第4話 でぃばいんディバイダー

 台所で黙々とじゃがいもを剥いていたらすごい量が剥けたのでそれでカレーを作ったらすごい量のカレーになった。

 カレーを食べます。

 お風呂に入ってから寝る前に英語の課題と予習をしたけどスマホが一度も鳴らなかったので捗った。

 寝ます。

 起きたら朝だったので昨日つくったカレーを食べて髪を梳かして制服に着替えた。あんまり寝癖になってなかったので楽だった。

 学校に行きます。

 寒くなってきたのでグルグル巻きにしたマフラーに首をうずめて駅までの道を歩いた。ペンキがはげたみたいなササーっとした空だった。

 改札を通ります。

 階段を降りてちょっと行ったところの四号車の一番後ろの出入り口の印の上に立つ。ポケットから音楽プレイヤーを出してイヤホンを耳につっこむ。

 電車を待ちます。

 音楽。ジャズらしい。でもなんか街を歩いてたらBGMてきに流れていてたまに耳にするようなやつと違って、すこしトリッキー。よく分からないけど、すきだと思う。

 電車が来ました。

 前を向いているわたしの視界を電車が右から左に。わたしは目の前をスロットみたいに右から左に通り過ぎていく顔を見ている。顔を見ている。顔を見ている。顔を顔を顔を見ている。

 みんな知らない人。

 電車に乗ります。

 わたしはドアのすぐ横のにぎり棒につかまって、後部車両のほうを見ている。後部車両のほうを見ている。後部車両のほうを見ている見ている見ている。

 曲がかわる。

 電車を降ります。

 駅から学校に行く道すがら、後ろからおはようって挨拶されたので、わたしは振り向いてイヤホンを外しておはようって返事をする。反射的に口角をちょっと上げる。

 顔を見ます。

 黒髪ボブで、色白で、わたしよりもちょっと身長が高くて、痩せてるほう、だからたぶん。

 山田さん。

 ってわたしは言う。山田さんは山田さんって呼ばれても気にせずに喋りかけてきてるみたいだから山田さんで合ってるっぽい。音楽プレイヤーにイヤホンをクルクルっと巻きつけてポケットにしまう。

 テレビの話です。

 そうなんだ、とかわたしは返事をする。あんまりテレビ見ないからちょっと分からない、とか言ってみる。

 じゃあ普段はどんなことをしているの?

 うーん、なんだろ。昨日はカレーを作って、あとは英語の課題と予習とか。

 意外と真面目なんだ、なんて言われて。んー、そうでもないと思うけど、と、唇に人差し指を当てて、フイッと上を見る。別になにも書いてない。

 唯一の趣味?っていうか異常行動?だった男漁り?をこのところパッタリとやめてしまって、ひとりで街をフラフラ歩き回ったりすることもなくなったから、客観的にはそうね、わりと真面目な高校生かもしれない。

 なんて考えてる間にまた別の子がおはようってくる。髪色がわりと明るくて、たぶん地毛っぽい。肌も白くてソバカスがあって、造形はアジア顔だけど表面のテクスチャが白人みたいな雰囲気だから。

 住田さんおはよう。ってわたしは言う。

 住田さんも、なんの話してたの?って普通にまじってくるから、住田さんで合ってたっぽい。ここのところわたしは正答率がいい。傾向と対策、予習と復習が肝心。

 んー別になんの話ってこともないよーなんて言って、住田さんがしかし寒いよねーって言ってるから、でも寒いのそんなに嫌いじゃないよーとか返事して。

 空気冷たいほうが、ガラス吸ってるみたいでなんか肺の中とかきれいになりそうな気がしない?なんて言ったら、住田さんがナニソレーって言いつつも、でも分かるかもーとか言って。

 ここのところ、わたしはなんだか、すごく普通。

 学校に着きました。

 教室に入ったらなんか立て続けに何人かに声を掛けられて、区別がめんどうになってきたから誰なのか気にせずに表面5ミリくらいで反射てきに返事をしていたんだけど問題なかった。やらないといけないことがたくさんあって、普通の高校生ってわりと大変だったんだな、とか思ったりもする。

 このまま普通に、普通の高校生で生きていくのかな、生きていけるのかなって、たぶんそれは、気の迷いみたいなもの。

 お昼休みです。

 さすがに寒くて最近は屋上でお弁当してない。サワメグがうちの教室まで来て机ひっつけて一緒にごはんしてる感じ。サワメグもそのへんの子たちからたまに声かけられてちょっと喋ってたりする。多少イタイところに目をつぶればわりと話おもしろいしね。

 サワメグは近頃は特に大きい案件もなくっぽくて、多少は高校生らしい遊びに参加したりするぐらいの暇もあるらしい。もとから頭はいいからそんなに勉強に時間割かなくてもいいみたいだしね。ギター弾けるし歌もうまいから軽音部から猛烈に勧誘されているらしいけど、そこはさすがにそんなに乗り気でもなかったり。

 唐突にタコさんウインナーを鼻先に突き付けられて、反射的に食べる。モグモグ。うまい。

 どうしたの?なんかボーッとしちゃって、とか言われるけど、そうかな?元からこんなもんじゃない?とか言ったら、まあ元からそんなもんだけどさ、とか、まあそんな感じ。

 午後の授業です。

 数学、難しい。この前まではわりと好調だったんだけど、次のところに行ったらなんか序盤でつまずいたらしく、体勢たてなおせないままに授業が進んで行く感じでもう何を言ってるのかもよく分からない。呪文みたい。外寒そうだけど、陽射しは暖かいなぁ。

 放課後です。

 さすがにこのままだと数学かなりマズそうなので、図書室で自習していくことにする。図書室の大きめの机。向かい合わせに座っても、そんなに親密な距離感ってわけでもない。向かいの席。誰も居ないけど。

 わたしは前方、ジャスト水平よりもちょっとだけ下ぐらいのなにもない空間を見ている。見ている。見ている。向かいの席、誰も居ないけど。

 進捗は芳しくありません。

 下校します。

 すっかり陽も短くてあたりは夕闇。校門の手前は西のほうがパカッと開けていて空が広い。宵の明星、って、わたしは立ち止まって呟いてみる。星は見えない。

 駅に向かってプラプラ歩いていると歩道の脇に縦に長い長い黒塗りの立派なセダンが停まっていてなんだかすごい。リムジンって言うんだっけ?正面のグリルとか銀ピカで大きくて怒っているみたいな威嚇しているような顔をしている。あんまり見かけない顔だから外国車だろうな~って、なんとなく見ながら脇を通り過ぎようとしたら開いたトランクの蓋の影に隠れて黒服の男の人が立っていて、あっと思ったときには手首をつかまれて引っ張られて、その勢いで社交ダンスみたいにクルクルと回された上にヒョイとリフトされてスポンとトランクに入れられる。バンって蓋を閉められる。あまりの手際のよさにびっくりするのも追いつかない感じ。なんだなんだ?誘拐?まあ誘拐だよね?そっかー、なんだかんだでうちもわりと裕福っぽい感じもあるもんなーそうかー。

 ブロローンって車が発進する音がして、今度は室内側からリアシートが開いて突っ込まれてきた手に襟首つかまれて築地市場のマグロみたいにスポーンって引っ張り出される。見たら全身黒づくめの尖ったサングラスをかけた女の子でマトリックスみたいでなんかかっこいい。わたしが仰向けで女の子は上から覗き込んでいて、お互いの顔が上下逆さの位置関係。中萱さん久しぶりね、なんて言われて。あ、どうも、なんて、表面5ミリが習慣づいちゃっててつい反射的に返事をしちゃう。あ、どうも、じゃあないんだよ。なんなんですかいったい。

