二幕

一場 チンコミル将軍


「勇者イリーナ、お待たせしたかな?」


その騎士はさわやかな笑顔で気安く話しかけてきた。


チンコミル将軍は首都の治安維持を監督する責任者だ。アシュハ皇国には最高司令官である騎士団長の下に九人の騎士長が存在し、彼はその最年少に当たる。


「ティアンは?」


勇者は開口一番にたずねた、彼女にしては珍しく素っ気ない態度。チンコミル将軍はとても立派な人物だと言うのに、どうやら苦手意識を抱いているようなのだ。


「申し訳ないが殿下は手をはなせない状況だ」


将軍はそう取り繕ってから申し訳なさそうに白状する。


「――いや、姫様への伝達がうまくいかないのだ」


「どういうことさ? チン……ウンッ! ンンッ!」


勇者は名前を呼びかけてそれを咳払いで誤魔化した。



勇者の居た世界とこの世界では言語が異なりコチラの言語が勇者の耳には、勇者側の世界の言語に変換されて聞こえている。

大抵のやり取りに支障はないが、固有名詞に関しては偶然の一致から混乱が生じたりする。


どうやらチンコミル将軍の名前があちらの世界では発音もはばかられる卑猥な単語らしく、勇者はそれに戸惑っているのだ。


そう言われたところで将軍も困るという話で。


ちなみに、先程ウロマルド・ルガメンテがダジャレを連発していたが、言語が変換されて韻が踏まていなかったため勇者にはギャグとして伝わらず、絶対王者がなんだか含蓄のありそうなことを言っているなとでも感じたことだろう。


文化レベルの低いインガ族のなかではとくにユーモアが遅れている。


長らくダジャレが最先端の笑いであり、彼らの最高傑作であるウロマルドはダジャレに対しても実に挑戦的だった。



「ゴメン、フルネームを教えてくれるか?」


どうやらセカンドネームで呼ぶ作戦に切り替えた様子、将軍は勇者の態度の悪さに腹を立てることもなく素直に名乗る。


「チンコミル・O・チンチンだ」


チンコミル・O・チンチン将軍は大輪の花を思わせるような笑顔で要望に応えた、無礼な小娘にも誠意を持って対する様は器のおおきさを感じさせる。


「…………」


「どうかしただろうか?」


ひとしきり考えて勇者はキッパリと告げる。


「キミとは友達になれないッ!!」


「やめてあげてください、将軍に非はありませんよ!」


私はたまらず勇者の非礼をたしなめた。



「それより伝達できないって……」


話を本題にもどしかけ、将軍のテンションが明らかに下がっていることに気付く。


「――落ち込むなよ」


出会い頭に友達になれないなんて言われたら当前だが将軍はどこはかとなく、しょんぼりとしている。


「勇者様は心を許している相手ほど当たりが強いので気にしないでください」


次第にそれが癖になってくるから大丈夫。


将軍は問題ないとシェスチャーを交えるがほほ笑みは苦み走っている。


「すまない、いったい自分のなにがそこまで他人にとって不快なのかと……」


真剣に考えてしまった訳だ。


「真面目だなぁ……」


規律の厳しい騎士団には一定数いるタイプだ。しかし、彼ほどおおらかな人物は珍しい。

これだけの地位にのぼり詰めた人物だ、勇者の態度いかんによっては問題視されてもおかしくはない。


「悪かったよ、あやまる。将軍に非はなくて、ボクが生理的に受け付けないだけ……生理的? いや、倫理的にかな?」


生理的に受け付けないも、倫理的に受け付けないも、人に使うべきではないひどい暴言だと思う。


同時にチンコミル将軍がちょっと羨ましかった。


「ところで、なぜティアン嬢まで話が伝わらなかったのですか?」


私は名前いじりをやめてそろそろ話を進めなくてはと強引に軌道修正した、チンコミル将軍は気を取り直して答える。


「ああ、元老院が姫と騎士団の接触を嫌ってな、報告するにしてもいちいち彼らにお伺いをたてなくてはならない状況だ」


この国は絶対君主制であり現在の王族はティアン姫一人だ。


彼女にまだ権限はないが、そう遠くない未来に『軍事を司る騎士団、政治を司る元老院、宗教を司る教会』三大機関の頂点に君臨し、すべての決定権を手にすることになる。


本来、三つ組織に格差はなく対等な関係であったが、フォメルスが王座についた結果、騎士団の独裁体裁になってしまっていた。


その経緯から騎士団は元老院と教会から敵視されている。


「仕方ない部分はありますね」


皇帝を暗殺した男を担ぎ上げ、武力にものを言わせ好き勝手やっていたのだから信頼は地に落ちている。


「そうだな。今後、協力体制を敷いていく都合、下手にでておく必要はある」


フォメルスが打倒されたいま、元老院は影響力を取り戻すことに躍起になっている。


ティアン姫がもっとも信頼を寄せる人物は騎士団のヴィレオン将軍であり、彼女に対して絶大な影響力を持つこの勇者もヴィレオン将軍との繋がりが強い。


騎士団が再び権力を独占することを周囲が警戒するのも理解ができる。


「ボクが政治的に重要人物なのが笑える」


「笑いごとではない……」


のんきな勇者に反してチンコミル将軍の気苦労は絶えない。


「誇張して言えば、この国の結束は壊滅している。三大機関の不和も大きいが、ヴィレオン将軍のような大人物が戻って来たことで騎士団内にみずからの立場を危ぶみ疑心暗鬼に駆られる者もでてきた」


