07◇08 ヤズムート兵士長


 ◇◇六話◇◇



「結果は度外視してさ。まず、お互いを理解する為の行動を起こすべきだよ」


 長男の奇行をうけてはじまった暴露大会にて。

 長男、次男に気になる女性がいることが明らかになった所。


 道化師イウが三兄弟に向かって諭していた。


「どうやら皆、お互いのことを何も分かっていないみたいだしね。

 もう一度会って、よく話して、自分のことをもっと知ってもらいなよ」


 三兄弟はそれぞれに対象となる相手を思い浮かべた。


 何年も外出していない末弟のロイ。

 彼が同様の素振りをしているのは不可解だが。


 その理由に気づいているのは、本人以外にイウだけだった。



「馬鹿らしい――」


 フゥと息を吐いて。パトリッケスが突っぱねる。


「面白半分で煽られるのが一番、迷惑なんですよ。

 恋愛を娯楽として消費したいのでしょうが、そんな手に乗るもんか」


 道化師という立場上、多くの場合イウのアドバイスは力を持たない。


『悪ふざけ』と判断されがちだからだ。



「そんなつもり……あわあっ!?」


 弁解しようとしたイウが悲鳴をあげた。


 視界の端にとらえた人影。

 そのぼんやりとした存在感に、霊的な存在を錯覚し驚いたからだ。



「――失礼して構いませんでしょうか?」


 入口に突っ立っていたのは、ヤズムート兵士長だ。

 イウが開けっ放した扉をノックし、律儀にも入室の許可を待っていたのだ。


「そうでした。こんな話をしている場合ではない」


 本日の方針を伺いに参上したヤズムートを、パトリッケスは招き入れる。



「本日もご機嫌麗しく。坊っちゃま方にも春の息吹が訪れたようでなにより。

 僭越ながら、私も道化殿と同じ見解でございますれば」


 どこから聴いていたのか。兵士長も粗方の事情を察していたらしく。

 身内の恥を晒した心地のパトリッケスは、コメカミを押さえて頭痛に耐えた。


「貴方までそのようなことを……」



「兵長。どう思う?」


 パトリッケスがうずくまったタイミングを突いて。

 それまで黙り込んでいた長男ドウィングリスが、神妙な面持ちで訊ねる。


「なにがでしょう?」


「やはり、オッパイはデカい方が良いと思うか?」


――沈黙。


 パトリッケスが机を叩いて抗議する。


「馬鹿な質問はやめろッッ!!」



 巨乳ではない女性を妃に迎えて良いものか――。

 ドゥインはずっと考えていた。


 社交場での婦女子は、そこが顔だと言わんばかりに。

 大胆に胸元が開いたドレスで、たわわな乳房を見せびらかしている。


 その渦中において、カリンは見劣りするのではないだろうか。


 それは自らの見栄えを誇りとしてきたドゥインの案じる処だった。


――デカパイ・オア・ノットデカパイ。


 今日までこれほど悩んだことはない。

 生涯の伴侶だと思えばこそ、乳房の必要性が気になっていた。


「いざという時、物足りなく感じたりするのではないか?」



 ヤズムートはドゥイングリスの真剣さを汲み取り。

 こちらも神妙な態度で答えた。


「巨乳は三日で飽きるが、貧乳は三日で慣れる。

 そんな格言がございます」


「真面目なトーンでなに言ってんの?」


 渋い語り口と内容のギャップを、道化師イウは指摘せずにはいられなかった。



「たった一つの美点で他、全てをカバーすることは叶いませんが。

 たった一点の欠点が原因で全てが破綻することはありえます」


 他が伴っていなければ、乳房だけで満足することはない。

 しかし、乳房に対する不満が原因で破局することはある。


 ヤズムートの主張が真実であるかはともかく。

 ドゥイングリスの懸念を的確に突いてはいた。


「オレサマが求めるのは、まさにそういう意見なんだ!