 「やっぱり。あなた、穂高センパイのことを覚えているのね」

 「そりゃ覚えてるよ」

 即答する。

 穂高センパイ。

 そう、穂高センパイだよ。

 ブワーっと風が吹いて靄が晴れる感じ。

 エンジンの回転数が上がって、カチッと、ギアが噛む。ひさしぶりにわたしの頭がグワーンと唸りを上げて回転を始める。

 「穂高センパイ?あなた穂高センパイのこと覚えてるの?生きてるの?どこに居るか知ってるの?ていうかコレはなに?なにがどうなってるわけ?ていうかあなた誰?」

 わたしがクルっと起き上がってズイッと身を寄せて一気に問い詰めると、黒ずくめの女の子はわたしが身を寄せた分だけきちんと身を引いてて、ふたりで平行四辺形。のけぞりポーズの女の子はサングラスを下にズラして、迷惑そうにちょっと顔をしかめながら前髪をつまんでクルっと巻いておでこを出す。ポンパドール。ん?なんだっけこれ。なんか見覚えがある気がする。

 「あれ……?ひょっとして松川さん?」

 「そうよ。ていうか今の今まで気付いてなかったの?それはさすがにショックなんだけど」

 「いや、だって随分と雰囲気ちがうし」

 松川さん。松川常盤。元クラスメイト。不動のクラス内ヒエラルキー絶対女王。吸血鬼。本気を出したら無限に増殖してほんの数日で世界を滅ぼすこともできちゃう世界の敵。サワメグの敵で、お母さんの仲間。なんか随分と大人っぽい感じになっちゃって、ただでさえ人の顔を見分けるのが苦手で、髪型とか身長とかそういうチェックポイントでなんとか個体を識別しているわたしには難易度高い。

 「手荒な真似をしてごめんなさい。でも、ちょっと今は他の誰とも接触するわけにはいかなくて、やむを得ずこういうかたちになってしまったの。それも含めて説明するわ。とりあえず座ってもらえる?」

 松川さんにそう言われて、いまスポーンと通り抜けてきたリアシートを起こして松川さんと向かい合わせに座る。ズボンッと沈み込むフカフカさで高級そうなツヤツヤの皮張りで、シートっていうかソファーみたい。すごいなぁ。セダン型で後ろに向かい合わせにシートがあるとか、こんな自動車乗ったことないや。天井が低いだけで足元は向かい合わせに座ってもわりと広々としているし、毛足の長い絨毯も敷いてあってふわふわでここで寝てもよさそうな感じ。天井にはペタっとひっついたちょっとしたシャンデリアみたいなのもあって、うーん、バブリー。

 「ていうか松川さん久しぶり。元気してた?」

 「まあ、それなりに?とりあえず中萱さんのお母さんのおかげで当座の命の心配はしなくて済んでる。まあ完全に安心できるってほどでもないし、それに、なかなか人使いが荒いところがあって大変だったりもするけど」

 「なんでそんなかっこいいカッコしてるの?仕事の都合?」

 「ううん、これはただの趣味、っていうか雰囲気づくり?わりと形から入るタイプなのよわたし。吸血鬼っぽいでしょ?」

 そう言って、松川さんはフッと笑う。笑うとくちもとに八重歯がのぞく。八重歯っていうか、牙なのかな。うん、たしかにちょっと吸血鬼っぽさはある。いまはお母さんの組織でお仕事をしているはずだけど、コートとかブーツとかもめっちゃお値段高そうな感じだし、運転手つきのリムジンを乗り回しているしで羽振りはいいみたい。相変わらず、なんの仕事なんだかは知らないけれども、こんなの、少なくともカタギな感じではなさそう。

 「とりあえず、結論から手短に。今、この世界に穂高センパイのことを覚えている人はわたし以外に誰もいない」

 どうやらそういうことらしかった。サワメグの組織と穂高センパイがやりあったその翌日には、穂高センパイのことを覚えている人が誰も居なくなってしまっていた。まるで、最初からそんな人は存在しなかったかのように。全てが、夢か幻であったかのように。にも関わらず、世界は相変わらずの普通で、あまりにも、普通のままで。

 「でも、わたしも覚えているよ」

 「そう、それはちょっとわたしにも分からない点。ダメ元で声をかけてみたんだけど、覚えていたから驚いたわ。でも、そこは脇に置いて先に説明をさせてちょうだい」

 「はい、どうぞ」

 わたしは両ひざをくっつけてそこに両手を置いて、背筋を伸ばす。真面目に話を聞きますのポーズ。

 「前にわたしの眷属がサワメグさんに消された時、まるで存在そのものが最初からなかったかのようにあらゆる人の認識から消えてしまったことがあったでしょう?」

 「ああ、うん。あったあった」

 カボチャとポテトと……あと、なんだったっけ?まあ、なんかそういうのが四人くらい。サワメグのマジカルベレッタに撃ち抜かれて、存在そのものがなかったことになってしまったから、ある日とつぜんクラスメイトが4人も消えたのに誰もなにも疑問を抱かない、なんてことがあった。松川さんだけは攻撃を受けていなくなったわけじゃなかったから、存在じたいは消えなくて転校したことになっていたけれど。

 「あれってすごく怖いじゃない?自分の親しい人が消えてしまったのに、そのこと自体に自分が気付かない。そういうことがありえる。そういう攻撃がこの世界にはあるっていうことが分かったから、それで次また同様の攻撃を受けてもどうにかできるように、わたしは防衛策をあらかじめ張っておいたの」

 「防衛策」

 復唱する。

 「吸血鬼であるわたしは眷属と認識や記憶を同期できるのね。遠くに居る眷属の視界を見たり、音を聞いたり、離れていてもそういうことができる。それぞれの個体は独立して動いてはいるんだけど、ネットワークで繋がっているようなもの。その能力を応用して、眷属を数人、外部からの攻撃を受けえない環境でスタンドアロンの記憶ストレージとして定期的にわたしの記憶を同期して隔離しておいたってわけ」

 えーっと、つまり、コンピューターのクラッシュに備えて外付けハードディスクにバックアップを複数とっておいたみたいな感じ?

 「そういうこと。それで、違和感を感じたわたしは眷属から記憶をサルベージして穂高センパイのことを思い出すことができたの。思い出せただけでわたし自身も忘れていたのよ。以前に同様の攻撃を受けたことがあったから、あれ?今わたしなにかを忘れさせられているかも?っていう違和感を抱くことはできたからね」

 ふーん、なるほどなるほど?あんまりよく分からないけれども。

 「その時はまたサワメグさんに、今度は穂高センパイまでもが存在そのものを消されてしまったのかと考えたの。でも、今回は前回のわたしの眷属が消された時とは様子が違ってて、その後もわたしは何度か穂高センパイのことを忘れては、あれまたなんか忘れたぞ?ってなって、そのたびに記憶をサルベージするっていうことを繰り返す羽目になったのよね。前回の攻撃の時は、一回こっきりで、思い出しても思い出しても何度も消されるなんてことはなかったのだけれど。それで、いろいろと検証してみたりして、なんとか、いくつか分かったことがあるわ」

 ぶっちゃけかなり突拍子がなさすぎてわたしには難しいんだけど、でも、これはなにがなんでも理解しなけりゃならない話だぞーって感じがギュンギュンするから、わたしはどうにか頭をフル回転させて話についていく。

 「これは、人間の言葉を媒介にする感染症みたいなものらしいの。感染すると穂高センパイのことを忘れてしまう。感染して穂高センパイのことを忘れてしまった人と言葉を交わすと、その人も穂高センパイのことを忘れてしまう。そうやってどんどん感染していくし、何度でも感染しなおす。言葉を交わすだけで感染するから、最低でももう日本中の人間はこれに感染してしまっていると考えたほうがいいわね」

 「つまり、忘れないためには誰とも言葉を交わさないしか方法がないってこと?」

 「そういうこと。ていうか、一方的に喋りかけられただけでも忘れちゃうからかなり難易度が高いわ。あ、また忘れた、ってなったらそのたびに人との接触を一切断って、記憶ストレージからバックアップを読み込む。そのことだけは覚えていられるから、忘れるたびになにを忘れたのかは分からないけれども、とにかく人との接触を一切断って、の繰り返し」