外部からの圧力に加え、騎士団内での派閥争いも起きているらしい。


結果として彼の復帰は敵国への牽制になると、騎士団長はヴィレオン将軍を前線へと出向させた。

これ以上の混乱を招くまいとした本人の判断でもあったが、厄介払いされたと言えばその通りなのだ。


チンコミル将軍はヴィレオン将軍の味方ゆえ、こうして情報を提供してくれる。組織が変わり、各々に身の振り方を意識しているなかで、彼の立ち位置はすでにティアン姫の騎士に定まっているのだ。


「心配だな……」


勇者がつぶやいた、情勢ではなくティアン姫個人のことだろう。


『罪人の断罪』という大義名分によりフォメルスの討伐は正当化され、『被害者の救済』というドラマでティアン姫は民衆による支持を得た。


しかし、悪であると同時にフォメルスは優れた王だった。直下の三大機関を完璧にコントロールし、国を豊かにし、戦争では無敗を貫いた。


フォメルスは邪道だが有能、ティアンは正道でこそあるが無力。


勇者は繰り返し、民衆の手のひら返しに対する不安を訴えている。



「火急の事態と聞いて参上したのだが、要件はなにかな?」


手近な騎士に頼んだところでティアン姫を呼び出すことができなかったため、現場指揮官がみずから用聞きに足を運んでくれたというわけだ。


「あ、そうでした。現在、人類は絶滅の危機に瀕しています」


「言い方ぁぁぁっ!?」


たしかに詐欺師かポンコツ占い師みたいな語り口になってしまったが、事実なのだから仕方ない。


「どういうことだ?」


冗談みたいな報告を突っぱねることなく耳を貸してくれるのはありがたい。


「リビングなんとかっての? 街なかでゾンビと遭遇したんだ、討伐に来た兵隊が全滅したことをボクらは伝えに来たんだ」


私の大雑把な説明を勇者が捕捉した。


「すぐに増援を送ろう、現場への案内を――」


チンコミル将軍は迅速に対応しようとしたが説明がまだ途中だ。


「そいつは退治されたんだ。でも、かまれた人間がゾンビ化することを確認してる。感染源が他にあったら今後どれほどの被害が出るか分からないって報告なんだ」


チンコミル将軍は苦々しい表情をする。治安の維持は騎士団の管轄だ、ただでさえ肩身の狭い現在、頭が痛いだろう。


「血液から魔力感染して伝達系を乗っ取るタイプです。感染した者は新たに感染者を生み出し続けるでしょう、手を打たなければ一晩でこの国は死者の都と化してもおかしくはないのです」


大陸最大の都市が全滅とは言い過ぎかもしれないが、一晩で取り返しがつかなくなり、数日で滅亡することが想像できてしまうくらいリビングデッドの存在は驚異なのだ。


「何百万人が暮らしていると思ってるんだ!」


「圧巻でしょうね」


それがすべて化物になって人を襲うようになるわけだ。


「なんという報告を持ってきてくれたのだ……」


チンコミル将軍は頭を抱えた、気持ちは察するが手遅れになってからでは遅い。



「一刻を争うな、総動員で首都全域を捜索させる。来てくれ、移動しながら話そう――」


行動を開始しようと立ち上がったタイミングで、男が一人こちらに近づいて来る。


「チンコミル将軍!」


若い騎士の声を聞いた途端、勇者がコソコソと私の背後へと移動した。


「レイクリブ、ここは一介の騎士が気安く踏み込んで良い場所ではないぞ」


レイクリブと呼ばれた青年は上司の叱責に臆することなく、毅然とした態度を崩さない。


「お戻りが遅れているので、指示をうかがいにあがりました」


言いながらレイクリブの視線は私の方へと向けられている、正確には私を壁にして姿を隠している勇者に向けられている。


「勇者様、尻が隠れていませんよ」


「べ、べつに隠れてねーし……。やあ、レイクリブ」


勇者はバツが悪そうに挨拶をした。


彼女は彼のことが苦手だ、負い目がなかったとしても馬が合わなそうな二人ではあるが問題は非常に根深い。


準騎士レイクリブ、彼は勇者が討伐したいまは亡きフォメルス元国王の忘れ形見なのだから。



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