『咎負い人の十字架』【2】



【12月21日(昼)】


 カインは気の進まないまま、目的地に向けて足を進めていた。彼がこれから向かうのは、オフィス街や繁華街からは少し離れた場所にある住宅地だ。

 空は暗過ぎるというほどには曇ってはいないが、それでも晴れやかとは言い難い陰鬱な表情を見せている。とにかく寒い。マフラーでも巻いてくればよかったな、とカインは僅かばかり後悔した。

 これから少し苦手な人物に会いに行かなくてはならない。そう思うとますます気が滅入ってくる。カインは出来れば自分も遊夛の取り調べに同席したいと思っていたのだが、「部長」からの命令で、「ある人物」のところまで情報を貰いに行かなくてはならなくなってしまった。なんでも、先輩の王や「部長」が言うには、特警のメンバーの中ではカインが一番その人物と相性がいい――のだそうだ。

 ――正直、喜んでいいのかどうかわからない。

 複雑な気持ちの当てつけに、そのへんの石ころか空き缶でも軽く蹴っ突いてやろうかと思ったが、生憎そんな物は落ちてはいなかった。無いなら無いで構わない。住民の清掃運動の賜物だろう。清掃が行き届いているのはいいことだ――カインはそう思った。

 街中にそびえるビルの群れを突っ切り、目的地に近付くにつれ、どんどん人気が少なくなってくる。

 やがて目当ての場所に到着したカインは、その建物を見上げてみる。わざわざ見上げるほどの高さもないかもしれない。古い鉄筋コンクリート造りの、典型的な二階建てアパートだ。築四十年くらいだろうか――汚れた灰色の壁には所々ひびが入っており、数年後には廃屋になっていたとしても全く不思議でなさそうに思えるほど、住人の気配と生活感が感じられなかった。

 カインが階段を上るために一階に並ぶドアの前を通り過ぎると、中から「ぶぅん」と唸るような音が聴こえてきた。このぼろアパートは「彼」が所有している物件で、その全ての部屋には「彼」の使役する同胞はらからが住まわされていた。それらは日夜休むことなく唸り声を上げ、「彼」の仕事に貢献をしている。

 錆びた階段を、カインはなるべく音をたてないように上がっていった。そして二階に並ぶ三部屋のうち、真ん中に位置する、そのドアの前で足を止める。

 インターホンは取り外され、ガムテープで適当に跡を塞がれている。これでは来訪の告げようがないが、いかにもここの家主らしい――というのが毎度カインの感想だった。


 こんこん――。


 ドアをノックした。返事はない。

 カインがドアノブに手を掛けると、それはすんなりと開いた。もっとも、最初からノックなどしなくても、ここはとある「制約」によって、誰の入室をも拒めないようにのだが――。

「やれやれ、毎度思うけど、追い返された方がよっぽど気が楽なんだけどな……」

 来る者拒まず。入りたければ、友人だろうが強盗だろうが、家主の許可なく自由に入ることが出来る。鍵を開ける必要もドアをぶち破る必要もない。

 カインは覚悟を決め、薄暗い玄関に足を踏み入れた。


 まず視界に入ったものは、昼だというのに真っ暗な廊下と、壁じゅうに張り巡らされたおびただしい量の配線だった。太いもの、細いもの、曲がりくねったもの、束ねられたもの――とにかく沢山の配線だ。それらはカインを導くかのように廊下の奥へと伸びている。カインは靴のままフローリングの床に上がり込んだ。以前来た時に「土足でいい」と言われたからだ。

 そのまま奥の、明かりの漏れているドアの前まで進んで、「入るよ」と一言だけ声をかけた。

 ドアを開けると、いつものように大量のコンピューターがカインを迎えた。カーテンを閉め切った部屋の中には、デスクトップパソコンの本体が両手では数え切れないほど積み上げられていた。モニターは七つあり、家主は回転椅子に座ってそれらと向かい合っている。彼は振り向かずに手を挙げて、「ちょっと待ってて」という合図をカインに送った。

 これもいつもの事だった。カインは返事をせず、無言で待った。

しばらくすると仕事が済んだのか、家主はカインのほうを振り返った。


「やあ、いらっしゃい――」


 ――そう言って無邪気な笑みを投げかけて来たのは、まだ14歳の少年だった。

 初道ういどう 牧俊まきとし――特警に様々な情報を提供する情報屋であり、署のコンピューターのセキュリティも担当している、ハッカー兼クラッカーだ。それもただのハッカーではない。陳腐な表現を使うとすれば、彼はいわゆる「天才ハッカー」というやつだった。

 だが、見た目はやはり歳相応の「少年」にしか見えない。動きやすそうなパーカーにハーフパンツ。赤いふちの眼鏡を掛け、首からヘッドフォンをぶら下げている。休日のハンバーガーショップに友達数人と携帯ゲーム機を持ち込んで遊んでいても違和感のない、いかにも今時の男の子らしい格好だ。

 なによりそのあどけない顔と、明るめの髪があちこちにハネている寝ぐせ頭を見ると、いつものことながらカインの警戒も思わず緩んでしまう。

 こんな少年が、このようなサイバーパンクじみた空間で一日中コンピューターを触りながら、来る日も来る日もプログラミングやハッキング、クラッキング、そして情報収集に精を出しているなどと、一体誰が信じられるだろうか。しかし、彼が電脳警察にマークされ、世界中の同業者から恐れられる前科三百犯以上のクラッカーであることは、揺らぎの無い事実だった。もっともその犯行の大半が、わざわざガードの堅い政府や企業の機密事項ばかりを狙っては盗み見したり、あるいはジョークのような改竄を仕掛けたり、一般市民には全く実害のない愉快犯的なものがほとんどなのだが。

「……お邪魔するよ、牧俊君」

 カインにはいつもその少年ハッカーの無垢な危うさを、心配と怒りがないまぜになったような複雑な胸中で見守ることしかできない。

 それらがつまり、「目的」よりも「手段」自体を楽しむゲーム感覚の腕試しだったとしても――彼が法に背く犯罪者でもあり、様々な者から追われる身であることに変わりはない。

