六場 母と子


そこにはリングマリーの肉体があった。


美を追求することにすべてを捧げた母、その娘にして私の妹なのだから造形自体は整っている。


大司教に憑依した『妹』はすっかりハイになっていて別人の様だったが、元来マリーは大人しく、いや陰気な性格の子供だ。


家を出ることは皆無で地下の研究室に引き篭もってはずっと研究をしていた。


家族間のコミュニケーションも少なく話し相手といえばサラマンダーくらい。


そのせいか独り言が多く、自問自答を口に出しては自己解決している姿を遠巻きに見ていた。


他人から見たら気味の悪い変人だったろうし、彼女自身も警戒心が強いため他者と距離を詰めることはなかった。


それがどうしたことだろう。


目の前にいる彼女はアクセサリーを過剰に、言わば纏うほどに巻き付け、裸に布を巻いただけの猥雑な格好で立っていた。


それは生っ白い貧体にまったく似合っていないし、個人的には嫌煙するタイプのエロスだ。


我が妹と思うと嘆かわしい。


私が彼女の事を理解しているかと言えば怪しいが、印象と大きくかけ離れている。


「ああ、これね。悔しいけれど、若いってのは本当に素晴らしいね。こんな格好で過ごしても病を患わないのだもの。こんなに貧相でもね?」


そう言ってマリーは踊りみたいにお道化たポーズを取った。


そのマイペースさには覚えがある。


「母上、なのですか……?」


そう、我らが母スーザラだ。


「やだ、相変わらず他人行儀なのね。ママで良いのよ? ママで」


母はそう言ってヘラヘラと手を振った。


全力で馬を飛ばして来た、考えなくても運動神経皆無であるマリーの足で先回りできるはずもなかった。


しかし本人の姿かたちが目の前に現れたら、他人だと疑う前にそう認識してしまうのは仕方ない。


「あら、事情の説明が先だったわね!? ほら、私はこの身体ですっかり馴染んでたものだから!」


ドモリ癖のあったマリー、その姿で軽快に話す様には違和感がある。


辿り着いた結論はこうだ、母スーザラも【人格移転魔術】を使って抜け殻だったマリーの肉体に乗り移っていた。


母が興味を示したのは、主に肉体機能の保存や劣化の抑制であり、アンデッド操作に端を発する記憶の再現や行動原理の書き込み等には疎いはずだ。


それゆえに、こと美容や肉体の再生に関しては魔術によってかなりの成果を上げていた。


まさか母スーザラもマリー同様の魔術を使って意識の上書きをやってのけたというのか──。


それはどうにも信じがたい。


母はとても優秀な魔術師であり貪欲でもあった、しかしマリーは別格だ。


この世の誰にもできないことをマリーができるのは納得する。

だが、私が再現できないそれを他の人間が修得しているとは信じがたい。


「いつの間に死霊魔術の極意を?」


私は懐疑的に訊ねた。


その質問を流して母は用件を口にする。


「ああ、それなのよ。愛しい我が息子、その極意とやらの力が必要でアンタを呼んだのよ」


白々しい物言いだし言っている意味が解らない、人格の上書きに成功しているなら私に頼られてもそれ以上の技術はない。


「一から説明してください。いったい母上はなにをしているのです? なんのためにマリーの肉体に宿っていて、私になにをさせたいというのですか?」


コロシアムに投獄されて以来、初めて顔を合わせるのだ。

元老院の庇護のもと問題ない生活を送っていたなら、なせをこのタイミングでの呼び出しなのか。


なぜ娘の体を乗っ取っているのか。


私がここに来た本題が後回しになっているが、訊きたいことは色々あった。


「随分とせっかちじゃない? でも良いわ、答えてあげる」


やたら呑気なのは、まだ外でなにが起きているのか理解していないせいだろう。


爆音は聞こえていたかもしれないが、リビングデッドの被害はまだ及んでいないのだから。


母は聞き分けると事情の説明を開始した。


「ここに居る理由は自然の成り行きよ。聖堂騎士団に家を追い出されて、以前からお世話になっていた人達に寄生させて貰っているの。

その見返りとして、これまで通り私の魔術を提供させて貰っているわ。主に下半身事情のね」


元老院に対し母が、減退した男性機能の強化等、前々から不老不死研究への出資に対する見返りとして提供していたのは知っている。


「お爺ちゃん達、あっちは思春期の少年よりもガチガチよ。サイズもこんなんだから」


そう言って下品なジェスチャーをしながらバカ笑いをする。


「──ただ、心臓がついてかないのよね。気を付けてやらないと」


私は無駄に遮らず、そのまま母の発言に耳を傾けた。


時間があまり無い。


「なんのためかって言うと、そうね。もう、骨ばってきた自分の手を見るのが嫌になったのよ」


私は頭に疑問符を浮かべる。


「──気になってきたらもう、発狂しそうなくらいに自らの肉体を嫌悪せずにいられなかった。それで、マリーが使わないならもったいないと思って、預かっていた体を借りたのよ」


どうやら自らの老化に耐えかねて若い肉体に乗り移ったということらしいが――。


「らしくないじゃないですか! それに抗うために魔術を研究して発展させてきたのでしょう? 現に実年齢よりも遥かに若く、マリーなんかより垢抜けて美しかったでしょうに……」


さすがに私も口をはさんだ。


彼女の執念ともいえるほどの探究心には尊敬に値するものがあったのだ。


だのに体を維持することよりも安易に交換する方に行ってしまうなんて、本末転倒ではないか。

 

「だって、絶倫にしてやったらくそジジイ共、子供ばっかり抱きたがるのよ。なんなのあれ?」


スーザラは嫌悪感を滲ませる。


「──そんなの見てたらオカシクもなるわよ。どんなに若作りしたって、本音じゃもう誰も私を愛してくれないの。


焦ったわ、それでお誂え向きに『空の肉体』があったら、そりゃ試すわよ。アイデンティティの危機なんだから」


その結論に至るまでの苦労を馬鹿にするつもりはない。


実現するための積み重ねに嘘はないからだ。


「そしたら馬鹿みたい。あんなに美しさを追求していた私より、ただ若いだけのこの体が大人気!