 なるほど、それでこの一切の前置きなしでの突然の拉致なわけですか。まあ、一方的に喋りかけられるだけでもアウトってことなら、普通に街中を出歩いたりするだけでも他の誰かに言葉をかけられたりしちゃう可能性はあるし、ひょっとしたら、たとえば駅のアナウンスとかラジオの音声なんかでもダメなのかもしれない。最大限に警戒するならこういう感じにならざるを得ないのか。

 「それに、たとえば書き留めておいたりするのもダメ。物理的に文章が消えたりすることはないけれども、感染している状態だと穂高センパイに言及している部分は、その意味が取れなくなってしまう。何が書いてあるのかが分からなくなってしまうの。リカバリーをして感染状態をなくすと同じ文章が今度は意味の通る文章としてまた読めるから、実際に文章が変容しているのではなく、認識のほうが歪められてしまうのね。イフリーテス、中萱さんのお母さんにこのことを伝えようとしたのよ。攻撃を受けているって。でもダメだった。伝えようとした瞬間に伝えるべき内容を忘れちゃって、そのたびにまた引きこもってリカバリーするしかないから」

 「うわぁ、性質が悪いなぁ……」

 「そう、性質が悪い。わたしは完全に孤立させられてしまったわけ。しかも、最後の防波堤として。わたし自身も忘れてしまったら、世界中で穂高センパイのことを覚えている人が本当に誰も居なくなってしまうでしょ。でも、誰かに伝えようとするとわたしもそれを忘れてしまうし。本当は、中萱さんに話しかけたのもダメでもともとだったんだけど、でも、わたしはあなたと言葉を交わしても穂高センパイのことを忘れなかった。それで、すぐにあなたが感染していなくて穂高センパイのことを覚えているって確信を持つことができたっていうわけ」

 「なるほどぉ」

 「あんまり伝わらなかったかもしれないけれど、わたし、すごく嬉しかったのよ、さっき」

 なんて、松川さんはそこでそっぽを向きながらちょっとはにかんだみたいに笑って、そうしていると、いくらマトリックスみたいな吸血鬼ファッションに身を包んでみても、ああやっぱ16歳の女の子だなぁって感じ。

 「ねえ、中萱さんはなにかを知っているの?どうして、穂高センパイが世界の誰からも忘れられるような、そんな攻撃を何者かから受けているのか。思い当たるようなことがある?」

 ある。ものすごくある。ありすぎる。

 「えっと、説明したいんだけど。ちょっとちゃんと正確に説明できるかどうか、自信がないんだけれども」

 わたしは散らかり放題で放置しっぱなしゴミ屋敷みたいな自分の頭の中を、大急ぎでダーっと片づけて整理しはじめる。燃えるゴミと燃えないゴミは分別して洗濯物は洗濯機にポイポイブチ込んで雑誌は積み上げてまとめて紐でしばってとにかく床が見えるようにしてブワーっと掃除機をかけて。なんとか多少は人に見せれる程度に片づける。

 「お母さんがエクスカリバーを持って帰って来たの。地上最強の聖剣。それはもともとサワメグが使ってたものらしいんだけど。サワメグとお母さんが戦った時にお母さんが勝って、その戦利品として持ち帰ってたのね。でもお母さんには使えないし、あの人グーパンの人だから。それで家の台所にポイーって放ってあったんだけど、穂高センパイがわたしの家に来て、そしたらわたしを殺そうとしているおにぎりが居て、それで穂高センパイがエクスカリバーでそのおにぎりをやっつけたのね。ていうか殺したんだけど。でもそのエクスカリバーはなんかヤバくて、この世界を作った神様のデータが入ってるSDカードみたいなもので、そのデータを読み込むと神様になっちゃうって。んで、普通の人は規格が合わないからデータ読めないらしいんだけど、穂高センパイは死んで泥からできたスワンプマン?だからデータ読み込めて、なんか神様になったらしいのね」

 唐突に表れてひとしきり突拍子もない話をしてきた松川さんだったけど、今度はぶわーっと返ってくる突拍子もない話に口が半開きになっていて、ほんとコレなんだろうなって感じ。

 「神様って……、じゃあ、どっちみちもう穂高センパイ自身は人格が消えてしまっているっていうこと?いや、その話だと、最初から人格というものがなかった?」

 「どうなんだろう?難しい話はよく分からないけれど、わたしが最後に見た時点では、なんかめっちゃ強くなっててサワメグとかお母さんとかサワメグみたいなのとかが何十人かがかりで戦っても全員いっぺんにノックアウトしてて穂高センパイになにかが起こっているっぽいのは確からしかったけれど」

 じゃあ、そういうことらしいから。

 ごめんね。

 そう言っていた。

 「でも、たぶんアレは、穂高センパイだったと思う。神様とか、なんかそういう、知らない誰かじゃなくて」

 松川さんは足を組んで頬杖ついて、フルスモークの窓から外の景色を眺めている。

 「ふーん、なるほどねぇ」

 「んで、その次の日から、もうみんな綺麗さっぱり穂高センパイのことを忘れちゃって普通に生活してて、調べたけどやっぱり穂高センパイは4年前に雷に打たれて死んだってことになってて、世界のどこにも、わたしが知っている、あの、穂高センパイが存在していたっていう痕跡がなくて、どうせサワメグがなんかしたんだろうって思ってたんだけど、サワメグも穂高センパイのことなんか綺麗さっぱり忘れているしエクスカリバーのこともついでに忘れているし、説明しようとしても要領を得ないって感じで本当にわたしが何を言っているのか分からないみたいで、なんか、全部わたしの幻覚か妄想だったみたいな。打つ手ナシって感じだったんだけど」

 「なるほどなるほど。ちょっと話が見えてきたわね」

 そう言って、松川さんは両手の平を合わせる。お祈りみたいなポーズ。ただし目はこっちをガン見してるけど。

 「翌日には全員が感染していた、ということは、ほぼ確実に、穂高センパイとプログラムの衝突があったその日のうちにこの感染は仕込まれたと見て間違いないわね。プログラムの追跡をかわす、という目的で考えた場合、これ以上に省コストで効果の高い対応はない。そしてなにより、この迷いの一切ない速度。おそらく、かなりの確度で、これをやったのは穂高センパイ自身だわ」

 「あー、なるほど」

 迷いのなさと、速度。たしかに、それこそが穂高センパイの穂高センパイらしさって感じ。欲をかかないというか、もっとより良い選択肢があるのではないかという誘惑に負けないというか、その時その場で思いついた中で最善の手段を、その瞬間にもう決断しちゃって、決断したらもう行動しているみたいな。それはもしかしたら、自我を持たないっていうスワンプマンの特性に由来するものなのかもしれないけれども。

 「でも、そういうところも、好きなんだよなぁ」

 フッと、つい口をついて出ちゃったわたしのそんな独り言に、松川さんは一瞬キョトンとした後で、クスッと笑う。

 「そうね。それでこその穂高センパイって感じではあるわ」

 やり口がえげつないって、松川さんは嫌じゃなさそうに、全然嫌な感じではなさそうに言う。

 「じゃあ、穂高センパイはプログラム?の攻撃をかわすために、世界中の人から忘れられた状態でどこかに隠れているっていうことなのね。死んだとか存在が消えたとかではなく」

 「おそらくは、ね」

 「よかったー」

 ほっとしちゃう。わたしは心底、ほっとしちゃう。穂高センパイ、生きてるんだ。

 「そうね、生きてさえいれば、まだ打つ手はなにかあるかもしれないものね」

 「でも、分からないな。松川さんが忘れていないのはバックアップを取っていてリカバリーをかけられるから、っていうのはいいとして。じゃあ、どうしてわたしは、わたしだけが穂高センパイのことを忘れてないんだろう」