「ひさしぶりだね。やっぱりカインさんが来てくれないとさびしいや」

 牧俊はそう言うと、また屈託なく笑った。決してからかったり、馬鹿にしたりしているわけではない。本心でそう言っているのだ。――だからこそカインは、この少年の事が苦手だった。

「聞いたよ。この前また約束の情報渡すのを渋ったんだって? 契約に違反しているだろう」

 聞き分けのない子供を諭すように、優しい口調でカインが言った。

「だってあの刑事さん、すごくえらそうで、とてもひとにモノを聞く態度じゃなかったんだもん。あれじゃあ協力する気もうせるよ」

 牧俊は拗ねたようにそっぽを向いた。

 カインの言った「契約」というのは、特警と牧俊少年との間で交わされた、「処罰を与えない代わりに雇われの身となって、捜査やその他業務に協力させる」という超法規的な取引。――なのだが、そもそも契約といっても強制力は全くないに等しく、今のところ現実的に牧俊を逮捕・制裁する方法が存在しないので、それは取引と言うよりは譲歩、ある意味苦肉の妥協案に近かった。つまりは気まぐれな少年ハッカーの合意の上で成り立っているようなものなのだ。それこそ砂上の楼閣というやつである。

 そして取引の際、このアパートまで赴いて最終的な契約の取り付けをしたのもカインだった。仕事熱心な刑事である彼にとって、子供とはいえ目の前の犯罪者に対して何も手出しできないことは、遺憾以外のなにものでもなかった。だが、特警側には譲歩せざるを得ない理由があったのだ。

 ――牧俊は特殊な能力で自らの領域を守っていた。そこに攻めの手はほとんどないが、防御に回るとそれは非常に厄介な能力だ。ハッキングのスキルで縦横無尽に攻撃し、自身の「能力」でディフェンスを固める。それが彼のやり方だった。

 特警、普通警察、そして電脳警察でさえも未だに彼を逮捕できていない最大の理由はそこにある。特警もこの少年の能力には随分と手を焼かされたのだが、結局はそのハッキングの腕前と情報収集能力を買って契約を交わすことにしたのだ。

 敵に回ろうと思えば、この少年はいつでもそれが出来る。彼が本気になれば、この国の政治の中枢を完全に麻痺させ、並居る大企業に多大な損害を与え、社会に大いに混乱をもたらすことが可能だろう。どちらかというと切った張ったを得意とする特警の実動部隊では、牧俊のようなタイプとは相性が悪い。だから彼の反逆を防ぐためにも、警察側は下手に出ることが多かったのだ。そしてそのご機嫌取りには、なぜかもっぱらカインがよこされることが多かった。

 確かに、相手が子供で、しかも犯罪者であるというのであれば、その「無礼な刑事」が牧俊に頭を下げたくなかった気持ちも、カインにとって分からないでもなかったが、それ以上この話をしても仕方ないなと判断した。

「そうだな……その刑事さんにも、非はあったかもしれない。人にものを頼む時は、敬意と誠意がものを言う。もちろん感謝の気持ちだって大事だ」

 カインはそう言って、部屋にあるソファーに腰を掛けた。背の低いテーブルを挟んで向かい合った二人掛けのソファー、その窓側の席に座るのが、カインのいつもの定位置だった。

 部屋に腰を落ち着けたカインを見て、牧俊が嬉しそうに回転椅子から跳ね起きた。

「ちょっと待っててね。いま飲み物をもってくるから!」

 牧俊はそう言って駆け足で部屋を出ていった。よく配線につまずかないものだとカインは感心する。足場の悪い状況下も想定しての戦闘・追跡訓練は受けているが、そんな特殊刑事にとっても、この家は常時床に気を配って慎重に歩かなくてはならない、ちょっとした人外魔境だ。おそらく牧俊の頭には屋内のどこにどんな配線が張り巡らされているのか、全部頭に入っているのだろう。

 もちろん、牧俊の作業部屋であるこの空間にも、様々な配線が床、天井、壁面にと、ところかまわず這いずり回っている。そうやって幾束もの血管のごとく通された配線は、全てこのアパートの別の部屋に住まわされた「同胞マシーン」と繋がっていた。牧俊は丸々一棟買い取ったこの建物を、巨大なスーパーコンピューターやサーバーの置き場所に利用しているのだ。それらはお互いに協力し補完し合い、ひとつの洗練されたシステムを組み上げていた。いうなれば、このアパート自体が巨大なひとつのパーソナリティ・コンピューターというわけだ。

 やがて牧俊はカップを二つ盆に乗せ、それを器用に運んできた。やはり配線に足を取られはしないかと不安に思うカインであったが、その心配はいつも無用に終わる。牧俊が用意する「飲み物」は、冬はココア、それ以外はカルピスかメロンソーダが大半だった。夏場などはそこにバニラアイスクリームが浮かんでいることもある。それを見るたびにカインは「頭は良くてもやはり子供だな」と思ったものだった。

 やはりココアの入ったマグカップが目の前に置かれると、カインは「ありがとう」と礼を言った。牧俊は向かいのソファーにとすん、と腰を落とす。

「相変わらず、部屋にはこもりっきりかい?」カインが尋ねた。

「まあね。それにボクの場合、能力の制約もあるし……。そうじゃなくても、もとよりここから外にでる気なんて、これっぽっちもないんだけど」

 こんな部屋に引き籠ってこそいるが、牧俊は決して暗く内向的な性格という訳ではない。むしろその正反対と言えるだろう。利発で明るく屈託なく、よく笑う。それに、顔立ちも綺麗だ。学校に行けばきっと人気者になれるのにな――カインはそう思った。

「何度も言うけど、やっぱり良くないよ。こんな閉め切った暗い部屋で、君みたいな若い子が閉じ籠っているのは。それに学校だって……――義務教育って言葉は知ってるだろう?」

「もちろん」牧俊は当然のように言った。「でもね、ああいうところは行きたい子が行けばいいんだよ。ボクには必要ない。家にいても勉強はできるし、とくべつ不便は感じない」

