19◆19 パトリッケス②


  ◆◆九話◆◆



 閉館も間近。

 他に利用者のない静寂の落ちた図書館に、ティータがぼんやりと佇んでいた。


 今朝、カリンとしてドゥイングリスと二人で遠征に出て。

 先程、彼の馬で一人。帰ってきたばかりだった。


 疲労が濃く、放心状態と言ったほうが適当だった。


 カリンの姿で兄弟たちと遭遇するのは都合が悪く。

 報告義務を果たした後、パトリッケスの動向を確認すべく図書館を訪れていた。


 とても道化を演じる気力は湧かず。城への出入りは、はばかられたのだ。



 司書の老人が、閉館を伝えに彼女のもとへとやって来た。


「お嬢さん。そろそろ、閉めたいのじゃが」


「……はい。ご迷惑をおかけしました」


『報告』が届いていれば、それどころではないだろう。

 諦めて立ち去ろうとした直後。


 パトリッケスが姿を現した。



「これはこれは、お坊ちゃま。たった今、閉館する所でした」


 歩み寄る司書を振り返りもせずに、パトリックは椅子に腰をかけて項垂れた。


 明らかに気が立っており、関わらないのが吉と判断できる。


「あとは僕がやっておきます。キミは帰ってくれてかまわない。

 しばらくここを使わせて貰いますよ」


「そうですか。では、失礼致します。どうぞ、ごゆっくりと」


 主の許可が出たので、老人は速やかに退散する。


 パトリックは黙り。ティータは去っていく老人をただ見送った。


――重い沈黙が流れる。



「騎士様、どうかなさいましたか?」


「ティータ。どうか、ほっといてください――」


 追い払おうとして、気付く。


「……泣いて、いたのですか?」


 彼女の瞼は泣き腫らして紅くなっていた。

 繕う余裕のなかった頬や手足には、擦り傷も残っている。


 その様子を見て、パトリックは少しだけ冷静さを取り戻すことができた。


「気が回らずに、すみません。先程、兄の訃報を受けたもので……。


 ところで、その傷はどうしたのです。


 何かあったなら、相談に乗ります。遠慮なく言ってください」


 その原因が、彼が抱えている問題と同じであるとは言えない。


「いいえ、お気になさらないでください。もう、終わったことですので――」


 言いながら、ティータは胸が痛むのを自覚する。


「それよりも、騎士様の方こそ尋常ではない様子とお見受けいたします」


 兄が死んだことで、彼はどのような心境でいるのだろう。


 目の上のたんこぶが消えた心地だろうか。


 これで労せず、権力を手中に収められると歓喜しただろうか。


 沈痛な面持ちからは、とてもそうだとは思えない。



「気持ちの整理がつかずに。怒って良いものか、悲しんで良いものか……。


 別れとは、こんなにも唐突に訪れるものなのですね」


 喜ぶという選択がないことに、ティータは胸をなでおろした。


「お兄さんが憎かったのでは?」


「ええ、憎いですよ。でも、おかしいんです。

 いざ、死なれると。想像を絶する喪失感に苛まれています。


 兄を負かすためにしてきた全ての努力が、もはや虚しい。

 父の後継者にさえ、興味がわかない……」


 山賊の首領により、ドゥイングリスは倒された。

 その時点のカリンに、その場をどうこうする力がある訳もなく。


 賊達に笑われ、いたぶられ、追い立てられるようにしながら逃げ仰せた。


 彼女にできたのは、それを伝えに一刻も早く帰ることだけだった。


 報告を受けたパトリッケスは激昴し。

 すぐさま大部隊による殲滅を決行せよと命じたが。


 兵士の多くは遠征しており、数が足りず。

 相応の準備時間を要するのだと、ヤズムート兵士長から却下された。


 すでに数名が調査に派遣されており、それが死体の回収も兼ねるだろう。



「報告では、賊の首領は特殊な剣を使用したのだとか。

 ここへは、その手がかりを求めて来たのです」


 部隊編成まで、ただ待っているわけにはいかない。

 何かしらの成果を得ようと、パトリックは行動を起こした。


「それはおそらく、旧王国の支配者の証と呼ばれる。

『王の剣』のことではないでしょうか?」


 現場にいたことを悟られない範囲で、ティータは手助けをしたいと考えた。



「そんな話は初耳です。どこでそれを?」


 パトリックはその存在を知らない。


 マルコライスが旧王国を滅ぼした時。彼らはまだ幼く、戦争に関与しておらず。


 実物も未回収ゆえに、目の当たりにした者のない剣の噂など。