 プログラムの追跡をかわす、という目的で考えた場合、わたしの記憶を残すことに合理的な理由なんてなにもない気がするけれど、と、わたしが唇に指をあてて考えていると、松川さんは呆れたみたいな顔して溜め息をついて「わたしにそれを言わせる気?」と言う。

 「そんなの、穂高センパイが中萱さんには忘れてもらいたくなかったからに決まってるじゃない」

 穂高センパイがこれを自分でやったんだから、つまりはそういうことなんでしょ。なんて、嫌そうな顔で、心底嫌々っぽい顔で言う。

 「そっか」

 なるほど、そうか。

 穂高センパイ、忘れてもらいたくはなかったんだ。

 なかったことにはしたくなかったんだ。

 目的とか合理性とかそういうことじゃなくて、覚えていてほしかったんだ。わたしに。

 「わたし、穂高センパイを探しに行かなきゃ」

 見つけ出さなきゃ。迎えにいかなきゃ。

 しばらくの沈黙があって、松川さんは「そうね」と言う。ナチュラルに落とした長い髪をかきあげる。でも、どうすればいいんだろうって呟くわたしに松川さんは「おそらくは」と言う。

 「いくら記憶が消されて認識が歪められていたとしても、結局この世界で生きている限りはわたしたちのような異端がプログラムの追跡をかわし続けることはできない。観測さえしてしまえば、少なくともプログラムは認識を歪めるなんらかの異常個体として穂高センパイを捕捉するはずだし、なにかの手段で必ずその正体を暴きだすだろうから。それぐらいの不可能は平然とやってのける連中だもの。でも、サワメグさんが暇そうにしているあたり、プログラムも未だに観測すらしていないと考えたほうがよさそう」

 「つまり、どういうこと?」

 「この世界には居ない、ということ。プログラムの追跡すらもかわすとなれば、身を隠す方法は次元結界ぐらいしかない」

 次元結界。聞いたことあるフレーズだなって思う。そう、たしかプログラムが穂高センパイを一斉攻撃したときにそんなことを言っていた。次元結界展開完了。時が止まる。

 「次元結界に遮られるとこの世界の因果とは完全に遮断されてしまうから、物質はもちろんのこと時間も空間も情報もその結界を超えて行き来することはできない。まず間違いなく、穂高センパイは次元結界を張ってその内側に隠れている。それはつまり、因果が完全に途絶した別の世界に居るってこと」

 因果が途絶とか別の世界とかよく分からないけれど、とりあえず見つからないように隠れてじっとしているってことか。

 「次元結界は外界からだと存在を識別することがかなり困難ではあるけれど、でも次元結界がある、と意識して探せば見つけ出せないこともない。やり方としては、大人数を動員した愚直な人海戦術しか方法がないけれど」

 「でも、覚えているのはわたしと松川さんだけなんでしょう?人海戦術なんて」

 「今となっては、松川常盤というのは1000人からなる眷属すべてを指す名称よ。それらすべては眷属であり、同時にわたし自身でもある」

 1000人も。そんなに増やしちゃって大丈夫なんだろうか。その1000人全部が松川さんと同じく眷属を作り出す能力を持った吸血鬼で、だからこそネズミ算式に一気に爆発的に増殖して世界を滅ぼしちゃうとかそういう話じゃなかったっけ。脅威と見なされれば、またぞろサワメグが殺しにかかりそうな気がしないでもないけれど。

 「1000人っていうのはチキンレースをやってみた結果見えてきた上限値ってところね。たぶん、これを超えちゃうと多少のコストがかかろうともプログラムは本気で潰しにかかってくるでしょうけれど。どんなコストも、世界滅亡のリスクとは天秤にかけられないもの」

 そして同時に、わたし自身が掌握しきれる上限値でもある、と松川さんは言う。それ以上になってくると、制御しきれなくて勝手に行動する眷属が出てくる、ということかな。かつての松川さんが、どこかの吸血鬼にとっての制御しきれない眷属であったように。

 「1000人の眷属と認識を同期してローラー作戦で探せば、次元結界の場所を突き止めること自体は可能よ。もっとも、それがこの近隣であれば、というだけの話で、範囲が地球全体に広がればそれこそ砂漠から砂金一粒を見つけ出すみたいな話になってしまうけれど、たぶん、時間もそんなになかったはずだし、それほど遠く離れてはいないのではないかとは思う。ただ問題は、その過程で間違いなくわたし自身が穂高センパイのことを忘れてしまうということ。探す目的を、動機を失ってしまうということ」

 「ああ、なるほど」

 街中をしらみつぶしに調べて回る以上は誰かからの言葉を避け続けることは難しい。感染をかわし続けるのは難しい。しかも、同期するわけだから1000人のうちひとりが感染するだけで同時に全員が感染してしまう。これはたしかに、性質が悪い。そのたびに記憶をリカバリーしていたんじゃあ探索も一向に前に進まない。

 「だから、わたしには穂高センパイを見つけ出す、以外の動機付けが必要になってくる」

 そう言って、松川さんは自分の胸に手を突っ込む。文字通り、ずぶずぶっと右手が胸の中にめり込んでいく。引き抜いた松川さんの手に握られていたのはピンポン玉くらいの大きさの、オパールみたいに複雑な色に輝く玉。それを、わたしに差し出してくる。

 「これをあなたに渡しておくわ」

 受け取りながらわたしが「これは?」とたずねると、松川さんは「コアよ」とこたえる。

 「それが吸血鬼であるわたしのコア。コアが砕かれない限りわたしは死なないけれど、それを砕かれるとわたしは、1000人の眷属を含むわたしたち松川常盤は、一瞬にして灰になって消滅する。言わば、心臓のようなもの」

 「ええ!なんでそんなものを?」

 「わたしは今から、あなたに奪われたそのコアを返してもらうために、あなたの命令で、なぜそんなことをしなければならないのか理由は分からないけれども、とにかくこの周辺に存在する次元結界を見つけ出さなければならない」

 松川さんは言う。

 「穂高センパイと、穂高センパイに関する一切の記憶を失えば、おそらくわたしの記憶ははそういう風に合理化されるのではないかしらね。ともあれ、これで穂高センパイのことを忘れてしまっても、事情もなにも分からなくなってしまっても、わたしは次元結界を見つけ出す、というタスクだけは絶対にこなす必要が出てくるというわけ」

 「でも、そんな大事なものわたしに預けて大丈夫なの?」

 「勘違いしないでね。別にあなたのためでもないし、あなたを信用してたり信頼しているわけでもない。ただ、他にやりようが思い浮かばないだけ。想定できる最善の策がそれしかないっていうだけのこと。それに、これでわたしができるのは次元結界を見つけ出すって、ただそれだけのことだから、そこから先は、あなたに任せるしかない。どうにかして次元結界に引きこもっている穂高センパイを引きずり出すのは、あなたの仕事よ」

 わたしは松川さんのコアをそっと握りしめる。冷たくて硬い。大事に、包み込むように、握りしめる。

 「約束する。必ず引っ張り出してくる」

 ゆっくりと減速して、静かに車が止まる。わたしの家に着いたみたい。

 「次元結界を見つけ次第、中萱さんに連絡するわ。たぶん、その時にはわたしは全てを忘れているし、すっごい中萱さんを恨んでいるとは思うけれど、しっかり憎まれ役を引き受けてね」

 「うん。でも、本当にいいの?これで松川さん、穂高センパイのこと、全部忘れてしまうんでしょう?」

 松川さんも穂高センパイのことが好きだったわけで、話すキッカケを掴むためだけに後先考えずに自分の身体を放り投げようとするくらいには穂高センパイのことを好きで好きで好きだったわけで、松川さんにとっても、穂高センパイの思い出は失いたくないもののはずじゃないのかな。わたしがそうきくと、松川さんはすごく綺麗に笑って「終わった恋のことは引きずらないタイプなのよ」と、綺麗に言った。