 その見識が正しいかどうかは置いておいて、カインも反論しておかないことには面子が立たない。

「そんな事を言ったって、君はまだ子供なわけだし、それに友達だって――」

「ともだちなら、カインさんがいるよ? あと、王さんも」

 間髪入れず、そして照れも無く牧俊はそう言った。カインに屈託なく笑いかけるその顔を見て、やはりこの少年の、こういうところが苦手だと――彼は思った。

 まあ、牧俊のような快活な美少年に好かれるということ自体は、特別悪い気がするでもない。ただ、この子やはり犯罪者であり、自分は刑事だ。その線引きはしなくてはならない。そして自分がこの少年を正しい方向に導かなくては、ともカインは思っていた。もっとも、自分にそれだけの力があるのか、もしくはそんな資格があるのか、カイン自身にも分からなかったのだが――。

「で、しごとの話なんだけどさ――」カインが返答に困っているのを見かねて、牧俊が自ら話題を変えた。

「あれからまた《十字背負う者達の結社》について調べてみたんだ」

「どうだった……?」カインが気を取り直して合いの手を入れる。

「うん、クルス教から派生したとは思えないほど過激で攻撃的なカルト集団だね」

 クルス教――説明するまでもないが、世界三大宗教の一つであり、その中でも最も信仰の多い宗教でもある。信者数は二十億人を超えるとされる。

 カインは自身でも繰り返し読んだことのあるクルス教聖典のおぼろげな内容に、思いを馳せる。

 彼らの聖典では、〝聖母〟なる女性が処女にして神の子を身籠り、産まれた御子みこは〝救世主メシア〟として人々を導いてゆく。そして御子は生きとし生けるすべての人々の罪をその身に背負い、処刑されるが、三日後の〝復活〟を以て「死」を克服し、その後昇天したとされている。見ようによっては宗教活動家を主人公にした荒唐無稽な一代記と考えられなくもない。このようなプロセスを経て神格となった〝救世主〟は悠久の時を隔てて人類の前に再臨されると云われ、その時こそが「最後の審判」と「救い」の訪れであり、「神の御国」が到来する――というのだ。それらを信じて善行を積み、神の許しを得て御国に住まうことが、信徒にとっての最大の目的なのだろう。

 牧俊が続きを話そうと身を乗り出した。

「もともとの前身となる組織がつくられたのは六十年ほどまえ――極端な信仰と思想によってクルス教の各宗派からはじきだされた人たちが集まってつくられたらしいけど、だからこそ旧教、新教、正教に聖公、東方諸教に、異端なものはモルモンからグノーシスまで、いろんな勢力が入り乱れてる。それらがひとつの目的にむかって足並みをそろえて歩をすすめてるのは、やっぱり不気味といわざるをえないよ。さいしょは気味悪がられてるだけの新興勢力だったらしいけど、いまでは世界各地で構成員が一万人を超えて、かなりの組織力と影響力をもってるし。厄介だね」

「ひとつの目的……?」

「彼らの教義はいわゆる終末論からきてる。世界のおわりと、そしてそこからの再生。普通の終末思想とちがって、ただきたるべき審判の日をまつだけじゃなく、みずからの手で終末のときを早め、招こうとしてるのが、なによりも危険なところだと思う。――それだけじゃなく、自分たちで壊しておいて、さらには世界の再建まで目指してる。欲張りすぎどころか、これじゃあ無い物ねだりだよ」

 なんとも突飛な話だ。カインにとっては、そう思わざるを得なかった。

「端的に言うと、スクラップ・アンド・ビルドのためにとりあえず、まずは世界を滅ぼそうとしてる……と? 上手くいくとは思えないな」

「――いかないだろうね。でも、彼らにとってはできるできないの問題じゃない。やるかやらないか、信じるか信じないか、だよ。そして実際にその計画は現在進行形で進められている。当然、この規模の組織がそんなむちゃをしたら、いろんな方面に迷惑もかかる」

「迷惑というレベルで済めば可愛いものなんだけどな……」

 方々でのテロ行為に大量の誘拐事件――とても「迷惑」の一言で片付けられるものではない。「まあね」と言って牧俊は後を続けた。

「しかも組織づくりも、気が長いけどずいぶん入念に行われてるよ。誘拐されたひとたちはみんな能力者の強力な洗脳によってまともな思考能力を奪われてるらしいし、それが子供の場合は頭の軟らかいうちから一方的に教義をたたきこまれる。もちろんその子たちは特殊な訓練をうけ、優秀な頭脳と高い戦闘力を持った狂信の兵士に育てあげられる。さらには成長した構成員同士が子供をなして、その子供にもまた物心つくまえから容赦なく洗脳と訓練をくりかえす徹底ぶり。サイクルは完成されてる――」

 えげつないな――。カインは思いこそ口には出さなかったが、不快感を露にした、とても苦い顔をしていた。そして何より、そのような話の内容が14歳の男の子の口から語られることは好ましくないとも思っていた。けれども、牧俊はそんなカインに遠慮することなく話を続ける――それが自分の仕事だからとでも言うかのように。

「――なにより、特殊な状況下だから異能者が発現する確率も通常にくらべるときわめて高いみたい。たぶん、過度なストレスとか、宗教的な精神の高揚感とかが原因かな? なかでも危険なのは、特別つよくて異能持ちの人たちばかりを集めた『十二使徒』っていう戦闘部隊だね」

 カインはその『十二使徒』についても考えを巡らせる。先日、死闘の末に捕らえる事の出来た遊夛も、強力な異能者だった。そういえば確か、『十二使徒』とかいう部隊があり、自分がそのリーダーであるようなことを口走っていたか。

「ああ。そしてその『十二使徒』の筆頭戦士とか言う輩が、結社からわざわざこんな島国まで派遣された。でも俺達は彼の入国を、君のくれた情報から事前に知ることができた。おかげで犯罪が起きる前の早急な逮捕につながった。そのことにはとても感謝してるよ」

