第36話 その男、人にあらず

 妖とも人間ともつかない気配が自分を見張っていることに気づいた護は、その狙いを確かめるため、気配を追いかけていた。

 だが、気配の主は何者かが追いかけていることに気づいているらしく、気配の主は徐々に人気のない場所へと向かっている。

 むろん、誘われているということは、追跡してる護も気づいていた。


――虎穴に入らざれば虎子を得ず、とはいうが……穴から出てくるのは虎か、それとも鬼か蛇か


 頬に冷や汗を伝わせながらも好戦的な笑みをその顔に浮かべ、護は追跡対象を逃さないよう尾行を続けているうちに、二人は完全に人気のない路地裏へとやってきた。

 追跡対象の前には高い壁があり、行き止まりとなっている。

 そこで観念したのか、護に追跡されていた男が振り向き、問いかけてきた。


「さて、何の用かな? さっきから私のことを尾行しつけていただろ?」

「まさかと思っていたけど、まさかほんとに気づいてて尾行させてたとはな」


 肩をすくめて、護は追跡対象をさりげなく観察する。

 三十代から四十代ほどで、やや猫背の中肉中背。顔立ちにはこれといった特徴はない。

 だが、護は男の目を注意深く観察し、その目がとても濁っていることに気づいた。

 疲れが濃く出ているとか、見えていないとかそういう次元ではなく、まるでどぶ川の水のように、その目は濁っているのだ。

 人間でも、妖でも、ここまで汚れた目を、護は見たことはない。


「……単刀直入に聞く。お前は何者だ?」

「これは異なことを。どうみても私は一人の社会人だろう? ほかにどのように見えるというのかね??」

「あんたがいると、妙な寒気を感じるんだよ。そんな気配垂れ流してる一般人、普通いないだろ?」


 ニヒルな笑みを浮かべながら、護の問いかけに男は返してくるが、そこで追撃を止めるほど、護は甘くはない。

 人間を視界に収めているからといって寒気を覚えることはないが、その人間を本能で『危険』と認識している場合、寒気などの不快感を覚えることがあるという。

 護はその男を視界に収めた瞬間、寒気の感じ方が体の奥底から冷やされるような感覚を覚えた。

 その感覚が妖と対峙した時に感じるものとまるっきり同じだったことから、目の前の男が人間ではないと直感的に理解できたのだ。


「なるほど。抑えていたつもりだったんだが、妖気を感じ取っていたというわけか!!」


 言い切るかか言いきらないかのうちに、男は地面を蹴り、拳を振りあげながら護との間合いを詰めてきた。

 護はその拳を見切り、手首をつかみ、腕をひねりあげようとする。

 だが、男は力任せに護がひねりあげようとする力に逆らい、逆に護を投げ飛ばした。


「なっ??!!」


 一般人男性でもありえないその膂力に、護は驚愕の悲鳴を上げる。

 投げ飛ばされ地面に叩きつけられはしたが、どうにか受け身を取ることはでき、気を失うことはなかった。


「いっつぅ……やりやがったな!!」


 だが、やはり痛いものは痛いため、悲鳴を上げ、怒りをぶつける。

 背中の痛みをこらえながら、護は呪符を引き抜き、短く言霊を唱えながら投げつける。

 言霊を受けた呪符は、青い炎に包まれながら狐の姿へと変化し、その牙を男に向けたが、男は驚く様子を見せず、飛んできた狐の横っ面に、思い切り拳を叩きこむ。

 狐はまるで生きているかのように悲鳴を上げて、ビルの壁まで吹き飛び、姿を散らす。

 そんな光景を見ても、護は動揺することなく、第二の攻撃を放った。


「この悪霊を絡み取れ、絡み取り給はずは、不動明王の御不覚、これにすぎず!!」


 不動明王印を結び、不動金縛りの呪文を唱えた瞬間、男は不可視の鎖に縛られたかのように動きを止める。


「動くなよ? といっても、動けないとは思うが」

「なめられたものだ……ふんっ!!」


 男が気合いを入れると、ぱきん、という音が響く。

 同時に、男は拘束を解かれ、自由に動けるようになった。

 その様子を見た護は苦笑いを浮かべながら。


「……いつも思うが、お前らあっさり破りすぎじゃないか? 不動明王が泣くぞ」


 と、文句を口にした。

 ここ最近、遭遇する妖の力が強いのか、それとも護の力が弱いのか、不動金縛りが破られる回数がやけに多いことを気にしているようだ。

 それを目の前にいる男に言っても仕方がないことは、護もわかっているのだが、愚痴をこぼさずにはいられなかったらしい。

 もっとも、不動金縛りを使いこなすにはそれなりの霊力と修練が必要になるため、決して、護の力が弱いというわけではないのだが。


「不動金縛りまで使えるとはね……どうやら、少し本気を出したほうがよさそうだ!!」


 男もそのことを理解していたらしく、それまで護により色濃く、より強い殺気を向けてきた。

 だが、変化はそれだけにとどまらない。

 男の腕の関節という関節が、背中が、普通の人間では考えられない角度に曲がっていく。

 さらに、顔は徐々に突き出し、肌は黒々とした毛で覆われ、瞳孔は細くなり、瞳の色も黒から金色へと変わった。

 男が変化した姿、それはまさに。


狼男ルー・ガルー……?」


 その正体に心当たりがあった護は、静かにその名を呟く。

 だが、同時に『ありえない』と否定する自分がいる。

 本来、狼男や吸血鬼といった妖は、欧州ヨーロッパを生息地としているため、アジア方面、とりわけ日本には入ってくることがほとんどない。

 例外的にうまく人間社会に溶け込んで生活している者たちが、仕事や観光で来日することはあるが、基本的に自分の縄張りから離れることない。

 そのはずなのだが、現実として護の目の前に狼男がいる。


――こりゃ、貧乏くじ引いたか?


 実は厄介な依頼を受けてしまったのではないか。

 そんなことを考え、心中で愚痴をこぼしながら、護は目の前の狼男にどう対処すべきか、策を巡らせ始めた。

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