げた。第一段階、クリアだ。
あまり早くに次のをマーキングしては、【エイム】が混乱してしまう。次に近いのはどれだろう、と会場内に目を走らせつつ、悠香は【エイム】について陣地まで移動した。秒速一メートルは教室ではあんなに速く感じたのに、教室の体積の数百倍はあろうかというこの空間の中ではひどく遅く感じた。
「【ドリームリフター】、準備できてるよ!」
亜衣が叫んでいる。
【エイム】はバックしながら【ドリームリフター】に突っ込んだ。マイクロスイッチが稼働、【エイム】の積載を確認した【ドリームリフター】はその場で九十度回転する。ぴたりと止まったところで【ドリームリフター】は少し上昇し、そこで【エイム】に指令が飛ぶはずになっている。
果たして。【エイム】はすんなり腕を離し、『積み木』はゴンと音を鳴らして落下した。その寸前、【エイム】下部に取り付けられた液状接着剤発射装置が作動し、乳白色の接着剤を噴射。『積み木』は見事にその上に乗り、自重でしっかりと床に固定された。
一段目の積み上げ、成功だ!
「よっし!」
ガッツポーズを決めた悠香に、陽子が大声を上げる。「リラックスしてる場合じゃないよ! 次、行かなきゃ!」
しまった、忘れていた。悠香はきょろきょろと周囲を見渡す。さっき目をつけておいた『積み木』は、どれだっただろうか……。
あった。悠香は急いで駆けつけると、【エイム】から見て一番近い面にスプレーを噴出する。二つ目の捕捉を行っていた【エイム】がそれに気づき、走行を開始したのが目の端に映った。
《競技開始から一分が経過しました!》
実況の声が頭上を越えてゆく。周囲の客席からは応援の声が凄まじいボリュームで発され、開始前とは違う圧倒的な力が燃え上がっていた。
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