「どういたしまして」と、得意気な牧俊。

「あとは、彼――遊夛が派遣されてきた理由なんだけど……」

「それが、よく分らないんだよね。やつらの大元のメインコンピュータに侵入してみたけど……データをひととおり洗ってみても、とくにこの国で大きな取引や仕事があるわけでもない。そして戦略的にみてもいまのところ……というか、これから先もこの国がやつらにとって重要なテリトリーに発展するとは思えない」

「ちょ、ちょっと待った……!」驚いてカインが話の腰を折った。

「よく短期間でそれだけ情報を集められたなと思えば……そんなおっかない連中の懐深くまで侵入してたのか!? まったく無茶をするよ……。自分の身の危険は考えなかったのか?」

 確かに、敵本体を回避しての情報収集では、集められるカードの質と枚数はたかが知れているだろう。ゲームに勝つには強い手札が必要だ。虎穴に入らずんば――とはよく言ったものだ。

 ――が、しかし。牧俊はまだ中学生ほどの年齢なのだ。カインとしては、いくらなんでもそこまでの無謀は望むべくもない。

「だいじょうぶ、セキュリティはたいしたことなかったし、情報管理もずさんだった。規模のおおきい組織であることはたしかだけど、あまり有能なハッカーは擁していないようだったね。もちろん痕跡をのこしたり、追跡されるようなヘマもしてないよ」

「まあ、情報戦においては君の方が専門だし、俺は門外漢だから口出ししないよ。牧俊君が安全だというのなら、それはきっとそうなんだろうね」

「カインさんは心配してくれてるんだね、ありがと」牧俊はまたにこりと笑う。カインはこれには答えず、ただ咳払いをしただけだった。

「まあ、ともかく遊夛の入国の理由に繋がるような情報は出てこなかった――というわけだね?」

「それがね、じつはひとつ気になる情報があったんだ――」牧俊は少し不吉なものについて考えを巡らすかのような表情で、首をかしげた。

「〝預言の子〟……」

「え……?」

 牧俊がぼそりと発したその言葉に、カインが疑問符を打った。

「《十字背負う者達の結社》には〝神託〟と呼ばれる、アナログデータでしか残されない特殊な命令系統があることが分かったんだ。そして結社には、その神託を告げる預言者がいる。前身となる組織が結成されたころから預言者の存在が語られているらしいから、きっともう生きてはいないとおもうけど……」

「預言……? 何だか一気に現実味がなくなってきたな……」

 今までにも異能者達の超常の能力と戦ってきたカインではあるが、未来を予見する「予言」のようなオカルトの範疇、そして神からの言葉を授かる「預言」のようなあまりも宗教的すぎる事柄に対しては、やはり懐疑的にならざるを得なかった。

「でも、狂信の徒の集まりにとっては、それは立派な行動規範と成り得る――か」カインがつぶやくと、牧俊が頷いた。

「テキストではのこされていなかったせいで検索にはひっかからなかったけど、偶然、画像ファイルが見つかってね。たぶん、預言者の言葉を記録した写本の1ページだと思うんだ」

 探すのに苦労したよ――と牧俊が立ち上がり、コンピューターを操作して一枚の画像ファイルをモニター上に呼び出した。


「わたしは彼らと契約を結ぶ。彼らは東の地に産まれおちるだろう。彼らは同じ母から同じ時に生まれ出で、それらには印が付けられるだろう。彼らは門であり通路であり、そして導く者である。一人は地獄に、一人は御国に。秤にかけよ。傾いた方は悪しき門である。それは閉じられなければならない。そしてもう一方は丁重にもてなされなければならない。それはわたしの家族として迎えられ、あなたたちを導くだろう。」


 牧俊が読み上げたその仰々しい「預言」を、カインは黙って聞いていた。一字一句が頭の中に染み渡るように、注意深く――。

「……確かにこれはだ。ということは、文中の『わたし』というのはクルス教で信仰されている唯一神を意味している――」

「だろうね」牧俊が相槌を打つ。

「要約すれば、どこか東の国で双子が生まれるから、その片方を殺して、もう片方を誘拐して仲間にしろ――ということかな。そしてその子は新たな〝神の御子〟として、彼らの指導者となるべく育てられる……」

「さすがはカインさん。もの分かりがいいね」

「まあ、クルス教とは小さい頃から少なからず係わりがあったから――」カインはそこまで言うと、急に言葉を濁した。

「しかし牧俊君……君はまさかその予言の子たちが、この国で産まれたと――そう言ってるのかい?」

「まだ確証はないけど……でも確か、預言には『それらには印が付けられるだろう』っていう部分があったよね?」

 牧俊はそう言って、キーボードをカチャカチャと音を立てて素早く打ち込んだ。どうやらネットで何か検索しているらしい。カインも立ち上がって、牧俊の横に並んで、モニターを覗き込むように屈み込んだ。

 少年ハッカーはカインの表情をちらりと窺いながら、そこに映った画像を指し示した。

「これ、ちょっと出来すぎだとも思うけど――カインさんはどう?」

「……なるほど、確かに出来過ぎてる。でも、決して無視はできないね」

 モニターの中には、すやすやと気持ち良さそうに眠る、双子の赤ん坊が居た。犯罪や陰謀、気味の悪い宗教組織とは全く縁のなさそうな、無防備な寝顔だ。

 しかし、それは確実に、そこにあった――。同じベットで眠るその双子の、左手首と右手首。

 痣だ。

 そう、きっとそれは痣なのだろう――。

 十字に交差した線の図形と、その周りに散りばめられた数字のような記号が――「666」とも読める。まさしくクルス教で言うところの『十字架クロス』と『獣の数字』に他ならない。それらが組み合わされた形の痣が、赤子二人の手首あたりに浮かび上がっているのだ。

 カインは鈍い頭痛を感じ、こめかみを押さえた。脳内を走る鈍痛のリズムに合わせて、『聖典』に記された内容が彼の頭をよぎる。


 ――救世主は十字架を背負わされ、獣に屈した者は数字を刻まれる。


 いくら何でも、分かりやす過ぎるだろう――。

 カインは困惑した。

「このまえニュースにもなってたから、覚えてたんだ。都内の病院で、生まれたてのふたごの赤ちゃんに、とうてい自然にできたとはおもえないアザがあったって。新聞に小さくのったくらいだけど、ネットやオカルト板ではすこし話題になったから――」