 「綺麗サッパリ忘れられるなら、こんなに都合のいいこともないわ」

 それ聞いて、ああ、やっぱりわたしこの人のこと、全然嫌いじゃないし、応援したいなって。いいなって、思ったよね。

 なんてことのない没個性的な住宅街を景色にぜんぜん馴染まない不釣り合いな高級リムジンがブロロンと走り去っていって、わたしのポケットにはキラキラと複雑に光り輝くコア。わたしは玄関を開けて階段を駆け上がって部屋に飛び込む。鞄をベッドに放り投げると部屋の真ん中に立ってスマホで電話をかける。2コールで繋がる。

 「もしもし」

 「珍しいわね、アズのほうから電話をかけてくるなんて。どうかした?」

 「サワメグ。お願いがあるの」

 「いいわよ。請け負ったわ」

 わたしが内容も言わないうちに、間髪入れずに二つ返事でサワメグは引き受ける。こういうところ、本当に勘弁してもらいたいんだけど。なんか、泣きそうになっちゃうじゃんか。

 「わたし、まだなにも言ってないよ」

 「わたしはアズに借りがある。なんかお願いされたら引き受けようってとっくの昔に決めてたんだけど、アズったら容姿端麗頭脳優秀スポーツ万能の魔法少女がすぐ隣に居るってのに、なんのお願いもしてこないんだもの。なかなか借りを返す機会がなくてさ。やっと頼ってくれたわね」

 「借りって言ったって、あんなのたまたま、わたしにそういう性質があったってだけのことで、そんなに大したことじゃないよ」

 たしかに、わたしは昔、サワメグと出会ったころに、サワメグの命を助けたことがあるけれども。でも、それにしたって、サワメグは本来は肉体に縛られない自由な概念体のはずだから、肉体を失ったからってどうということもないはずで、つまり、一般的な「命を助けた」ほどの借りにはならないはずで。

 「そういう話じゃないわ」

 と、サワメグは言う。

 「別に、命を助けてもらったからとか、テンパってる時に喝入れてもらったからとかそういうことではないのよ。ただ、アズが居てくれて、わたしという存在を受け入れてくれたということが、概念的に極めて中途半端な存在になってしまったわたしをそのままで受け入れて、傍に居てくれたということが、わたしが今も存在し続けられている理由だから」

 だから、わたしはアズに借りがある。

 「そんなの……」

 そんなの、借りがあるのはわたしのほうだよってわたしは思う。サワメグが居てくれただけで、いつ踏み外してもおかしくない、ううん、もうとっくに踏み外してしまっていたはずのわたしが、まだなんとかかろうじてこうして普通に、ギリギリ普通って言えるようなかたちで人の社会で生きていけている。

 「はいはい、湿っぽい話は終わり。またおいおいやっていきましょう。よく分からないけれども、アズ、なにかのっぴきならない状況になっているんでしょ?話を聞かせて」

 そうだった。わたしは袖でゴシゴシと目元をぬぐって、一度鼻をすすってから話はじめる。

 「穂高センパイの次元結界を破りたいの」

 「ごめん、なんて?」

 「穂高センパイ」

 「んん?なんか電波悪いかも。よく聞こえない」

 やっぱり駄目。穂高センパイという語や、それを指す代名詞なんかは感染している人には認識できないっていうの、ガチみたい。

 「説明はできないっぽい。説明しても、それはサワメグには理解できないっていうか。でも、とにかく破りたい次元結界があるの」

 「……うーん、理由は言えないだか説明できないだかは分からないけれど、とにかくわたしは知ることができなくて、とりあえず次元結界を破ってほしいって、そういうこと?それで、その次元結界を破るとどうなるの?」

 「分からない」

 「なるほど?」

 記憶を失う以前にサワメグの話していた感じだと、最悪世界が滅んだりするのかもしれない。でも、このまま放っておいても世界が滅んだりもするかもしれないし、本当にわたしにはなにも分からないけれど、なにがどうなるかなんて知らないけれども。

 「迎えに行かないといけない人が居るの。大切な人なの」

 「オーケイ。なんとかするわ」

 気楽に。本当に気安くかるーいノリでサワメグは請け合う。

 「次元結界を破ること、それ自体は難しい話ではないわ。次元結界とひとくちにいってもその強度はまちまちだけれども、要するに、その強度を上回る貫通力でブチ抜けばいいだけだから、それ相応のエナジーをチャージすることができれば破ることは可能。とはいえ、プログラムは基本的に藪をつついてリヴァイアサンを出すようなことは好まないから、原因不明の謎の次元結界の存在を捕捉したとしても現にそれが安定的であるならば、下手な手出しはしない。実害が出るか、かなりの確度で予見されない限りは、よく分からないけどとりあえず破ってみようぜ~みたいな決断をすることはあり得ない。だから、それを破ることが目的であるならば、次元結界の存在をプログラムに報告しても無駄ね。観察対象になるだけなのが関の山ってところ」

 「なにか手はあるの?」

 「膨大なエナジーを使おうと思ったらプログラムから引っ張り出すぐらいしか方法はないけれども、別にエナジーを引き出すことさえできればその名目はなんだっていいわけだしねー」

 と、なにやら不穏なことをサワメグは言う。

 「膨大なエナジーが必要になる別の名目で引っ張れるだけ引っ張って、そいつで次元結界を破っちゃおうってそういう話。要するに」

 業務上横領。そう言って、たぶんサワメグは笑っている。電話の向こうで口角が凶悪に吊り上がっているのが気配で分かる。わたしは愛と正義の魔法少女がそんなことでいいのかって思うんだけど、サワメグは愛と正義の魔法少女だからよ、とこともなげに言う。プログラムは愛と正義の組織じゃないもの、プログラムの言うことにホイホイ従っていたんじゃわたしがわたしで居られなくなってしまう。わたしはわたしの愛と正義のためにプログラムを利用できるだけ利用する。自分が死なない範囲でね。

 「サワメグって前からそんな感じだったっけ?」

 「違ったわよ。もちろん、こうなっちゃったのはアズの影響」

 朱に交われば赤くなるのよ~なんて言っているけれども、どう考えても赤いのはサワメグだよね。烈火と激情の赤。わたしはもっと地味で地道なベージュとかカーキとかのアースカラーだと思う。

 「でも、他の目的でエナジーを引っ張るって言っても、具体的にはどうするの?」

 「まあ、他でもないアズのことだもの。ここはひとつ、あの人にも協力してもらいましょ」

 なんて、そういう軽いノリで。お母さんとサワメグが高校の校庭で決闘することになったりする。

 「アズちゃん。どういう了見だか知らないけれど、大事な大事なウチの子の大事なコア、返してもらうわよ」

 と、お母さんはいつもどおりのニコニコ顔だけど、腕を組んで胸張って怒ってますよのポーズ。おでこのところに怒りマークがビシビシ飛んでいる感じでめっちゃ怖い。反射的にごめんなさいってコアを返してしまいそうになる。

 「中萱さん、話が違うじゃない。次元結界を見つければその時点でコアを返すってそういう約束でしょ?」

 と、松川さんもお母さんのとなりに控えているんだけれど、なにしろいま松川さんは生殺与奪の一切をわたしに握られている状況だからおそるおそるっていう雰囲気で、もう本当にごめんなさいって感じなんだけど。うーん、そういう約束だったかなぁ?一番重要なところの記憶が欠落しているから、辻褄を合わせるためにどんな合理化が起こったのかは分からないし、松川さんの中ではそういう話になっているっぽい。そもそもどうやってわたしが松川さんのコアなんて大事なものを手に入れたことになっているんだろう?まあいいか。

 次元結界は高校の校門の手前にあった。西の空がパカっと広くて、夕暮れ時には宵の明星が見える場所。わたしと穂高センパイがはじめて出会った場所。

 「どうしたのイフリーテス、そんなイキりたっちゃってみっともない。あんたの相手はアズじゃなくてわたしだって言ってるじゃん。返してほしければ力づくで来なさい。キッチリカッチリ積年のカタをつけてあげるからさ」

