第十四話 長兄


 全身鎧のオークが打ち据えられ、纏っていた鎧の金属片が宙に舞う。


 イチキは大上段に剣を振りかぶり、一気に振り下ろす。

 大振りの一撃がやけにコンパクトでシンプルに映る。


 十の結果を八の動作で出している様に見えるが、その八が本来十のあるべき姿だというのが彼の剣だ。

 そして彼にとっての十は他にとっての十二に値する。


 その一撃は、全身鎧に包まれたオークの頭部を兜ごと両断出来た。


 鉄をも割断するそれは、速度、角度、タイミング、全てが完璧に揃って初めてなし得る神業だ。

 動く相手に成功させるのは現実的ではないが、イチキは既に何頭ものオークを兜割りで葬っていた。


 防具も回避も成らない。一撃一撃が、必殺だった。



 イチキの特に強い部分を上げろと言われれば誰もが困惑する。

 彼は際立った特徴の無い剣士なのだ。


 イツツキのように器用で、ヨキのように豪快で、ミキのように洗練されている。


 全てが備わっている為に特別に突出した部分が絞れない。

 同時に弱い部分も一切見つからない完成した剣士だ。


 それが三十人の野良、全ての師匠たるイチキの至った剣の道だった。


 教えるからには自らが体現する必要があり、年長とはいえ一番下と十しか変わらぬ長兄だ。

 自らも学びながら、年少の仲間たちに最適な武器や技を試行錯誤するうちに弱点はなくなっていた。


 イチキは特色の無い。只々、強い剣士だ。

 体力の枯渇まで、彼が豚ごときに敗北する事は無い。



 イチキが陣取るのは、王宮に続く一本道。国王直下の騎士団が行き来する大通り。

 王城から出撃する部隊。帰還する部隊。その全てが此処で撃退されていた。


 本体が中央公園に配備されている為、最前線はそちらにあり、王城はむしろ手薄なぐらいではある。


 特にオークの王は護られるという存在では無い。


 何もかも人間の組織構造を踏襲して組織されてはいるが、所詮は動物である。

 国王には<最も強い個体>が君臨する。


 オークの王は護られない。ただ従わせるだけの存在だ。


 王城は手薄。残留しているのは百か其処らだろう。

 但し、彼らにとって強さは権力である為、その百頭はまごう事無く百万頭の中で最強の百頭に位置する。


 特に王は体長三メートル。重量にして人間の何倍になるかも判らない怪物だ。


 王こそが最強。ならばとイチキはあえて祖父を一人で送り出した。


 それは野良達も同様であることを思い知らせる為、祖父は単身で王城に乗り込み、イチキはそれを見送った。


 最後に交わした言葉は、「じゃあね」に対して「では」との簡素な挨拶のみだ。

 死に場所に向かう男に武運も無いと思えたのだ。



 そして野良達の長兄は、玉座を目指す祖父と、それぞれの闘いに身を投じるジン達の両方をサポート出来る場所を戦場に選んだ。


 祖父の為、仲間達の為。


 イチキの人生は常にそうだ。

 祖父の剣技を修得し、祖父の妄執を満たす為に子供たちにそれを伝授し、年長の役割として参謀役を務めた。


 オークの支配する世界で両親の死を体感しており、子供たちを奪還する祖父の闘いを見守る間に、児童であるイチキも自ずと個を殺すしか無かった。

 イチキは十を過ぎてからは我を張れることが一時も無く、今日まで組織の体現としてだけ存在して来た。


 イチキという個性や人格は希薄だ。

 彼の人格は組織の体現であり、剣技にもそれが表れている。


 彼らの剣は鍛冶師である野良長が、自分の作品をより実践的な形状に仕上げる為、それぞれの達人から吸収した技の集合技術だった。

 自らが達人たる事で、武器に求めるもの足りないものを詳細に理解し転用出来たし、個々人に対しての調整も可能にしていた。


 宮廷付きであった長は一流の戦闘技術を吸収し放題だった。

 同時に武器製造に奉仕する前提である技の集大成は自身を撤廃した、我の無い剣だった。