「とにかく……何にせよ、条件が揃い過ぎてる。『部長』と隊長に頼んで、この子たちに護衛に付かせてもらうよう、掛け合ってみるよ」

 そう言って、もう一度モニターをよく見るカイン。やはり何度見ても、そこに映っているのはただただ純粋無垢な赤子が眠っている――それだけの情景にしか見えなかった。しかし、彼らの手首には、あまりにも不吉で、不釣り合いな―――

 ――十字架と、数字。

 嬰児えいじ達には、その運命を決定づけるかのように、しっかりと烙印が刻まれているのだ。

 鈍い頭痛は、カインの頭を有刺鉄線のようにじわじわと締め付け、一向に止む気配を見せない。彼はコートの内側のポケットに手を突っ込んで、幼い頃から心の支えにしていた硬い金属の「お守り」を、ぎゅっと握りしめた――。





【12月21日(夕)~24日(昼)】


 外での用事を済ませたカインがようやく署に戻って来たのは、もう夕方になろうかという頃だった。部署に戻ると、疲れた顔をした王がカインを出迎えた。自分のデスクに腰かけていた王は、開口一番、

「よう、ご苦労だったな。もやしっ子」

とお決まりの憎まれ口を叩いてきた。

「勘弁して下さいよ、そのもやしっ子っていうの――それに、俺が牧俊くんのこと苦手だって知っていて行かせるんですから、先輩もたちが悪いです」

「そうは言っても、最終的に命令したのは『部長』だろ? 文句ならあのオッサンにでも言うんだな」

 カインは不機嫌そうな顔のまま王のそばまで歩み寄って、隣の自分のデスクの椅子に座った。

「いや、王先輩が代わってくれれば何も問題なかったでしょう。先輩の方がいつも牧俊君と仲良く喋ってるじゃないですか」

 いかにも不満そうな顔をしたカインだったが、頭の中では、こんなこと言っても無駄だということは解っていた。先ほどカインが言ったように、王はカインが牧俊の事を苦手だと知っておきながら、わざと面白がってこの役目を押し付けたのだから。

「ま、別に前みたいに牧俊の野郎にいじめられたりはしなかったんだろ?」

 王は相変わらずニヤニヤして言う。

「……当り前です。ただでさえこんなに忙しい時期に、またあんな目に遭うのは御免ですよ」

 カインは思い出すのも厭だ、というように首を横に振った。

「で、どうだ? 収穫あったか――?」

 先輩刑事が立ち上がって言う。そのあと、無言で「ついて来い」と、カインを顎で促した。缶コーヒーでも奢ってやるから、いいから来やがれこの野郎――ということだろう。後輩刑事も無言で「やれやれ」という意思表示をしながら立ち上がった。まったく、今座ったばかりだというのに――。


 廊下を歩きながら、二人は互いの得た情報を交換した。

「――なるほど。遊夛はそんなに簡単に口を割りましたか。教団幹部や主要構成員の素性が知れたのは、かなり貴重ですね。この情報を彼らの本拠地のある某国の対異能犯罪機関に渡せば、一斉検挙の際、随分と楽になるはず……」

「うむ。まあ、遊夛の野郎は組織への忠誠心もなけりゃ、教義への信仰心もない。そのうえ物欲出世欲にまみれた俗物ときたもんだ。よくあんな野郎が《十字背負う者達の結社》でやっていけたもんだなと思うよ。ほっといてもそのうち、クーデターでも起こしてたんじゃねえか――って程だ」

「ひと口に組織と言っても色々ですからね……逆に彼らほど巨大な組織なら、一枚岩の結束で結ばれている方が珍しいですよ」

「そんなだからまあ、情報引き出すのは楽だったんだが、奴も実動部隊のリーダーってだけで、それほど組織内での地位が高いわけではないらしい。肝心の幹部以上の大物や、それらと繋がる財界・政治界のパイプラインについてもそれほど詳しくなかった」

 それでも知ってる範囲のことは吐かせた――もとい勝手に吐いてくれたんだけどな。王が溜め息を吐いた。

「とはいえ知ったところで海の向こうの話なので、俺達には管轄外ですが――その点は大丈夫ですよ。牧俊君がいろいろ調べてくれて、奴らと繋がりのある政治家、資産家、マフィア、テロリストに至るまで細かにリストアップしてくれましたから」

 カインはそう言って、ポケットの中からデータの入ったディスクを取り出した。

「あのガキ、本当に手回しいいな――」王が感心したように言う。

 あくまでもデータに過ぎないので、決定的な証拠能力はないだろうが、この情報をもとに、教団の活動を支援するパイプラインを断つ事が出来れば、《十字背負う者達の結社》を相当に無力化することが可能だろう。

「あとはなぁ、遊夛の野郎が『十二使徒』のメンバーについて情報を吐いてくれりゃ、あちらさんの対異能部隊が戦闘時かなり楽になるんだろうけどな……」

 王の言うとおり、異能者と戦闘をするのなら、彼らの使う能力を知っているのと知っていないのとでは天と地ほどの差がある。あらかじめ敵の能力が分かっていれば、相手の仕掛けるブラフやハッタリも通用しなくなる上、何より傾向と対策を立てることが可能だ。

「その点は頑なに供述を拒んだそうですね……。逮捕時の奴の態度や、組織の機密情報を簡単に漏らすような軽率さからは、ちょっと考えられない事ですが……」

「ありゃ、拷問したとしても吐きそうにねえよ、多分な。教団の連中は幼少の頃から毒や薬への耐性を付けさせられるらしいから、たとえ自白剤が使えたとしても無意味だろうな」

「おまけに奴ら、牧俊君が調べてくれたところによると、催眠術やそれに類する異能に対抗する訓練も受けてるって話です。もし彼らが本気で口を閉ざしたとしたら、目当ての情報を聞き出すことはほぼ不可能に近いでしょうね」

