第40話 されど推測の域は出ず

 特殊状況調査局の本部で異変が生じ、てんやわんやの大騒ぎになっていた頃。

 護は無事に自宅に到着し、夕食の前に翼の書斎を訪ねていた。


「父さん、ちょっといい?」

「かまわん。入れ」


 入室の許可を得た護は、静かにドアを開けて部屋に入った。

 視界には、珍しく大量の書物が山積みになっている光景が入り込んでくる。


――何か調べものか? それとも、何か依頼を受けてその関係の資料を漁ってるのか?


 その光景に、護はそんなことを考えていた。

 招き入れた客人が入ってきたにも関わらず、翼は振り向きもしない。

 机に置かれている書物に集中しているようだ。


「……調べもの?」

「お前が気にしていることと同じことをな」

「さぁ? どうだろう?」


 翼の問いかけに、微笑みを浮かべながら、あえてはぐらかすような答えを返す。

 別に反抗したいわけではない。

 だが、素直に答えるのも面白くないと、なぜか思ってしまいそう返していた。

 それは翼も理解しているらしく、ただ薄い笑みを浮かべる。

 互いの腹の探り合いもそこそこに、二人の顔から微笑みは消えた。


「で、本当のところは?」

「父さんが何を気にしているのかはわからないけど、本来ならいないはずの妖がいた」

「狼男か?」

「やっぱ見てたのか」


 翼から返ってきた答えに、そっとため息をつく。

 式神を通して離れた場所の状況を見聞きすること。

 陰陽師のみならず魔導を背負うものであれば、誰でもできることだ。

 が、いくら式神の目を通しているとはいえ、覗かれていることに変わりはない。

 護はそのことが少しばかり、不愉快だったようだ。

 もっとも、覗いていた当の本人は、それがどうした、と逆に問いかけてきそうな表情だったのだが。


「……それで?」

「環境が違うというか、縄張りじゃない場所にくるもんかな?」

「普通ならまずはないな」


 護の質問に、翼は含みのある返し方をした。

 普通ならありえないということは、普通ではない何かが起きているということ。

 そう考えて行動するべき、ということなのだろう。


「……あるとしたら、なんだろう?」

「お前はどう考える?」


 護の問いかけに、翼は逆に問いかけてきた。

 他人に答えを求めるのではなく、自分で探しだせ、ということのようだ。

 その問いかけに、護は少し考え込むようなそぶりを見せたが、数分としないうちに、護は口を開く。


「推測の域を出ないけれど、ありえるとすれば三つ」

「構わない。その三つ、全部を教えてくれ」


 推論であっても、何かしら方針となるものを見つけているのなら、まずは意見を聞いてみたいということなのだろう。

 翼は護に答えるよう促し、護もそれに応じる。


「一つ、人間に住処を追われてこちらに移住してきた。でも、これはほぼないと思う」


 ここ日本にも、人間社会の中に溶け込んで生活している妖も存在している。

 少なくとも、人間に近い姿を持つ妖の代表格である一つ目小僧や鬼、ろくろ首といった妖はそのようにして生きているのだ。

 同じように、狼男も流れてきたという可能性がなくはないが、わざわざ騒ぎを起こして術者に狙われるようなことをする理由はない。


「二つ、何らかの事件に関与していて逃亡中」


 人間社会で生きている以上、人間の法律に従って生きていくことは鉄則だが、ならず者というものは存在する。

 法を破り、人間に危害を加えてしまったために追われる身となった、という可能性もなくはない。

 もっとも。


「これも外れだと思う」


 護はこの推論も外れていると考えているようだ。

 国際的に指名手配されているかどうかはわからないが、少なくとも、そのような犯罪者が海外に逃亡した場合、その国の霊的守護を担っている機関から、何かしらのコンタクトがあってしかるべきだ。

 それを一職員である光ならばまだしも、局長である保通が知らないということはまずない。

 とすれば。


「三つ、勢力拡大。理由はどうあれ、日本この国戦争喧嘩をしかけてきた。たぶん、この可能性が一番高いと思う」


 勢力拡大と一口に言っても何らかの理由で一族を出て、自身の新天地を探しているのかも知れないし、他種族や同族との戦争に敗北し、再起を図るための基盤としてこの地を選んだなど、その理由は様々あるだろう。

 だが、いずれにしても穏やかに終わる話ではなく、最悪の場合、全面戦争にもなりかねない。


「情報が圧倒的に足りないから、正しいとは言えないけど、俺が思うのはこんなところ」

「ふむ……現状ではそれくらいだろうな。もっとも」

「もちろん、他の可能性も視野にいれてる」

「ならいい」


 翼が指摘し、護が反論したように、他の可能性もある。

 自分の腕を試すために世界各地の妖や術者に挑戦しに来ているのかもしれない。

 あるいは単純に観光に来ていたのだが寝床に困った結果、妖たちのたまり場に居座ることにしただけということもあり得る。

 前者なら迷惑極まりないが、後者ならばこちらから支援しなければならない。


――どっちにしても、わからないことが多すぎるから、まだしばらくは情報を集めるしかないか


 情報が少なすぎることを再認識し、護は台所に立っているであろう雪美にどやされる前に食卓に向かうことにした。

 その途中、護は何かを忘れているような気がして首を傾げる。


――そういや何か……あ、晩飯前の鍛錬


 忘れていたものが何かを思い出し、護はため息をつく。

 翼への質問とやりとりで、普段は忘れずに行っている夕食前の鍛錬を忘れてしまっていたようだ。


――ま、いいか。ちょっと寝る時間を遅くすれば


 だが、護はあっさりと後回しにすることを選び、夕食へと向かうのだった。

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