041 こっそりと……





 走り書きで字は汚かったが、それが悠香の字であることは明白だ。

 ふと留めた目が、その文面から離れなくなった。


──この四人の名前は、仲間か?

 疑問が矢継ぎ早に湧き出した。ただのお願いにしては、どうにも変に思える。それになぜか、過去形だ。

 友弥は暫しそこに立ったまま、思考を巡らせた。


 文脈通りに捉えたとしたら、もしかしなくてもこれは、今の悠香に仲間がいないという意味ではないか。

 昔はいた、今はいない。それが本当だとすると、転換点はいつだったのだろうか。

 それまで普通に生活していた悠香に異変が訪れたのは二日前だ。そして無気力さの塊から一転しての、昨日の表情。あそこで何かあったのは間違いないと思っていたが、こういう事だったのだとしたら?

 友弥は悠香を見た。悠香は苦悶の表情を浮かべながら、布団の下で何回も寝返りを打っている。涙の浮かんだ無言の目蓋が、何よりも多くを語っていた。


──ずっと、悩んでいたんだろうか。

 椅子に座ると、友弥は手を組んで紙をもう一度見た。よく観察すればそこには涙の染みがいくつも浮き上がり、文字も心なしか波打っている。

──こんな立派なロボットを作っていたって、中学三年生って言ったらまだまだ子供だもんな。ずっとわだかまりを抱えたままの仲間でいて、ある日突然それが噴出して決裂することだって、ないなんて言えないよな。ハルカは、違う……ここに書かれている子たちはみんな、ずっとそういう悩みを抱えながら頑張り続けてきたのか?

 口で言うのは簡単でも、それはとてつもないことなのではないのか。

 それも、勉強が手につかなくても仕方ないって思えるくらいには。友弥はそう付け加えた。数日前に両親に説教を受けていた時の悠香の顔つきが、眠っている悠香の顔に急に重なって見えた。


 口先だけなんかではない。

 悠香は、本当に頑張っているのだ。

 だったら兄として、いや一介の『理解者』として、自分にできることは何だろう。


 スタンドの白々しい灯りを見つめること、一分。

 友弥はぱっと工具を手に取り、図面を引き寄せた。

「……ここは、右ネジでいいのか」

 声に出して確認しながら、友弥は悠香の作りかけの部品に少しずつ他の部品を取り付けていく。時刻は午前零時半。悠香が母に起こされる時間まで、あと五時間半。間に合う、と思った。

 図面の端には昨日──四月十六日の日付と共に、『今日中にここまで絶対終わらせる!』と書かれていた。悠香の人間関係に手を出すことはできないし、したくもないけれど、せめて手伝えることがあるならやってやりたかった。製作なら、別に悠香にとって悪いことはあるまい。問い質されても『小人が出てきてやってくれたんじゃない?』と言えばいいだけの話だ。悠香はそれで、


──ハルカは、ハルカなりの懸命の努力を、今も続けてるじゃんか。学校の言うところの『自由』を、ハルカはちゃんと活用してるじゃんか。

  だったら何も後ろめたく思う必要なんてないだろ。もっと俺たちにアピールしろよ、誇ってみろよ。何でもかんでも溜め込まないで、俺たち相手に吐き出してみろよ。

  それが……それができるのが、家族っていうモノだろ?


 友弥は何度も悠香の顔を見ながら、そのたびにちょっと切なげに微笑を浮かべた。

 何も知らない悠香は、うなされているようにまたも寝返りを打った。







 チュンチュンと響く小鳥たちのハーモニーで、悠香は目が覚めた。

「……れ?」

 身体を起こした悠香は、辺りを見渡す。いつの間にベッドで寝ていたのだろう。最後に記憶が途切れた時、机の前に腰かけていたはずなのに。

 もっとも、パジャマに着替えているわけでもない。きっと深夜辺りにふと目が覚めて、自力で辿り着いたんだ。そう結論付けた悠香は、目を擦り擦り時計を見た。良かった、朝一番の登校にはまだぎりぎり間に合う。早く支度をしなきゃ。


 と。

「あら、やっと起きたの?」

 ドアを開けて母が入ってきた。

「今日はずいぶん遅くまで眠ってたのね。揺り起こしても反応しない訳だわ」

「……ごめん」

 何となく謝ると、母は目だけで笑って見せる。その口が、疑問形に歪んだ。

「それはそうと、なんでハルカの部屋にユウヤがいたの?」

「ユウヤ?」

 何のことだろう。入れた覚えも入ってきた記憶もないのだが。

 首をかしげる悠香に、母も首をかしげている。「ハルカを起こそうと思って入ったら、勉強机で寝てたのよ。慌てて自分の部屋にすっ飛んで行ったけど……」

「……知らない」

「……そりゃ、ハルカは知らないでしょうね」

 ハルカが気にしないのならいいんだけど。何やら意味深な台詞を残し、母は下へ降りていった。ぽかんとした表情でそれを見送った悠香、カーテンを開けながら深く息を吸い込む。

──さあ、今日も頑張らなきゃ。私のペースで、でも出来る限りの最速ペースで。


 そう誓った途端、頭の中をズガンと電撃が貫いた。

「って私、昨日完成させる前に寝ちゃったんじゃん!」

 悠香は金切り声を上げた。そうだ、自分のペースどころではない。昨日のノルマも終えていないではないか!