 で、あとに残る問題は――――

「〝預言の子〟……か」

 カインと王は同時に同じ言葉を発した。

「ん、お前も牧俊から聞いたのか……?」

「先輩こそ。遊夛がそう言ったのですか――?」

 王は何とも腑に落ちないという顔をしながら、まぁなあ――と首をかしげた。

「その、教団内の小難しい預言だか何だかで、『印のついた双子を攫え』って命令されたらしいんだが。何でも攫うだけじゃなく、重要な儀式とやらを行う日取りまで決まっていてな――まあ、その日が例のクルス教一大イベントの日だって言うんだから分かりやすい。とにかく、これで今年も我らのクリスマスは休みなし! ――ということが決定したわけだ」

「聖人の降誕祭に、新たな〝御子〟を迎える――か。いかにも……というか、奴らの考えそうなことではありますね……」

 クリスマスなどというイベントはどうでもいい、という風に、カインはただ客観的に考察している。

 王は、やれやれ、こいつは今年もまた浮いた話の一つもないみたいだな――と、呆れ半分、憐れみ半分の表情で、年下の後輩を見やっていた。

「とにかく、25日までは攫った赤子は殺さずに潜伏していろって命令だったらしいが。それで、奴の行こうとしてたっていう病院にアキラ姐さんが行ってみたんだけどな、確かに条件に合致した双子が居たんだよ。今はこんな状況だから人員はそんなに割けないが、さっそく護衛をつけることにしたってわけだ」

 カインは、そうですか、よかった――と、安心した。カイン自身も何とかして双子の赤ん坊に対して護衛をつけられないかと、心配していたところだったのだ。

「確か、国立東都第三病院――でしたよね。誰々が護衛につく予定なんですか?」

「ん、増田さんとこの班と、あとは新人の、リチャーズだっけか。 今頃そのメンバーが向かって――って、お前今、なんて言った? 国立第三?」

 違うんですか、とカインは目をパチクリさせた。

「いや、赤ん坊が産まれたのは――ほら、あのM区にある教会の隣の、ミッション系って言ったらいいのか? とにかくあるだろ、シスターが赤子を取り上げてくれる産院がよ」

「僕が牧俊君から見せてもらった写真の子らは、確か東都第三病院……だったかと。十字架と、三つの6とを組み合わせたような、奇妙な痣が――」

「――どうなってやがる?」王は訳の分からないというような顔をした。そのうち二人は、食堂近くの休憩所に辿り着いた。カインが疲労を吐き出すように、どっと休憩用のソファーに座り込んだ。帰投してからまだろくに腰を落ち着けてもいなかったのだ。

「その産院で産まれたという双子も、印があったんですか?」

 王は自販機にせっせと小銭を入れている。

「ああ。お前の言ったのと同じ、十字架と、そして数字の痣だよ」そう言ってボタンを押すと、がこんと音を立てて缶が落ちてきた。それをカインに投げてよこす。

「あ、どうも。というか僕は食堂のコーヒーでもよかったんですけどね。タダですし」

「いいよ別に。というか、ここのコーヒー不味すぎだろ。砕いたケシズミと灰を混ぜて湯にとかしたほうが、まだマシな味がするんじゃねえか? 眠気醒ますにゃちょうどいいけどな」

「まあ確かにここのコーヒーは、名物にしてもいい程マズイですけど……そんなことよりも、赤ちゃんですよ」

そうだな、と言って王は自分の分の缶コーヒーを買った。自販機の前に立ったままそれを開けて、飲み口に口を付ける。

「とにかく、同じ痣を持った双子が二組――これは胡散臭え」

「最初に牧俊くんのくれた情報では、確か入国したのは遊夛一人、ということでしたよね」

「そうだったな。だが、奴が捕まったことが相手側に伝われば、ひょっとしたら二番手、三番手がやって来ないとも限らんしな……」

「とにかく、遊夛にはまだ詳しく訊いてみる必要がありそうですね――」

 カインは熱い缶コーヒーを握ったまま、険しい顔をした。



 再びカイン達が遊夛に取り調べをする事が出来たのは、それから三日経った後のことだった。遊夛がテロ事案関連で公安部外事課に身柄を移されていたため、なかなか手出しができなかったのだ。向こうの国の外交官や諜報機関がやって来て、遊夛を引き渡せだのどうのと喚いたりもしたらしい。

 その間、嫌な予感がずっと頭を離れなかったカインは、自分の足で都内の病院を巡って情報収集に専念していた。そして、その嫌な予感は見事に的中した。

 なんと、牧俊の調べた国立東都第三病院、そして王が遊夛から訊き出した聖カタリナ助産院の他にも、預言の通りの痣――いや、〝印〟か――を持った双子が発見されたのだ。

 三組目、そして四組目の双子が見つかり、いよいよこの事態を無視できなくなったカインは、至急ほかの隊員にも都内の病院を調べてもらうように要請を出した。すると、次々に同じような痣を持った『預言の子ら』が見つかったのだ。全部合わせて七組も――だ。

 ここまで来ると到底偶然とは思えない。そもそも、双子がこんなに期間をあけずに七組も産まれてくるということ自体、異常なことなのではないか、とカインは思っていたほどだ。

 ちなみに、特警の本部は県外にも調査の手を伸ばしてみたようだが、まだ他県で『預言』の条件を満たした新生児は見つかっていないらしい。

 とにかくカインと王は、遊夛からさらに詳しく話を聴くべく、取調室にその傲慢な聖職者と二対一で向かい合っていた。


 特警隊員の苦労などつゆ知らずという風に、遊夛はほくそ笑んでいる。

「ああ、今度はあの時のコンビしっかり揃ってるじゃないか――憎々しい。今日はあの男勝りな女刑事はいないのか?」

 王は相手の挑発を無視した。

「――だからよ、こっちの質問に答えやがれ。お前の言った『預言の子』っていうのが、あちこちで見つかっているんだ。一体どういうことだ?」

 遊夛の口角はつり上がったまま、一向に下がる気配を見せない。

「さてなあ。私がこの国に来た理由は、この前言ったとおり印の付いた双子――〝預言の子ら〟――を見つけ出すことだ。そういえば、複数の病院を回ることになるかもしれんから、滞在期間が長くなるかもしれん――と上の連中は言っていたような気がするな」