 なんて、いやいやサワメグもいくらなんでも敢えてそんなに煽りたおす必要もないでしょうに。

 「安い挑発ね」とお母さんは鼻で笑って髪を振り払う。「生憎と、バーゲンセールは大好きだから安売りは迷わず買うことにしているのよ!」

 お母さんがクロスさせた両腕を広げると、バーンってなんだかよく分からない衝撃波があたりを走って地を揺らすし地面はクレーター状に陥没するし両の拳は謎の金色のオーラに包まれている。

 「エージェントコードKK1208ストリームワンより緊急要請!イフリーテスならびにノスフェラテスとエンゲイジ!レベル7権限で審議を省略!オブジェクト002の転送を要請!エナジー制限を解除!最大速度でありったけのエナジーを送って!」

 サワメグの髪の毛も金色に輝いて、その手の中に槍が握られている。空気が渦を巻いてサワメグに集まっていく。

 「今日こそ引導渡してあげるわオバサン!」

 「概念的にはあなたのほうがよっぽど年上でしょう!?」

 「若い精神は若い肉体に宿るのよ!!」

 お母さんが前に踏み込みながら正拳突きをすると拳から金色の波動拳みたいなのが飛ぶ。三発。それをサワメグは回転して槍で弾き飛ばす。三発とも、全部同じ方向。次元結界のほうに。

 交錯。

 お母さんが打つパンチをひたすらサワメグがいなす展開。サワメグはプログラムから送られてくるエナジーをひたすら槍にチャージし続けている。バレエを踊っているみたいにクルクルと回って、なにかの拍子にお母さんが投げ飛ばされたりする。クルっと回って難なく着地する。

 「ふーん、よく分からないわね。あなた一体、なにを企んでいるの?」

 「ご生憎様、今回ばかりは当のわたしもなにを企んでいるんだかサッパリ分かっていなくてね」

 お互いに距離を取って牽制する。お母さんは半身の空手みたいな構え。サワメグのほうはリラックスして直立している。

 「まあ、誰かの企みとか意図とか、そんなのどうでもよくない?ムカついたから、ムカついたヤツをぶっ飛ばす。いつだって、シンプルでしょ?」

 「乗ってあげようじゃないの!」

 波動拳。連射。サワメグはそれを全て次元結界のほうに弾き飛ばす。弾き飛ばされた波動拳は見えない壁にぶつかったみたいに同じところでパッと光って消える。

 「おーきたきた。溜まってきた」

 サワメグに集まり続けているエナジーが限界を超えたみたいで、サワメグの全身がボンっと光り輝きはじめる。髪が完全に重力を無視して上方向にたなびいて、許容量を超えたエナジーが全身からこぼれ出ている。

 「ごめんイフリーテス。もうちょっとそっち、そうそっちのほう」

 なんて言って、サワメグがお母さんの位置を身ぶりで誘導する。お母さんのほうも、言われた通りに素直にそっちにポジションを変える。二人して円を描くように移動して、サワメグ→お母さん→次元結界っていう直線的な配置。

 「オーケーオーケー。ほんじゃ、わたしの最強最大の一撃、いっくわよ~~!」

 「来なさいよ小娘!きっちりかっちり避けてあげるわ!」

 なんて、いつの間にか戦っていたはずの二人がプログラムを欺いて次元結界にサワメグの一発を当てる協力プレイになっていたりする。本当になんか、この二人もよくわからない関係性すぎるなぁ。

 サワメグが全力で投げた槍が空中で一瞬静止して、そこから爆発的に加速してお母さん目がけて飛んでいく。それをお母さんはギリギリのところでヒョイと側転して避ける。

 次元結界に直撃。

 ガラスが割れるような音がして、世界に亀裂が走って、ボロボロと崩れ落ちていく。

 世界が一瞬にして真っ赤に染まって。時が止まる。

 「なにこれ!?次元結界の二段構え……?」

 「今度はわたしたちも次元結界の内部に取り込まれたようね。随分とよく出来た封印だこと」

 サワメグとお母さんが飛びのいて警戒態勢を取っている。その視線の先。

 「あれ……?」

 穂高センパイが居た。エクスカリバーを抱え込むように、あぐらをかいて座り込んで。

 「穂高センパイ」

 わたしが言う。本当に居た。穂高センパイだ。そうだよ、少し前までは、普通にわたしの隣にはあの人が、穂高センパイが居たんだよ。いま思うと、それはまるで奇跡みたいなもので。

 「中萱さん。来たんだ」

 一瞬の間があって、それから微笑み。そう言ったのは、たしかに穂高センパイだったと思う。

 次の瞬間、穂高センパイを中心に衝撃波が走って、すべてを弾き飛ばした。お母さんもサワメグも吹き飛んでいるけれど、まああの二人はどうせクルっと回って着地するからいいとして、わたしだよ。普通に空中を生身で吹き飛んじゃっているんだけど、わたしはそんな、あの二人みたいにクルっと回って着地するような能力とかないんだよなー。なんて、冷静に考えていたりもする。さてどうしようね?と、なされるがままに飛ばされていたらフワッと空中でなにかに抱き留められて、見たら松川さん。背中から大きな黒いコウモリの羽根みたいなのが生えていて、それで普通に空を飛んでいたりする。なるほど、やっぱ吸血鬼ってそういうこともできるんだ。

 「あ、松川さん。ありがと」

 「別にあなたのためじゃないわよ。今あなたがわたしのコアを持っているんだから仕方がないじゃない」

 なんて、すっごく顔をしかめて言うものだから、わたしは「あ、ごめんね」って言って、ポケットからコアを取り出して松川さんに返す。

 「ありがとう。助かったよ」

 「あ、どうも……」

 ふわりと地面に下ろしてもらって、見たら案の定サワメグとお母さんも難なく着地していて、そして、穂高センパイがエクスカリバーを手にゆっくりと立ち上がっているところ。くつくつくつって、顔をうつむけて不気味に笑っている。

 「感謝するぞ愚昧ども。あと一歩というところで内側から次元結界を閉じられて時間と空間から切り離され、如何にこの俺と言えども即座には手の打ちようがなかったところだ。まさかわざわざそちらのほうから次元結界を破ってきてくれるとはな」

 神さま、なのかな?いつもの穂高センパイとは違う感じのキャラなんだけど、なんていうか、なんていうの?その……

 「なに、随分と安っぽいキャラ造形なのね。どこのどなただか存じ上げていないんだけど、ラスボスかなにか?」

 なんて、お母さんがズバッと言っちゃったりする。

 「え、なにあれ。あれがアズの言ってた大切な人?ちょっと趣味悪すぎじゃない?」

 サワメグも槍を肩にトントンしながらすごく冷めた目で見ていたりする。おー女子こええ。

 「いや、たしかにアレはちょっとアレな感じなんだけどさ。アレはなんかちょっと違うっていうか、普段はもっとかっこいい感じなのよ」

 なんて、わたしはなんとなくフォロー入れてみたりもするんだけど。

 「まあ顔は悪くないと思うけれど、今どき愚昧どもとか言う?」

 あ、松川さんてきにもあの穂高センパイはなんか趣味じゃないっぽい。ほっぺに手を添えて、なんとも言い難い微妙な表情をしている。それはそれで話がややこしくなくていい感じではあるんだけど、うーん、とはいえさすがのわたしもあの穂高センパイはなんかヤだなぁ。

 「おい、お前ら全部聞こえてるからな」

 「あ、ごめんごめん。ちょっとあんまりにもあんまりだからつい。で、ところでアンタ誰?つーか何?とりあえずマトモじゃなさそうではあるけれど」

 こりゃあまさに藪をつついてリヴァイアサンって感じね、と、サワメグもいちおー完全に正体までは把握していないものの、穂高センパイがなにかヤバイものだってことには既に勘付いているみたいなんだけど、前回はあれだけヤバイよヤバイよ世界が滅亡しちゃうよってなってたサワメグも今回はなんだか危機感がない。たぶん、相変わらず世界が終わっちゃうくらいのヤバい状況なんだけど、記憶をぜんぶ丸ごと失っているからね。知らないって怖いね。