 最先端である戦術の総取りと武器の最適化、それが野良長の我流。我流にして名門の総決算だ。


 戦術が武器に還元され、武器が戦術に奉仕する。奉仕の剣。


 そして祖父の執念に奉仕したイチキの剣は、始祖である初代の剣よりも更に我の無い剣だ。

 技術の伝達装置たるイチキはあらゆる武器を完璧に使いこなし、その性能を完全に引き出した。


 そして後輩たち個々人に適した武器を選出し、その技術を伝達する。

 弟子たちが得意武器を磨き個性が強調されていく中、一人無個性を貫いてきた。


 皆の師匠であったが、イチキ自身も常に学ぶ側であり、共に成長して来た。


 その上で、今日までどの武器を使っても、ジキ以外の誰もがイチキを超える事は無かったのだ。



 オークの両腕が一撃のもとに切断され地面に落ちる。


 その斬撃は兜ごと脳を両断し、その突きは鉄のアーマーごと心臓を貫通する。

 隙間を縫う必要もなく、ガントレットごと腕を切断する。


 それを可能とする一点に、寸分の狂いもない角度で、十分な力加減で刃を立てる。

 ミスは無い。それを只繰り返す。


 王国で最たる天才であった野良長。 

 その血を引くイチキもまた才に溢れていたのは自然なことであったが、イチキは暫く自分の強さに対して懐疑的だった。


 懐疑的にならざるを得ない状況だった。


 祖父は厳しく彼を褒めたことは無かったし、リーダーである責任から積極的に任務で成果を上げるような無謀も無かった。


 そして何より、ジキの存在があったからだ。


 ジキの稽古相手はイチキにしか務まらなかったが、ジキの相手には全力が要求され、伸びしろの違いを思い知らされてきた。


 ジキとの対比で、いつしか自分の腕を疑問視するようになっていたのだ。


 しかし今日、全ての柵から解放され存分に力を振るった結果、自分の強さを実感することが出来る。

 これは玉砕だというのに、これが最後だというのに、それが自己肯定のようであり心地よくすらあった。



 イチキは自分の倍もあるオークを二匹、瞬殺し、彼を囲む集団に対して向き直ると揚々と言い放った。


「感謝する! 改めて自分の強さを確信出来た!」


 壊滅寸前にあるオーク軍、王直属騎士団に対して謝辞を述べた。

 それは素直な感想だった。

 それを挑発と受け取った豚共が、一斉に彼に向かって雪崩掛かる。


 板金鎧の上から、次々とオークを絶命させていくイチキ。


 動く相手にそれを可能とするのは一瞬だ。

 その一瞬の全てを拾い上げ、確実に斬鉄を繰り返す。


 高速で、乱れの無い角度で、一瞬を確実に捉え続ける。

 まさに鬼と呼ぶに相応しい。



 しかし、イチキの快進撃は此処までだった――。


 立て続けに襲い来る豚共を打ち落としていく。

 その時、オーク達、巨体群の隙間から長槍が突き出された。


 それが鋭い一撃ならば何の問題も無い。


 例えそれが死角からの攻撃といえど、イチキ相手には不意打ちにするならない筈だった。

 しかし、その攻撃はあまりにも緩慢で未熟。ハイペースで動いていたイチキのリズムを逆に乱した。


 四方から猪突猛進な攻撃が降り注ぐ、速い展開の中、時折下手くそな長槍が差し込まれてくる。

 調子が狂う。

 先に処理すべきはそちらだと判断し、イチキはオークを躱してその背後に潜む槍使いへと剣を突き入れた。


 その首を跳ねようと刃を差し込んだ先、的の小ささにイチキは面食らった。

 どうりで武器の扱いに慣れていない、それは子供だった——。


 オークではない、人間の子供だ。



 その時イチキが戸惑わなければ、その子供の首を落として、次への対応も間に合った。

——しかし、イチキは攻撃を寸止めしていた。


 反射だ、考えての行動では無い。

 それすらも、彼の熟練した技術によってこそ為せる急停止だった。


 それこそが致命的失策。

 