 恋に落ちた時のテンションが、貧乳に損なわれたりしないか否か!」


 ドゥイングリスの熱い叫び。


 イウはいたたまれなさに腕を交差して胸を隠し。

 パトリッケスは「勝手にしてくれ……」と呆れ。


 ヤズムートはより詳細に語りだした。



「美醜を語るとき。大切なのはサイズではなく、境目にかけての曲線です。


 鑑賞に限定した場合、どんなサイズの乳房にも趣きがあり。

 無限の可能性を内包しているといって良いでしょう。


 しかし実際、コトに及んだ時。

 貧乳の対応力の乏しさに途方に暮れ、巨乳を羨むことになるのは否めない」


 ヤズムートが巨乳の優位に言及する。


 それに対し、たった一人反発する者がいた。



「――待って。俺はその意見には賛同できない」


 静かに。それでいて断固たる口調で。

 三男ロイが反論する。


「貧乳には、下品な巨乳にはない清楚美がある。

 結局は兵士長も巨乳派ってだけでものを言ってるとしか思えない」


 その態度は皆に衝撃を与える。



「お前が、そんなにも声を荒らげるだなんて……」


 兄たちは驚いていた。


 ロイの母親はマルコライスの愛人だった。

 その葬儀が密葬であった時すら、物分りの良かった弟なのだ。


 感情を荒らげる姿など、もう何年も見ていなかった。



 道化師は思った。


――なんだコイツ。



「では、三男様。そこの壁の前に立ってください」


 反発する三男に対し。ヤズムートは部屋の隅へと誘導する。

 ロイは大人しく指示に従った。


 壁の前に立ち。ヤズムートの言葉を待った。


「では、その壁を女性に見立て、愛撫してください」


 ロイはギョッとする。

 壁に向かい手を伸ばしかけたが、すぐに恥ずかしくなって引っ込めた。


「……本気で?」


 振り返るロイをヤズムートが叱責する。


「するのです!!」


 馬鹿げたことだとは思う。羞恥にどうにかなりそうな程だ。


 しかし、ここで引き下がれば。

 貧乳は巨乳より劣ると認めることになる。


 ならなくとも。以後、『貧乳最高!』との主張が説得力を失うのは避けられない。


 それだけはどうしても許すことが出来なかった。


 ロイは覚悟の表情で壁に手を伸ばす。


 護りたいんだ。貧乳の価値を――。



「……気は確か?」


 イウの疑問は、男達の緊張感にかき消され、誰にも届かない。



――数秒経過。


「どうしたロイ!?」


 壁に手を着いた姿勢のまま。動かなくなってしまった末弟に。

 長兄が呼びかける。


「クッ……、分からない。どうしたら良いのか。

 何が正解なのか、ちっとも分からないんだ……ッ!」


 掴むでも、引っ掛けるでもない。平らな壁を数度さすった時点で。

 ロイは万策尽きていた――。


 慟哭し、その場に崩れ落ちる。



「いくらなんでも、そんな筈ッ!」


 弟の窮地に長兄が駆けつける。


 ロイが軽く撫でた壁にガッチリと手をつき。

 ドゥインは鬼の形相で突破口を模索した。


 しかし、すぐに音を上げてしまう。


「本当だ!! どうしてよいか分からんぞ!!」


 残酷な現実を前に、次兄パトリッケスは冷や汗が滲むのを感じていた。



「……まだだ、まだ乳頭が――」


 兄弟の窮地に、パトリックが助言を与えようとした。


 しかし彼の反論に被せ、ヤズムートが語り出した。


「巨乳にだって乳首はある!


 貧乳愛好家を名乗りながら、乳房をスルーするその姿勢。なんたる無様。

 何が貧乳派か! 乳首好きに派閥などあるはずも無い!


 挙句、プレイに広がりを見いだせずに早々に股間へと手を伸ばす!

 笑止千万! それをニワカと言わずになんと言わんや!」


 ヤズムートの暴論は完全に場を支配している。


 本当にそうなのか――。


 貧乳派ではない。貧乳派ではないが。


『乳房のサイズに貴賎なし』

 パトリッケスはその浪漫を捨てきれない。


 脳細胞を総動員し、活路を模索した。

 しかし、無い。ヤズムートを論破するに足る材料が見当たらない。


 それもその筈。

 童貞である彼の経験値はゼロなのだから――。



 三兄弟が静まりかえった隙をついて、イウが訊ねる。


「……なんの話だったっけ?」


「恋バナです」と、ヤズムートは即答した。



「えっ、恋バナだったの!? イウちゃんに対するセクハラかと思った!」


 本来ならば、下ネタ、猥談、お構い無しの彼女だが。

 惨状を見かね、話を終息させようと試みていた。


 それを穿くロイの絶叫。


「そんなことはない!! 貧乳は巨乳より感度が良いんだ!!

 愛撫は自分のためだけにするんじゃない!! 相手を喜ばせたくてするんだ!!


 だから、感度が良い相手の方が捗るはずなんだ!!

 俺はぁぁ!! そう信じているッ!!」


 イウは声を貼りあげる。


「お前はもう立ち上がるなッッ!!」



 なにが彼をここまでさせるのだろうか。

 ロイは再びヤズムートと対峙する。


 負けられない戦いがあるのだ。

 男には、負けてはならぬ戦いがあるのだ。



 再び、ヤズムートの攻勢が始まる。


「これはあくまで私の乏しい経験からの統計にすぎません。


 しかし、先述の理由から貧乳は愛撫時間が短く。逆に巨乳は執拗に揉みしだかれる。


 結果として、より開発が進む巨乳の方が敏感であるケースが多いのです」


 貧乳、感度良い説を否定する。


「僕は負けない。貧乳を巨乳の倍、摩ればいいだけのことだ!」


「人間とは、慣れ、飽きる生き物なのです! そして面倒臭がりだ!