 「俺は神だ」

 「は?なに?ちょっと聞こえないんだけど」

 「だから創造神だよ。この世界を作った神。かーみーさーま」

 「え?なんて?全然言ってることが分からないんだけど?吃音症?」

 穂高センパイのしかけた穂高センパイに関する情報は認識できなくなる感染症は相変わらず有効っぽくて話がややこしい。もう、本当に性質が悪いなコレ。

 「あー、分からないなら分からないで別にいいや。分からせるだけだから」

 そう言って、穂高センパイがまたドーンってなんか衝撃波みたいなのを出して、またしてもお母さんとサワメグが為す術もなく吹き飛ばされちゃう。もちろんわたしも吹き飛んでる。あー、だからどうしようねコレ。って思ってたらまた空中で松川さんにふんわり受けとめられて「あ、どうも」ってなる。でも、もうコア返したのになんで?って思うんだけど、松川さんはそっぽ見ながら「仕方ないでしょ。ここでこんなしょーもない感じにあなたに死なれても気分悪いじゃない」なんて言ってて、もう本当にこの人かわいいなあ。

 「いや、まあアンタがヤバ強いってのは実際そうっぽいし分かったんだけどさ。それでわたしら相手にオラついてどうしたいわけ?すごいねーって褒めてもらいたいの?褒めてあげようか?すごいでちゅねー」

 またぞろクルっと回転して難なく着地をキメたサワメグが、槍を構えてそんな煽りを入れるんだけど、言葉とは裏腹に表情には意外と余裕がないことに気付く。あ、やっぱこれ、すごいヤバい状況だったりする?

 「どうする、か。そうだな、とりあえずいっぺん滅ぼしておくか、世界」

 「は?なに言ってんのアンタ?世界なんか滅ぼしてどうすんのよ。全て無に還して自分も無に還ろうとかそういうやつ?ネオエクスデスかよ」

 安っぽいわねー、キャラ作り安直すぎじゃない?って煽りを入れつつサワメグは槍を構えて穂高センパイを中心にした同心円を描きながら横に横に移動している。それに合わせて、お母さんも逆方向に位置どっている。挟み撃ちの構え。この二人、言葉どころかアイコンタクトすら交わすことなくお互いに意図を読み合って連携できるみたいで仲良過ぎじゃないかと思う。

 掛け声もなしに二人が同時に左右から穂高センパイに躍りかかる。穂高センパイは右手に握ったエクスカリバーはダラリと垂らしたまま、それを左手一本で捌く。お母さんのパンチを避けたあとにサワメグが突いてきた槍を素手で掴んで、そのままサワメグごと振り回してお母さんにぶつけて二人まとめて投げ飛ばす。サワメグもお母さんも着地もできずにゴロゴロと地面を転がる。

 「ちょっと!穂高センパイやめてよ!」

 わたしが堪らず声をあげると、穂高センパイはこっちを見て「日下部穂高なら、つい今しがた消滅したところだ」と言う。

 「あと一歩でインストールも終わるという、その最後のところで時空間から自分自身を切り離すことでかろうじて人として停止していたんだがな。お前たちがその断絶を断ってくれたことでインストールは完了し、日下部穂高は消えた。俺は神だ。日下部穂高ではない」

 「そんなのどっちでもいいよ!」

 と、わたしはあんまり深く考えずにとりあえず声に出す。いや、どっちでもよくはない気もするけれど。まあどっちでもいいや。

 「あなたが誰だったところで、いきなり現れてそんなカジュアルに世界を滅ぼしたりしていいわけがないでしょう?」

 「俺が作った世界なんだから、潰すのだって俺の勝手だろそんなもん」

 「なに言ってんのよ!現に今住んでる家にいきなり家を建てた大工さんがやってきて気に食わないからいっぺん潰すわとか言われてもそんなん通るわけないでしょ!現に今住んでる人が居るんだからさ」

 穂高センパイがなにか言い返そうとするんだけど、んぐって一瞬言葉に詰まって、あ、いま一瞬正論だなって思っちゃったでしょって感じ。

 「そういう話じゃないだろ。だいたいお前この世界を作った神を大工扱いするってどういう了見だよ。その理屈でいくと俺は家を作った大工どころかその家に住んでいる住人も全部作ったんだから……えっと、なんだっけ」

 わけのわからない比喩表現に乗っかると自分もなにを言おうとしてたんだか訳わからなくなることあるよね。分かる分かる。

 「まあ、なんしかこの世界は失敗だよ。プログラムのエージェントやってるお前なら分かるだろ」

 そう言って、穂高センパイはエクスカリバーの切っ先をスイっとサワメグのほうに向ける。

 「あっちもこっちもバグだらけだ。いつ不意に世界が終わってもおかしくない、ギリギリの危ういバランスの上で、不具合の出たところを対症療法てきになんとか潰したり隔離したり修正したりしてどうにかこうにか回しているだけの欠陥商品だ。そうやってちょびちょびちょびちょび修正を繰り返すぐらいなら、いっそいっぺん綺麗さっぱり全部潰して、イチから組みなおしたほうが話は早いだろ」

 「ガキの理屈ね」

 地面を転がったサワメグが起き上がりながらそう言う。お腹おさえてるし、気を張ってはいるけれどもそこそこ辛そう。

 「いっぺん綺麗にして最初からやり直せば綺麗に作り直せるなんて、ただの思い上がりよ。なにをどう作ったところで、走らせてみるまではうまくいくかどうかなんて分からないし、走らせながら不具合を見つけ出して適宜対症療法てきにやっていくしかないのよ。だいたい、作ってみないことには分からないことがあるから実際に作ってみたんでしょ。でなきゃ、わざわざ質量を使ってまで作ってみる価値なんてないもの」

 質量ってのは常に本質的で、理論を裏切ってくるものよ、とか言いながら、サワメグはまた槍を構える。

 「やってみないと分からないから、世界はこんなにも、面白い」

 「やってみなくても分かるんだよ、俺には」

 「試してみる!?」

 サワメグがボンっと光り輝いて、再び飛び込む。槍の連撃、それを穂高センパイは相変わらず左手一本で対応している。サワメグは構わずどんどんと間合いを詰めていて、ほとんど密着するみたいな距離。それはもはや、槍の間合いですらなく本来ならたぶん自殺行為みたいなものなのだけど、なぜか穂高センパイは後ろに跳んで距離を取る。サワメグは追撃せずに槍をグルっと回してその場で構えを取る。

 「はは~ん、剣を使わずに左手一本で捌いているの、余裕アピールかと思ってたんだけどそういうわけじゃあなさそうね。いまの間合いでさすがに剣を振らずに引く意味がないもの」

 と、サワメグはニヤリと笑う。地面に転がったままのお母さんもリビングでテレビ見てるみたいにリラックスした雰囲気で肘ついて「剣のほうが本体なんじゃない?」なんて言う。

 「そっちの剣が、その身体を操っているのね」

 地上最強の聖剣エクスカリバー。神のデータが納められた記録メディア。この世界の創造神そのもの。穂高センパイの記憶のついでにエクスカリバーについても記憶を失っているはずなんだけど、短時間の観察で真実を見極めるのはさすがって感じ。だけど、あれ?インストールが完了したって穂高センパイがさっき言ってなかったっけ?

