第0話 ひとくいマンイーター 10

 新規ボディに移るまでの数日間を乗り切る上で、不特定多数の他者と関わることになるということで、一番の不安要素だった学校だったけれど、なにも問題はなかった。誰もわたしに喋りかけてこないからだ。

 駅で電車を降りて、校門をくぐって、教室の自分の席に着いても、誰ひとりとしてわたしに喋りかけてくるということはなかった。ひょっとして、ベイルアウトの不具合かなにかで自分の身体が他人から見えなくなってしまっているんじゃないかと思ったくらい、まるでクラスメイトたちには沢城恵の存在が見えていないかのようだった。見えていても、見えていないかのように振る舞う。居ても居ないものと仮定して行動する。人間というのはなかなか器用なものなのだなぁと感心する。

 クラスメイトたちが続々と登校してきて教室内の密度が上がり、始業前のザワザワのボリュームが上がっていくけれども、相変わらずわたしひとりだけが時空間から切り離されているかのようである。いったい沢城恵はなにをやらかしてこんな憂き目にあっているのだろうかと思わないでもないけれど、検索してみてもその情報はない。まあいいけど。この状況は今のわたしにとってはむしろ好都合である。

 ただただ黙って椅子に座っているだけで暇なので、わたしは教室内のザワザワに耳を傾けてみる。もっぱら、話題の中心は昨夜に発生したという殺人事件についてのようだ。ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと無限に言葉が出てくるわりに、そこに含まれる情報量じたいはそれほど多くない。どうやら、すぐ近所だったみたいだけれども。

 チャイムが鳴って担任の教師が入って来る。一限目は臨時の全校集会だと知らされて、ぞろぞろと体育館に移動する。たぶん、近隣での殺人事件の発生に関連しての注意喚起だろう。注意して防げるものかは知らないけれど。

 校長は殺人事件という語は使わずに、死体損壊遺棄事件と言っていたから、まだ他殺とは断定されていないということのようだ。しかし遺棄はともかくとして損壊かー、とわたしが考えていると、どこかで誰かが「食われてたらしいよ」と囁くのが聞こえた。

 「食われてた?」

 「そう。被害者の遺体はバラバラにされていたらしいんだけど、噛みちぎったみたいな感じだったんだって。だから、犯人は死体を食ったんじゃないかって話」

 「えー、マジ?だって人間でしょ」

 「人間だからでしょ。豚とかなら自分で殺さなくてもお金出せば食えるじゃん」

 「あ、そうか。頭いい」

 そんな、誰かのヒソヒソ話を聞くともなしに聞いていたら、わたしの頭の中に突如なにかのイメージがフラッシュバックしてきた。

 闇。逆光。黒。人影。

 フラッシュ。

 粘性の液体。臭い。むせる。

 グリッチ。

 そう、ケンタッキーフライドチキンを連想したんだ。

 ホワイトアウト。

 急に吐き気を覚えてうずくまったわたしを、近くに居た教員が助け起こす。わたしは立ち上がって、身ぶりで吐き気を訴え、自力で小走りにトイレに駆け込みさっき食べたばかりのトーストを便器に吐き出す。流す。スッキリした。

 水道で口をゆすいで、顔を水でバシャバシャと洗う。鏡を見つめる。水滴を滴らせた少女の顔がある。血の気が引いている。まだ、あまり馴染みのない顔だ。

 そう、食っていた。

 あれは、人が人を食っている光景だ。

 その現場を、沢城恵は見ている。沢城恵の記憶に、その光景がある。

 沢城恵は恐怖に慄き、そこから逃げ出したのだ。

 目を閉じて思考を集中し、記憶の発掘を試みる。

 でも、その先は記憶が曖昧だった。ただ、恐怖と焦燥感に支配され、息を切らせて走っている。誰かが後ろから追ってきている。

 そうか。沢城恵は別に、家庭の事情だとか学校での人間関係だとかで悩んで投身自殺をしたのではない。アレから逃れようとして、でも追いつめられて、自らビルの屋上から身を投げたのだ。恐怖と混乱と焦燥感から判断を誤ったのか、それとも、殺されて食われるくらいなら自分で死んだほうがマシだと判断したのかは知らないけれど。

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