 想定外である敵の正体に対する戸惑いと、的の遠さに腕、胴、脚と伸びきった体制。

 寸止めから生じた力みは、回避行動に割り振る余力を奪っていた。


 停止したイチキのガラ空きになった胴体に、スピアの切っ先が触れ一気に突き挿れられる。

 柔らかい脇腹に槍の鋭い切っ先が侵入し、イチキの内臓を破壊する。

「うおおッ!!?」


 間一髪。否、それは既に手遅れであったが、イチキは身体を捻って槍の穂先を身体から引き抜いた。


 その一撃も人間、いや二足羊による攻撃だった。


 期限切れで近く破棄されるであろう、十代半ばに差し掛かる子供達。

 劣勢のオーク達はそれらを戦線に投入してきたのだ。



 子供たちはオークの指示に従い、イチキに向かって長槍を構える。

 イチキは痛みを堪え、状況の確認に努めた。


「小さい脳ミソに見合った粗末な作戦だな……」


 訓練を受けていない弱兵の投入を、イチキは鼻で笑って見せる。


 しかし成果は絶大だった。

 イチキを此処で仕留められなかったなら、この先どれだけの損害をオーク達が被ったかは判らない。


 家畜の盾作戦が有効と判断したオーク達は次の兵隊を投入する。


 十歳に満たない者や赤子などの幼い二足羊を、胴体や盾に括りつけて前面に押し出した<人間の盾>を装備した兵隊だ。


 人間からこの国を強奪する時、その主力となった<人鎧>部隊。

 オーク達は民間人を次々に盾にして、人間達を討ち滅ぼしたのだ。



 イチキは怪我の具合を確かめる。

 四肢と違い、胴体に空いた穴を止血することは現状不可能と判断した。


 イチキは夥しい血を流しながら剣を構える。

 痛みはどうということは無い。


 想定より早くて残念だが、失血で機能停止するまで、より多くの敵を道連れにする方針に定める。

 足は踏ん張れている。活動時間を犠牲にする事で腰を回すことも可能だが、ほとんど前腕と肘に頼った戦いになるだろう。


 鉄は斬れてあと一、二回かと、思案する。


 なんの問題か、致命傷。

 この程度の機能低下でイチキを倒せる豚などいない。


 鎧に括りつけられた子供の頭の横をすり抜け、イチキの剣は豚の首を跳ねた。


 特に数えてはいなかったが、五個中隊くらいは倒しただろうかと、イチキは考えた。

 無心で戦っていた男が成果を意識し始めたのは、そろそろ終わりが近いという予感からだ。


 指先は震え、視界は霞んでいる。



 しかしみっともない。二足羊に肩入れするなと言って聞かせてきた自分が、いざ敵に回せば剣が鈍る。

 それで人間は敗北したというのに——。


 イチキはそう自戒していたが、むしろ子供達を一から育てて来た彼だからこそ、二足羊の子供たちと仲間達とを切り離せなくなってしまったいたのかもしれない。


 初めて武器を握らされ戦場に立たされた二足羊の子供たちと、自分が剣術を伝授してきた仲間達との思い出が被るのだ。


 思い出、原風景による失敗。

 ジンの中にはほとんど同年代の者もいたが、祖父の方針に従い、強さが全ての集団の中で序列に従って下がっていく姿を見守って来た。


 特に支配前の平和な記憶のある者は、幼くして戦士へと変わらなくてはならない理不尽に苦しんでいた。


 あのミキも初めは怯えて泣いてばかりいた。

 それが年少の増員に際して奮起し、よく祖父や自分の補佐を務めてくれるようになったのだ。


 ヨキもそうだ。その下、イツツキを含む現状の理不尽すら認識できない世代は、むしろやり易かったくらいだ。


 その中でジキだけが、初めから明確な憎悪に猛っていた。

 祖父にも自分にも食って掛かり、何も出来ない無力な自分への屈辱をバネに強くなった。

 その成長に自分が追いつけなくなった時、祖父の命を狙う彼を誰が止められるかと肝を冷やしたこともある。


 そんな連中、全員を指導し、見守って来た。


 祖父のせいで自分だけがやたらと割を食わされた人生だ。

 本当に休まらない日々だった。

 希望も無い、夢も無い、自分すらも無い。辛いだけの毎日だ。



 腰を捻り、渾身の力でオークの胴体を上下に両断する。


 力みと捻りで傷口が血を吐き出した。

 足元が自分の血液で滑る程に濡れ、末端へと血流が行き渡らなくなってきた。

 顔面は蒼白で、耳に届く音が遠くなっていく。


 挙句の果てに、この最後か。イチキは我が身の憐れを自嘲し笑う。


「……ああ、ここはまったく地獄だったよ」


 只、間違いのない事が一つ。

 地獄の様な日々だったが、良かったのだ。この世界で自分は一人じゃなくて良かった。

 自分は一人にならない為に、理不尽を受け入れて来れたのかもしれない。


 苦しかろうと、辛かろうと、一人じゃないなら思い出がある。

——思い出があれば、心は満たされる。



 ついに限界が訪れ、イチキは地面に両膝を着いた。

 窮地においても野良の長兄は冷静だ。落ち着き、思考を巡らせる。


 足の踏ん張りが利かず、二度と立ち上がれないだろう。

 この体制で、例えば他の者なら何匹かを道連れにするだろう。


 イチキは顔を上げた。最後の標的を探す為だ。道連れにする豚を。

 しかし、狭まった彼の視界にそれは見当たらない。


 彼の周囲は人間の子供たちが囲んでいて、オーク達はそれを遠巻きに見ていた。


 オーク達はこれ以上の犠牲を望まず、人間の手で始末を付ける事を決定したのだ。

 イチキはそれを理解した。



 沈黙。子供たちがもたもたと武器を構える。


 武器を手にしただけの素人の集団だ。

 イチキならば、この囲みを皆殺しにすることも可能だろう。


 だが彼は観念した。力を振り絞ってまでして最後、子供たちを道連れにする気が起きなかった。


 それに、此処まで負ったのは人間の手による脇腹の不覚傷のみ。

 このままオークに触れられることなく逝けるのならば、それで良いかとも思えた。


 もはやここ迄——。

 イチキは目を閉じ、トドメが刺されるのを待った。



 子供たちは、静かに佇むイチキを取り囲む。

 そして躊躇なく、手に持った槍で一斉に串刺しにした。


 繰り返し、繰り返し、集団で刃を突き立て続けた。


 意図は無い。止め時が判らず、既に絶命した亡骸を、千切れて砕けて原型が残らない程に蹂躙し続ける。

 それはオーク達が飽き、止める様に指示するまで機械的に続けられた。





  第十五話、『最後の一撃』に続く。

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