 その上で、単調になりがちな貧乳の愛撫にバリエーションを追求し続ける覚悟が。

 そんなイバラの道を行くがごとき覚悟が、貴方にはあるというのですか!」


「ある!!」


「理性でそうすべきだと言い聞かせても、心は自由にはならない。

 初めは良いでしょう。しかし、百回、二百回と重ねるうちに。


 必ず、失望するときが来るのですよ!」


「……クッ!」



 ロイが黙ってしまった為、パトリックが疑問を提示する。


「統計に偏りがあるという根拠は?」


「はい、あくまで私が経験した、たかだか五百人程度の比較でしかありません。

 その中には例外も少なからず存在しましたので、絶対とは言いきれないでしょう」


 ドゥインが「マジかよ……」と溢す。


 十分すぎるサンプルの数に、パトリックも俯くしかできない。


「……例外を掲げて優位性を語るわけにはいかないか」



 援軍は敗退し。


 もはや武器もない。

 ただ認めないだけで、その先に勝利は無い。


――切り札を、切るしかない。


 ロイの脳内にその言葉が過ぎる。


 それはあまりに非人道的な言葉であるため。

 口にする事がはばかられた。


 したが最後。全てを失いかねない。

 自爆技と言っても過言ではない必殺の一言。


 ロイは放つ――。



「歳を取れば、巨乳は垂れてしまうじゃないかっ!!」


 次の瞬間。


 イウが、兄達が、露骨に表情を歪めた。

 軽蔑の眼差しが末弟に突き刺さる。


 その一言により、ロイは大切なものを失ったのだ。


 この世には、言って良いことと悪いことがある。


 だが、構わない。

 例え、全てを失うことになっても。


 貧乳の地位を高めることができるならば、それで本望――。



 ヤズムートだけが、穏やかな表情でロイを見ていた。

 そして「はい」と優しく肯定し、言葉を紡ぐ。


「巨乳であれば、垂れてしまった時にお疲れ様でしたと。

 労いの気持ちがわくというものですが――」


 ですが? ロイの心中に暗雲が立ち込めた。


 巨乳は垂れる。残念だ。それ以上に、なにがあると言うのだ。


 その先にけして触れてはいけない闇を感じ取る。

 ダメだ。この先に踏み込むな。


 第六感が警報を発している。


 しかし、審判は容赦なく下される。



「――貧乳も垂れるのです」


 ハッキリと宣言されたそれは、ロイの耳にしっかりと届いた。

 しかし、心がそれを解さない。拒絶する。


「いったい、なんの話をしているんだ……?」


 ロイの声は震えていた。


「貧乳も垂れる。等しく垂れる事実から目をそらしてはいけない。


 貧乳が垂れた時。かける言葉はありません。

 ただ、なんでだよ。という気持ちを噛み締めることになるのです」



「…………!!」


 言葉にならない嗚咽を漏らし。ロイの膝が折れた。

 力尽きたのだ。それは精神の敗北だ。


 ドゥイングリスが駆け寄り、間一髪、弟を抱き支える。


「もうやめてくれ!! これ以上は弟が壊れっちまうよ!!」


 ドゥインはヤズムートに懇願する。



「……兄さん……兄さん……ゴメン……」


「謝まることはねえ! お前はよく戦った、勇ましかったぜ!

 俺が始めっちまった戦いだ! 相手が悪かったんだよ……ッ!」



 道化師イウが一言。


「なんでお前らはその話を、そのトーンで出来るの?」


 その横でパトリッケスは涙を拭っていた。



「イウちゃんは思う。


 嫁のオッパイが垂れる頃には、お前らのチンポコもポンコツなんだよ、と」


 今の自分と相談してもまったく意味が無い。

 道化師イウはそう主張した。


 そもそもロイがムキになって食ってかからなければ。

 こんな事にはなっていないのだが。


「男子の乳房に対する感情は、女子でいう白馬の王子さま願望みたいなものでしょ?

 胸の有無で伴侶を選ぶなんてくだらないって教訓じゃないの……?」


 乳房に対する思い入れは、幻想込みである。


 男性が女性に。女性が男性に同様に夢見るように。

 素晴らしいものであって欲しい。


 そういう憧れが付加された結果であり。

 等身大の評価にはなりえない。


 イウの意見にヤズムートが賛同する。


「論じるまでもありません。乳房と結婚するわけじゃない、人物を愛するべきなのです」



「では、一連の論争はいったいなんだったのです!!」


 パトリッケスが怒り。

 ドウィングリスは混乱し。


 ロイは『貧乳こそ至高』と考えていた。



「長男様。結局のところ、答えは相手と向き合うことでしか得られないということです。

 頭の中で想像をいくらこねくり回しても無意味。行動がおのずと結果へと導くことでしょう」


 最後に、ヤズムートはそう言って締めくくる。


 それによって、三兄弟はより結婚を意識するようになった。

 道化師の思惑通り、事態の活性化がなされたのである。





  ◇七話、カリン②

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