 「してないんでしょ、完了。もしくは、なんとかOSは立ち上がったけどそっちの剣のほうから立ち上げている感じなんじゃない?詳しくはわかんないけど、とりあえずその剣との物理的接触状態が重要っぽいわね。右側を危険に晒すことを嫌がっている」

 穂高センパイは答えない。相変わらず、右手にエクスカリバーをだらりと下げたまま、左側を前に半身にゆるく構えている。えっと、じゃあ今のあのなんか厨二病こじらせたみたいな安直なラスボスキャラのアレが穂高センパイってこと?アレもまた、穂高センパイの一面ってことなのかな?そう言われてみると、そんな感じもする。ちょっとぐらい表面的なキャラが変わっていたとしても、やっぱり穂高センパイは穂高センパイのような気がする。わたしはこの人のことが好きなんだって思う。わたしには、そう思える。

 「穂高センパイ、帰ろうよ」

 わたしは言う。穂高センパイがわたしを見て、睨み付けるような表情で。ううん、たぶん、実は泣きたいんじゃないかな。そんな感じ。

 「俺は日下部穂高じゃない。そう言っただろ。だいたい帰るってどこにだよ。死んだ息子の複製にすぎない泥人形を何の疑いもなく養ってきた哀れな夫婦のところにか?」

 穂高センパイは言う。声は決して大きくないけれど、淡々としているけれども、本当は叫びたいんじゃないのかな。

 「俺は元から、日下部穂高なんかじゃなかったんだ。それどころか、人間ですらなかった。今さら帰るったってどこに帰ればいいって言うんだよ」

 「なに言ってるのよ。いまここに居るの、誰一人として人間じゃあないよ」

 人食い鬼のハーフとクォータに吸血鬼。それと魔法少女。生まれつき人間じゃなかったのも居るし、人間じゃなくなってしまったのも居るけれど、誰一人として人間じゃない。異常で異端で、世界の敵だったり社会の敵だったりで。それでも、どうにかこうにか生きている。強靭で強大な人の社会の中で、潰されないように壊されないように、組織に守られたり徒党を組んだり敵と戦ったり均衡状態を作ったり、時には敵同士でも手を組んだりして、自分を守りながらなんとか折り合いをつけて、生きているんだ。

 あんたの好きなように自由に生きなさい。せっかく生まれてきたんだから、自分の好きなように自由に生きなきゃ甲斐がないでしょ。

 どんな風に生まれついたとしても、生まれちゃった以上は生きなきゃダメなんだからね。

 「穂高センパイに帰る場所が必要なら、わたしがそれになるから」

 わたしがおかえりって言うよ。だから。

 「だから帰ろうよ」

 この世界で。このあっちもこっちもバグだらけでいつ不意に終わってもおかしくない、ギリギリの危ういバランスの上で、不具合の出たところを対症療法てきになんとか潰したり隔離したり修正したりしてどうにかこうにか回しているだけのこの世界で。一緒に生きて行こう。

 「俺は……」

 穂高センパイは一瞬、迷うような表情を見せて。迷う?迷っている。穂高センパイが?

 衝撃波。

 今度はサワメグは姿勢を低くして耐えているし、お母さんは最初から地面に寝転がったままだからそのまま伏せてやり過ごしている。わたしだけが性懲りもなくドーンと吹き飛ばされているし、やっぱり松川さんが受け止めてくれる。ありがたし。

 「調子に乗るなよ凡百の怪異ども風情が。俺は神だ。誰の指図も受けない」

 「あーあ。そっち方向に振りきれちゃうわけ。情緒不安定ね。思春期?」

 凡百て、とサワメグは言って、槍を構えなおす。お母さんもクルっと回って立ち上がって構えを取る。

 「ちょっと前のあなたみたいな中途半端な感じなんじゃない?ストリームワン。あなたもたいがい、概念と概念が干渉して不安定になっていたもの」

 「うっるさいなぁ!それはいま関係ないでしょうが!」

 そんな昔のことをすぐちょっと前とか言っちゃうの老化だからねローカ!とかなんとかサワメグとお母さんが口論してて、それでもお互いにジリジリとポジションを移しながら同時に飛び込むタイミングを計っている感じ。わたしは松川さんに抱えられながらそれを空中から見ている。

 「とりあえず、勝利条件がハッキリしたっぽいわね。あの剣をやっこさんから物理的に引き離す。手放させればどうにかなるみたい」

 「みたいな感じねー。腕ごとぶっ飛ばしちゃえばどうにかなるかしら」

 お母さんがそんな物騒なことを言っている。わたしは松川さんにちょっと思いついたことをお願いしてみる。

 「え、正気?言っておくけどサワメグさんや中萱さんのお母さんとわたしたちとでは戦闘能力のグレードが違いすぎるから、あのふたりの戦いに割って入るのなんて無駄もいいところよ?」

 「まあでも、このまま黙って見ててもサワメグとお母さんが負けちゃえば世界滅亡っぽいし」

 勝利条件が多少は緩和されたとはいえ、戦いを見ている限りではやっぱりサワメグとお母さんを足してもまだ分が悪いことに変わりないっぽいし、かと言って、お母さんに穂高センパイの右腕をまるごとふっ飛ばされたりしてもそれはそれで困るし。

 「それにたぶん、いまわたしたちって戦力にカウントされてないっぽいから、意表は突けると思うんだよね」

 「もう、わたしは知らないからね!」

 「うん、ありがとう」

 サワメグとお母さんが同時に飛び込む。お母さんがグーパンの連打で穂高センパイのボディを執拗に狙って、サワメグは槍でエクスカリバーを叩き落とそうと狙いに行っている。穂高センパイは二人に対して左半身を前にする構えで、エクスカリバーを持った右手を後ろに引いていなしている。わたしはいま、その穂高センパイが後ろに引いた右半身を、後ろ側にしゃがみこんで下から見上げている。松川さんに穂高センパイの後ろ側に回り込んでもらって空中から落としてもらったわたしは、着地の衝撃を緩和するために大きくしゃがみ込んで、いま、エクスカリバーを持った穂高センパイの右手の、その真下に居る。

 「え」

 穂高センパイがこちらを振り向いて、驚愕の表情。はじめて見る。穂高センパイが驚いたところ。やっぱたまには、驚いたりもするんだね。不意打ち成功。っぽい?

 わたしは穂高センパイの右手に飛びついて、その手をこじ開けてエクスカリバーを奪おうとする。

 「やめ……」

 穂高センパイがそう言って、サッとエクスカリバーを払って。

 「あ……」

 ガクンッと、わたしはバランスを崩してグラッと倒れ落ちそうになる。とっさに穂高センパイの首に両手を回して、抱き付くように、ぶら下がるようにして耐える。あれ、わたしたちって、こんなぶら下がれるほどの身長差だったっけ?もうちょっと、いいバランスだなって、そう思ったような気がしたんだけど。いや、だってこれ、わたし、いま、腰から下がないじゃん?

 斬られた。エクスカリバーで。豆腐みたいにスッと半分に。おへその下あたりから、身体がもう、ない。

 すごい勢いでどんどん中身が下に流れ出ちゃってるの分かる。これ、あと何秒も残ってないなって感じがする。

 わたしはなんとか力を振り絞って顔を上げる。穂高センパイの顔、すごく近い。

 両腕に最後の力を込めて、顔を近づける。口づけする。

 ファーストキスだよ。

 めっちゃネトネトしてて、血の味しかしない。ううん、たぶん、味とかもう感じてないかも。

 力がドボドボ抜けちゃって、わたしの首はガクンと横を向く。サワメグが見える。サワメグがなんか叫んでいるけど、聞こえない。もうなにも聞こえない。

 あれ、でもこれ、わたしもう両腕にも力残ってないのに、なんで落ちていかないんだろう。

 ああ、そうか。

 穂高センパイが抱き留めてくれているんだ。

 背中に、両腕が触れている気がする。

 穂高センパイの両方の掌が、わたしの背中を支えている感覚がある。気がする。

 ということは、そうか。穂高センパイ、エクスカリバーを手放したんだね。

 あーだめ。色々と確認したいのに、もう手も首も視線さえも、なにも動かせないみたい。

 あーあ、穂高センパイの顔が見たいのに。顎のラインがね、綺麗なんだよ。これでたぶん最期の最期だって言うのにさ。なんでサワメグのほうを見てるかなぁ。

 サワメグ、超泣いてるじゃん。

 サワメグさ。なんだかんだ言って、けっこう涙もろいところあるよね。

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