 ばっと勉強机に駆け寄った悠香は、机の上を舐めるように眺めた。ない、ない。部品も図面も見当たらない!

 さては見つかったか?

──嘘でしょ⁉ 嘘だよね⁉ 嘘であってくださいっ!

 必死に机の周りを漁った悠香は、その流れで脇に置いてあった持ち運び用の紙袋をがばっと開いた。

 ……あった。

「良かった……」

 へなへなと座り込む悠香は、すぐにはっと気がついた。何かおかしい。昨日は確か、こんなに先まで進んではいなかったはずだ。悠香の苦手な接着の部分も、ちゃんと終わっている。使い終えられて空になったセメダインが、袋の中に落ちている。

 悠香はそれを手に取り、しばし目をぱちぱちと瞬かせた。


 ロジックが把握できるまで、さほどの時間はかからなかった。


「ありがとう、ユウヤ」

 自然と、そう声が漏れた。







 全長一メートル近くもあるこのロボットの残りの組み立ては、さすがに大きすぎて家では行えない。

 となれば、悠香の次にすべき事は決まっていた。


「……ハンダごて、手に入れなきゃ」

 その一言で覚悟を喉の奥に押し込めた悠香は、物理実験室の前に立った。

「ちょっと、本当にやるの?」

 後ろで聖名子が、おどおどど尋ねる。緊張の反動で、悠香は無駄に大きく首を縦に振った。ぐきりと嫌な音がする。

「大丈夫、借りるだけだもん」

 悠香の背中で聖名子と渚は、やや不安そうな顔を見合わせた。

 昨日の深夜、悠香はあらかじめこの二人に連絡を取っておいたのだ。明日の朝、一緒についてきてほしい場所があると言って。

 悠香たちはこの実験室への入室許可を失っているが、物理部員の二人なら問題ない。鍵を借りたのは聖名子だから、現状この物理実験室は『物理部が』使用していることになっているわけだ。

「えー、自分たちで頼み込んで入ればいいじゃない」

「めんどくさいよ、行かない」

 などと最初はあからさまに乗り気でなかった二人だが、悠香の熱心さの前についに折れたのだった。


「って言うかさ、他のメンバーはどうしたの」

 物理実験室に入って目的物を探す悠香に、渚は心底だるそうな声を上げる。

「こういう交渉事っていつも、ヨーコがやってると思ってたんだけど」

 自然な疑問だ。渚にしてみれば、悠香はいつだって五人の内でもそこまで目立たないポジションにいるイメージだったのだから。それを分かった上で、でも真実はまだ口に出来なくて、悠香はこう返した。

「た、たまには気分を変えてみようってこの前みんなで話したんだ。で、私がこういう表に出る役目を引き受けた……みたいな?」

「はぁ……」

 全く納得していなさそうな渚。気がそれた今のうちにと、悠香は記憶を頼りにあちらこちらと保管庫の扉を開けて回った。使い終わった麗が開けていたのは、どれだっただろうか。

 あった。黒いケースの中に入れられて、剣のような銀色の本体が輝いている。

「ハンダそのものは要らないの?」

 聖名子の問いに、悠香はすぐに答えた。「うん、消耗品は買ってあるの」

 これは事実だ。

 悠香はハンダ鏝を手にし、その細く尖った先端を眺めた。小さなそのスペースに、自分の顔が映っている。後ろに佇む物理部員二人よりも、その顔はずっと貧相に見えた。あっちの立場になりたいと、初めて思った。


──初体験だなんて言ってらんない、やるっきゃない。頼れる人もいないし、ケガは覚悟の上だもん。

 ごくり、悠香は唾を飲み込んだ。生温かいその感触が、何とも気持ち悪かった。




 真剣な眼差しで、ハンダ鏝をじっと見つめている悠香。

 その姿に東の空の光が重なって、シルエットが妙に神々しく見えた。

「どうしたの」

 渚に問われて、はっと聖名子は顔を上げた。しまった、見蕩れていた。

「……ううん、何となく」

 何に心が動いたのか、上手く表せない。懸命に言葉を選ぶ聖名子を、渚は未確認生物でも見るような目付きで眺める。


「前よりずっと、ハルカがオトナに見えるなぁ……って、思ってたの」





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