ジジイ共の食いつきがぜんぜん違うの、まるで別世界。無我夢中でむしゃぶりついて来るのよ? 必死すぎて笑っちゃうわ!」


私は愕然とする。


「娘の身体を老人達に抱かせているのですか……?」


彼女たちは他人であり、その人生や選択に興味はない。


ただ、事実として自分の娘の人格を無視し、都合のよい道具として扱っていることに嫌悪感はある。


おぞましさに吐き気を覚えるくらいだ。


「手付かずだったから、一から開発するのが大変よ? でも、やって良かった! 人間はやっぱり愛よ。

人生で大切なのは愛されることなんだって再確認したわ。毎日の充足感がまったく違うもの。愛されていない時間は、死んでいるのと同じなんだから!」


性的に消費される彼女のそれが果たして愛と呼べるのか、賛同はしかねるがいまは哲学だとか価値観の擦り合わせをしている場合ではない。


「その話はもう」


私は話を次へと促した。


「それで、どうやったのか?」


母は茶目っけ溢れる仕草で可愛らしくこちらに確認した。


「ええ、いつの間に人格の移行魔術を修得していたのですか?」


この質問は本題に足を踏み入れている。


もし母がマリーの成果を拝借し【宝玉】の力を上乗せしたのだとしたら、私と同様に人格の移行を偶然成功する可能性もあり得る。


マリーの宝玉を持ち逃げしたのが母であるという確証が必要だ。


それを手に入れるためここに来たのだから。


そして母の回答は私の期待を裏切るものだった。


「そんな魔術は使ってないわ。あのね、マリーから脳みそを取り出して、そこに私のを移植したのよ。私が培ってきた技術と凄腕の治癒術師に手伝ってもらってね」


母は我々とは違う独自の方法で人格の入れ替えに成功していた。


それを非道と罵るか偉業と讃えるかは人それぞれだろう。


「で、体は新鮮になったんだけど、脳がね。やっぱり劣化が抑えられないのよ。身体は十代でも脳みそは五十前でしょう? このままじゃ、よろしくないじゃない?」


なるほど、それは世紀の大発明ではあったが母のやり方では不老不死には程遠い。


脳の劣化による老衰がある限り寿命はほとんど変わらない。


そこでマリーの魔術の必要性を痛感し、技術の提供を求めている訳だ。



「取り出したマリーの脳はどこにやりましたか?」


それをどうする訳でもないが、一応確認しておく。


すると母はあっけらかんとしてとんでもないことを言い出す。


「捨てたわ、それがなにか?」


「捨てたっ!?」


ここに来て何度、私はひっくり返るほどの衝撃を受けたか。


これだから母のことが苦手なのだ。


「娘の脳を本人の許可もなく勝手に抜き出しておいて、それを捨てたのですか!?」


「だって、あの子の脳みそよ? 気持ち悪いじゃない。それに、もう体を返すこともないし、私の体も燃やしたからついでよ、お相子でしょ?」


「なにが相子なものか、なにもかも一方的じゃないか!」


まったく理解できない。


「なによアンタ、マリーのこと嫌いじゃなかった?」


マリーがというよりも、家族自体が煩わしかった。


先祖の膨大な魔術理論の蓄積とそれを自由に使える環境は興味深かったが、家族の破綻した人格にはほとほと付き合いきれなかった。


特にマリーの才能は目の上のタンコブだったという訳だ。


「そんなことより、アンタにはその【人格移行魔術】のレクチャーと、新しい術式の開発を一緒にしてもらいたいのよ。良いでしょ? 生活も保証してあげる」


それが私を教会から奪還した目的らしい。


結果として命を救われたが、一から十まで勝手も良いところだ。


協力するつもりはさらさらないが、頭から突っぱねて機嫌を損ねても面倒だ。


「その話はまた日を改めてするとして」


私は話を濁して自分の目的を告げることにする。


「──先日、実家に帰ったのですが【マリーの宝玉】が紛失していました。急遽、必要になったのですが、所在に心当たりはありませんか?」


おまえが持ち出したんだろ、という気持ちを押し殺して穏便に訊ねた。


もはやリビングデッドの大群に対して私は完全に無力であるし、それにすがる他に希望はない。


【異世界転移】を可能にした魔力だ。


それを使えればこの大都市全体に対しての魔術行使もおそらくは可能。


やりようも出て来る。


いまもすさまじい勢いでリビングデッドは増殖し、同じ数の人間が命を奪われているのだ。


とにかくもう時間が無い、一刻も早く【宝玉】を――。


しかし、期待した答えを母から得ることはできなかった。


「マリーの宝玉? 私は知らないわよ?」



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