おにぎりスタッバー

作者 大澤めぐみ

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★★★ Excellent!!!

イニシエーションとしてのセカイ系

せっかく生まれてきたんだから、自分の好きなように自由に生きなきゃ甲斐がないでしょ。
どんな風に生まれついたとしても、生まれちゃった以上は生きなきゃダメなんだからね。
冒頭、そしてラストのこれら言葉のようなそんな優しい物語でした。
ぼくときみといった言葉で象徴される自意識過剰な個人の物語が、世界の危機と直結しているような作品群がセカイ系らしい。
具体的な中間項を挟んでいないことは、しばしば批判されたりもする。
悲しいかな個人の想像力は、複雑な世界の隅々まで目を光らせたり俯瞰的に眺められるほどには射程距離が長くはない。
家族に守られ、友達を作り、恋人を作りながら少しずつ拡張されては行くが、それでも地球の裏側にまでは届かない。
そうやって想像力の限界を受け入れることが成熟だとするのならば、たしかに、セカイと直に接続してしまうような想像力のあり方は幼稚かもしれない。
しかし、と私は思うのだ。
それはとりもなおさず外側に想像力が向けられているということではないか。
社会とつながろうとあがき自意識こじらせ、だからこそ、いびつに接続されてしまうのではないか。
大人になれ。お前の思っているほど社会は甘くない。現実を見ろ。
そんな言葉にどれほどの意味があるのだろうか。
作中で魔法少女についてこう語られる。
魔法少女の能力の源泉は愛と勇気と信じる心。勇気が恐怖に負けてしまえば、その能力を行使することはできない。
つらい現実を突きつけたところで、それは恐怖を植えつけ、外側に向いていた想像力を愛と勇気と信じる心折ることにしかならないのではないだろうか。
物語終盤、セカイ系としての物語は身体というひどく現実的な問題によって解決され、そして、空間(世界観)、時間、視点が押し広げられる。
それにより、様々なガジェットを詰めこんだカオスなセカイ系として世界は一段落ちて中景として、現実的な社会のメタファーとして機能しはじめる。
欠陥だらけのカオスな世界にあっても、安定的な日常があると楽観的に語られるその視点は、心配しなくても大丈夫だよと手を取るかのように優しい。