 犯罪組織なら犯罪組織らしい、もっと分かりやすい理由があれば楽なのだが――王にとっては、やはり預言だの何だの、そんな話はとても現実感を持てなかった。

「そもそもな、オレはまずその話自体が納得いかねえんだよ。そんな与太話に兵隊動かす組織が、一体どこにあるって言うんだ?」

 遊夛は愉快そうに、くくと笑い声を出した。

「今まさに、ここに居るじゃかないか、お前達の目の前に! そのイカレた組織から派遣され、不様にも捕まってしまった兵隊が! とにかく私は、条件の合う双子がいたら、その片方を殺し、もう片方を連れて来い――そう命令されてやって来た、使い走りに過ぎない。重要な任務だがなかなか適任者が見つからなくてな、師匠せんせいがこの任務は私に――と強く推して下さり、ようやく自分が抜擢された」

 それが見事にこの様だ――遊夛は半ば投げやりに自嘲気味な笑みを浮かべた。

「先生……?」

 カインが首を傾げると、遊夛は「あぁ」と気の抜けた声で返事をした。

「教団内で私を育ててくれた人だ。能力目当てで私を孤児院から引き取り里親になった教団幹部は、道具としての私にしか興味を示さなかったからな。それに対し師匠は……何の贔屓目かは分からんが、随分と私に目を掛けて下さった。『十二使徒』の顧問をされておられる方だ」

 その言葉からは、今までの遊夛の態度からは考えられないような、畏怖と敬愛の念が感じられた。

「私は幼いころトラック事故に巻き込まれてな。その際母は私を庇って死に、そして私自身も下半身に重大な損傷を負った……。

 ――能力を買われて教団に引き取られたのが幸か不幸かはさて置き、車椅子が無ければろくに移動すらできない私を、必死のリハビリに付き合ってここまで鍛え上げて下さったのもまた、師匠だった」

 懐かしい日々を思い浮かべるように遠い目をしていた遊夛は、気を取り直し「それはともかくだな――」と先を続ける。

「私は失敗した。今に尻拭いが来るぞ――」

「尻拭い――か」立って壁に寄り掛かっていたカインは、すっと前に出た。

「当り前だろう。今まで我らが結社は、預言に従って行動を起こしてきた。これまでの大小様々な犯罪行為だって、それに従ったもの、もしくはそれらを成功させる為の布石に過ぎなかったのだから。今回の預言は、教団内でも特に重要なものとされている。そして私が捕まったことはもう奴ら知れているはず。何名かの使徒が派遣されてくるとみて間違いないだろう。私のような不信心者から見れば、全く割に合わないバカげた行動なのだがなぁ。常軌を逸している――が、奴らはそのぶん手強いぞ」

「けど、戦闘部隊『十二使徒』の中で一番強いのはあんたなんだろう――?」

 カインは遊夛のそばまで歩み寄って、机に手を付いた。

「無論――」

 しかしな――と遊夛はカインの目を下から睨めつけて、続けた。

「仮に私と他の使徒連中とが、一対一での戦闘をしたとしよう。まあ、誰と何度闘っても問題なく私が勝つ。これが例え二、三人程度を一度に相手したとしても、一部の例外を除けばだが、結果はほぼ同じだろう」

 遊夛の言うことは、二対一とはいえ、正面戦闘で遊夛を生かしたまま捕えることに成功しているカイン達にとっては、朗報と言えたかもしれない。その思惑を見透かし砕くかのように、

「だがな、奴らを甘く見ない方がいい――」

 遊夛は声を一段低くした。

「奴らは私のような俗物とは違い、骨の髄まで狂信者だ。腕を斬り落とされようが足をもがれようが、最後の血の一滴まで戦おうとする。命と引き換えにでも神敵の喉笛に喰らい付く――そんな異常者どもの集まりだということを努々忘れるな」

「狂信者――なあ」王が、参ったという風にお手上げした。

 カインの頭にも、以前戦ったことのある、ひとりの異能者の顔が浮かんだ。

 〝摘出者〟月宮瀧彦――神道系の密教にゆかりの武術を修めた、今まで戦った中でも一、二を争うほどの使い手だった。そして彼もまた、生まれ付いた環境と宗教によって人生を変えられてしまった、ある意味哀れな人間だったのだ。

「確かに、敵に回したくない人種……ではありますね」

 牧俊からの忠告を思い出し、カインは半ば独り言のように呟いた。王も、「同じく、あんな輩と戦うのはもう御免だわな」とため息をつく。おそらくカインと同じで、摘出者のことを思い出していたのだろう。

 カインは目を瞑って、己が記憶にこびり付いたあの最期の嗤いを払拭するように首を振った。気を取り直して目の前の神父に質問をする。

「で、あんた自身は結局、複数現れた〝預言の子ら〟についてどう思っているんだ?」

「そうだな……御存じの通り、我らが結社は――異端ではあるものの――クルス教の主義思想に基づいて組織を動かしている。クルス教は世界中で最も信者の多い大宗教だ。当然、敵だって多い。とはいえ、我らの敵対者のほとんどが身から出た錆――つまりは、ただでさえ異端である我ら結社から分派した真性の狂人どもなのだが――」

「そいつらも『預言』についてはある程度は知っているのか?」カインが尋ねる。遊夛はこくりと頷いた。

「ああ。そして〝預言の子ら〟を狙って動いているとみて間違いないだろう。我らと同じ目的で行動するにせよ、邪魔をするにせよ、取引の材料に使うにせよ――いずれ双子を手に入れることは必須条件だからな。つまり、一組を除いた残りの双子達は、全て偽物だと私は考える」