 数年の間に風化してしまっていたからだ。



「旧国民の間では有名な話です」


 ティータは断言した。


 ロイが知っていることなのだから、周知なのだろうとの判断だ。


 しかし、事実は異なる。


 王が持つ剣であるがゆえに、前線に現れることは稀であり。

 その存在をはっきりと認識していたのは、持ち主と、周囲の人間に限られ。


 儀式の存在を伝える泉の彫刻は、城壁内に存在し、これも人目には触れない。


『王の剣』は旧国民にとっても、もはや誰も振り返らない。

 逸話めいた存在でしかなくなっている。


 その情報は正確ではない。しかし、非常に有用ではある。



「だとすれば、敵は旧王国の残党である可能性が高いですね」


 言うまでもなく。

 野盗の類に身を落とす割合は、敗戦から境遇の劣悪な旧国民の方が高い。


 問題は、手下が首領らしき人物を『殿下』と呼んだことだが。


 ティータがその情報を持っているのは、どう考えても不自然だ。


『王の剣』を持っていたならば、賊の親玉は王族である。

 その仮説を提示することは出来る。


 しかし、盗品である可能性は皆無ではない。


 それが『王の剣』である立証ができない以上。

 結論づけるにはあまりに根拠が弱い。


 ティータがそれを過剰に主張するのは、やはり不自然。


 いっそのこと、『現場にいた』と言えば良いのかもしれないが。


 カリンとティータが同一人物であることを知られるのは恐ろしかった。


「手伝います。手掛かりを見つけましょう」



 それから二人は、旧王国の関連資料を片っ端から机の上に広げた。


 王の剣とは実在するのか。

 所在は本当に不明なのか。

 持ち主は何者なのか。


 より詳細に事実を明確化するために――。



 夜半すぎ。二人は有力な情報へとたどり着く。


 旧国の王族と、その側近を処刑した詳細な記録書が見つかったのだ。

 王族十二名。騎士八名。その他、重役三十六名が処刑されていた。


「とても凄惨な終戦処理だったようです。

 とくに王族には徹底した処断が下されています」


 代表して国王の処刑が行われることはあるだろう。

 しかし一族郎党、皆殺しとは。


 パトリックは改めて父の苛烈さに驚愕した。



「騎士の割合が少ないのですね」


 代表者だけが処刑されたのだろうかと、ティータが疑問を唱えた。


 パトリックが答える。


「戦中に失われて、数も少なかったのでしょう。

 何人かはこちらの記録書でも確認できます。


 王族と騎士の全てが極刑に定められた折、彼らは決死の逃亡を敢行。

 追撃の末に数名の逃亡を許したと。


 家系図を探しましょう。

 処刑された者と照らし合わせて生存者を特定したい」



「それなら――。


 あ、ありました。処刑者のリストから溢れている人物の名前が」


 必要になることを見越して用意しておいた家系図から。

 ティータは一人の人物を抜き出した。


 パトリックが読みあげる。


「王族で消息不明とされているのは一名のみ。ナージア第二王子。

 当時、十歳か。僕と同じ歳だ」


 カリンが対峙した人物と外見年齢も一致する。

 確証はないが、根拠は十分だと思える。



「もう十年も前です。気にかけた事もなかった。

 落伍者の集まり程度に考えていた賊のルーツは滅ぼされた旧王国の軍隊だった」


 国が消滅し、多くの旧国民は侵略国に隷属した。


 しかし処刑が定められた彼らは、膝を折ることすら叶わず。

 隠遁生活を送る他になかった。


 身を隠しながら食い扶持を得る手段が山賊行為だったのだろう。


 どれほどの規模かは分からないが、処刑対象の生き残りならば少人数に違いない。


 今日、ドゥイングリスが無事でさえいたならば。

 彼らはさしたる驚異でもない。はるか格下の存在だった。


 すでに隷属している市民たち。

 懐に入り込み、圧倒的な数を有する彼らの方が警戒に値したくらいなのだ。



「生き残りの王子などを拠り所にして、奴らは何を考えているんだ――」


 彼らにとっては、単に団結の手段なのかもしれない。

 旧王国は完全なる敗北を経て、もはや復権が叶うはずもない。


 しかし、それは勝者の視点でしかなかった。


 ナージア王子の構想では、戦争はまだ継続しているのだから。





   ◆十話、ヴィレオン将軍②

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