「偽物――だと?」王が机の上に身を乗り出した。

「偽物だろう。妊婦の腹を開いて胎児に精巧な入れ墨か何かでもして、あとはヒーリング系の能力者でも使って傷口を塞いだのだろうな。おそらくは、我が結社が敵を欺くために用意したデコイが半分、そして敵対組織が我らを攪乱するために用意したトラップが半数――と言ったところか。分かりやすく言えば足の引っ張り合いだよ――笑えるだろう?」

「笑えねえよ……赤ん坊を……人の命を何だと思ってやがる!」

 憤った王が両手でバンと机を鳴らすが、遊夛は全く動じない。

「そういった正論が我らに通じないことはお前達も承知だろう? ――しかし、なるほど。だから儀式まで日にちがあいているにもかかわらず、私を秘密裏に送り込んだという訳か。敵対組織より早く赤子を探し出し、定められた日まで確保しておくために……となると、私の役目は偽物の赤子の処分も兼ねていたのだな。それにしても、本物はどうやって見分ければいいんだ? 狂人どものやること考えることは本当に面白いな……」

 遊夛はひとりで楽しそうに、ぶつぶつと唱えている。その様子を見た王が怪訝な顔をする。

「……てめえ、何でそんなに余裕綽綽なんだ? 立場分かってんのか? 一生独房から出られねえって覚悟は出来てるか?」

 王がそう言っても、遊夛はどこか他人事のようにそれを聞いていた。そして口の端を引き攣らせて笑みを浮かべる。

「お前たちこそ、覚悟は出来ているか?」

「何だって……?」

「奴らは私を――哀れな裏切り者を回収しに来るぞ。私が焦っていないのはな、それが分かっているからだ。奴らは人が人を――そして法が人を裁くことを決して許さない。罪を裁く権利があるのは、神とその代行者である自分たちのみ――そんな頭のネジの外れた連中だからな。任務失敗と背信行為、どちらも厳しく罰せられるが、なに――殺されることはあるまい。それどころか、私の腕ならば逃げ出すチャンスだっていくらでもある。これで分ったろう?

 せいぜい警備を固めておくことだ。面白いゲームじゃないか? 曰くつきの赤子と囚われの神父を、イカレた宗教団体の魔の手から守り通せるか――くくっ、見ものだな――」

 それから遊夛はひときわ大きくはははと笑った。この余裕も演技なのか――カインは逮捕時の遊夛の小物っぷりを思い出しながらそんな事を考えた。

 王がそのあといくつかの質問をしたが、遊夛から有効利用できそうな情報を引き出すことは出来なかった。二人がいい加減取り調べを切り上げて、部屋を退出しようとした時、遊夛が思い出したように彼らを呼び止めた。

「ああ、そうだ――多分ヒントになるかもしれん。これだけは教えておいてやろう」

 カインと王が振り返る。

「なんだ? まだ何か言う事があったのか?」

「まあ、私の推測に過ぎんのだが――本物の〝預言の子ら〟は、おそらくクルス教に関わりの深い環境、いや状況と言うべきか――そのような状況、もしくは条件で産まれた子たちのはずだ。奴らのことだから、ただその辺の病院で産まれた双子に印があったからと言って、それをそのままホイホイと儀式に使用するとは到底思えん」

 「使用」という言葉が幾分引っ掛かったが、カインはあえて遊夛に突っ掛かろうとはしなかった。この手の手合いにそういったことを言っても、話が長引くだけで得なことは何も無い。

「何だ、じゃあその聖なんちゃらっつう助産院が一等怪しいってことか?」

 王のその質問に対して神父が返してきたのは苦笑だった。

「おいおい、それじゃあそのまんま過ぎるだろうに――刑事ならもう少し頭を使え。違うだろう。我ら《十字背負う者達の結社》は、神の御子の生まれ変わりを仲間に迎え入れようとしているんだぞ? クルス教に於いて御子が神聖たりえた理由……知らぬわけでもあるまい?」

 王にはその神父の言う意味がよく分かっていなかったようだが、カインだけは違ったようだ。「そんな馬鹿な……」と小さく口に出して、遊夛の顔を睨みつけた。

「まさかあんた、処女懐胎――とでも言うのじゃないだろうな?」

「御名答。お前はなかなか察しがいいな。まさしく、教団の頂点に飾っておくにはこれ以上はない条件だとは思わないか?」

「はぁ? てめえ、本気で言ってんのか?」王が呆れた表情で割って入った。

 処女懐胎というのは、聖母が処女のまま――つまり性交渉を持たずに胎児を身籠ったという伝承のことである。当然、現実ではそんなことは起こり得ないだろう。

「そんな、神話や神代かみよの時代の話でもあるめえし、処女懐胎なんざ、まずあり得ねえだろうがよ。そもそも処女懐胎っていやあ、あれだろ? 天使様がやってきて、あなたは神の御子を身ごもりました、っつう……『受胎告知』――だったか」

 悪いがオレは無神論者なんでな――王はそう言って遊夛の意見を一蹴した。

「何も本当に『聖典』のとおりの処女懐胎だとは、私も言っていない。それに類する何がしか特殊な条件下での出産だったのではないか――と思っただけのこと。まあ、そもそも私の推測に過ぎんのだし、戯言だと思って聞き流すのもいいだろう。

 しかし、本来赤子のことなどどうでもよかったのだが――なぜこんな事を口走ったのか……」

 遊夛は本当に不思議そうな顔をして首を傾げた。カインの頭蓋の奥では、鳴りをひそめていた頭痛が、ずきずきと音を立てて再始動を始める。神父、宗教組織、預言、そして選ばれし双子の嬰児、――そこからさらに処女懐胎とまで揃ってしまったら、それはもういよいよ刑事の出る幕ではないような気がする。

 カインと王は、そのまま遊夛を残して取調室をあとにした――。

 廊下を歩きながら、王は茶色い長髪をかきむしる。

「しかし、今回は問題が山積みだな……。こりゃ、イヴだってのに今日も帰れそうにねえや。女房に電話でも入れてくるわ」

 昨晩も署に泊まり込みで帰宅できていなかった王は、携帯を持ってふらふらと休憩室へ向かって行った。カインから見ても、その背中には隠せない疲労感が滲み出ていた――。






(【3】へ続く――)


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